最新のデジタル廻りに話がおよんでも
うん。知らないよ?。
という程度の肩ヒジはらない悠揚たる感じで
受け流しちゃってよいんじゃなかろうか、と書きました。
最新のあれこれ、なーんも知らなくても
人間として素晴らしい人はいくらでもいますから。
それは、それでまったくよいと今も思っています。
そして、デジタル廻りに弱くても
堂々としていていい!と思っています。
しかし。
「んじゃ。あんたツイッター、どうすんのよ。やめるの?」
と言われると
「続けます!」
と答えちゃうと思うんですね。
とくに、この大震災でツイッターの熱い渦に巻き込まれ、
なおいっそう、その思いを深めました。
大震災以後、ツイッターのなかは
戦後すぐの、ごった返す東京駅構内
のようでした。
(小説やドラマで得たイメージだけで例えて恐縮ですが)
疎開から帰る子どもたち
復員して田舎へ帰る兵士たち
リュックしょって農村へ食料を調達に行く母親たち
「あそこに行け!」「こうしろ!」という叫び声
さまざまな人の、さまざまな会話。
さまざまな方言。さまざまな事情。
叱責や衝突。共感や無視。
もちろんネット上のことですし、
被災地にはなんの関係もないお遊びだといわれればそれまでですが、
それでも、多種多様な声がワンワンと響きわたる駅構内の真ん中に
自分が立っているように感じることもありました。
そんな場だったからこそ、
決断するのは私だ、と強く思いました。
多くの人が指摘しているように
デマが飛ぶこともあれば、
有名人に悪口雑言をはいて晒される人もいれば、
震災の話題ばかりで暗い気持ちになることもありましたが、
すべての人が混乱し、
その人が思いつく限りの方法で
自分の声を発する場に
いあわせることができてよかったと思っています。
かつてお年寄りが「ご隠居」と呼ばれた時代。
(実際にあったのかどうかはわかりませんが)
「ご隠居」のもつ「過去にさかのぼって引き出せる情報力」が
知恵として評価されたのなら、
それも、なんとなーくわかるような気もします。
実際に年をとればとるほど、
カラダは確実に弱り、役に立たなくなりますから、
せめて何らかの情報力はあったほうが重宝されるし、
したたかに己の才覚で生きられますもんね。
突然やってきた猫なで声の悪質訪問販売員に
「あーあんたか。ツイッターで知ってるよ。小悪人ね」
と反撃してやるとかね(笑)
3月11日、ツイッターはつながりやすかったので
まだ始めてない方は、
通信手段のリスクヘッジとしても
始めてみるとよいと思います。
ブログにしても、
ツイッターにしても、
フェイスブックにしても、
日記にしても、
家計簿にしても
語学や資格取得の勉強にしても
スポーツジムにしても、
必ずしも継続せずともよし!!
かじってみるだけでよし!!
の精神でいきませんか。
(老い先短いとはいえないまでも
もう、折り返してはいるんですからね 笑)
気負わず、ゆるーく、ストレスなく。
背中を押してくれる良書です。
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