思い出と保留がからみあい、「物置」が家を侵食する。



夫が倒れて3カ月が過ぎ、
彼の部屋は、元気だったころの状態の上に
車から降ろした釣り道具やキャンプ用品、
入院のために買ったもろもろの用品が加わり、
ビミョーに「物置化」しています。


80平米程度の狭い家なのに
ウォークインクロゼットとして使っている部屋がひとつ。
娘が留学中のため無人の部屋がひとつ。
そしてビミョーに物置化の進む夫の部屋がひとつ。


なるほど。家というのは
こんなふうにして「物置」が侵食していくのだな。


多くの高齢者が居間だけで生活し、
その他の部屋はなんとなく物置になっている。
その前駆症状的なものじゃなかろうか。


かつては家族それぞれの個室だった部屋が、
別の用途に変えようにも
とりたてて思い浮かぶ用途もなく、
主がいなくなったり、独立したりしても
ほぼそのままの状態で置かれ、
ビミョーに物置化していく。
実際に物置にはしなくても
風通しの悪い「古い雑多なものの詰まった空き部屋」になっていく。
思い出というモノの置き場としての物置といえなくもないですね。


思えば、わたしの実家の二階もそう。
夫の実家の二階もそう。


2階の宿命といえそうです。


おそらく、「いつか帰ってきたときのために」
部屋はそのままに置かれるのでしょうね。


でも、もし、それが子どもなら、
居心地のよいゲストルームにしたほうがいいのかもしれません。
いや、やはり「子ども部屋」のままがいいのかな?
でも、かつての勉強机に座ったとき
何とも言えない落ち着かなさを感じた人も多いはず。
もう、身の丈に合わなくなった「かつての自分の部屋」は
ずっとしまっていた古い服のように、
汗と体臭が化学変化を起こしたときの不快さに似た
居心地の悪さを感じさせる場所だったりします。


そのままにしておくと、家は、いつしか
思い出がからみつき、身動きがとれなくなり、
さまざまな「保留」が積み重なって
時間という埃がうっすらとたまった
物置のような空間になっていくんだな。


家に思い出は必要だけど
その量が多く、密度が濃すぎてもいけない。
物置化しないように「今」の自分たちに最適化しながら
家も更新していきたいものです。





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それぞれの帰宅、それぞれの夜。思いをはせて、こっそりつながる。


夫の入院するパラダイス病院(仮名)の看護師さんは
30代半ばから40歳ぐらいがメイン。
もっと若い人もいるけれど
このあたりの年齢の人たちがバリバリ層。


パラダイスというだけあって(仮名だけど)
どの人も、仕事にきびしく患者にやさしい、
文句なしにすばらしい人たちです。


ある看護士さんは、
「本当はもうひとり子どもがほしいけど
40歳越えちゃいましたからねえ」という
5歳の娘さんのおかあさん。


夫のようなデカくて重い患者を
車椅子からベッドに移乗し、
あのケア、このケアをし、
あっちの病室からこっちの病室へ飛び回り、
カンファレンスだ、なんだかんだと
休む暇もなく動いています。


そして仕事が終わると、
保育園に子どもを迎えに行き、
ごはんを作る!!
洗濯物はベランダで風に揺られてますよ。ブラブラと、のんきに。
それも、この時期、冷えてんのか湿ってんのか
わかんない半端な状態で!
しまっていいのか、どこかに吊るしておくか迷う。
(そんな迷いも多少の時間は食うものだ)


その脇で子どもは、「お相手をしてさしあげる」としか
言いようのないことを延々話し続ける。
「そうかあ」「よかったねえ」と上の空でも相づちを打ち続け、
アニメの話なんかにも声色を変えて調子を合わせる。
「ちょっとお前、今は黙れよ」とは言いたくても言えん。
大人だから。母だから。


