2011年。私らしさをどこに探す?

いやあ、新年のあいさつが遅くなってすみません!
あけましておめでとうございます!
Carinaです!

お正月はあちこちで大雪となりましたが、
皆さん、ご無事にお元気に過ごされましたか。
おせち料理に、初売りに、福袋に、
楽しみを満喫されましたか?
(わたしは故郷・長崎で大きな雪だるまを作りましたよ!)

いやあ、お正月というものは不思議なもので
かつてほどの「改まり感」は薄れたとはいえ、

・こんな一年でよかったのか。
・そもそもこんな人生でよいのか。
・はたして次の正月にも親は生きているのか。
・その前に次の正月にちゃんと収入はあるのか。


などなど、やはり、どうしても、さまざまな思いが去来しますね。
(なんかこう、年を取るごとに、
希望より、現在への愛着や、将来への不安が増すような気がします)

自分自身、というものを
改めて見つめなおしたりしなければならないような、
見つめてもロクなことはないような、
見つめたからといって何も変わらないような、
とはいえ、このままじゃいけないような、
毎度毎度、そんな落ち着かない気分になるお正月です。


しか?し。


ふとわれにかえったら、
このわたくし、
お正月経験を数えること早49回でした。
(てことは、あと1回で50回!!きゃー!)

あのサブちゃんの愛称で慕われる
国民的大歌手・北島三郎氏の歌手生活が
今年50周年を大々的に迎えることを思えば、

お正月連続経験49回のわたしは、
すでにしてお正月の大ベテラン。
お正月界の御大ではありませんか。

もう、こうしてはいられません。
自分自身を見つめねばなりません!
そして、何か、こう、
ベテランにふさわしい一言をひねりださねばなりません。


自分自身って、つまるところ習慣なのね。


いかがでしょうか。
やや語調が軽く、自信なさ気なものの、
心の底からひねりだした言葉です。

ほら、
やりたいこと
好きなこと
好きなもの
心の中で望んでいること
いつかはやってみたいこと
過去にそうであったもの
なんかも、まあ、自分自身なんでしょうが、

どうも、若者ほど「人生の大転換」がしにくい今となっては


わたしが何気なく行っている日々の習慣が、
私自身だと、そろそろ思わなければならないのではないか。


と考えるわけです。

ほら。

つい、やってしまっていること。
どうしてもやめられないこと。
意外にもずっと続いていること。
どうしてもこだわりきれないこと。
やけにこだわってしまうこと。
なんの気なしにやっていること。
ついつい選んでしまうもの。
ついつい買ってしまうもの。
など

何となく、
いつの間にか
ついつい、
何の気なしに
ついうっかりと・・・
などの副詞とものすごく相性のいい行動群が私自身である。

実際、年齢を重ねれば重ねるほど、
朝起きてから寝るまでのあらゆる小さな習慣が
その人の外見や表情を作っていくように思いませんか。


「習慣」という名の小さな彫刻刀が
少しずつ少しずつ「自分自身」という立体像を
作り上げていくみたいな感じですよ。



というわけで、


今年は、日ごろの習慣をできる範囲で見なおし、
新しい習慣を追加できれば追加するという、
抜本的改革には程遠い「小さな志」を抱いて
過ごしてまいる所存でございます。

「間に合わせ」をやめ、
「一つひとつに納得」する生活へ。
一歩ずつ、一歩ずつ歩めたら幸せだなあ。

みなさま、
そんなこんなで
今年もこれと言って代り映えのしないブログになりそうですが、
これも皆さんの「習慣」のひとつとして(笑)
お付き合いいただければ幸いです。


【関連記事】去年はキリリと抱負を書いていました!ま、似たような内容です(笑
決めよう。身の丈にあった抱負。

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同窓会でも!意外な禁句「若いころは・・・」

長崎に住む姉がバーゲンでブーティを買い、
新品に気を良くして意気揚々と
かつての仕事の先輩女性とお出かけしたら、
お正月に集まったお互いの家族の話題になったらしいんですね。

