オバチャンにツイッターは必要か?

先日の記事「遅れてる?」に動じない!に、

最新のデジタル廻りに話がおよんでも


うん。知らないよ?。


という程度の肩ヒジはらない悠揚たる感じで
受け流しちゃってよいんじゃなかろうか、と書きました。

最新のあれこれ、なーんも知らなくても
人間として素晴らしい人はいくらでもいますから。
それは、それでまったくよいと今も思っています。

そして、デジタル廻りに弱くても
堂々としていていい!と思っています。


しかし。


「んじゃ。あんたツイッター、どうすんのよ。やめるの?」


と言われると


「続けます!」



と答えちゃうと思うんですね。


とくに、この大震災でツイッターの熱い渦に巻き込まれ、
なおいっそう、その思いを深めました。

大震災以後、ツイッターのなかは


戦後すぐの、ごった返す東京駅構内


のようでした。
(小説やドラマで得たイメージだけで例えて恐縮ですが)

疎開から帰る子どもたち
復員して田舎へ帰る兵士たち
リュックしょって農村へ食料を調達に行く母親たち
「あそこに行け!」「こうしろ!」という叫び声
さまざまな人の、さまざまな会話。
さまざまな方言。さまざまな事情。
叱責や衝突。共感や無視。

もちろんネット上のことですし、
被災地にはなんの関係もないお遊びだといわれればそれまでですが、
それでも、多種多様な声がワンワンと響きわたる駅構内の真ん中に
自分が立っているように感じることもありました。

そんな場だったからこそ、
決断するのは私だ、と強く思いました。

多くの人が指摘しているように
デマが飛ぶこともあれば、
有名人に悪口雑言をはいて晒される人もいれば、
震災の話題ばかりで暗い気持ちになることもありましたが、


すべての人が混乱し、
その人が思いつく限りの方法で
自分の声を発する場に
いあわせることができてよかったと思っています。


かつてお年寄りが「ご隠居」と呼ばれた時代。
(実際にあったのかどうかはわかりませんが)
「ご隠居」のもつ「過去にさかのぼって引き出せる情報力」が
知恵として評価されたのなら、
それも、なんとなーくわかるような気もします。

実際に年をとればとるほど、
カラダは確実に弱り、役に立たなくなりますから、
せめて何らかの情報力はあったほうが重宝されるし、
したたかに己の才覚で生きられますもんね。

突然やってきた猫なで声の悪質訪問販売員に
「あーあんたか。ツイッターで知ってるよ。小悪人ね」
と反撃してやるとかね(笑)

3月11日、ツイッターはつながりやすかったので
まだ始めてない方は、
通信手段のリスクヘッジとしても
始めてみるとよいと思います。

ブログにしても、
ツイッターにしても、
フェイスブックにしても、
日記にしても、
家計簿にしても
語学や資格取得の勉強にしても
スポーツジムにしても、

必ずしも継続せずともよし!!
かじってみるだけでよし!!

の精神でいきませんか。
(老い先短いとはいえないまでも
もう、折り返してはいるんですからね 笑)


気負わず、ゆるーく、ストレスなく。
背中を押してくれる良書です。

ゆるく、自由に、そして有意義に──ストレスフリー・ツイッター術ゆるく、自由に、そして有意義に──ストレスフリー・ツイッター術
(2010/10/20)
渡辺 由佳里

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【関連記事】こちらもどうぞ♪さあ、人生を寿ぎましょうぞ。
わが人生に観客なし、を知る。

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自分が一番自分をだます、という問題。

みなさま。

お元気にお過ごしでしたか?
Carinaです!

いやあ。ごぶさたしてしまってすみません。
日曜日以降、ブログのサーバーにかなり重い障害が起きてしまい
ブログそのものにアクセスできなかったり、
画面が変なことになっちゃったりと、
いろいろご迷惑をおかけしました。

わたしも更新画面に入れず、
やきもきしながら過ごしておりました。

まだ、カテゴリが表示されないなど不具合はありますが、
ほぼ以前の状態に戻り、ホッとしています。
(一部、いただいたコメントが消えているかもしれません(>_<))
これに懲りず、どうかみなさま。今後ともよろしくお願いします!

