不機嫌な人は、「その理由を慮らせる」という形で支配するから困る。


「いやあ、Mさんがおっしゃるんで・・・」
「それは、Mさんが嫌がるでしょ」
「Mさんに言っておかないと!」


…と最近、あの人の口からも、この人の口からも
Mさんという名前が出るようになりました。


わたしは、「フリーランスの外注」なので
週に一度、会議に出るだけなんですが、
なんとなく全体がやけに「Mさんシフト」に
なってきているなあとは感じていました。


Mさんは、40代女性。
それなりに大切な役割を果たしていますが、
とりたてて地位が高いわけじゃありません。


でも、誰にも太刀打ちできない、
武器をもっている。


それは、


不機嫌キープ力。



薄毛のヘアスタイルを保つために、
スプレーにして持ち歩きたいくらいの
微動だにしないハードなキープ力。
いつだって不機嫌。
ジョージ・ザ・不機嫌。


ほとんど接点のないわたしも、
Mさんのいつも腹に据えかねたような
ぶちまけたい不満を我慢しているような表情を思い浮かべると
つい「なんでだろうか??」と思い、


取りつく島もない冷笑するような答え方や
けんもほろろな対応を見るたびに
「これは、きっと何か、報われないものを感じているんだ」
「もっと評価されたいことがあるんじゃないだろうか」と
彼女の内面を慮り、
「なんとかできないのかなあ」と考えてしまうことがあるぐらいですよ。


そして、そのあと、「あれ?」って思うんです。


あれーーー?仕事上、もっともっと関係の深い
あの人や、その人、この人について
こんなふうに思いを巡らせている??
もっともっと大事な人なのに。
慮っている?


答えは、NO!!



そーーーなんです。


「不機嫌な人」って
その人が「不機嫌な理由」を
周囲の人間に探らせ、慮らせるんですよね。
ときには、生い立ちや境遇の不幸にまで
思いを馳せさせる。
(家族でも、恋人でも、友だちでもないのに)


そして、ああすればいいんじゃないか、
こうしてあげればいいんじゃないかと
「ご機嫌をよくしてもらうための方法」を考えさせる。
そうやって、こちらの時間を奪うんです。


不機嫌の支配力、恐るべし。


わたしは、直接会話をかわす必要はないので、
挨拶するたびに透明人間のように無視されれば
それですみますが、
まわりの人たちは、本当に大変だと思う。
毎日、何らかのやりとりをしないといけないもん。


近づかない、が一番いいんですが、
そうもいかない職場。
上司まで振り回されるとほんとえらいことになりますね。



不機嫌への処方箋。
これ、なかなか大変ですが、
「不機嫌なほうが悪い」って思うだけでも
ちょっと気が楽になるんじゃないかな。
避難出口もあらかじめ確認しておこう。


ああ。あと、自分もできるだけ機嫌よく。
一定にせねばなーー、わたし。
(外はダイジョブ。家のなか、注意)


大人になったら、「他人に過度に慮らせない」ってほんと大事です。




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変化ストレスで、心に飼っている「小姑」が顔を出す。


仕事先のあちこちで異動があり、
わたしも、もんのすごく若い人と仕事をすることになるなど
変化の波に洗われています。


変化に対応しよう!
変化してこそ!


とはいうものの
変化は、最大のストレス。


●安定した平穏な職場環境
●安定した、そこそこ円満な人間関係
●休憩時間のなごやかな「おやつ」
●手抜きのコツがわかる一定レベルの仕事



あたりが最高だなあ。
そんな職場、ないかなあ。
ないよなあ。


わたしの場合、フリーランスなんで
どっちにしろ、そういう状況に身はおけないけど、
そういう環境に憧れるなあ。
「ぬるま湯」という天国、どこかにないですか。


で、最近、ふと気づいたのですが、


後輩ができたり、
新入社員を迎えたりすると


「あれ?この人、こんなだったっけ?」って
対応をする人がいませんか。



あれ?ちょっと小うるさいぞ。
あれ?ちょっと意地悪だぞ。


みたいな。


その人のなかにある
「小姑」の部分が
ニョキっと顔を出しちゃうというか。



あれも、「変化ストレス」の一部なんでしょうね。
新しい立場や人間関係に本人もストレスを感じていて
旧に戻したいという潜在的な願望があり、
それが、ちょっと排他的な気分となって
「小姑性」の発現になる。