「最近は、姪がオシャレに夢中で・・・」
と私の娘(中2)のことを話しはじめようとすると

「え?!オシャレ?!いったい誰に似たのかしら?」

とその先輩は、
姉のまったく想定外のところに強い関心を示し、
姉の目をしかと見つめたまま真顔で、
「皆目見当がつきませぬ」といわんばかりに
首を左右に振りながら尋ねてきたらしい。

そして

「そうか。お母さんがオシャレだったよね!」

と眼前の姉を見事にすっとばし、
私たちの母親(現在87歳)の遠い遠い昔の姿に、
オシャレ遺伝子を見いだして、
その生命学的根拠に深?く納得したらしいのです。

哀れ。新品ブーティの威光も虚しく、
「オシャレの遺伝に一切関与なし!」と審判された姉は、
話の腰をおられただけでなく、心の腰もおられて、
かな?り、しょんぼりしたそうな(笑)

といった一連の出来事を電話でひとしきり話した後、

「もう、お母さんのことばっかり褒められたけんね。
妹(←わたしのこと)も若いころは
オシャレだった
んですよ!』って言うたよ!ハハハハハ」

と笑い飛ばして勝手に納得して電話を切りました。

うん?

姉のしょんぼり話で、妹がしょんぼりの巻。

「若いころはオシャレだった」ってことは、
「現在はオシャレじゃない」ってことだよね。

なんだ?この悪意なき「しょんぼり」の連鎖は?(笑)

いやあ。それにしても、

「若いころは・・・美しかった」
「若いころは・・・かっこよかった」
「若いころは・・・モテていた」
「若いころは・・・オシャレだった」
「若いころは・・・スタイルよかった」

などなど


「若いころは・・・よかった」系の話って、
意外に注意が必要なんですよね?。



「若いころを知っている間柄」ってことは、
家族とか、幼なじみとか、同級生とか、
心やすい関係ってことで、
そういう関係の人間同士が
久しぶりに会ったときに発せられる場合が多いので、
懐かしくて、うれしくて、もう心底浮かれてるもんだから、
悪気なくついつい、正直に、見たまんまの感想を
ことばに乗せて


若いころはあんなにきれいだったのに!


とか言っちゃうんだよね?。

過去を知らない第三者がその場にいようものなら
さらに勢いづいて肩を組んで仲の良さをアピールしたりしながら


こう見えても、若いころはきれいだったんですよ!
ね!そうよね?!



なんて本人に同意まで求めちゃったりして。

まあ。家族とか、ほんとに気の置けない間柄であれば、
「忌憚のない意見」「正直な指摘」として
ありがたく受け止めるべきなんだろうけども、
同窓会などさまざまな距離感の錯綜する
さまざまな自己顕示欲の錯綜する「晴れの場」では
あんまり使わない方がいいのかもしれませんね。「若いころは系」感嘆文。

どーうしても使いたくなったら、
「若いころもきれいだったけど、今も・・・」的な
優しいフォローを加えることを強くお勧めします。


人間だれしも過去じゃなくて
現在を認めてもらいたいもんね。
(過去を絶賛していいのは、現在も輝いている人に対してだけなのかも)


【関連記事】年末年始に同窓会を経験された方も多いかもしれませんね(^^)
40代の同窓会。服装、どうする?

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シワとたるみ。その究極の選択。

アンチエイジングの主要課題といえば、
やはり「シワ・たるみ」という
「二大嫌われモノ」の顔面からの撤去・一掃、
ならびに根絶ということになるでしょうかね。

「シワ・たるみ」とまるでニコイチ、
もしくは「シワ・シミ・たるみ」とサンコイチで
扱われることの多いこれら「嫌われモノたち」ですが、
それぞれが顔面という「わが心の表玄関」を
わがもの顔に、縦横無尽に、自由気ままに
跋扈する時代(つまりわたしの今ね)が到来してみると、
シワにはシワの、シミにはシミの、たるみにはたるみの
揺るぎない個性、方針、生き様があるのだなあと感心しきりですよ。