では、あいさつはこの辺にして、
本日の記事にまいりまーす。

「自分を知る」ということについて
ふかーく考察しています( ´艸`)ムププ


IMG_0581s_convert_20110407134704.jpg
↑名づけて「犬と桜」。もう満開です。



「自分を知る」というと、

「自分はどんな人間か」とか
「自分はなにをなすべきか」というように
ついつい問題が深化・拡大し、
「その問題を解くことそのものが人生だ」となって、
答えの規模も大きく広がってしまい。
長~い時間とた~くさんの人生経験が必要な気がして
肩に力を入れて考えこんでいる間に、
なぜか生あくびが出てきて、


ああ、もう、そういう問題は手に余るので
残り時間のたっぷりある若い人にお任せします。



と逃げを打ちたくなりますが、

そういう「難しいほうの自分」じゃなくて、
「簡単なほうの自分」というか、
「普段づかいの自分」というか、
そっちの方も、なかなか、どうして自分じゃわからないもんですね。

たとえば、先日、52歳の誕生日を迎えた夫は、
その人生の半分を優に超える30年の長きにわたって、


土曜日にレンタルショップでDVDを2枚借りた場合、
1枚は見ないままに翌週の土曜日に返却してしまう自分



を知ることができないまま今日まで過ごしていますよ。

なぜ、
「休日はソファで、そんなに寝て大丈夫か、と周囲が心配するほど熟睡する自分」
を計算に入れないのか。

なぜ、「すぐにも見たいDVD」は必ず見るが、
「見ておいたほうがいいDVD」は
「実のところそんなに見たくない」ということに気づかないのか。

ほんとに、つくづく疑問ですが、
あの膨大な量のDVDに囲まれると、
「せめて2枚は借りて帰らねば男がすたる!」的な気分になり、
「2枚でも3枚でも見ちゃうもんね!」的な気分になり、
「うんうん。見ちゃう。ぜーったい見ちゃう」と
自分をすこーしだまして、本当にはできない約束をしちゃうんですよね。

でも、家に帰りつき、
ほっと一安心してソファに横になると
やっぱり「1枚しか見ない自分」のまんま。

なぜ、ここまで言い切れるのか?というと
わたしもそんなタイプだからです(笑)



「これも借りておこう」程度のDVDは見ないよー!


と自分につねに言い聞かせています。

さらに、わたしの場合は、


「次の機会に買うから今日はやめとこ」→ずっと買わない
「よし。今度、やってみよう」→いつまでもやらない
「おいおい考えることにしよう」→ずっと放置したまんま



の公式がカンペキに成り立つにもかかわらず

いざ、そういった決断を迫られたときには、
「次の機会に買うってので、いいんじゃない?」という心のささやきが毎度聞こえて
「そうだった、そうだった。次の機会にはちゃんと買う自分に一票~!」
という気分に易々となってしまって
結局のところ、「いつまでも買わない自分」のままだったりするんですよねー。
(本と服はほぼ即決。日用品をケチる 笑)


毎回、毎回、自分が自分をちょっとだまして、
「次に決断する自分」という虚構を引っ張り出して、
「絶対やるよ!」とその場しのぎの約束をするわけです。
ほかならぬ自分に対して。



自分のなかに「口先だけで誠意のない彼氏」がいるみたいなものですね(笑


いや。違う。あんたに次はない。
今、決めるか。もうしないか、どっちかよ!