「指導」や「アドバイス」に交じる
かすかな「意地悪」さ。


かくいう、わたしも
「若い担当者」と実際に会う前、
自分が発動しそうな「小姑性」を自覚しましたもん。
(あらかじめ自覚していたので、
実際には、発動しないですんでいると思います)


いや、ほんと、


だれでも、心に「小姑」を飼っているんでしょう、おそらく。



この心に棲む「小姑」のやっかいなところは、
別の「小姑」を探しだして
「小姑どうしで悪口を言う」という快楽に浸れるところ!



シーズン限定「小姑」発動ならいいけど、
オールシーズン「小姑」発動&グループ結成ってことになると
ややこしいですよねえ。周囲にも迷惑だし。


職場によっては、
小姑大増殖ってところもありそうだなあ。


もし、いま、発動中だったり、
発動され中だったら、
「変化ストレスだな」と思ってやり過ごしましょ。
オールシーズン化すると
それは、別の対策を考えねばなりません。




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「何となく、あの人に」と思ってもらえる、「何となく」の強み。


あの人が来ると何となく楽しい。
何となくものごとが動き出す。
何となくものごとが解決した。


の「何となく」のところで機能できれば、最高ですよね。


「何となく」の人は、
沈んだ雰囲気の場所にやってきたら
いつの間にか、その場を明るくしてくれる。


決して「なんで暗いんだよ!!そんな顔してるから、ダメなんだよ!」
なんてことは言いません。


みんながうろたえてオロオロしているときは、
緊張をゆるめながらも
何から手をつければいいかを考えてくれそう。


みんながあれこれ悩んで
ああでもない、こうでもないと考えているときには、


「こうすればいいのよ!なに悩んでいるの!」
とすぐさま結論を出して
会話を強制終了させてしまうこともありません。


「何となく」だから、あくまでも「何となく」。


「あの人」が来れば、
うまく物事が運ぶのは感じるんだけど


「何となく」だから、
だれの手柄にもならない。
だから、とりたててお礼を言う必要も
感謝する必要もない。



仕事の理想は、それだな~!
「何となく」として自分を機能させたい。


フリーランスとして長年、仕事を続けるうちに
ますます深くそう思うようになりました。


仕事デキル感も、
テキパキしてる感も、
忙しそう感も、
どれもいらない。


とくに「忙しそう感」は、
「その現場を大事にしていません。別の現場もありますから感」が出るから、いらない。


プライベートでも
「あの人が来るとなんとなくうれしい」とか
「あの人が加わるとなんとなく心弾む」とか
「あの人が顔を見せると安心する」って人いますよねえ。


そんな人、最高だな。


そんなふうに思われる人も、
だれかのことをそう思う人も、
どっちも「何となく」の価値のわかるすごい人だと思う。





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「いい自慢」と「悪い自慢」…わたしの場合は、こうなる。


「新しい服を買った!見て、見て!」とか
「○○がやっとできあがった!」とか
自分が心から満足していて
それがあふれだした感じの自慢は、
いいですよね。


いっしょに「どれどれ?」って言えるし
「わー!いいねえ!」って言える。


自慢したほうも
自慢されたほうも幸せです。


しかしね、先日、わたし、
「悪い自慢」を発見してしまったのです。


ある朝のことでした。


納品した仕事をメールでとてもほめられ、
その文章を目にしたとたんうれしくなって
台所にいた夫に、これこれこうでほめられたと伝えたんですよ。


ここまでは「いい自慢」。


というか、別に自慢するつもりはなく、
うれしいわ~って伝えただけのつもりでした。


ところが、「よかったな」とはいうものの、
ヒジョーに反応が薄く、話もどこにも広がらず、
感情移入もなく、なんだか思った以上に期待はずれ。
期待値が高かったわけでもないはずなのに
それをも大きく下回るハズレ度。


