それぞれの帰宅、それぞれの夜。思いをはせて、こっそりつながる。


夫の入院するパラダイス病院(仮名)の看護師さんは
30代半ばから40歳ぐらいがメイン。
もっと若い人もいるけれど
このあたりの年齢の人たちがバリバリ層。


パラダイスというだけあって(仮名だけど)
どの人も、仕事にきびしく患者にやさしい、
文句なしにすばらしい人たちです。


ある看護士さんは、
「本当はもうひとり子どもがほしいけど
40歳越えちゃいましたからねえ」という
5歳の娘さんのおかあさん。


夫のようなデカくて重い患者を
車椅子からベッドに移乗し、
あのケア、このケアをし、
あっちの病室からこっちの病室へ飛び回り、
カンファレンスだ、なんだかんだと
休む暇もなく動いています。


そして仕事が終わると、
保育園に子どもを迎えに行き、
ごはんを作る!!
洗濯物はベランダで風に揺られてますよ。ブラブラと、のんきに。
それも、この時期、冷えてんのか湿ってんのか
わかんない半端な状態で!
しまっていいのか、どこかに吊るしておくか迷う。
(そんな迷いも多少の時間は食うものだ)


その脇で子どもは、「お相手をしてさしあげる」としか
言いようのないことを延々話し続ける。
「そうかあ」「よかったねえ」と上の空でも相づちを打ち続け、
アニメの話なんかにも声色を変えて調子を合わせる。
「ちょっとお前、今は黙れよ」とは言いたくても言えん。
大人だから。母だから。


ごはん、風呂、片づけ…。
もう、ソファで爆睡以外、選択肢が思いつきませんな!!
ここらで旦那さんが帰ってきたりした日にゃ!あーあ。


もう、その忙しさ、拝むしかありません。


隣の病室のたぶん70代後半と思われる奥さんは、
「来週の月曜日が退院。
全然動けないのにねえ」と
淡路恵子によく似た顔と声で静かに笑い、
「お疲れ様!じゃあね!」と
サバサバと帰っていきました。


だれもいないダイニングのテーブル。
夕飯を食べながら、
月曜からの日々にぼんやりと思いを馳せる。
「ためしてガッテン」なんかを
見るともなく見ながら、覚悟を決めるのかな。


覚悟って「切腹する武士」みたいな顔でするもんじゃないですね。
ゆるゆると、仕方なく、
よっこらしょと重い腰を上げるように
気乗りしない明日に身を委ねること。
その「明日」にやるべきことを
洗濯物をたたむように淡々と数えあげ、
逃げずに、こなしていくこと。


だれが介護なんかしたいものか。


淡路恵子さん、お気持ち、お察しします!


わたしの場合は、家に帰ると
即効、犬の散歩です。
その間、10分!そして1時間、歩く!


病院で会う人たちは、
あの「いい奥さん」が
すぐさま犬の散歩とは思ってないだろうなー。


あ。
ってことは、看護師さんだって
実は旦那さんがすでにお迎えに行ってくれていて
ごはんの支度をしてくれている、ってこともあるな。
「あー。おいしい!パパ、最高!」と言いながら
ビール、プハーってこともある。


淡路恵子さんは、あれだな。
せっかく淡路恵子さんなんだから、
行きつけのバーあたりに直行して
なじみのマスターに愚痴ってるかもな。
なんならカラオケで熱唱してるかも。
自慢のハスキーボイスで。
(もんたよしのりとか、葛城ユキとか)


それもいいな。
どっちかというとそっちがいいな。


いやあ。みなさん、ほんと、お疲れさんです。
わたしも、犬の散歩、ご苦労さん。


それぞれの帰宅。
それぞれの夜。
自分以外の人に思いをはせて
こっそりつながっています。





フェイスブックツイッターで更新情報をお知らせしています。フォローしたら気軽に話しかけてください♪リアルタイムにツイートしているのでライブ感あります。

ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。月曜にはこちらにも書いています。わたしたちのふるまいは、「憧れたもの、なりそこねたもの」のアーカイブ。

★いつも応援してくださってありがとうございます!ハッピースマイル

にほんブログ村 ミセス系
関連記事

スポンサーリンク



思い出と保留がからみあい、「物置」が家を侵食する。



夫が倒れて3カ月が過ぎ、
彼の部屋は、元気だったころの状態の上に
車から降ろした釣り道具やキャンプ用品、
入院のために買ったもろもろの用品が加わり、
ビミョーに「物置化」しています。


80平米程度の狭い家なのに
ウォークインクロゼットとして使っている部屋がひとつ。
娘が留学中のため無人の部屋がひとつ。
そしてビミョーに物置化の進む夫の部屋がひとつ。


なるほど。家というのは
こんなふうにして「物置」が侵食していくのだな。


多くの高齢者が居間だけで生活し、
その他の部屋はなんとなく物置になっている。
その前駆症状的なものじゃなかろうか。


かつては家族それぞれの個室だった部屋が、
別の用途に変えようにも
とりたてて思い浮かぶ用途もなく、
主がいなくなったり、独立したりしても
ほぼそのままの状態で置かれ、
ビミョーに物置化していく。
実際に物置にはしなくても
風通しの悪い「古い雑多なものの詰まった空き部屋」になっていく。
思い出というモノの置き場としての物置といえなくもないですね。


思えば、わたしの実家の二階もそう。
夫の実家の二階もそう。


2階の宿命といえそうです。


おそらく、「いつか帰ってきたときのために」
部屋はそのままに置かれるのでしょうね。


でも、もし、それが子どもなら、
居心地のよいゲストルームにしたほうがいいのかもしれません。
いや、やはり「子ども部屋」のままがいいのかな?
でも、かつての勉強机に座ったとき
何とも言えない落ち着かなさを感じた人も多いはず。
もう、身の丈に合わなくなった「かつての自分の部屋」は
ずっとしまっていた古い服のように、
汗と体臭が化学変化を起こしたときの不快さに似た
居心地の悪さを感じさせる場所だったりします。


そのままにしておくと、家は、いつしか
思い出がからみつき、身動きがとれなくなり、
さまざまな「保留」が積み重なって
時間という埃がうっすらとたまった
物置のような空間になっていくんだな。


家に思い出は必要だけど
その量が多く、密度が濃すぎてもいけない。
物置化しないように「今」の自分たちに最適化しながら
家も更新していきたいものです。





フェイスブックツイッターで更新情報をお知らせしています。フォローしたら気軽に話しかけてください♪リアルタイムにツイートしているのでライブ感あります。

ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。月曜にはこちらにも書いています。究極の寂しさとは、自分という人間の表し方がひとつだけになることか。

★いつも応援してくださってありがとうございます!ハッピースマイル

にほんブログ村 ミセス系


関連記事

スポンサーリンク