ごはん、風呂、片づけ…。
もう、ソファで爆睡以外、選択肢が思いつきませんな!!
ここらで旦那さんが帰ってきたりした日にゃ!あーあ。


もう、その忙しさ、拝むしかありません。


隣の病室のたぶん70代後半と思われる奥さんは、
「来週の月曜日が退院。
全然動けないのにねえ」と
淡路恵子によく似た顔と声で静かに笑い、
「お疲れ様!じゃあね!」と
サバサバと帰っていきました。


だれもいないダイニングのテーブル。
夕飯を食べながら、
月曜からの日々にぼんやりと思いを馳せる。
「ためしてガッテン」なんかを
見るともなく見ながら、覚悟を決めるのかな。


覚悟って「切腹する武士」みたいな顔でするもんじゃないですね。
ゆるゆると、仕方なく、
よっこらしょと重い腰を上げるように
気乗りしない明日に身を委ねること。
その「明日」にやるべきことを
洗濯物をたたむように淡々と数えあげ、
逃げずに、こなしていくこと。


だれが介護なんかしたいものか。


淡路恵子さん、お気持ち、お察しします!


わたしの場合は、家に帰ると
即効、犬の散歩です。
その間、10分!そして1時間、歩く!


病院で会う人たちは、
あの「いい奥さん」が
すぐさま犬の散歩とは思ってないだろうなー。


あ。
ってことは、看護師さんだって
実は旦那さんがすでにお迎えに行ってくれていて
ごはんの支度をしてくれている、ってこともあるな。
「あー。おいしい!パパ、最高!」と言いながら
ビール、プハーってこともある。


淡路恵子さんは、あれだな。
せっかく淡路恵子さんなんだから、
行きつけのバーあたりに直行して
なじみのマスターに愚痴ってるかもな。
なんならカラオケで熱唱してるかも。
自慢のハスキーボイスで。
(もんたよしのりとか、葛城ユキとか)


それもいいな。
どっちかというとそっちがいいな。


いやあ。みなさん、ほんと、お疲れさんです。
わたしも、犬の散歩、ご苦労さん。


それぞれの帰宅。
それぞれの夜。
自分以外の人に思いをはせて
こっそりつながっています。





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美しさを求めるのは、愛のある証だ。新旧やセンスに関係なく。


犬の散歩で必ず立ち寄る公園の近くに
高齢者福祉施設ができました。


犬につきあって20分ほどダラダラとその公園にいるので
工事中から、おそらくオープン後の現在まで
なんとなく見続けてきました。


おそらく、と書いたのは、
いつオープンしたのかはっきりとはわからないからなんです。


「もう入居している人がいるみたいですねえ」
「電気のついている部屋がありますもんね」


散歩で会う人もそんな感じ。


わたしゃ、自分の家族は、ここには入れたくないな。
自分も入りたくないな。


ずっとぼんやり感じていましたが、
いまは、しっかりはっきりくっきり
そう思います。


●工事中から喫煙スペースで
(玄関前に置かれた脚付きの灰皿まわり)
やたらとみんな煙草を吸っている
●建物が出来上がり、外構部分になると
いきなり熱意を失ったのか、外周りの仕上げがもんのすごくテキトー
●いつオープンしたのかわからないが
すでに入居している模様


なんというか、「美しさ」への志向が皆無なのです。


見かけを気にしない質実剛健なら、
質実剛健の佇まいがあろう。
花はなくてよし。
絵画もなくてよし、
流行りの意匠もなくてよし。
整然と片付いた機能一辺倒なら、
機能一辺倒の厳しい佇まいがあり、
それもまたひとつの「美しさ」でしょう。


なーんも、ない。
どこもかしこも雑然としてる。


新しく生まれたばかりなのに
そこにいるだれからも愛されていない感じ。
すでに荒れてすさんだ感じ。


そうなんだよなあ。
愛されている場所は、
おのずと独自の「美しさ」を備えるんだよなあ。
建物の新旧とか
センスの良しあしとか
そういうものと関係のない
心のなごむ「美しさ」。