たとえるなら、
ふわっと喜びでふくらんだ風船をふわーっと気分よく投げたら
ふわっとソフトタッチでさらに上へと投げてくれるわけでもなく、
同じスピードでポワンと投げ返してくれるでもなく、
ちょっとかすって、そこらへんにポトンと落ちた感じ。


ポトンと落ちたじゃないか。
拾う気もなさそうじゃないか。
このまましぼむじゃないか。
フン、何さ。


以下、脳内イメージ映像ですが、
ポトンと落ちた、色あせて見える風船を拾いに行く。
拾った風船をなでさする。
顔を上げる。そして口を開く…。(イメージ映像、ここまで)


そんなつもりなどなかったのに、なかったのにですよ。


自分が常日ごろどんなふうに仕事をしているか。
どんなことに気をつけているか。
なぜ、そんなことをしているか。
それが、どんなふうに評価されているか(推測にすぎない)。


いかにも、ほめられる理由があるように
そのほめられる理由には、
何人たりとも異論をはさめないとでも言わんばかりに
偉そうに語り出してしまったのですよ。
いや、わたしが、ですけどね。


話しながら、いや増す徒労感。
言い募れば言い募るほどふくらむ虚しさ。
でも、言い募ることの自己嫌悪でさらに言い募る。ぎゃー。


ごくまれにですが、
誰も聞いていないのに
機会を見つけては
延々と自慢をする人がいるじゃないですか。


あれって、相手が無関心であればあるほど
自慢欲の炎に油が注がれるんでしょうね。


みんなうなずいてはいるものの
本心から感心も感動も称賛もしていない。
そのフィードバックを得ることによって
とまらなくなる自慢衝動。


不全感を動力に進む暴走機関車。


滔々と自慢して
相手にあいづちと称賛しか求めないときって
何かを力づくで抑え込んでいるんですね。
無関心への苛立ちと虚しさかなあ。


このスパイラル、入らないほうがいいよ。
落ちた風船を拾ったら、
また自分で空にに投げるかあ。



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「実家」であれ、何であれ「家族」は逃げ道をふさぐ存在になりうる。


若いころの自分を思うと
よくもまあ、あらゆることから逃げたなあと思います。


以前の記事にも書きましたが、
遅刻とずる休みの常連でしたから。
ほんとひどかったの。


そういう逃避癖によって
得られなかったことも多かったけれど、
それによって助かったこともあるのかも思うようにもなりました。


社会に自分なりの方法で適応する方法を、
逃げ惑いながら学んだ時間



というんでしょうか。


なぜ、あんなに逃避できたのか?


親元を離れていたからです。


実家にいたら、勤勉な親の叱責と心配と口うるささがイヤで
逃げられなかったと思います。
やっぱり、「いい子」でいたいもん。


子を思う親の気持ちは、
ときに子の逃げ道をふさぐのです。



実家に限らず、
自分自身が結婚して作った家族も
往々にして逃げ道をふさぎます。


「稼ぎ頭」は会社を辞められないし、
「主婦」は家事をさぼれない。


とくに稼ぎ頭は、逃げ道をふさがれがちですよね。


わたしたち夫婦は、ほんとにパッとしない暮らしですが、
お互いさまだと思っているので
逃げ道だけは、お互いに甘く、
作ってきました。


夫の退職と独立、
わたしの演劇活動と解散、
夫の収入の激減、
無収入の時代、
事業資金の工面…。


これらは、まあ、苦労といえば苦労ですが
逃げ道をつくらなければ、
いま、生きていないかも。


家族はたしかに大事だけれど、
追い詰められたときは、


「ひとりならどうするか?」
「この人は、ひとりなら、どうしたいだろうか?」



と自問することは
いのちのセーフティネットであり、
そこから導き出された答えには
たとえ家族であっても介入できません。


逃げても何とかなる、なんて
無責任なことを言うつもりはありませんが、
うちは、ともかく、なんとかなってきました。


不遇のときも機嫌よく。
逃げたいときは後先考えず、逃げろ。


「個人の判断を尊重できる家族」をつくること、
そして、「そこに笑顔をつくる」ことは、
どんなことより難事業で、挑戦しがいのあることなんだ、
と思います。


いま、自分の心に従って逃げて、
そして戦っている人たち。
負けるな。




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電気ケトルを溶かした話題で場を緩ませた、というトロトロ系のお話。


