心配している→相手を思いやっている
ってことになっていますが、
なかなか、どうして。曲者ですよ。
ちょくちょくこのブログに登場する長崎の姉。
私が姉に頭が上がらないのは、
認知症の母をみてくれているからなんですね。
親元を離れてノン気に暮らす妹にできることは、
・グチを聞く
・悩みを聞く
・いろんな情報を集める
・ちょくちょく物を送る
・ときどき帰る(≒やや面倒もかける)
などなど、これといって役に立たないことばかりですからね。
いついかなるときもイヤそうな声を露骨には出さずに、
姉のグチや悩みをじっくりと聞いて、
感謝の気持ちを伝えるようにしています。
(なんかちょっと、いい子ちゃん発言ですが、
つまりは、姉の顔色をうかがっているわけです)
その姉もグループホームの
デイケアやショートステイを利用して、
コーラスだ、市民講座だ、海外旅行だと
毎日、忙しくしているんですけどね。
ところが。
かつての仕事仲間と食事をしたら、
こんな風に言われたんだとか。
「○○(←姉)のこと心配ねえ、って言いよったとよ。みんなで。
介護中心の生活やけん、
お母さんが亡くなったら、どうする?
精神的にショックやろう。
今のうちにカウンセリングでも受けたら?
お母さんが亡くなったら、今の家は離れた方がよかね!
ケアハウスば探さんね!」
心配してくれてありがたいと思う反面、
ちょっとショックだったらしい。
ショックの中身は、
●自分のいないところで「心配」という形で噂されていたこと
●周囲の目にはそんな風に映っていたのか、という落胆
きっと、心配の向こうに、
ごくごくかすかに
優越感のようなものを感じたんでしょうね。
心配って難しいな。
特に、相手を社会的な弱者像や敗者像にあてはめ、
その苦悩と将来を決めつけて心配する行為は、
注意が必要ですね。
というわけで相談窓口の妹(←私)は、
「その友だちにこんな言葉を贈ってあげれば?」といって
ある、すばらしい一文を紹介してあげましたよ。
何もしない。求めない。協力しない。
一見、最大に不親切であるような姿勢が、
そのじつ、他人に対して最大の親切に
なりうる場合があると知りましょう。
どうだ。姉ちゃん。
姉「なるほど!よか言葉ねえ」
私「よか言葉やろう!」
姉「うん。それ、誰の言葉?」
私「叶姉妹の叶恭子さん。お姉さんのほう」
姉「ふ?ん」
あ、あれ?なんだかスルーのニュアンス?
瀬戸内寂聴とか、五木寛之ってことにしといたらよかったかな。(ウソウソ)
【関連記事】恭子さんについてはこちらの記事にも。リンク先で紹介している本は名著です↓
叶恭子。唯一無二の存在感に学ぶ。
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