とウソつきの彼氏に最後通牒をつきつけるみたいに、
自分のウソにも厳しく接します。

うん。次からは。必ず。


【関連記事】普段着で「普段づかい」の自分を見つめるのもいいですね♪
普段着美人を可能にする、2つの方法。

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「安心」「安定」への未練、捨てましょか。

この年になってわかったことの一つに、
人間ってのは、どうも、


自分が物ごころついた時に
すでに存在していたものは、
太古から存在していたように
思い込んでしまうものだ



ということです。


たとえば、年金制度。


ここんとこ、ずっーと、
「年金は危ない!」
「年金制度は崩壊している!」と言われてきて


あああ、ずっとうまくいってきたのに
なんで今ごろダメになるかなあ!?



と不満タラタラでしたが、
ちょっと調べてみると(Wikipedia ですけどね)

国民年金法の適用によって
国民皆年金制度が確立したのは、1961年。


なんと、わたしと同い年でしたよ。

さらに

年金制度改正により基礎年金制度が導入され、
現在の年金制度の骨格ができたのが、1985年。


あらま。そのころ、わたしすでに24歳でしたよ。


いやあ。年金制度、意外に若いのね。
(十分にオバサンという意見もあるでしょうが 笑)


つまりわたしの母は、たっぷり年金をもらっているけれど、
わたしの祖母は、年金をもらわず(制度がないので当然ですが)
家族による「私的扶養」によって老後を過ごしたわけです。


「何を今ごろ、そんなことで驚いてんの?いい歳こいて!」と笑われそうですが、


年金による「安心」が与えられないのは
今の現役世代とその子たちだけ。



と考えるより、


年金による「安心」が与えられたのは、
わたしの親という限定世代のみ。



と考えたほうがより正確なんじゃないだろうか、と思った次第です。


つかの間の安心。つかの間の安定だったのねーと。


そういえば、終身雇用も、一億総中流も、
社員皆正社員も、大学出皆一流企業も、男性皆肉食系も、
つかの間の安心、つかの間の安定でしたものね。

これまでも、わたしたちは
それまで漠然と信じていた「安定」や「安心」を
心もとなく感じたり、実際に失ったりしてきましたけど、
今は、「安全」という「神話」まで失ってしまいました。
あまりにもむごい自然の暴力と
原発から放出され続ける放射線物質によって。

「水と安全はタダ!」とは思わないものの、
「水と安全は比較的簡単に手に入る」と思ってきた人間にとっては、
どうにも居心地の悪い、どうにも先の見えない、
自分が古ぼけたガラクタに思えるツライ時代です。

そうそう。話はかわりますが、
NHKの「世界ふれあい街歩き」で
ブラジル・マナウスの人々の暮らしを見ました。

ブラジルといえば、
今や、日本なんて目じゃないほどの大躍進国家ですが、
多くの男たちが上半身裸で労働し、
女たちが洗濯物をタライでゴシゴシと洗っていました。


体を張って生きる。


やっぱり、人間。そこでしょうか。基本は。


【関連記事】よければ、こちらの記事もどうぞ♪
「過渡期」を愛して、人生の質を上げる!

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「明るい色」で加齢への恐怖を乗り越える?!

昨日は初めての現場で仕事があり、
やや緊張して出かけました。

初めての駅で電車を降り
そこからまたバスに乗るのですが、
あらかじめ調べてはいたものの
もう一度、バスの時刻表をじーっと見て
「よし。あと少しで来るな」と確認して安心し、
ふりかえって一歩、前に出ようとしたら

ベンチに座っていたおじいさんが、
「シッ!シッ!」と音が聞こえるくらいに激しく
右手を左から右に動かしているではありませんか。


なんのことかわからず、
そのおじいさんの顔を見たら、


「あっちやろ。あっち行け!ジョーシキやろ!」


わ、わたしですか?

