「安心」「安定」への未練、捨てましょか。

この年になってわかったことの一つに、
人間ってのは、どうも、


自分が物ごころついた時に
すでに存在していたものは、
太古から存在していたように
思い込んでしまうものだ



ということです。


たとえば、年金制度。


ここんとこ、ずっーと、
「年金は危ない!」
「年金制度は崩壊している!」と言われてきて


あああ、ずっとうまくいってきたのに
なんで今ごろダメになるかなあ!?



と不満タラタラでしたが、
ちょっと調べてみると(Wikipedia ですけどね)

国民年金法の適用によって
国民皆年金制度が確立したのは、1961年。


なんと、わたしと同い年でしたよ。

さらに

年金制度改正により基礎年金制度が導入され、
現在の年金制度の骨格ができたのが、1985年。


あらま。そのころ、わたしすでに24歳でしたよ。


いやあ。年金制度、意外に若いのね。
(十分にオバサンという意見もあるでしょうが 笑)


つまりわたしの母は、たっぷり年金をもらっているけれど、
わたしの祖母は、年金をもらわず(制度がないので当然ですが)
家族による「私的扶養」によって老後を過ごしたわけです。


「何を今ごろ、そんなことで驚いてんの?いい歳こいて!」と笑われそうですが、


年金による「安心」が与えられないのは
今の現役世代とその子たちだけ。



と考えるより、


年金による「安心」が与えられたのは、
わたしの親という限定世代のみ。



と考えたほうがより正確なんじゃないだろうか、と思った次第です。


つかの間の安心。つかの間の安定だったのねーと。


そういえば、終身雇用も、一億総中流も、
社員皆正社員も、大学出皆一流企業も、男性皆肉食系も、
つかの間の安心、つかの間の安定でしたものね。

これまでも、わたしたちは
それまで漠然と信じていた「安定」や「安心」を
心もとなく感じたり、実際に失ったりしてきましたけど、
今は、「安全」という「神話」まで失ってしまいました。
あまりにもむごい自然の暴力と
原発から放出され続ける放射線物質によって。

「水と安全はタダ!」とは思わないものの、
「水と安全は比較的簡単に手に入る」と思ってきた人間にとっては、
どうにも居心地の悪い、どうにも先の見えない、
自分が古ぼけたガラクタに思えるツライ時代です。

そうそう。話はかわりますが、
NHKの「世界ふれあい街歩き」で
ブラジル・マナウスの人々の暮らしを見ました。

ブラジルといえば、
今や、日本なんて目じゃないほどの大躍進国家ですが、
多くの男たちが上半身裸で労働し、
女たちが洗濯物をタライでゴシゴシと洗っていました。


体を張って生きる。


やっぱり、人間。そこでしょうか。基本は。


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「過渡期」を愛して、人生の質を上げる!

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長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ~うわめづかい

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