そして、その結果、


たるみより、シワがよいのではなかろうか。


と思いはじめています。


「そのシワ深い顔には、人生の苦難が刻まれ・・・」とか
「そのシワは、この人の勲章なのだ」とか、
「笑顔の数だけシワがある。涙の数だけシワがある」とか、


シワには、まだしもロマンがある場合もある


が。


たるみにありますか?ロマン。


「君、最近たるんでないかい?」とか
「たるんだ生活しているからでしょ!」とか、
「ダラダラとたるみまくって・・・」とか、



こう、ほら、あれじゃないですか。
自堕落、無気力、弛緩、ずさん、さぼり・・・などなど、
怠けた人間を非難する用法しか思いつきませんよ。


シワに人生の苦労が刻まれているなら、
たるみには、怠惰な人生がぶら下がっている。


なんて感じじゃないのぉ?(号泣)


あーあ。こんなに毎日、働いているのにさ。やだやだ。


こうなったら
シワ・シミと「シ」つながりできているわけですから、
「たるみ」もいっそ、「シ」ではじまるコトバに変えたらどうですかね。


うーん。「シズク」とか?


「その顔には、人生の夜露のようなシズクが・・・」とか
「その人は、流した涙の数だけ優しいシズクにあふれている」とか(笑)


何を隠そうわたしが、ここまで
「たるみ問題」に神経質になっているのは、
ある朝、夫に、

「あれ?飴、なめてる?」

と尋ねられたからです。


われ、家にて朝っぱらより、飴なむる慣らひなど持たず!


あれですよ。
への字に下った口角の延長線上にある、
頬の下んところ周辺のたるみが
横から見るとやや、ぷっくりとして
「飴をなめているように」見えたわけですね

わたくし、最近、
つねに意識的に口角をあげて
「作り笑いフェイス」で生活しております。

この戦法に疲れたら、
次の手は、実際に「つねに大玉の飴をなめる」ことにしましょうか。
意外にかわいいかも(笑)


【関連記事】年をとるとともに「表情は大げさ」がいいんですよ♪
笑顔はシワのもと?若さのもと?

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40代のトンネルを抜けると。

今年も仲良しママ友3人と近所の居酒屋で新年会を開きました。

私が一番の年長者で49歳。
他の3人は40代前半。アラフォーですね。

もし、40代の10年間をトンネルにたとえるとするならば、
彼女たちは、トンネルの中に入って歩きはじめたばかり。
一方、わたしは、もうすぐそこに出口が見えている、
といった感じでしょうか。

トンネルのたとえを持ち出したついでに
川端康成氏にならって言うならば、


40代のトンネルを抜けるとそこは老境だった


ということになりましょうか(笑)


いやいや。しかし、ほんとーに
40代というのは、トンネルの入り口と出口で
ものすごく大きな違いを感じる10年ではないでしょうかね。

トンネルに入ったばかりのころは、
心はまだ今、歩いてきたばかりの30代の道を
見つめていることが多いしね。

子どもだって産もうと思えば産める場合が多いし、
容色だって衰えたといえば衰えたけれども、
まだバアサンと呼ぶほどではないし(笑)
恋もしたいよ。不倫だってしてみたいよ、みたいな

若いころから描いてきた夢や願望を
同じかたちのままで手に入れようと
もがき苦しむことのできる、
40代は、その最後の10年間かもしれません。

それが、あなた。
トンネルを抜けるころになったら、
自分の目の前に見えてきた
50代という風景は、
明らかにこれまでと違うと感じていますよ。


でもね。


トンネルを抜けるんですから。
そこが雪国であれ、老境であれ、
視界だけは広がるに違いなし!
たとえ老眼でも!



新年会で会ったアラフォーの仲良しママたちは、


自分を「オバサン」になったと感じながら歩むトンネル


を歩きはじめたところです。


若い女の特権を次々に捨てながら
小さな子どもをもつママの華やぎも少しずつ捨てながら、
歩んでいくトンネルの道は、
一枚一枚、自分に似合うお気に入りの服を脱ぎながら歩むようで
ヒジョーに心もとなく、さびしく、
これまた、なかなか、先の見えない迷い多きものですね。