門扉や表札もなく
求人のチラシも破れて風に揺れているから、
やむを得ぬ事情で
予算の縮小があったのかもしれません。


でも、それはそれで、どうかと思うしなー。


美しさのない
新しいだけの建物は、
「介護に興味がありません!」とアピールする
巨大な広告みたいで切ないです。


介護は日々の具体的なケアの繰り返しだと思うので、
「繰り返し」の適切なマネージメントと実践が端的に表れる
「施設の清潔さと心遣い」に不安があると
何もかもに信頼がおけなくなりますね。


美しさを求めて手をかけるのは、
やっぱり、その対象への愛なのですよね。


自分に対してもそうだな。
手をかけるのは愛のある証だ。
わたし、最近、テキトーだが
そこに愛はあるんか。






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「面倒くさい」は、生活の質を下げる生活習慣病だ。


夫は、高血圧という生活習慣病で
重篤の病に陥りました。
サイレントキラーと呼ばれる高血圧のおそろしさを
つくづく感じています。


サイレントキラーは、静かに忍び寄る殺し屋。
足音も聞こえず、気配すら感じない。
完全に油断していたら、寝首をかかれるという感じでしょうか。


「自分だけは見逃してもらえる」と思うほど
神様は甘くないのです。
自分も例外じゃない。
みんなといっしょ。
寝首をかかれるときは、かかれる。


生活習慣病は、加齢とともに静かに進行しますが、
「面倒くさい」という感情も
これ、加齢とともに進行する、
気分の生活習慣病じゃないでしょうか。


長年の習慣の積み重ねに、
加齢による、ちょっとした体の不調や具合の悪さ、
気分的な落ち込みが拍車をかけて
「面倒くささ」の症状が少しずつ重くなる。


ずっと調子の悪い家電、
壊れたまま、破れたままの建具、
不用品でふさがれてほしいものに手が届かない戸棚や押し入れ、
みすぼらしくなって使い心地の悪い生活用品、
「あれがあれば!」と思いながら買わない品々…。
(高齢の親御さんの家に行くと、よく見る光景だったりしますね)


思いきるというほどでもない、
ちょっとした決断を下し、
買ったり、修繕したり、
片づけたりするだけで解決するものを、しない。


「そこだけやっても仕方ない」
「全部まとめてやったほうが経済的」
「ちょっとじっくり調べたから」
理由はいくらでもつけられるけど
つきつめると面倒くさいから。


「面倒くさい」は、
「決めない」「やらない」「動かない」。
行動の選択肢が
「そのままでいる」という超シンプルなものなので
消費カロリーもストレスも最少。
ある意味、非常に合理的。
それゆえに私たちが想像する以上に
新たな行動を阻止する強固なストッパーとなります。


もう少し居心地よくしたいなあ、なんて
甘っちょろい欲望を押しとどめるなんて朝飯前ですよ。
その分、快適さや美しさなど
暮らしをじわじわと浸食し、
そのクオリティを落としつづけます。


なぜ、こんなことをくどくどと書いているのか?!


掃除機のホースが破れているからです(笑)!
いま、ガムテープでグルグル巻きにしていますが、
早く買い換えないと!
(面倒くささは、ときに「もったいない」という感情を連れてきて
余計に思考停止に導くのもやっかいなところですなあ)


「面倒くさい」も「もったいない」も
どちらもサイレントキラーか。
加齢とともに進行するよ。





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悲観せず、くさらず。今できる「幸せ」をカタチに。


あけましておめでとうございます。


2019年になりました。
元旦は、いつもどおりスーと散歩しましたが、
初日の出を見ようとする人たちが
小高い場所にはたくさん。
爽やかな晴れやかな一年の始まりでよかった。
わたしも、新たな気持ちで散歩に励もうと思いました。(散歩か)


年末のことです。


夫の病院に向かうとき
近所の女性に会いました。
かつてお利口なラブラドール・レトリーバーを飼っていた人で
犬を通じて知り合いになった
70歳ぐらいの颯爽とした女性です。


わたしを見た途端、
「明るい服を着ているから大丈夫ね!」
と安堵したように微笑み、
ポンと軽く肩を叩いて通り過ぎました。


そのとき、わたしは、
赤いタータンチェックのスカートに
グレーのタートルネックのセーター、
紺色のショートジャケットを着ていて
青い大きなストールを巻いていたのです。
(タータンチェックのスカート、
どこかに書いたなと思ったら
この記事に書いていました。かわいいよ)

上から「青」「グレー」「紺」「赤」!


