「袖丈が余っている」と評された福島瑞穂氏から考える「袖放置問題」



昨日、NHKの「明石家紅白!」を見ていたら
自在に動く明石家さんま氏の着る、
ベージュ色のスーツが、
ほんとのほんとにジャストサイズで
その痩身と年齢を感じさせない躍動性を際立たせていました。


こんなサイズ感のスーツを着こなす60代男性ってすごいな。
贅肉感、ゼロ。
肉体にも、精神にも
まったく贅肉がついていない感じ。
自らの機能を「お笑い」という仕事に徹底的に集約させている姿は、
鋭利な刃物みたいです。


サイズ感といえば、
軍地彩弓という方の
小池百合子の「戦闘服」はこう計算されている
という記事に
福島瑞穂議員について


「色スーツを着ているが、
いつも袖丈が余っていて、
吊るしのまま買っているのが見受けられる。
また、デザインがひと時代前なので
『遅れているひと』というイメージがつきまとう」



とズバリ評されていました。


なるほど、福島議員の魅力ともいえる、
あの変わらぬ「垢抜けなさと野暮ったさ」は、
「何となくイケてないデザイン」だけでなく、
「いつも袖丈が余っている」という
サイズの合ってなさにも起因するんですねー。
たしかに言われてみれば、
余っているような気がします。


「吊るし」のスーツを買い、
そのお直しをしないことも
彼女の「庶民性」や「こだわらなさ」の表れともいえますが、
肩幅の袖の長さも合っているに越したことはない。


が、しかし、「袖の長さ」ってビミョーに放置されがちなのです。



パンツの裾をカットしてもらって番号札をもらうほど簡単ではない。


しかも、ジャケットなんかだと
「こうやってブラウジングすれば大丈夫ですよーー」
「ああ。このお袖、カットしてしまうとラインが崩れますねえ」
っていう店員さんも多いしね。
つい、面倒になって
「あ。じゃ、これでいいです」って言っちゃう。
言っちゃいませんか。


わたしも腕が短いので
「いつも袖丈が余っている人」として
あちこちで認知されているのだろうか。
認知されているんだろうなあ。


服ほど「サイズの合ってなさ」を指摘されませんが
ビミョーなイケてなさって
あちこちにありますよね。


先日の記事に書いたメガネもそう。
(あれだけ大騒ぎしましたが、誰も気づきませんでした 悲哀)


あと、わたしの場合、エコバッグですよ!
これまたビミョーに持ち手が長くて
肩にかけているときは、まあ、いいんですが、
(なで肩だからすぐに落ちる)
バッグといっしょに手に持っていると
グルグルグルグルと回転を始めて
紐がネジネジになってしまうのです。


実家に一人で住んでいる姉は、
茶の間でごはんを食べ、テレビを見て
さらにテーブルをすみっこに移動させてまで
そこに布団を敷いて寝ているので、
それ以外の部屋は、まったくといっていいほど使われていない状態です。


家と暮らしのサイズが合っていないよ>姉ちゃん


「あの人、自分のことを大きく見せようとするのよねえ」なんて言い方も
一種のサイズ感のズレですね。
こうありたい自分と現実の自分と周囲の理解がズレている。


もちょっとサイズに敏感になろうかな。
まずは、袖と紐な。私の場合。
紐は、エコバッグ。





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健やかな成長があるように、「健やかな老い」もきっとある。


父が事業をしていて
その会社で父の兄弟がほぼ全員働いていたので
長男の嫁である母は、
いろいろと苦労しました。


わたしも姉も、そんな母を見ていたので
なんとなく「苦労をかける親戚ばっかりでイヤだな」と思って
育ってきたのです。


特に近所に住むカズコおばちゃん(父の弟のお嫁さん)を
母はなぜか嫌っていました。


その母が昨年の暮れに亡くなり、
姉としばしば話すのは、
「カズコおばちゃんは、そんなにイヤな人だったのか」ということです。


母が亡くなるまでのおばちゃんの言動、
それ以後の姉に対する言動、
わたしたちふたりの幼いころからの記憶に残るおばちゃんの言動…。
むしろ、とても誠実な人なのではないだろうか?


わたしたち子どもにはわからないことがきっとあった。
それはきっとあったのだろうし、
母の苦労や葛藤はわたしたちにはわからないけれども、


母には、母の「偏った見方」があったのだな。


もしかしたら、
このおばちゃんのほうが
人間としてはデキた人だったかもしれない。


姉と、そんなことを話したりするのです。


最近、「健やかな老い」ということを考えるようになりました。


「健やかな成長」があるように
「健やかな老い」もあるのではないか。



肉体が衰えていくのは当然として
自分自身の見方の「偏り」を自覚すること。
視点を変えてみること。


そして、生まれてくる新しい生命や
若い世代への慈しみと敬意をもつこと。


老いた人や亡き人の新しい面を発見し、
「古いもの」として捨て置かず
もう一度、理解しなすこと。


そんな内面の作業を続けることによって
わたしたちは、
健やかに老いられるのではないだろうか。
そんなことを思うし、
希望を見いだせるような気がするのです。


そんなふうにして
母とカズコおばちゃんに
もう一度、思いをはせてみます。


母とカズコおばちゃんは、
相性が悪かったんだと思います。
母は、おばちゃんのことが嫌いというより
苦手だったんでしょう。


母には、その出自より「上品」な人としてふるまいたい
という気持ちが強くありました。
もっと学びたかったのに学べなかった悔しさが
おすましや気取りとして表現されていたんだと思います。


そんな母にとって
いささかガサツではあるものの
「嫁」という立場にしっかりと適応して
段取りよくテキパキと世事をこなすカズコおばちゃんは
居心地の悪い存在だったでしょう。
自分を無能に感じることもあったんだろうなあ。


そんな母を思うと
愛しく、懐かしく、
心のなかで抱きしめます。


さまざまな人(亡き人も含め)と
出会いなおしていけると思うと
生きているって本当に本当に幸福です。





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