わたしごときが言ってもあれですが、
トンネルの入り口にいる人も、
トンネルの真ん中あたりにいる人も、
ぼちぼち歩いてくださいませね。

出口近辺から見えるトンネルの外は、
まあ、そんなに悪くないように思いますよ。
いや、ほんとに。


【関連記事】これが昨年の新年会後の記事です。こちらもどうぞ♪
乗り越えよう。アラフォーの孤独。

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布団じゃないのよ、ベランダは。

はぁっ??あたりまえでしょ?
布団は干しても布団じゃないのよ、ベランダは。

と、

思わずパソコン画面に向かって
昭和の歌姫・中森明菜さんのヒット曲の調子で
歌いながら怒った方も多いのではないでしょうか。

しかし、本当に

ベランダは布団じゃないのです。

それを昨日、わたしは知ったのです。

私の住む築30年を超えるマンションは、
同じような形式の低層塔が
いくつも立ち並んでいるんですね。

つまり、

うちの南側のベランダからは、
別の棟の北側のベランダが見え、
北側のベランダや窓からは、
別の棟の南側のベランダが見える、
という構造なわけです。

まあ、どこのマンションも概ねそうですが、
日当たりのいい南側(もしくは東側)のベランダは広めにとってあって
洗濯ものや布団の乾燥・殺虫・日光消毒ならびに
観葉植物などの栽培・展示・立枯・放置など、
種々雑多な用途に用いられるとともに
リビングに面しているため住人の出入りも多い場所ですね。

反対に北側のベランダは、
子ども部屋や収納部屋や寝室などに付随した狭めのスペースで、
今の時期なら冷たく寒く、
住人の出入りも南側のベランダに比べるとやや少なくなりがちです。

わたしも洗濯ものは、南側のベランダに干すわけですが、
そのとき、視界に入る向かいの棟の北側ベランダ
無人のことが多いんですね。
(「北とか南とか、めんどくせ?!」とお思いでしょうが、
もう少しで終わりますのでね。おつきあいくださいませ)

つまり、自分からは誰の姿も目に入らないから
人目がないような気がして、
ついつい油断しちゃうわけです。

洗濯ものを干すときも、
鉢植えに水をやるときも、
人の視線なんかまったくもって気にせず、パジャマ!
堂々とパジャマ(ときにはズボンのゴムが緩くて
やや、ずり落ちているときだってあり!)
今ならその上にユニクロのフリースジップパーカー、
しかも超目立つオレンジ色!


しかし。


昨日、学校から帰ってきた娘とこんな話をしたんですよ。

娘「今、H君(向かいの棟に住む、娘に一歳上の幼なじみ)のお母さんに会ったよ」
わたし「うわ、元気してた?長いこと話してないわぁ。お母さん、元気してた?」
娘「うん、してた。してた」
わたし「H君のお母さんが、洗濯ものを干す姿は見てるけどなぁ」
娘「そうそう!H君のお母さんといえば、ジャージで洗濯干す姿やんなあ」


うん?


H君のお母さんといえば、ジャージで洗濯干す姿!?


なるほど、そうであったか!


北側ベランダには出ずとも、
その窓という窓から
向かいの棟の住人が「南側ベランダで洗濯物を干す姿」を
多くの人が見ているんだな。
わたしがカーテンを開けるついでに目にしていたように。
娘が学校に行く用意をしているときに見ていたように。
何度も、何度も、視界に入っているわけだ。

であるならば


きっと、もう、わたしは、

ずり落ちそうなパジャマで洗濯ものを干すおばちゃん

として定着しているだろう。


消防士のような色のフリースで花に水やるおばちゃん


という「この冬限定の呼び名」がどこかのお宅で流行しているかもしれない。


ベランダは布団じゃないんだ。
パジャマは脱いで出よう。


どうしても、パジャマを脱ぎたくないときは、
ドレッシングガウンなぞを着て、
洗濯ものをややアンニュイに干してみるのも手かも。
築30年超というアンティーク・マンションでもあることだし(笑)

それはさておき。
わたくし、実に実に遅ればせながらではございますが
肝に銘じたいと思いました。


油断しているときの姿が、
イメージを決定づける。



ベランダに限らず
みなさまも、お気をつけあそばせ。


【関連記事】これも根は同じですね。かなり以前の記事ってことは進歩なし?(笑)
40代。「ちょっと、そこまで」が命取り。

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40代の人権運動?!「美魔女コンテスト」

先日、関西で絶大な人気を誇る上沼恵美子さんが、
「3日間でええから、沢尻エリカさんの顔になりたいわ」
と言っていました。

3日間限定の「沢尻エリカ体験」!