いやあ、人生、何があるかわかりません。
月曜日の夜のことです。


やかんにお湯を沸かして冷茶を作ろう」
電気ケトルでちょっとだけお湯を沸かしてガス台を拭こう」


とふたつのことを思いながら
台所に立っていました。


そこはほら、もう、年季だけは入った主婦ですから、
なんにも考えなくても
自動的にカラダが動きますよ。
サッサッサです。
水を汲み、
これをあそこに置き、
こうして、ああして、火にかけて
こちらをこうして…と
いつものように段取りよく動き、
ちょっとほかのことをしていたら、


ん?


何か匂う。
石油系の何かが溶けている感じね。
うん。もっとはっきり言うと、プラスチックが溶けている。
どこかで何かがドロドロになっている的な?
ずっと嗅いでいると絶対に具合が悪くなる匂いでもある。


あ・・・。


ガス台にのっているのは、ティファールの電気ケトルじゃないか?
やかんではなく。


ギャーっ!!!
猛烈な勢いで駆け寄り、
火を消してティファール電気ケトルの救出をはかるものの、
時、すでに遅し!


電気ケトルの底面は溶け、
コロンとした可愛らしいフォルムは醜く崩れ、
白いすべすべの肌の下からは
エイリアンのような黒々とした内臓が
無気味にのぞいているではありませんか。グロい。


これは、もう、わたしの知ってるティファールじゃない!
「わたし、なにやってるんだ」「もう、ほんと何やってもダメじゃん」と
一瞬、自分の心のなかもドロドロになりました。
翌日、ツイッターでも大げさに嘆きました。


その数日後、クライアントを訪ねたときのことです。


「おつかれさまです!
最近、なんかおもしろいことありました?」


と不意に尋ねられました。


こういうときは、ほぼいつも何も思いつかず
「うーん、なかったですねえ」と
答えてしまうのがわたし。
とっさの反応が鈍いんです。何ごとも。


この日も、「苦手な振り、きたよ」と思い、
「おもしろいこと??わたしの人生にそんなこと、あるか?」
と思いつつも、
相手がすごく疲れているようなので
ちょっとリラックスさせてあげたいと考え、
しぶしぶ「脳内SNSに最近書いたこと棚」をひっくり返しました。


あ!!



「電気ケトルを直火にかけてドロドロにしました!!!」



そう言うと、おもいのほか反応が大きく、


「そんなバカなことするんですかーーー!?」(大笑い)となり、


やってきたほかの人に
「なあなあ。電気ケトル、直火にかけたことある?」
「ないです」
「ないよなあ」
「かけたんですか」
「はい」
「えええ!!」


となって、そこから、


「やっぱり次は、あれですか。あの、流行りの?」
「バルミューダですか」
「そうそう、それそれ」
「あれネットで見ましたけど、注ぎ口が洗いにくくないですか」
「うん、でも、かっこいいですよ」
「そっかあ、値段がなあ!」


と複数人を巻き込み、しばし盛り上がりました。


よかった!これでティファールも浮かばれる!