わたしだったんです。


複数のバスが到着する大きなバス乗り場のベンチに
人々が三々五々、ベンチに座って待っているもんだと思っていたら
それは、「シッ!シッ!おじいさん」を先頭にした
厳密きわまりない乗車順の列だったのです。

「シッ!シッ!」というすばやい手技は、
「最後尾に並べ」という指示だったんですね。

迂闊ながら、まったくもって想像していませんでした。

最近、あまりバスに乗らないので
ボーっとしていたわたしが悪いんですが、
「座りたい」とも「座ってやる」ともみじんも思っておらず
時刻表を見てほっとしたスキを
激怒の「シッ!シッ!」攻撃でつかれ、
シュルルルル~とあっけなくしぼんでしまいました。

時刻表を見るまではやや颯爽としていたつもりだったのに、
時刻表から離れるときには、とことんションボリ(笑)。


あああ。もう。頭ごなしに怒るジイサン、きらいだ~。


と、ひねくれてバスに乗ったら、
そのおじいさん(以下、シッシさん)は、
運転手さんの斜め後ろにある、
一段高くなったところにドスンと座り、
スポーツ新聞をバサッと広げ
威勢よく折り、ゆっさゆさと上下に揺らして
ipadサイズの固い平面にして熟読態勢に入りました。


やるな、シッシさん。
プロ野球開幕したもんね。


そして、そこから順番に後のほうに目をやると


シッシさんの後には
白髪の小さなおじいさん。
その後にグレーの帽子をかぶった小さなおばあさん。
その後に薄茶色の帽子をかぶった小さなおばあさん。
その後にそのおばあさんの付添をしているらしい若年おばあさん。

今や、そんな風景はあたりまえですが、

シッシさんの攻撃でへこんでいる上に
なんか、ちょっと、ひねくれちゃってますから、
その「おじいさんとおばあさんのシンとした修学旅行」みたいな風景を見て、


年はとりたくない!


と思いました。


わたし、あっち側には行きたくない!


とも思いました。


すでに、こっち側かあっち側かと聞かれたら、
明らかに「あっち側」に入っているし、
死なない限り行くんですけどね。
本格的な「あっち側」に。


でも、


ああ、神様。
わたし、このあたりのポジションでどうか勘弁してください。
ほんと、申し訳ないけど。
あそこまでの「あっち側」には行きたくないです!


と心の底から思いました。


シッシさんは、
勢いよく新聞を広げたわりには、
案外、すぐに読むのをやめてしまい、
肩をいからせてじっと前を見ていて、
わたしより先にバスを降りました。
コンビニの袋を提げて歩く姿は、
肩が下半身を無理やりひっぱっているように
ゆらゆらとしていました。

寂しそうだな。嫌いだけど。

新興住宅地を走るバスの外には、
まだ育ちきらない華奢なソメイヨシノがヒョロヒョロと並んでいて
花びらという花びらが舞い、
かすんだ空気を薄白い桜色に染めています。


よーーーし!明るい色の服を着よう。
明るい色の服を着て年をとろう。
派手すぎるくらいでよし!



となんかよくわからない方向で自分を元気づけ、
なんか、それで結構いろいろな問題が解決するような気がして、
上機嫌でバスを降りました。

よかったのかな、そんなことで(笑)


【関連記事】こういった問題も「明るい色の服」で解決するのでしょうか?!
同窓会。女で行くか、それとも・・・

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「脳のお通じ」で味わう、快感!


テレビでは今、たくさんの人が
マイクに向かい「上を向いて歩こう」を歌っていますね。

「やっぱり、ええ歌やな~」と夫が言うので、
「うん、いい歌やね~」
「作詞は、永六輔!」
「そう!永六輔」


・・・・・・・


わたしもそのとき、まったくもって同じことを考え、
脳内の引き出しのどこに収納されているのか、
それは「あ」だったか、「か」だったか、「さ」だったかと
「脳内・頭文字別人名記憶引き出し」のなかを
あてもなく、さまよいはじめたところだったので、


夫の沈黙と
やや固まった背中と
じっーと空(くう)を見つめた視線の理由が
手にとるようにわかりました。


作曲家の名前が思い出せないのです。


嗚呼。

日本を代表する名曲中の名曲なのに!
全米ビルボード第1位を3週連続で獲得した
日本初の世界的大ヒット曲なのに!
ヒットはしたものの「SUKIYAKI」と名前を変えていて
日本人を複雑な思いに陥れた曲でもあったのに!
このたびの大震災でも人々の心を支える名曲なのに!
わたしたちとしたことが、まったくもって思い出せないなんて!


