「一般受け」こそ、勝ち目のない戦い!?

というわけで
失恋した娘を前に、
自分自身の思春期を思い出したのですが、

当時の公立中学校の男子・女子は
価値観がものすごく保守的だったので
(今でも、そのまんまの気もするが)
ルックスにハンディを背負った私が、
モテを競う生存競争において
それなりの勝利を手にするためには
入念な「自分偽装」が必要でした。


同性に「ブリっ子」と指摘されない程度の

「ブリっ子」戦略とでもいいましょうか。



「男子の前では態度が違うよねえ」
と仲間に後指さされない程度のブリっ子戦法(笑)
(今はブリっ子、受けないみたいですけどね)

それなりにがんばって
まあ、それなりの成果は上げたような気もするが、
最大の問題は、つまんなかったことです(-.-)

そうやって偽装して手に入れた女子像の私と
目の前の男子の間で紡がれるストーリーは
性欲的ドキドキを除けば、やっぱり退屈でした。

退屈って恋愛の敵でもあるけど、
結婚や人生そのものの敵でもあるんじゃなかろうか。


あらゆる嫌悪の手前に、退屈が潜む可能性高し!


「これ、どう?」
「これ、おもしろくない?」
「何、それ?」

なんて
どーでもいい短い会話のつながりで
私たち人間のストーリーというか関係の方向性は
少しずつ、少しずつ決まっていくんですね。

「これ、どう?」の後が、「別に・・・」だったら
その時はほんの少しの「がっかり」でスルーできるけど、
それがいつの間にか、大きな誤差になり、隔てになり、溝になり、
気づいたときには、
「目の前のあんた、いったい私のナニ!?」
なんて途方もないことになってて
その、あまりの距離に呆然とするなんてことも起こりうる。

私と夫は、まあ比較的、おもしろがる方向は共通しているとは思うけど、
それでも、これだけの長い年月いっしょにいると
微細な誤差はそれなりに積み重なっていて、
その距離に気づくたびに、
思わず手にした茶碗を落としそうになるもんね。

だからこそ、私は全国の女子に訴えたい。

「これ」とか「それ」なんて
どーでもいい日常的なコトバで思わず注目してしまう関心事を
遠慮なく、どこまでも、無制限に、
楽しく、夢中になって語り合える環境や関係に身を置けたら
こんなに幸せなことはないんじゃなかろうか、と。
(究極の幸せと呼びたいくらい)

失恋中の娘は、生まれて初めて
「私って何の取り柄もない・・・」という
アイデンティティの危機に直面しているようですが(笑)

モテを狙うあまり
自分偽装の方向にのみ舵を切りすぎて


「一般受け」という実はもっとも勝ち目のない、

しかも退屈だけを約束するような戦いの泥沼に

はまりすぎないように切に祈ります。



てか、


はまった後、自力で這い出してこい。


はまる→もがく→這い出す
この一連の流れを思春期と呼ぶのかもね。



【関連記事】とはいえ、自分とのつきあいもなかなか難しいよねえ?と思って書いた記事です↓
ハンパな自意識、邪魔してない?

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
年をとるって滑稽で哀しくて面白いな?と思っていただけたらハッピーうわめづかい

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