わたしの気持ちは通常運転、
さほど元気でもなし、
かといって暗くもなし、
淡々と病院に向かうという状態でしたが、
鮮やかな色の効果で
「元気に」「大丈夫に」見えたのでしょうね。


服の色って効果が大きいんだなと
改めて思いました。
明るい服、着るべ。


今年は、初もうではしていませんが
これからどこかに詣でるにしても、
「今年こそ、いいことがありますように!」という
積極的な人生大逆転&大好転祈願をするつもりはありません。


それより、現実に立ち向かい
ひとつひとつを確実に解決する力を持てますように、
と祈りたい。


悲観せず
くさらず、
今のわたしに可能な「幸せ」を
妥協せず、求める。



そのために受け入れるべき変化を受け入れ、
捨て去るものは捨て去り、
ひっそりと宝箱にしまうものはしまおう。


新しい年。
自分を信じて生きましょうね。
なんとか、できる。





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「慣れる」「飽きる」を織り込んで、明日の自分に備える。


昨年の今ごろは、愛護団体から子犬を迎え入れて大騒ぎしていました。
犬を飼うのは2回めだから苦労はわかっていたはずだけど
やっぱり大変だった。


お約束の甘噛み、あちこちトイレ、後追い、あれこれの破壊…。


今思うと、そんなに焦ったり心配したりしなくても
待っていればなんとかなったのです。
人間の子どもと同じで気長に待っていれば
いつの間にかおさまることが多い。


つまり、当時は、


犬のしつけで困っている。


と思っていたけど、実際は、
子犬がそもそも大変ということを差っ引くと


犬のいる暮らしに慣れていなかった。


のですね。この、わたしが。


数年、犬のいない暮らしを送っていたので
その自由で束縛のない生活スタイルにすっかり慣れてしまって
すぐに適応できなかった。
最初の犬を飼ったときより年をとっていることや
ネットでいろいろな情報が入ってくることも影響したかもしれません。


スーがきて1年が過ぎ、
ようやく「犬のいる暮らし」に慣れてきました。
思ったより時間かかったな。
犬がいることを過度に意識せず、
普通に過ごせるようになったと思います。


スーも同じでしょうねー。


うちに連れてこられて1年。
彼もようやく慣れてきたんじゃないかな。
犬という生き物は、哀しくなるほど気がよくて、
相手に合わせようとしてくれるから、
すぐに慣れると思いがちだけど違うんですよね。
人間というデカくて偉そうな異種動物との暮らしに慣れるまで
気をつかって大変だったと思います。お疲れ、スー。


新たなことや新たな出会いの多くは、
「慣れていない」ゆえの苦しみや悩みに満ちていて
いたずらに即効性のある解決策を求めてしまうけれど、
次第次第に「慣れる」。
この記事をきっかけに
これからは、「慣れるまで気長に待つ」ことを
忘れないようにしたいなあと思います。


「慣れる」もそうだけど
「飽きる」もなんにでも隙をみつけて
スルリと入ってくる感覚ですね。


夫がパラダイス病院に転院して間もなく3カ月。
すばらしい医療スタッフのみなさんに支えられて
リハビリに取り組んでいますが、
なかなか目立った回復のない夫を間にはさんで
わたしも、医療スタッフのみなさんも
ごくかすかですが徒労感を覚えることがあります。