長い沈黙の後、おもむろに夫が

「ハチがつく」
「名前に?」
「サトウハチローかな?」
「いや。その人は・・・詩とか童謡とか。そっち方面な気がする」
「そうか」
「うん。ちなみに佐藤愛子のお兄さん」
「そんなことはどうでもええ」


ふたり、再び、沈思黙考。


どうも、今回は、手こずりそうなイヤな予感がします。
「出てきそう」なとき、
「引っ張りだせそう」なときに感じる、
あの独特のこそばゆいような「出る出る感」「そこまで来てる感」がないんですね。

「ハチはつくな。ハチローかな?やっぱり」
「岡八郎とか」
「いや、それは違う」


懊悩呻吟していた夫は、
ふと思いついたように顔をあげ、


「ほら、あの、ちあきなおみも、歌っていた
あの名曲の、ほら、あれも作曲した人や!」



と記憶を芋づる式にたぐり寄せ、
どうにかたぐり寄せることのできた唯一のヒントに、
藁にもすがるような思いで熱く期待しているのですが、
その連想の端緒となるべき曲の、
その曲名がまたもや思い出せないという皮肉な二重苦!



中村八大でした。



たしかに「ハチ」はついていましたが、
「ハチロー」方面からのアプローチで
果たして「ハチダイ」という
人類より魚類に多いような名前にたどり着けたか、
今にして思えば、はなはだ疑問だったと感じています。


ふたりの共同作業を経てもその名前は出てこず、
業を煮やしたわたしがネットで調べて
やっと「中村八大」だとわかったんですから。


「脳内頭文字別人名記憶引き出し」から自力で探しだし、
その名前を大きな声で口にし、
積年の恨みを晴らしたようにドヤ顔をする!
という中高年ならではの「脳のお通じ感」を味わい損ねた夫は、
ちょっと不満げでした(笑)。


ま、そんなことはどうでもいいのですが。


どうでしょう。
「上を向いて歩こう」をいろいろな世代の著名な方が
祈りをこめて歌う姿はとっても素敵ですが、
東北大震災で被災された方々は、
わたしたちよりも高齢の方が多いようですし、

坂本九ちゃんのオリジナル映像&歌唱による
「上を向いて歩こう」を流すってのも、
喜ばれるんじゃないでしょうか。(九ちゃん、素敵だし)

最後になりますが、

夫を二重苦の悲劇に陥れた
ちあきなおみの名曲は、「黄昏のビギン」。

わたしは即座に思いだし、
夫に即答することができたので、
「脳のお通じ感」を堪能することができ、
ことのほか満足いたしました(笑)


【関連記事】まあ、いろいろな変化があるものですね。こちらもどうぞ♪
そして生理よ。どこへ行った?

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本性がバレる!挨拶に要注意。


関西を中心に活躍するタレント&エッセイストの遥洋子さん


haruka.jpg
↑ この方です。念のため。


さまざまな分野で活動してらっしゃるとはいえ、
主たるフィールドが芸能界であるだけに、
「挨拶」に関する洞察は、
まことにもって示唆に富んでいます。

どーも、あの芸能界という世界は、
ことのほか挨拶に関してウルサイらしい・・・
という程度のイメージは
一視聴者にすぎない私も持っていました。

皆さんもそうじゃないですか?