わたしも、やってみたいです!
(たとえ、公私ともに多少のゴタゴタがあろうとも!)

もし、「有名人になって旅するツアー」なんて企画があったら
「橋田壽賀子でゆく豪華客船世界一周旅行」も味わい深そうだけども、
「沢尻エリカでゆくスペイン逃避行」のほうでやっぱりお願いしたい。

そして逃避行から帰国したら、
「新橋の駅はこっちでいいのね」なんて言いながら、
あかぬけない、若い記者とカメラマンを従えて
銀座のまちを練り歩くんだ。


若く美しい女だけがもつ「美の権力」を
笑顔という殺傷能力の高い弾丸に込めてね(ズキュン)。



というわけで、ちょっと前の話になって恐縮ですが、
みなさんは、昨年11月に開催された
「国民的美魔女コンテスト」をご存知ですか。

優勝者は、「国民的美少女コンテスト」と同じように、
オスカープロモーションからデビューできるんですね。
しかも「おっぱい美魔女」や「腸美魔女」など、
今話題の「人体の不思議展」を彷彿する各賞の凝ったネーミングも
現代人の好みそうなグロテスク感でステキです。

主催者の方々は、
「外見美とともに知性美を競う」とおっしゃっていますが、
その根底にある主張と欲望を突きつめれば、

「美の権力」を行使しうる年齢制限の緩和と拡大

ということになるんでしょうか。

「美の権力」の行使にどこからも異論が出ないのは、20代まで。
かろうじて30代は認めてやってもいいけど、
40代は特別な美人を除くと、ダメ。痛いから。

という雰囲気が日本社会には濃厚に流れていましたが、
それを不服に思った美しき30代後半から40代女性たちが、
その年齢制限の緩和と自由化を求め、
若いというだけで「現役」が独占している
「モテ」や「ちやほや」や「口説かれ」などの既得権益を
「私たちにも与えろ」と主張して立ち上がったと。
まあ、このように言えるかもしれません。
一種の人権運動かもね。

いやあ、それにしてもみなさん、
現役キャバ嬢もかなわないくらい、
まばゆいばかりに美しいです。

さっきの「有名人になって旅するツアー」の話に戻りますが、

「美魔女になって参加する高校の同窓会」

なんてものも、ぜひ、体験してみたいですね。

そして、

同世代の集いだからこそ通用する「美の権力」をグイグイ行使して
「なにもしていないのよ。ダイエットなんてしたことない」
なんて言いながら、バッリバリに優越感を感じたいです!


疲れそうだから1日限定でいいけどね(笑)


というわけで美魔女のみなさん。がんばってください。
応援しています。


【関連記事】「痛い」問題について、さまざまな角度から考えています!こちらもどうぞ♪
「痛い40代問題」の記事カテゴリ

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「過渡期」を愛して、人生の質を上げる!


いきなりわたしたち夫婦の話で恐縮ですが、
わたしたちは、学生時代に知りあって
結婚するまでも、いっしょに生活していたので、

「当時からずっとうちにあるモノ」とか
「いつの間にか、うちにあるモノ」とか
「友だちが引っ越すときにくれたモノ」とか
「友だちが置いていって取りに来ないモノ」とか、
「大型ゴミから拾ってきたモノ」なんかが
今も、家具や小物に混じっているんですね。

どれも、パッとしないし、
あちこちからやってきたせいもあって見事にバラバラ。
今はもうありませんが、「花柄のゴミ箱」という、
ほら、炊飯器やポットなど調理家電という調理家電に
花柄がほどこされていた、
あの夢多き時代を思い起こさせるものもありました。

それから、そういったモノだけでなく、
「間に合わせに買ったモノ」とか
「あまり考えずに買ったモノ」とか
「お金がなくてそれしか買えなかったモノ」とか
「当時はそれがいいと思って買ったモノ」なんかもありますからね。
事態は、さらに複雑ですよ。


生態系に多様性は不可欠らしいが、
家具調度系の過度な多様性はいかがなものか。


ほら。

よく美術系の学校などを卒業した方で、
その後、絵画とかイラストとか陶芸とかギャラリーとか
そういったお仕事についている方なんかに、

わたしは、物心ついてから一貫して、
納得したものしか買っていません!