それは、「飽きる」という感覚にも似ている。
みなさん、プロフェッショナルなので行動に表れることは決してありませんが、
だからこそ、夫以外の患者さんを前にしたときも
「飽き」からくる手抜きや怠りを防ぐために
意識的に、慎重にコントロールしているのだろうと思うのです。


夫が倒れて間もうすぐ5カ月。
わたしは、まだ日々、段取りを考え
緊張して過ごしているので
この暮らしに「慣れ」てはいませんが、
いずれ「慣れる」のでしょう。
「飽き」もするでしょう。


「慣れ」も「飽き」も
どんなことに対しても起こりうる。
人間の変化対応力であり、
マンネリやと挫折の原因でもあります。


「慣れ」や「飽き」のチカラを信じつつも、
無防備に身を任せず
上手に制御してやっていきたいものです。


「慣れ」と「飽き」をあらかじめ織り込んでおくと
何かをつづけるときに質を落とさずに継続できる。


冒険にも、チャレンジにも、幸福にも、
受け入れがたい悲劇にすらも
「慣れ」と「飽き」はやってくる。
覚えておけ、自分。





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家事は、家という縄張りに「匂いをつけ」て親しみを育む行為だ。


仕事で必要なこともあり、
ふたつの生協から食材をとっています。
日曜日に、今週届く予定の食材を見ながら、
一週間の夕ごはんの献立を決めるのが習慣になりました。
そのとき、買い足す食材もメモしておきます。


わたしの夕ごはんに賭ける情熱ときたら!
われながら恐るべし!



…といっても何もすごいものを作るわけじゃないんですが、
「その日の夕飯が決まってない」ということが
大げさでもなんでもなく、日々の生きる希望を削ぐので
せっせと下ごしらえをしたり、作り置きをしたりしています。


犬の散歩が終わり、ごはんをあげ、
洗濯物を取り込んで片づけたら、
暖かい部屋で
ちゃちゃっと準備して
ごはんにしたい。
ビールだって飲みたい。
見るともなくテレビも見たい。
そこに寝そべる犬がいるくつろぎ感が
明日を生きる活力。


この「ちゃちゃっと」が大事で
一から作るなんて無理。
さっと炒めるだけにしておくとか、
材料は切ってあって一人鍋にするとか、
そういう段取りを考えておきます。


いったい、いつから、こんなに「食べることが好き」に
なったんだろうか。
性欲が減退したころからでしょうかね。


それに、いつから、こんなに段取りがよくなったんだろうか。


いやあ、それにしても
家事をするチカラをあなどってはいけませね。
だれも、あなどっていないだろうけど
もっとすごいもんだと思っていいと思う。


稼ぐチカラも大事だけど
家事のチカラがあれば
案外、生きていけるんじゃないか?と思いますよ。


多くの女性が配偶者との離婚や死別のあと、
たくましく生きている姿を見かけますが
その生命力と適応力と楽天性の土台に
「家事力」があるのではないか。



家事は、自分の「家」をそらぞらしく、
寒々しく、虚ろに感じないように
家という「縄張り」との親和性を育む行為。



わたしは、もう、そう言いきっちゃうな。


長年にわたり、いやいやながらでも
手をかけてきた、触ってきた、
つまり動物としての「におい付け」をしてきたから、
「家にいて虚しくない心」でいられると思うのです。
(そりゃ、寂しかったり、切なかったりはするけども)


さらに家事のチカラがあれば、「崩れない」。


暮らしが崩れない。
体調が崩れない。
見た目が崩れない。


わたしにとって「家事」は
習慣という、自然で
自分を崩さないための「砦」ですな。


これまでブーブー言いながら、
いやだいやだと思いながら築いてきた「砦」の
意外な堅牢さが、
わたしの健康と生きる意欲を支えています。
掃除洗濯料理って生命力と深くかかわるものだな。





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「わたしの道」を仮設し、できることをしながらその道を歩く。