しかし、ツイートしておいてよかったな。


「おもしろいことないですか」と聞かれたとき
わたしは、最近の「行動」をふりかえるんじゃなくて
「自分が書いたり、ツイートしたこと」を
無意識にふりかえったんですよね。


なんか、おもしろいことがあったなら
ツイートに書くか、ブログに書くかしているから
そこをふりかえろう、って感じですかね。


ひとりのときの体験と
それを「書いたみたこと」が
話題を作るんだなあ。



そんなことを思ったのです。


なーーんて教訓見つけたみたいに偉そうに書いてますが、
きっと人生のなかで、こういう失敗を一度もしない人が
たくさんいるんだろうなあ(涙)。
鼻で笑って、電気ケトルで茶を沸かしてくれてもいいよ。


話題に出たバルミューダの電気ケトルはこれ。
注ぎやすそうだが、洗いにくそうな注ぎ口。デザイン的にも肝。



私が使っていたのは、廃盤になってました。
もう一度、ティファールを買うかなあ。価格的に。




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どんな仕事も、人間と人間が言葉をかわして成立するという原則。


仕事で知り合った、
若いグラフィックデザイナーの女性が
おもしろい話をしてくれました。


大学時代、卒業制作で学科全員の作品集を作ることになり、
先生に「作品集の実行委員になってくれないか」と頼まれたんだそうです。
「面倒くさいなあ、いやだなあ」と思いながらも引き受けたら
それが、すごかったと。
忘れられない体験になったと言うんです。


彼女たち実行委員が締め切りを決めて
「いついつまでに規定のファイルをメールで送ってください。
何字以内で解説もつけて」と
学生全員に連絡するそうなのですが、
その集まり具合がすごかったと。


締め切りまでに丁寧なあいさつ文をつけて送ってくる人。
締め切りぎりぎりになんのあいさつ文もなしに送ってくる人。
締め切りを過ぎて送ってきたと思ったらファイルの形式も間違っていて
そのことで連絡すると逆ギレする人…。


全員の「提出の仕方」を一堂に見ることができて
こんなにバラバラなのかと心底、驚いたそうです。



それは、いっしょに講義を受けているだけでは
決してわからない「その人の姿」だったと。


さらにこう言っていました。


「締め切りまでに特に丁寧なあいさつ文をつけて送ってくれた学生は、
学科ではちょっと浮いていたギャルだったんです」


彼女自身もあまり親しくなかったそのギャル風女子を見ていたら、
趣味の合わなさそうな男子ともフランクに接していて
コミュニケーション力が高いことがわかったと。


「わたしには、抜きんでた才能はないから、
『仕事の受け渡し方』や『仕事でのコミュニケーション』を
いいかげんにしないようにしようと思いましたよ」


なるほどなあ!これぞ、まさしく人の振り見て我が振り直せだ。


人々の提出物を集め、
それらが一堂にそろった状態を見る機会は、
そうそうあるわけじゃないですが、
ちょっとした「一堂」はあちこちにあるはずです。


たとえば、わたしはフリーのコピーライターですが、
クライアントは、「複数のコピーライター」と同時にやりとりし、
頭の中で、何度も、それらを一堂に並べて比較し、
「この人は、あれだな」
「この人は、こうだな」と
感心したり、ひっかかったりしながら、
「次は、この人」という選択を繰り返しているんだと思います。


「仕事の質」が一番、大切なのはもちろんですが、
修正を依頼したときの反応、
言葉でやりとりする際のストレスのなさ、
どんなことでも冷静に受け止めていっしょに解決しようとする姿勢、
真意を正確に受け止めてくれる理解力、
そして相手を思いやる気づかい…などの総体が、
「抜きんでた才能」だけの人を凌駕することは
いくらでもあるんじゃないでしょうか。


仕事はすべて
人間と人間が言葉をかわして
成立するんだもんなあと改めて思い、
わたしも「人の振り見て我が振り」直そうと思いました。


ギャルは、いま、どこでどんな仕事をしているんでしょうか。
笑顔でがんばっていてほしいなあ。



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ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。昨日はこちらにも書いています。→桜田淳子さん、58歳。「わたしの青い鳥」は、歌うことだったのだな。

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バイト女子の至言。「新たな人間関係は半年後を見据えろ」


新入生や新入社員をあちこちで見かける季節です。


先日、電車に乗っていたら、
大学生と思われる女の子ふたりが
バイト先の新入社員について話していました。
どうも、ホテルのレストランか何かで働いているみたいで
話題になっている新入社員は男性(Aさん)のようでした。


