不平も不満たっぷりの 「幸せかどうかよくわからない日々」の価値。



娘が留学先に戻る前、
夫の病院にあるコンビニで雑誌LDK the beautyを買い、
メイベリンのファンデーション
「ドリームホイップスムースリキッドが高評価」だと言いました。


「どれどれ?」と情報ぎっしりのページを見てみると
イブサンローランと同率ナンバーワンと書いてあるではありませんか。
ちょうどファンデーションが切れそうだったので
早速買ってみました。
スッと伸びていい感じなんじゃなかろうか。
プチプラコスメをお探しの方、
一度、試してみてはいかがでしょう。


LDK↓






・・・と軽めのお役立ち風話題からスタートしてみました。


夫が倒れてから40日あまり。
しばしば、彼が元気だったころ、
私は何を思って暮らしていたんだろう?と
考えることがあります。


日々、あれをやらなくちゃ、これをやらなくちゃと思っていたし、
そんなにボンヤリしていたわけではない。
ささいなことを心配したり、不安になったり、
プレッシャーに感じたりしていたよなあ。


いま、ひとりで出かけるとき、
この前までの私たちのように
車に乗って出かける夫婦をみかけることがあります。
なごやかに笑顔で語りあっている人たちもいれば、
どちらにもなにがしか不満や
腹に据えかねるものがあるのでしょう。
黙ったまま憮然として駐車場から
車を出している夫婦もいます。


そうだよなあ。そりゃそうだ。
ダンナの言葉や行動が
めんどくさかったり、気に障ったり…。
そういうことの連続だよな。
相手に言いたいことも意見したいことも
投げ出したいことも山ほどあるわけです。
わたしもそうだった!!



不平タラタラ、不満たっぷりの
「幸せかどうかよくわからない日々」。



この、幸せかどうかよくわからない、というのがキモで
その雑駁感、そのつきつめなくていい感、
わたし、こんなことしていていいのだろうか感、
もうひとつ充実していないような気もするな感…。
そういったものが、
「かけがえのない穏やかな日常」の実態なんでしょうね。


幸福とは実はそういうもので
不平や不満も、その必須要素なんだろうな。


…となんだか悟りを開いたみたいな書き方になっていますが(笑)
そんなことはありません。
ちょっと感傷的な思いつきを書いてみました。


晴れた日は電動アシスト付自転車で
病院まで通っています。
朝夕の犬の散歩で毎日1万歩程度あるいているので
わたし、このままいくと健康になるだけでなく
ナイスボディになるかもしれません(笑)。


いいこともあれば、悪いこともあるねー。


※コメントやメール、ありがとうございます。
励ましの言葉だけでなく
参考サイトなどを教えてくださったりと
感謝でいっぱいです。
落ち着いたら、お返事書きたいと思います。





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「感情の着地」を急ぐな。急がされるな。ほかのだれにも。


ドラマでは、愛する人の急死や失恋、裏切りにあうと
雨に濡れるのも構わず夜の街を歩いたり、
暗い部屋に閉じこもって
食べることも、眠ることもしなかったり、
だれとも言葉を交わさないか
だれかを激しく攻撃するかして
他人に心を閉ざしたりします。


きっとそういう人もいるでしょうし、
極限まで追い詰められるとそうなるのかもしれません。
でも、多くの人は、
そんなにわかりやすく感情を表現しないものです。


雨のなかをずぶ濡れで歩くことになったら
どんなにつらく、苦しくても
「わああ。傷心プレーしてるよ~
それも超わかりやすい形でやっちゃってるよ~」
と思ってしまいますもんね。


そのときのリアルな感情というものは、
「自分でもわからない」ことが、
多いんじゃないでしょうか。
自分の「感情」がわからないし
その「取り扱い方」もわからない。


ただ、なんとなく、
これまで見聞きしたことや経験したことから、
一般的な傾向や表れ方は知っていて、
「こんなときは、こうなるもんじゃないか」
「こんなときは、こうなるべきなんじゃないか」と
いまの自分の「感情」との違いを自覚してしまう。


あれ??わたし、これでいいのかな。
冷たくないかな??
鈍感じゃないかな?
何も感じなくなってんのかな?とか。


ひと月前に夫が倒れてからずっと
わたしもそんな違和感を覚えてきました。


でも、少しずつわかってきた気がします。


まだはっきりと意識の戻らない夫を前に
耳元に口を寄せ、大声で何度も名前を呼び、
覚醒を促すように体をゆする、などの
わかりやすい接し方をするのは、
現在の夫を「受け入れて」いるからなのです。


健康だったときの関係から、
「看護者」と「病人」の関係に
上手に変化、もしくは更新できているからなのです。
強いな、偉いなと思います。


お義母さんは、病院に来てすぐにそうなりました。
「母」とは、そもそもそういうものなのでしょう。
わたしも娘になら、自然にそうなれる気がします。
(何ごともなってみないとわからないけれど)



「受け入れられない」というのは、
錯乱や号泣、意気消沈などの
わかりやすい表れ方はしない。




わたしがいま感じている違和感や乖離感。
言葉にもならず、
表情にも出ない、
この沈黙するしかない感覚こそが、
「受け入れられない」ということなのだ、
と今は考えています。


このこと、同じような境遇で
自らの違和感に直面する人のためにも
書いておきたいと思いました。


おなじようなことが実は、いろんなケースにあてはまるんじゃないでしょうか。
身内の闘病だけじゃなく。


あらゆる「受け入れられなさ」は
当事者をこそ、沈黙にいざなう。
それを自ら責めないでいい、と思います。


急ぐな。急がせられるな。ほかの誰にも。





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