「楽屋に手土産もって挨拶に来て・・・」とか
「新幹線で寝ていたら突然、挨拶に来て・・・」とか
「新人のくせに挨拶もせず・・・」とか、
「挨拶が悪いと叱られて・・・」とか、
番組内で芸能人の方々が交わす会話の端々に
「挨拶」という単語が頻繁に登場しますからね。

あんなに表立って挨拶が奨励されるのは、
芸能界をのぞいたら、
小学校の「終わりの会」くらいじゃないかな。堅気の世界では。
(あと中学・高校の部活とか)

それはそれとして、
遥さんの洞察が深いのは、


芸能界は正直な場所だ。
売れている人はその地位を謳歌し、
そうでない人はそれなりの位置がちゃんとある。
テレビ局のロビーでは見事な序列の勢力分布図が映し出される。


と、源氏物語の宮中みたいな位階社会で
自らを「それなりの位置」に置きながら
やっかむでもなく、媚びるでもなく
冷静に観察しているところです。

2008年のコラムですが、
「あいさつで露呈する本音」には、
(↑ 日経ビジネスオンライン 全文を読むには無料の会員登録が必要です)

「芸能界で不動の位置を保持する人物」
「数人のタレント」
「テレビ局のロビーの一角でお茶を飲んでいた」
ときのことが書かれています。


その様子がなんともリアルなんですよ。


身分の高い人と高くない人がいっしょにお茶を飲んでいるところを
「高視聴率を誇る番組のメインを務める、ある男性タレント」
通りかかります。「おはようっす」と聞こえないような声で会釈して、
いかにもダルそうに。
可哀想に、大御所に気づかなかったわけですね。
(その後、大御所の楽屋に来て両手をついて謝罪したそう)

つづいて「大きなサングラスで闊歩する女性タレント」
歌うように「おはよーございまーす」と
一応声だけは掛けたわよというようなあいさつをし、
一瞥だけして通り過ぎ、
(その直後、大御所に気づいて)
床に膝をつき、悲鳴に近い懇願のようなあいさつをします。
「気付かず失礼いたしました。私、〇〇と申します。おはようございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!」


いやー、さすが芸能界。
両手を突いたり、床に膝を突いたり、
挨拶の振幅が「水戸黄門」。



以下、遥さんのコラムから引用です。


真に平等主義を生きない限り、
すべての人に同じあいさつをするには、
難易度の高い技術がいる。
つい気持ちのままに表現したほうが楽だからだ。

もちろん心も大事だが、感情にまかせきりにすると危ない。
気持ちを超えた本音までが、相手にではなく、
実は隠しておきたい周りに露わになる。



おお。これは、痛いところをつかれましたよ。
わたしも、ここまで彫りの深い挨拶の悲喜劇を体験することはありませんが、
自分のなかの「順位づけ」を
何気ない挨拶についつい表してしまっているかもしれません。
いや、表しているに違いありません。


あいさつは感情の発露のみならず鎧にもなる。
いつ誰に見られてもいいあいさつをしたい。



なるほど。深いなあ。

皆さま。今日も読んでいただいてありがとうございました。
また次回まで、さようなら。


【関連記事】芸能人つながりで。こちらの記事もどうぞ♪
芸能人の「ご本人、登場!」が教えてくれること。

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職場の最長老として働くコツ。


「取引先の担当が、みーんな年下になってきてね」

若くして広告制作会社を立ち上げ、
不況の中でもそれなりに業績を伸ばしてきた某社の社長が
ポツリと言いました。

「ああ、そうですねぇ。わかります」
「あんまり、いいことないでしょ。それって」
「う~ん。こっちが年上だから
相手の方が気を使っているんじゃないかな~、
遠慮しないかなあ~とか思うことはありますよね」
「そうなんですよね。僕も感じます」

もしかしたら大きな企業で活躍していて
少しずつでも役職が上がっていく場合は、
この社長のようなビミョーな居心地の悪さを感じることは
少ないのかもしれません。
(どうなんだろ?違うのかもしれません)


でも、彼のように小さな企業の経営者だったり、
個人で仕事をしているような場合は、


いったい、いくつまで、この仕事、やっていけるんだ、俺?