「Aさんとちょっと話したんやけど」
「うんうん」
「大学時代はバスケ部やったらしい。めっちゃ楽しかったって」
「へえ」
「バスケうまくて『俺、みんなを引っ張ってくタイプの人間やから』やって」
「まじで?」
「まじで」
「なんか、こういうこと考えるわたしが、
ちょっと意地悪なんかもしれんけど」
「うん?」
「その話、聞きながら、こう思った」
「うん?」
「あなたがどんなタイプの人間かは
わたしが判断しますから!」
「(爆笑)」
「だってそうじゃない?そういうのって、ちょっといろいろ話してみて
こっちが判断することじゃない?
自分から『こういう人間です』っていうヤツ、
ほんとにそんな人間やった試しないからな」


これだけの会話のなかに
すでに名言ふたつ。


その壱
あなたがどんなタイプの人間かは
わたしが判断しますから。

その弐
自分から「こういう人間です」っていうヤツが
ほんとに、そういう人間だった試しはない。



若くして、この含蓄。


もう、この女子の言葉から耳が離せません。
すると、続けてポロッと言ったのです。


「わたし、最近、決めてん。
長期間、つきあうことになる人間関係なら、
いろいろ急がんと、
半年後くらいに『この人、おもしろいな』って
思われるのをめざすわ。
2週間ぐらいの短期なら
最初からがんばるけどな。」


おおお。


その参
長期の人間関係になるなら、
半年後に『この人、おもしろいな』をめざす。



大学生にしてこの洞察。
この落ち着き。
弟子入りさせてください!


そういうわけで新しい環境でがんばっているみなさん。


半年経ったあたりで
本領発揮ぐらいのつもりでいいようですよ。
おもしろいな。
できるな。
いいやつだな。
オシャレだな、なんかも半年後あたりをめどに。
どうですか。



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ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。今日の悩み相談、面白いです。【File No.16】 話を盛るクセがあります。

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気をつかう会話で適度にリラックスするには、「沈黙」の挿入が有効?


フリーのコピーライターなので
いろんな現場で、いろんな人といっしょになります。
たまたま帰る時間や方向が同じだと、


●同じ車両にのっていっしょに帰る
●「トイレに寄ります」「銀行行きます」「電話を一本」など
どちらかがさりげなく理由を見つけて
「お先にどうぞ」となり、
「はいはい、それでは!」となり、別々に帰る。


以上のどちらかで、やや後者が多いかなあという感じ。


でも昨年の暮れから何度かいっしょになった
30代の女性カメラマンは、
もっと堂々かつ決然としていました。


たとえ帰る道がいっしょでも
その道が延々と一本道でも、
車を同時に降り、そこから駅に向かうという
わずかな道のりでも、


「お疲れさまでした」と丁寧に頭を下げるとともに
その「お疲れ様」に「さようなら」を明確に込めて
「ここで失礼」という意思を無言で伝える。
(同じ道でも)そこで別れる。きっぱり別行動。
視界に入っても見えていない風情になる。
(仕事中はとてもフランク)


お互い、緊張のあとで疲れているし、
ほっとしたいし、
いろいろ話題を探すのも面倒だし、
これはこれでありだなあ!と思いました。


先日、通りを一人で歩いていたときのことです。


PTAのパトロールかと思われるふたりの若いお母さんが、
おしゃべりしながら通り過ぎました。


ふたりとも、相手に気をつかういい人と見え、
ハイトーン&ハイスピードトーク。
テンション高め。


相手の声のトーンやリズムを崩すまいとして
もう片方も、同じトーンとリズムで受けてすばやく言葉を返し、
快活な笑い声や大きめのうなずきも適宜はさみ、
そこへ、また、相手からハイトーン&ハイスピードの言葉が
返ってくる。


