「カッコいいおばあちゃんになりたい」とか、
そういった「なりたいおばあちゃん像」を語るのは、
女性が語る「未来の憧れ」の最後を飾るものかもしれませんね。
「こんな高校生になりたい」
「こんな美人になりたい」
「こんなパティシエになりたい」
「こんなお嫁さんになりたい」
「こんなお母さんになりたい」
「こんな大人の女になりたい」
などなど、
今の自分のちょっと先を思い描いて語る「憧れ像」の数々。
振り返ると、そのどれにもなれなかった「憧れの残骸」の数々。
その最後の砦ともいえるのが、
こんなおばあちゃんになりたい。
すでにおばあちゃんになってしまっている人は
「こんなおばあちゃんになりたい」とは
あんまり言わないと思うので、
やはり、
こんなおばあちゃんになりたい、と
夢見るように語れるのは、
若者として駆け抜けるレースの
最終ゴールラインぎりぎりあたりにいる証拠かもしれません。
ゴール寸前、レースは終了間近ともいえるし、
それでもなおレース途中ともいえる
ビミョーな時期。
どのように生きれば、
スイートな老女になれるか。
宮迫千鶴さんは50歳前後という、
やはりビミョーな時期に、
そう、自分に問いかけています。
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トシをとって
「甘い感じ」になるためには
何をすればよいのだろうか。
(中略)
「甘い感じ」というのは、
他人向けのものでなく、
その女性が長い歳月のなかで大切にしてきたロマンティシズムであり、
それが老いという最終の実りの季節を迎えて
あたかも長く寝かせた葡萄酒のように
ふくいくとした香りとなって漂っている。
そういう「甘さ」なのである。
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その「甘さ」いい!
「可愛さ」じゃなくて「甘さ」だ。
そうだ、そうだ。いい、いい!
と思わず膝を打った方、多いんじゃないでしょうか。
上記は、「美しい庭のように老いる―私の憧れの老女たち」という本のなかの文章です。
しかし、すでにご承知かもしれませんが、
宮迫さんはスイートな老女にも、
ビターな老女にもなることはありませんでした。
2008年、60歳で亡くなったからです。
60歳。
「老いの新入生」にすらならないままに、
この世を去ってしまわれたんですね。
本のなかでは
キャサリン・ヘップバーンや
ジョージア・オキーフなど
最後まで甘さを残して老いを生ききった老女たちが、
共感とともに語られています。
(いずれもわたしのようなある種の「老女マニア」には
たまらん存在ですな)
50歳目前のわたしに「憧れ」を与えてくれた
宮迫さんに深く感謝します。
★こちらは遺稿集。
タイトルを『あら、死んじゃったわ』にしようと提案したところ、
出版社に「いくらなんでもそれは」と拒否されて
「楽園の歳月」になったそうです。
Diaries of Klee Society に書かれていました。
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