夫を見舞ってくれる人に
「奥さんが倒れたら一番大変。自分を労わって」と
言葉をかけてもらうことがよくあります。


温かい言葉を心の底からありがたく思うと同時に
でも、ちょっと申し訳ないような、
自分はそこまでやっていないような、
ビミョーに居心地の悪い気分にもなるのです。


「夫の病」という道を脇目もふらずに歩き、
その病状をひたすら案じて心を砕きながら
日々を暮らす妻。
そんなイメージと
現実のわたしはかなり違うからです。


「夫の病」という道を脇目もふらずに歩いているのではなく、
「夫の病」という道の隣に「わたしの道」を仮設し、
その急場しのぎに作った行先のわからない道を
病む夫を横目に見ながら併走しているのが、
実際のわたしなのです。


わたしの道には、
将来の生計を案じる自分がおり、
そのために仕事に貪欲になる自分もいるし、
スーの散歩の時間を気にする自分も
帰国後の娘との暮らしを楽しみにするような、
面倒に思うような自分も、
今晩のごはんを段取る自分もいる。


「夫の病」のあらゆる問題は、
瞬時に「わたしはどうすればいい?」
に変換されるのです。
もっと端的にいえば、
「わたしはどうなる?」に。


いつからか。
最初からです。
夫が倒れたのを発見し、
救急車を待つ間、
いてもたってもいられずベランダに出て
何ごともない夕暮れのまちを見たときから。
あれが仮設道路の敷きはじめでした。


すべてが、どうなる?どうする?わたし。


わたし、わたし、わたし。


ほかの人はどうなのだろう。
…とよく思いますが、
比較しても仕方ない、とも考えます。


わたしは、わたし。
仮設の道を、
できることをしながら
日々、歩いていくだけだ。


まあ、人生ってそういうものかな。
どんな人とも、併走以外に術はなし、ともいえますもんね。




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その横柄さ。妻の看護・介護を「自然現象」と受け止めているせい?


夫の入院するパラダイス病院の送迎バスに
最近、80歳ぐらいの杖をついた女性が乗ってくるようになりました。
脚がかなり不自由で
どうにかこうにか一人で歩いているという感じ。
片方の脚はまったく思い通りに動かず、
バスの乗り降りにもえらく時間がかかります。


今日のことです。


食事時間になると夫は
サンルームのように日当たりのいい場所に移動するんですが
そのちょうど向かいの病室のドアが開いていて
車いすに座る高齢男性の背中が見えました。


つい先日まで、その部屋には若い男性がいたので
「あ。退院されたんですね」と看護師さんと話していると
ゆっくりと近づく人の気配。


振り返ると、あの杖をついた女性です。
おぼつかない足取りで
高齢男性の病室に入っていくではありませんか。


通院患者だと思っていたら、
入院患者の家族だったのか!


その女性は、病室に入ると車いすの男性に
「横になる?テレビ見とく?」と声をかけています。
その後すぐに男性の首の後ろをマッサージ。
男性は、「ああ。そこじゃない、こっちだ、あっちだ」と
不機嫌な声で指示を出し続けます。


なぜか男性はますます不機嫌になり
「横になりたい」と言ったようで
奥さんが「看護師さん呼ぼうか」と聞くと
「呼んで、呼んで」と答える
その「呼んで」の言い方が、
自分のことなのにウザそう。
ナースコールを押したら
看護師さんが走ってやってきます。
案の定、男性は看護師さんにも
看護師さんという個人が見えていないように
しゃべります。


んもーー!
そりゃ病気のせいで
いらいらもするでしょう。
わがままにもなるでしょう。


でも、艱難辛苦を乗り越えて
病院まで這うようにやってきた妻に
「ありがとう」は言えんのかい!
まあ、100歩譲って口下手ということにしてあげよう。
それでも「よ。来たか」の笑顔くらいは見せんかい!


