いつでも普段着、の破壊力。

約10年ぶりに会う友人と
レストランで食事をしました。

ちょっと早めについたので
レストランの前で待っていると
「ほい!」とか「はい!」みたいな懐かしい声が聞こえ、
振り返ると、久しぶりに会う友人が
こちらへ歩いてきます。

普段着でした。

カジュアルウェアという意味じゃないですよ。
限りなく部屋着に近い服装、という意味です。

完全なるすっぴん。
首元が波状に伸びた山吹色のトレーナー。
ジーパン。
ウェストポーチ。

ありゃ、そうだったっけ?
そういう人だったっけ?
あああ、忘れていたけど、
そうだった気もするなあ・・・

そんな彼女と面と向かっていると、

めかしこんだ自分が
ものすごく俗物のような、
人生万事、浮ついているような、
金にモノをいわせて
贅を凝らしているような気がしてきました。

実際には、
特段、めかしこんではおらず、
多少は浮ついているかもしれないがそれなりに勤勉で、
モノを言わせるだけの金は、どこを探してもなく、
(資産家に嫁いだ彼女のほうがはるかにお金持ち!)
贅も凝らしていないのに、です。


「いつも普段着の人」が持つ
独特の破壊力にやられたんですね。



いつも、どんなときも
流行など一切顧みない
「着なれたトレーナーとジーパン、以上!」という感じの
究極の普段着で通す人は、
その場の祝祭性や装飾性やイベント性を一気に破壊します。

たとえば、お正月。
晴れ着を着ておしゃれして
新年のあいさつにいったら、
もう一人の来客は「究極の普段着」で来ていて、
そのまま台所でエプロンもつけず
当たり前のように働きはじめた、みたいな。

正月じゃないの?
ゲストの立場じゃないの?
え?それがルール?
とりあえず座って歓談が先じゃないの?
あとで「適度にお手伝い」じゃないの?
この格好、ダメ?失格?

みたいな混乱に叩き込まれる感覚です。

「究極の普段着の人」は、
ありとあらゆる場を一気に
「日常の労働の場」に変えてしまうので、
ちょっとでもおしゃれしていると、
「チャラチャラと場違いなわたし」気分に
させられちゃうんですね。

わたしには彼女を含めて3人の
「いつも究極の普段着」で通す知人や友人がいます。

内面に屈折を抱えているように感じることが多く、
かなりガンコでもあるので、
つねに親密につきあいたいか、というと
ときには、「ご遠慮申し上げたい」と思うことも
ないわけではありませんが(笑)

わたしが身ひとつで家を飛び出したり、
だれかに追われる身になったりしても
わりに動じずに助けてくれそうな気もします。

そんな、人間としての、
裸の底力を持っている人たちでもあるんですね。

有事の友、といえるかもしれません。


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