父母がまだ元気だったころ、
姉と温泉旅行に行ったことを
わたしには内緒にしようとしていたことがありました。
「自分たちだけ
いい思いをして
あっちゃん(わたし)に悪い」
という気づかいですね。
「あの子だって行きたいだろう」と
思ってくれたのでしょう。
おいしいケーキを自分たちだけで
食べてしまう感じか。
当のわたしは
「そんなこと隠さなくていいのにー。
ガンガン行ってくれていいのにー」
と思っていました。
いまも、同じように思うだろうけど、
そのときの気持ちは、
自分も気にしないかわりに
こっちのこともほっといてほしい
というのに近かったともいえる。
老いつつある親には、
「自分(たち)だけで
楽しみを見つけて
充足して、
元気でいてほしい」と思っていました。
父が亡くなったあとの母が
たとえば、
「自分ひとりで
海外旅行だってしちゃう」とか
「サークル活動で大忙し」とか
「庭の野菜づくりで充実」とかなら
最高だったな。
そんな親ならいいなーと
思っていました。
実際には、
どんどん老いて
認知症が悪化していったのですが…。
現代の
「老い」と
それにともなう「一人暮らし」には、
孤独を上手にコントロールし、
自分で外に出かけ、
人間関係を作りだし、
うまくやっていき、
やっていかないまでも
何か楽しみを見つけ
生き生きしていることが
求められます。
わたしも、そうでした。
老いつつある親に
いつだって、
それを求めていた。
そして、高齢者同士の間にも
そんな叱咤激励が
飛び交っています。
「外に出よう」
「用事をみつけよう」
「生きがいを探そう」
「楽しもう」
でも、わたしはわかる。
まだ老いの入り口に
立ったばかりだけど
その脅迫的な
「孤独を上手に
生きなければならない」という
使命感に似た意識の下に忍び寄る
胸から背中にかけて
ひたひたと広がっていく
沼のような寂しさと
「上手になんか生きられないよ」
という恐れに似た気持ち。
あと、そんな気の「張り」が
なんらかの事情で
崩れてしまうのではないかという
常時、存在する不安。
ねえ。
年をとるって
そんなに簡単じゃないね。
亡き父と母に
ようやく今、話しかけられるな。
そして、そんな「子」の思いを知っているだけに
わたしは、自分の娘に対して
「孤独を上手に生きている親」で
あろうとするだろうし、
もう、そうしようとしています。
人間の後半生は、
「手のかからない存在」で
あり続けようとする
果敢な努力の連続なんじゃないか。
ご苦労なことだ。
このブログは、せめて
「生き生きとばかりしてられねえよ」
というあたりを
「あの人も、冴えない老後ねえ」と
言われるのを受け入れつつ、
書いていこうと思います。
ポジティブ一辺倒は、
自分の首を絞めるよ。
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