まさか、この高齢の男性は、
「女性たちのケア」(妻はもちろん看護師さんも含む)を
太陽や風のような「自然現象」とでも
思ってるんじゃなかろうね。
とにかく奥さんへの横柄っぷりがすごい。


女性たちの「やさしい手」が
自分を「やさしくケア」するのは
当然のことだと思ってるんじゃないか。


だとしたら、女性であるわたしから見える
看護や介護の風景と
この人から見える
看護や介護の風景はまったく違うんだろうなあ。


夫婦は、
長年の我慢や妥協を経て
ぬきさしならぬ「支配と従属」関係に
なってしまうこともある。


どちらかがそれを「自然」と受け止めていたら
そりゃ、大変ですよ。
家族間のケアに自然なんてない。
あらゆる家族内ケアは人工なのだと、
懇々と言い聞かす必要がありますね。


おかあさんの代わりに
わたしが言ってあげようかな。
なんなら杖をお借りして
ブルンブルン振り回してあげようかな。




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自撮り挑戦で思う、「ちょっとやってみよう」の大切さ。


仕事で顔写真が必要になったのですが、
もともと顔に自信がないうえに
写真を撮ることが苦手です。


近いうちに取材の仕事でもあれば
カメラマンに頼みこんで撮影してもらおうと目論見ましたが
こういうときに限って、そんな予定も入らず。
ちょうど姪が夫のお見舞いに来てくれると言うので
「ついでにおばちゃんの写真もとって。ほんで奇跡起こして!」と
思いきりハードルを上げて頼みました。


ところが、病院には誰かがいるし
「どうしたんですか?」ってことになるし、
なかなか落ち着いて撮れないんですねえ。
「こんな感じでいいよ」と
わたしも照れくさくて
すぐに妥協しちゃうタイプ。
でも、まあ、これでいいか、と思うようにしました。


翌日のことです。


夫の病室にひとりでいるとき、
試しに自撮りしてみるか!と思い立ちました。


自撮りなど、まったくといっていいほどしたことがありません。
偶然、スマホに自分の顔が映ると
想像を絶するバアサンっぷりにびっくり仰天。
あの顔を撮影するなんて考えるだに恐ろしい。


しかし、世のブロガーさんたちは
上手にやっているではないか。
わたしだって文章だけブログといえども
ブロガーのはしくれ。
やってやれないことはなかろうばい。



勇気を奮い起こして
カメラを自撮りモードに変えて
よくわからないままに、多いほうがいいだろうと
ビューティーモードの目盛りを「8」にして
病室のあちこちに立ち、
我が尊顔(おかしな言い方ですが)を
じっくりと見比べました。


カーテン越しに自然光が入ったところが
どうやら、一番、よさげです。


何枚か、場所を変え
表情を変えて
撮影してみました。


するとどうでしょう。


カメラのビューティー効果と
柔らかな自然光、
そして自分自身の試行錯誤のおかげで
嘘のような色白&美肌が実現しています。
顔の造作の残念さは仕方ない。
そこは仕方ないが、
色白&美肌にはなってるじゃないか。


翌日、「こんなのでいいでしょうか」と送ると
「バッチリです!」のお返事!


ああ。よかった。
あのとき、「ちょっとやってみよう」と思ってよかった。
翌日には、歯ぐきがプーっとはれて
おたふく風邪みたいになってしまったから
これぞ、ほんとの「奇跡の一枚」だった!


何が言いたいかというとですね。


「ちょっとやってみよう」の大事さですよ。


「これでいいか」と
「ちょっとやってみよう」って
本人にとってはごくごく小さな違いだけど
現実には、大きな違いを生むことがある!


仕事でも、しばしば思うんですよねえ。


仕事で信頼される人って
すごいことをしているというより、
その「ちょっとした」をやれる。
「これでいいかあ」となりそうなときに
もうちょっと調べる。
もうちょっと手なおしする。
もうちょっと工夫する。
そういう人なんですよねえ。


ほめられたのがうれしくて
意気揚々と、娘に写真を送りました。
「確かに色は、白いな」と
相変わらずクールな返事。


「そんだけかい?」
「顔、長い」
確かに。




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