増加中?閉経を認めない症候群。

クロワッサンプレミアムの最新号
阿川佐和子氏と香山リカ氏の対談が載っているんですが、

香山さんがこんなことを言っていました。

勤務している病院で
婦人科から精神科の私のところに紹介されてくる50歳前後女性たちに
閉経を認めない人が多いんです。

見た目は30代でも生物学的には老いている。
でも直視できなくて生理不順だとか、
体調が悪いだとか理由づけて
若いというイメージにしがみつくんですね。


なるほど?。

わかるなあ。


「こっち側」にいたいんだよね。


こっち側ってのは、「現役のおんな側」といえばいいでしょうか。

生理用ナプキンを使う側といってもいいな。
尿漏れ用ナプキンを使う側でなく(笑)

初潮の場合は、
文部省やら生理用品会社やら保健室の先生やら両親やらの
何がしかの教育的配慮や気づかいなんかがあって
身のまわりがざわざわするもんですが、


閉経は、ひっそり。静かに。

ただ、一人、この、わたしのもとに訪れる。


そのひっそり感が、さびしい。

長年、「こっち側」にいて
めんどう、うざい・・・とあれこれ愚痴をいっていたけども、
いざ「あっち側」にいくとなれば、
あっち側の世界に、
更年期障害と骨粗しょう症と容貌のおとろえ以外に
何が待っているのか。

解放されるとか、
自由になるとかいうけど、ほんとかよ?
それより、わたしゃ、現役の華やぎがいいよ。

みたいな。


ここで話が飛んで恐縮ですが、


私は、閉経を迎えそうなときにですね。
40代で亡くなったジャーナリスト千葉敦子さんの
ある文章を思い出したんですよ。

乳がんが転移し、声を失ったときに
千葉さんが書いた

「声の喪に服する」

というタイトルの文章です。

声を失うことは、一つの死を死ぬことなのだと思う。
自分自身の重要な一部を失うこと。

だから、私はいま、自分の弔いをしているような気分だ。

(中略)

こうして、一つずつ死を死んで
死の積み重ねが、最後の死へ私たちを導いていくのだと思う。
一つ一つの死は、十分にいたんでやらなければならない。
一つ一つの死には、それに先行する一つ一つの輝かしい生が存在したのだから。


いやあ。死を目前にひかえた千葉さんのことばを
だれもが体験する閉経と重ねるなど、
「けしからん!」と叱られそうですが、

しかしですね。この言葉を思い出して、


私も、ちゃんと弔いたいと思ったのです。


何をって?

閉経をです。

閉経なんて、とか
閉経くらい、とか、
閉経いやだよ?、とか
そんなテキトーな言葉でなく

ちゃんと、ひとつの終焉を受けとめたい。
そして生理とともにあった、
すったもんだや、ドキドキや面倒くささや
そういった私なりにあった「輝かしい生」をいたむのです。
ひっそりと、静かに。

千葉さんは
「死への準備」日記
こんなことも書いています。

私たちは、喪失体験を通じて大きく成長する。
だから、私もこの喪失体験を通じて成長したいと願う。


さらに、こんなことも。

声を失ったからといって、世界が崩壊したわけではないのだ。

この前向き、しみじみカッコいい。


【関連記事】私のすったもんだは、こちらからどうぞ!↓
そして生理よ。どこへ行った?

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
最古記事から読んでいただくと面白いですようわめづかい

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