的な、
考え出したら不安で不安で夜も眠れんような、
トウガラシの付いた指で瞼を触ってしまったような、
洗っても洗ってもヒリヒリ&ピリピリしてたまらん、
激辛の危機感を感じている人が多いんじゃないでしょうか。


自分自身の賞味期限切れへの恐怖


ですね。


流行の先端にいるべきとされる職業とか
感性で勝負するべきとされる職業とか、
若さが最大の武器とされる職業とか、
そういう職種の人も、
オーナーとか名人とか達人とかそういったクラスにならない限り、
ヒリヒリ&ハラハラ感が強くなりそうです。

わたしなど、
この社長のように従業員の生活を支えているわけじゃなし、
なんともまあ、ちっぽけな危機感&恐怖感なんですが、
それでも、これまで、ずっと、絶え間なく、もれなく、必ず
仕事の現場では、「自分の年齢」をヒリヒリと意識してきましたよ。


しかも、最近じゃ、ほとんどの場合、わたしが最高齢!
きゃー!受け入れたくなーい!



社長の言を待つまでもなく
わたしのまわりは
すでに「みーんな年下」だったのですね(-.-)


というわけで
「職場の最長老として働く」一人として
同じような境遇の女性たちに
何かコツのようなものを伝授したい!と思ったのですが、
残念ながら、途端に居心地がよくなる
コツのようなものは出てきませんでした(笑)

ただ、あえていうなら、


・できるだけ丁寧に、気さくに、真摯でいる
・手のかからない、お願いしやすい人でいる
・自然に、ひがまず、一人でいる(風情を身につける)
・自然に、心ひらいて、いっしょにいる(ように努める)
・「この人いくつだろう。かなり年だな」と思われてもいいや~(^^)/と思っておく



あたりを、なんとなーく、それとなーく、心がけています。
もっと簡単に言うと、


「女としての待遇を期待はしないが、
品よく女性らしく存在するよう努力する」



ってことでしょうか。
なんとも迂遠な方法ですが、この静かな覚悟が、
「あのオバハン」とか、「あの、おばちゃんが」と言われる状況を、
遠ざける効果、なきにしもあらず。

年齢は重ねたものの、
これといったポジションに立てず、
将来に不安を抱えながら、
最長老として仕事をしている皆さま方。


その居心地の悪さこそ、この年齢の醍醐味!!


心ゆくまで味わいましょう。
わたしも、明日もまた、心行くまで味わいますよ~!


【関連記事】こちらはヨガを応用した対処法♪役に立つかも(^^)/
どう?マイナス思考との付き合い方。

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おせっかい攻撃にやられた時。


電車の隣の席に
70代前半とおぼしき女性二人連れが座って
世間話に花を咲かせていました。

「あー。今日は温かったから掃除機だけで汗かいたわぁ。
1階と2階と両方やったら疲れるな~」
「え?!あんた1階から2階に掃除機持ってあがってんの?」
「そうや」
「アホやな!もう一台、買いっ!」



おおお、出たよ~。速効、解決策を出す攻撃!!


「掃除機で汗が出たわ~」
→「ああ、そう~。汗、出るよねえ」
→「うん出るねえ」
→「朝の家事はいやねえ」
→「そうねえ。それはそうと、隣の奥さん最近・・・」
という感じに展開したらいいなってくらいのつもりで
波風立たない平穏無事な会話の糸口として提起したはずの
「二階建家屋における掃除機問題」が
看過できない、すみやかに解決すべき問題として
今まさに大げさに取り上げられ、
一刻も早く解決に向けた行動に着手すべし!と
朝の電車のなかで激しくお尻を叩かれるという
思いもしなかった展開を見せようとしています。


「小さい安物の掃除機でええねん!
うちなんか、2階にも置いてあるから便利やし早いで!
買い、買い!5000円くらいであるから!」



もう、このまんま次の駅で降りて
ヤマダ電機かビックカメラなんかを探し歩いて、
掃除機売り場に突入しそうな勢いです。

迂闊にも掃除機問題を口にしてしまった方のおばさんは、
思いもしない展開に心中、アタフタしているようで


「いや、いや。うちにもあるんやけどな。
小さな掃除機。でも、吸引力がなあ・・・」



「そういうことなら、
ダイソンの小型ハンディクリーナーもありますよ」と
今度はわたしが、横から口をはさんでやろうと思いましたが、
もちろん、そんなことはしていません(笑)


