希望的観測はなぜいつも裏切られる?!

深夜のテレビ番組で島田秀平氏が、
芸人さんの手相を診断していました。

ソファに寝転んでいた姿勢を
よっこらしょと縦にして、
メガネを額までずり上げ、老眼にむちうって、
「どれどれ?」と掌を見つめ、

「カリスマ線は・・・」「あー、あるある」
「人気線は・・・」「あー、あるある」
「仕事線は・・・」「あー、あるある」
とあるある大辞典になって喜色満面のわが夫。
しかし、すでに52歳。


いつカリスマになるつもりなのか。
いつ人気を集めるつもりなのか。
いつ仕事でブレークするつもりなのか。


死後?


ま、それはさておき、
人間というのは、いくつになっても、
状況はどうであれ希望をもって生きたいものですね!


しかし。

そんなポジティブなムードに水をさすのもあれですが、
希望って、これといったカタチがないだけに曲者でもありますよ。


たとえば、夫婦そろってチョー丼勘定で
赤字なのはうすうすわかってはいるが、
家計簿にして数字を直視していないときの
直視していないことによる、
「なんとかなるさ」的楽観とか。


明日の試験、
教科書はちっとも読んでいないけれど、
読んでいないからこそ、
「やれそうな気がする!」的楽観とか。


自分の人生。プランは立てていないが、
プランを立てていないからこそ、
「大きなことが、できそうな気がする!」的自負とか。


ま、そういう類の
可愛い、人間味あふれる、憎めない希望的観測たち。



生まれて半世紀たって
このわたしにも、ようやくわかってきましたが、
そういった可愛い希望的観測は、
ほぼ、確実に、裏切られますね。


以前もご紹介しましたが、
このところ再評価の機運高まる梅棹忠夫氏は、
その著「知的生産の技術」で
カードを用いた情報整理について


わたしたちにはいつも
無限の世界とのつながりを
心のささえにしているようなところがあるらしい。

カードはその幻想をこわしてしまうのである。

無限にゆたかであるはずの
わたしたちの知識や思想を
貧弱な物量のかたちにかえて、
われわれの目の前につきつけてしまうのである。



と書いています。

カードの部分を、
家計簿とか、帳簿とか、
目標リストとか、スケジュール、行程表などに変えても
同じことがいえるかもしれませんね。


カードをつかうには、
有限性に対する恐怖にうちかつだけの
精神の強度が必要である。



ですって。ちょっと言い回しが難しいけども、
まあ、そのようなことのようです。



希望を現実に変える「強さ」って、
自分なりの「直視力」かもしれませんね。




ほら、冷蔵庫を直視して書いた「買い物メモ」だって、
あるとないじゃ大違いじゃないですか。
直視しましょう。手相もいいけど、できれば手相以外も(笑)。

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前回の記事「オシャレの功罪を見極める」には
たくさんのコメントありがとうございます。
何度も読み返しました。
やさしい心遣いを感じる文章ばかりで、本当にありがたかったです。
「装うこと」「こだわること」については
目下、発酵&熟成中です(笑)また記事にしますね。
そうそう。あっころさんは、ブログで記事にもしてくださいました。
よければ、お読みください。


【関連記事】ウメサオタダオ展以来、凝ってます。こちらも触発された記事です♪
「なんのために?」の発想が邪魔をする。

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ?うわめづかい

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