というような、繊細さのなかに
「こだわり」という鉄の意思を秘めているに違いない風貌の方がいらっしゃいますね。
雑誌なんかでお見受けしますが、すごいな?。


わたしなんて、そもそも、自分がなにに納得するのか、
ちーっともわからないままに生きてきましたからね。



「納得」と「非納得」の境界なんて
ババロアとパンナコッタの違いくらい曖昧ですよ。

しかーし。

さすがのわたしも、学んだことがあるんです。

それは、


過渡期を楽しめ。


ということ。


というのもね。

●雑多なものを一掃したい。
●すべてを新しくしたい
●一からやり直したい


というトランプゲームの「総換え」みたいな行為は、
これまであまり、うまくいかなかったからです。
人生においても、住まいにおいても。


いま、ここで、ひとつずつ、変えていく。
そのことによって、少しずつ、少しずつ変わっていく様子を
焦らず、じっくりじっくりと楽しむ。


もう、これしかないんじゃないの?

そうやって納得を積み重ねた住空間に対する納得は、
いっぺんに手に入れた納得空間より、
納得に対する愛しさが数倍、大きいんじゃなかろうか。

どうやら、これからの時代。
「右肩上がり」は言うにおよばず、
「現状維持」だってなかなかどうして難しそうですよ。

いくつになっても安定なし。
人生、これ過渡期。

(ともいえるかもね)

楽しみましょうか。
雑多から納得への過渡期を。
そして、そんな過渡期を愛する人たちを
「トラキチ」にならって「かときち」と呼ぶなんて、どう?


【関連記事】自覚だけはしているんです(笑)こちらも読んで笑ってくださいませ♪
脱!服も暮らしも「間に合わせ」。

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芸能人の「ご本人、登場!」が教えてくれること。


「ご本人の登場です!」

と、大々的に紹介されて、
かつてのスターやアイドルが登場し
当時のヒット曲を歌う番組がありますけど、
もう、明らかな「懐メロ世代」となった今では、
なんか、もう、すごーい、見ごたえありますね。

その歌い手さんが、

(1)「ちっとも変わっていない!キレイ!」と言われたいのか、
(2)自分の歌をしっかりと聴かせたいのか、
(3)そのどちらでもないのか

なんとなく、わかっちゃうんですよね。

先日も麻倉未稀さんが「HERO」を熱唱してらっしゃいましたが、
若いころより、ちょっと体が大きくなった分、
若いころより、ずっと声量が増していて
迫力があって、さばけていて


ああ、この人、歌を真ん中において生きてきたんだなあ。


と思いました。

華やかなことばかりではなかったでしょうけれど、
歌が人生の真ん中にあり、
その歌との関係が深まっているから、
年をとることをあまり恐れていない感じもして、
とっても、かっこよかったです。

麻倉さんは上記の分類では(2)になると思いますが、
女性歌手のなかには、(1)の人もわりに多いですよね。

そして(1)のタイプの歌い手さんが歌い終わると、
その他のゲストの人たちは異口同音に

「きれい?♪」
「全然、かわってない!」
「昔よりキレイになった?♪」

など称賛&賛辞の嵐で迎えるんですよね。

「あー、わたしも一度でいいから、言われてみたいよ」と
思わないといったらウソになりますが、

しかーし。

その女性歌手自身が、
「うわあ、変わっていない!」と言われたくて衣装もメイクも準備し、
「昔のまんま!きれい♪」という賛辞をこそ求めていることを
まわりの年下ゲストたちが察して、その期待に応え、


期待どおりの賛辞を贈ってあげている「優しい雰囲気」


を薄々、いや、はっきりと感じることも多いです。

そして、「うわあ、変わっていない♪」と言われて
うれしそうにしている姿を見ると、
わたしは、同世代として、
その女性への関心をなぜか、かなり、なくしちゃうんですね。
(嫉妬とか羨望とはビミョーに違うんです、これが)