気づかいによって続く、終わりなきハイトーンラリー。


これ、やっちゃうんですよねえ。
そしてドッと疲れるんですよねえ。
会話に含まれる極微量の「偽りの自分」にも
あとで、ちょっと自己嫌悪になるの。


あまり親しくないなど
気を遣う人といるとき、
どの程度、リラックスできるのかって
わたしにとっては、わりに大きな課題です。


最初に書いた女性カメラマンのように
きっぱりとルールをきめちゃうのもひとつの方法ですが、
近隣コミュニティなんかだと
ちょっとやりにくい。


どうしたらほどよくリラックスした状態でいられるのか。
ハイトーンラリーにならず、
適度に沈黙もはさみながら
自然な会話ができないか。


そんなことをずっと思って試行錯誤してきました。


最近は、気づかいによるラリーになりそうだなあと思ったら、
あえてちょっと長めに沈黙をとって
会話のペースを崩し、
まわりの景色を見たり、
「沈黙してるな、いま」と
自分を観察したりしています。


なかなか、おもしろいエクササイズですね。
少し沈黙をはさむと居心地は悪くても
「迎合」とはちょっと距離がとれる。
それに、相手も楽になる可能性もあり。


ひきつづき、いろいろやってみよう。





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「現場にいない人間にできるのは、フォローだけ」と肝に銘じる。



わたしが中心に進めていた仕事を
新しい人にバトンタッチして約1年。
毎週、わたしがチェックして納品する、を繰り返しているのですが、
なかなか思うようなレベルに届かず、
歯がゆさを感じてきました。


仕事は3人でチームを組んで進めているため、
もう一人のメンバーが心配して、
「じっくり話したほうがいいかも」
と提案してくれました。


彼女は、長年の仕事上のパートナーであり、
信頼している人だけに、
日ごろの思いを正直にぶつけていたら、
(スカイプのチャットだけど)
実は、自分でも薄々感じていた
「お前、ちょっとおかしいんじゃないか?>自分」という点が
はっきり、くっきり見えてきました。


そして思ったんです。


やばい、やばい。これ、「老害」すれすれだ。


もちろん、わたしの主張にも一理あるんです。
間違ってはいない。
たぶん、正しい点が多い。


ただ、現場に出ているのが自分でない以上、
このわたしにできるのは、フォローだけ!
という点を理解しきっていなかったのです。


再度言いたい、わたしは、わたしに。



あんたにできるのは、フォローだけ!


ガシッと、ガツッと
頭にも、腹にも、肝にも入れて
フォローに徹しないといけないのです。


これ、仕事だけじゃないですね。


わたしは、昨年、脳内出血で倒れた夫を
「現場で看る」責任を担う人間ですが、
もし、この「現場」にいない誰かに
「あれはやっているか?」
「これはどうだ?」
「ああしろ、いや、こうすべきだ」と指導されたらどうでしょう。
いやだ。


現場にいない人間にできるのは
いつだって「フォローだけ」。


もちろん仕事の場合は、
事情は異なり、
指導もアドバイスも必要ですが、
その場合も、フォローという立場にあることを
知っておく必要がありますね。


老害というのは、「老人が及ぼす害」ではなく
「自分が現場を離れて以後の変化に想像を働かすことなく
相も変らず自分自身がもっとも熟知していると思いこみ
指導的アドバイスを繰り返すことによる
干渉と妨害行為」なのです。


看病や介護においては、
金銭的援助こそが最大のフォローですが、
(「口も、顔も、手も出さずともよし。金を出せ」という箴言あり。作者・わたし)
仕事においてはどうなんだろ??


ちょっとじっくり考えて
相手に求められる方法を探し、
わたしたちチームの価値を高めて
仕事の継続・発展を図りたいと思います!(←ここ大事)



私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、長崎新聞で8月6日(火曜)より掲載されています!


そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・神奈川・佐賀・宮崎日日・上毛新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。

  詳細や経緯はこちらの記事をご覧ください。←感想や意見もコメント欄にたくさん入っています。

似た境遇の人はもちろん、さまざまな責任を負いながら奮闘する同世代の女性に伝わるようにと願いながら書いています。お住まいの地域の方、読んでもらえたらうれしいです。




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