小学校3年生のころから
ずっとつきあっているKちゃんが、
ちょっと家族の元を離れて(いわゆるプチ家出ですな)
長野県でワークショップを受けたそうです。
カウンセラーの先生ともお話したそうですが、
そのとき、不意に、
ああ、もう心のことはいいや。
わたしはもう十分に心を見つめてきた。
これ以上、心を見つめても幸せになれない。
と思い、ワークショップを切り上げて
湯治場でゆっくりとお湯につかり(約10日間という豪胆さ!)
そこらへんを散策し、
一人で思いっきり泣いたりして
私にも名物のお焼きを送ってくれたりして、
(切干大根、野沢菜、かぼちゃ、あんこの4種)
途中、キャッシュカードを紛失したりして、
新しい自分になれたわけでもなく、
家に帰ってきたと言っていました。
ああ、もう心のことはいいや。
という言葉が、
ちょうど、わたしの考えていたことと重なり、
「不惑の40代を超えて、なお
惑いまくっている自分たちってどうよ問題」
とともに泣き笑いするように
長崎弁で熱く語りあいましたよ。
「ああ、もう心のことは、いいや」も
だから正確には、
「ああ、もう心のことは、よか」ですね(笑)
Kちゃんとは別に、
わたしも心について考えていたと書きましたが、
実際に、何カ月か前の新聞の切り抜きを手元に置いていました。
産経新聞に俳人の坪内稔典さんが連載している
「モーロクのススメ」の第72回。
心を小さく。
と題された文章です。
そこではカリエスで寝たきりになった正岡子規の言葉が
紹介されているんですが、
勝手ながら、ちょっと引用しますね。
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ある日、痛みをこらえながらも
枕もとの金魚鉢を眺めて言う。
「痛いことも痛いが、綺麗なことも綺麗じゃ」
この言葉(表現)がこの時の子規の心のすべてである。
--------------
次第に心の比重を軽くし、
行動や表現が彼の心そのものであり、
それ以外には心を認めなかったように見える。
(そして、彼の病床は)
まさに先客万来、明るく弾んでいた。
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ああ、すごい。子規はすごい。
僭越ですが、
わたしも、「心のことは、よか」の方針で
生きたいと思っていたところです!
悩みや不安などに心が占領されそうになるとき、
そっち方面へ全面展開しそうになる心に、
「もうよか、よか。そっち方面に行かんでよか」とやんわりと告げ、
「いやいや、これが解決しないと何事も始まらない」という
心の訴えに過剰に耳を貸さず、
いつもと同じように
ブツブツ言いながらも食事を作り、片づけ、洗濯をし、
仕事をし、銀行に行き、世間話をし、笑いあい、
たまには悪口も言い、テレビを見て、ソファでうたたねして、
自分以外の何かに感動して、
「ああ、いいお湯だ」と言いながら風呂に入って寝る。
そんなふうに「いつもと同じような毎日」を送るために
この心を使いたいです。
いつもと同じように働き、
いつもと同じように語り、
いつもと同じように笑う。
そうやって死ぬまで生きられたら最高だー。
生き方も考え方も人それぞれですが、
わたしは、心を小さく、つねに体を動かして
生きていきたいなあ。
どこまでできるかわかんないけど、
その練習をしておきたいっす。
なーんてことを
レンジで熱くしすぎたカボチャのお焼きで
口の中をやけどしながら、
ハフハフと思った週末でした。
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