それにしても、


いたるところに存在する
「速効、解決策を出す攻撃」の名手は、
会話相手のちょっとした
愚痴やボヤキや隙を決して見逃しませんな。


以前、スポーツジムにもこの攻撃の名手がいて

「さあ、スーパー寄って麻婆豆腐の素でも買って帰るか」
脱衣場の鏡の前で一人のおばさまが
ドライヤーで髪を乾かしながら
上半身裸で何の気なしにつぶやいたら、

「麻婆豆腐の素なんか使ってんの!?
あんなもん、自分で作らな。ちゃちゃっと。
作り方教えたろか?豆板醤、ある?」

これまた上半身裸の隣のおばさまに
豆板醤とショウガとニンニクとネギを
辛味が立つまで炒めるところから
延々とレクチャーされていました。

電車でも、スポーツジムでも
やや、「言いなりなってしまう」方のおばさま方は、
ややボーっとしたキャラクターの持ち主なんですが、
何を隠そう、このわたしもどちらかといえば
「言いなりになってしまう方の部類」ですから、
その迂闊さや抜け加減が手に取るようにわかります。


しかし、

攻撃の名手にもぜひ、
この場を借りて申し上げたい。


「そのボヤキや愚痴は、
単なる会話の導入もしくは締めであって、
決して本気で解決策を求めているわけではないのです」



その旨、ぜひ、ご理解いただき
「言いなり族」への指導・教育を
手加減していただければありがたく存じます。


【関連記事】言外の意味とか、行間を読むとか。コミュニケーションは繊細ですね♪
敏感でいたい!心配に潜む優越感。

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ?うわめづかい

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「普通の女の子」の完成形に、うなる。

こんにちは。Carinaです。

昨日の記事には、
賛否両論、多彩なコメントをいただき、
ありがとうございます!
いつもウームと考えさせられたり、
言葉足らずだったと反省したり、
視野が狭いことを知らされたり、
ドキドキしながら、ときに凹みながら、励まされながら
ありがたく拝見しています。感謝。

それはそうと。


スーちゃんです。


今週は、残念なことに仕事が忙しくて
その日のうちに書けなかったのですが、
スーちゃんのあまりに早すぎる死と
その肉声のあまりに感動的なメッセージと
蘭ちゃん&ミキちゃんが寄り添って流す涙と・・・

数十年という時間の重みが
葬儀というセレモニーに凝縮されていて
涙しながらも思わず
自分自身の数十年の歩みもついでに振り返ってしまい、


これほどに深い友情を育てただろうか?>自分


と自省することになり、
そうすると、どーも、明らかに、心もとなく、
わが人生の「絆を育てていない感」や
「人生の完成度が低そうな感」に
ションボリもしてしまいました。


それにしても、
スーちゃんの「天国で役に立つ。それが私の務め」という言葉は、
付け焼刃の同情心では決して出てこない言葉で
その心の美しさと豊かさに
不意をつかれた感じがするくらい胸を打たれました。

また、蘭ちゃんとミキちゃんが寄り添うとき、
「芸能人の髪」と「一般人の髪」の違いが浮き彫りになるように思うものの、
そんな「下世話なあげつらい」を一切受け付けない、


スーさんにお別れするためだけに来た


という、
いささかも芯のぶれない、
よそ見しない、
マスコミへの色気をみじんも見せない
無関係な他人に付け入るスキを与えない姿が
高貴な雰囲気すら漂わせていました。


目的はなにか。
私は何をするために、そこに行くのか。
私は何をするために、そこにいるのか。



日常のちょっとした場面でも、
そのことが見えていれば、
人の立ち姿は強く、美しく、
そして何より、大人に見えるのかもしれません。

がんばろ。


【関連記事】よければこちらの記事もどうぞ♪
芸能人の「ご本人、登場!」が教えてくれること。

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