少し話がずれますが、
酒井順子さんのエッセイ集
「駆け込み、セーフ? (講談社文庫)」のなかの
「若作り、その危険な誘惑」に、
ダイエットしてハイパー上機嫌になっている友人の顔が、
びっくりするほど老けているのを目にして、


友人があまりにおばさん臭い顔をしている時、
「ちょっとそれってどうなのよ」とは言うことができるのです。

しかし、「私はこれでイケている」と信じて
若い格好をしている友人に対して
「イタいんですけど」とは決して言うことはできない。
そんなことを言ったら、友人の心の中の
どこか大切な部分を傷つけてしまうことになりそうで。


と書いてらっしゃいます。

そうなんですよね。
目の前の人の「心の中のどこか大切な部分」は、
よほどの意地悪でない限り、
だれだって傷つけたくないんですよね。

だから、


心の真ん中に「若く見える自分」を置いちゃうと、
まわりは、そーっとそーっと、
傷つけないように黙っちゃう。
称賛があまりに嘘っぽくなると、
あとは、優しい沈黙で包み込む。


それをこそ、「敬老の精神」というのかもしれません。


【関連記事】だからこそ、「お若いですね」が最強のほめ言葉になるんですよね♪
「若く見える」バトルは永遠なり。

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春のパンツはテーパードにする?

テーパードです。

レオタードでも、
テーラードでも、
レイヤードでも
ティアードでも
レパードでもありませんよ。

テーパードですからね。

そんなこと知っているわよ!という方が
世の大勢だったらどうしよ・・・とおびえながら話を進めてまいります。

あ、でも・・・失礼ながら、
余計なお世話かもしれないけれど、
わたし以上にファッション音痴&カタカナ音痴の方も
いらっしゃらないとも限らないので、
念のために上から説明しときましょうかね。

・レオタード…エアロビクスや新体操用のウェア。コマネチが有名。
・テーラード…紳士服仕立て(風)の婦人服(テーラードジャケットというように用いる)
・レイヤード…積み重ねること。重ね着ファッションやそんな感じの髪にも用いる
・ティアード…ギャザーで何段も重ねたティアードスカートが有名
・レパード…豹。大阪天神橋筋商店街的ムードを嫌い、ヒョウ柄をレパード柄という人も。

でもって、そのどれでもない
テーパードです。

どうも、昨年の初めころから
若い子向けファッション誌で
「おじパン」「おじパン」と騒いでいましたが
ご存知だったでしょうか。

この流れは、まだまだ続いているようですね。

先日買った「GLOW」3月号にも

おじパンブームに乗りました!と
あからさまには書いてありませんが、
明らかに「おじ」的テイストを取り入れた
春ボトムの提案がなされておりました。

ということであるならば、
仮にも40代向けファッションブログを名乗っているものの責任として、
ここは、やはり、「おじパン」を取り上げねばなりますまい。

その「おじパン」ですが、
いろんな変種が出てはいるものの、基本は、
「おじさんが履く2タックのパンツ」を原型とするようです。
(ちなみにプロゴルファー池田勇太氏が愛用しているのは
さらなるゆとりを追求した3タックパンツ)

この「おじパン」を加藤ミリヤ風に着るのもいいんですが、

40代女子向けファッション誌「GLOW」では、

・ワイドなシルエットの太めチノパン
・きれいめテーパード


あたりを推奨しています。

テーパード。ここでようやく出てきました。
時間がかかって申し訳ない。

テーパードとは「先細り」のことです。
(「右肩下がり」と同じくうれしくない言葉ですが)
ヒップから太ももにかけてはゆったりとしていて、
ひざ下は足にぴったりしたパンツ

のことらしいです。

どうやら「ズボンの潮流」は今、
太め推奨方向に向かっているようで
デニムもピッチピチのスキニーを中心に
ボーイフレンドジーンズが脇支えする時代から、
「タック入り太めデニム」なんかが堂々と流行する時代に向かうようですよ。

長かったスキニーブームに辟易している人や
スキニーブームを敬して遠ざけてきた人や
ユニクロの試着室で果敢に挑戦するも断念せざるを得なかった人などは、

この機会に、ぜひ、

テーパードラインのおじパン(チノパンなど)で
仇をとってください。


なんといっても股上が深めでタックがあるので
腰回りの太さをカバーし、体型を選ばないのが魅力とか。
ロールアップして華奢な足首や華奢じゃない足首を見せるのも素敵ですね♪


「ええー、でも、おじパン履いたオバサンにならない?」

という不安が、どうしてもぬぐえない心配症の方は、
ブティックや通販で購入に踏み切る前に、
一度、ご父上やご主人や所持率は低いけれどもご子息のズボンで
お試しになることをお勧めします(笑)

GLOWの「40代女子の正解!おしゃれ春服」からも
チノパンの着こなしを少しですが見ることができますよ。


【関連記事】ユニクロのレギパンは愛用してます♪ロングブーツとともに(笑)
ロングブーツが示す「脚の現実」

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長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ?うわめづかい

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どの距離から見て素敵、を狙う?

今日は失礼して自慢から入りますよ?♪
失礼?♪

先日、娘と買い物に行ったら、


「遠くから見て、かっこいいなと思ったら
お母さんだった!」



と言うじゃありませんか。

「遠くから」の限定付きとはいえ、
決してほめない中2の娘の賛辞でございます。

よろこびましょう。よろこびましょう。

もちろん、これには裏があって
娘の誕生日にギターを買った直後のことなんですね。
彼女は、念願のギターを手に入れ、
YUIみたいにそのギターを背負って歩いてみたら、
もう、うれしくてたまらなくなり、
母親にも「リップサービスという
お金のかからない幸せのおすそ分け」をしたくなった、
というだけの話です。


「だったら『遠くから』」という限定はつけんでよろしい」


と注文をつけようとした瞬間、


ああ、でも、わたし自身が、
「遠くから見た」自分に重点を置いているかも!



と気づいたんです。

遠くから見て
なんとなく雰囲気がよければ
それでよし!という人間なんです、元来。わたしは。
(スタイルがよくないのが残念ですけどね(-.-))


みなさんはいかがでしょうか。


あなた自身を、ですね。
どの程度の距離から見られたとき、
「きれい」とか「かっこいい」とか「素敵」といわれたい
と思っていますか?

たとえば、わたしの友人に、
ものすごく丁寧にメイクする人がいて、
彼女の顔だけをじっーと見ていると
とっても完成度が高いんですが、
いざ立ちあがって、人混みに入ると
あまり目立たないというか、
それほどいつも代り映えしないというか・・・
そんな感じの人がいます。

もちろん、至近距離で見ると
アイメイクも丁寧だし、
顔立ちも決して悪くないんで、
見ごたえあるんですよ。

もしかしたら彼女は、
「近くから派」の代表格かもしれません。


「遠くから派」は全体像から細部へ
「近くから派」は細部を積み上げて全体へ。



おしゃれには、どうも、
そんな2つのアプローチがあるような気がします。

まあ、理想をいえば、
両方の視点から、自分自身の装いをプランし、
しっかりと入念にチェックできるのが望ましいんでしょうが
なかなか、どうして、
人間にはその人なりのクセがあるもんだし、難しいですよね。

ただ、「近くから派」の場合は、
自分を客観視するのがあまり得意ではなく、
ある特定の細部にこだわる傾向があるため、
「全体」がやや寄せ集めになってしまい、
装い全体の印象が薄くなってしまう可能性はあるかもしれません。

じゃあ、「遠くから派」がいいのか?!
というと、そうともいえないところが、
ややこしいところです。

たとえば、わたしのように
大雑把や無頓着という性格に
老眼が拍車をかけるという、
「遠くから派」の古株になってしまうと、

至近距離まで近づいて
おしゃべりしていた友人に、

「あんた、鼻ヒゲ、生えてるやん」

とゾッとするほど冷たく指摘されるという
不名誉な事態に遭遇することもありますので、
全体重視もほどほどにして、
それなりの細部のツメは必要と申し上げておきます。

というわけで、みなさま。
遠くから、近くから
ご自身をバランスよく見つめて美しくなってくださいませね。


【関連記事】相対美人でいいんです!人気記事です。ぜひ、どうぞ♪
40代。「絶対美人」じゃなくてよし!

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