お正月と寂しさ、の問題。

寂しい、という感覚は、
こう、呼吸する胸の内側に
いつでも、ぴったりとくっついていて
ちょっとした拍子に胸の表裏が裏返ったら、
もう全身が寂しさで窒息しそうになる、
ちょっと油断したら襲いかかってくる、
なんか、そんな感じのものですね~。


自分自身が寂しい。


というのもありますが、


肉親や友人の寂しさを思う。


という場合もあって、
耐えるにしろ、寄りそうにしろ、
賑やかすにしろ、紛らわすにしろ、
それなりに心もエネルギーも使いますよね。

これは、わたしに限ってのことかもしれませんが、

肉親を含めて


自分以外のだれかの寂しさを埋めようしても、
あんまりうまくいかなかったな。



というのがこれまでの正直な感想です。

もちろんいっしょにいることによって
たとえば、老いた親とわたしの寂しさを
ともに紛らわせることができるわけですから、
それで十分ともいえるんですが、

でも、


寂しいだろうなと思って一緒にいてくれる人に、
寂しさのほんとのところは埋められない。



といいましょうか。

「ああ、寂しいだろうから、いっしょにいてあげなくては!」的感覚は、
どちらにとっても、なんかちょっと幸せじゃなかったり、
どこかで、たがいに、何かを我慢していたりして、
それなら「寂しいほうがいいや」ってことも多いように思います。


今年のお正月は、
故郷の長崎に帰らなかったので、
一人暮らしの姉は、ほぼ一人でお正月を過ごしたのですが、
電話でこんなことを言っていました。



「お正月を一人で過ごすのは、初めてのことやけん
寂しかやろうね~と思うとったけど、
それが案外、全然、大丈夫やった。
自分でもびっくりしたよ。
これからも、お正月は、こんなふうに過ごそうか。
会うのは、別にお正月でなくてもよかけんね!
そのほうが安上がりやし!」



クラシック音楽好きの姉は、
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートやオペラを
だれにも邪魔されずに聞き、
買ってきたおせち料理を好きな時間に食べ、
韓国ドラマなんかもたっぷり見て、
本当にゆっくりしたようです。


「お正月は家族と」もいいけれど、
「お正月はひとりで」もいい。



そう思えるのは、実は、わたしにとっても
ちょっとした希望でもあります。
だれだって、いつか、一人になるんだもん。

実は昨年、
「困ってるひと」の著者・大野更紗さんとの対談で
(↑いやあ、この本は本当に素晴らしくて一気に読みました!)
糸井重里さんが、こんなことを語ってらっしゃるのを
わたくし、コピぺして保存していました。


それを再度、ここにコピペすると・・・


「寂しい」のある場所は
いちばん触っちゃいけない粘膜です。
そこのところにひとつブルーシートをかけると
解決可能な、処理ができる問題だけになっていきますよね。
紛らわすことも含めてね。



いちばん触っちゃいけない粘膜。そうだ、そうだなあ。


わたしは姉の
「寂しい」のある場所には、
これからも触れず、
姉にもわたしの「寂しい」のある場所には
触れないようにやんわりと仕向け、
でも互いを大事に思いつつ、
ときに一緒に、ときに別々に過ごし、
楽しく語らいながら
生きていきたいなあと思っています。


いやあ、今年は、地味でしたが、
味わい深いお正月でした。


【関連記事】こちらも姉が登場します~。よければ、どうぞ♪
カチンとくるのはなぜ?「会話というバトル」。

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
長大な巻物のようになっていますが(笑)最古記事から読んでいただくと面白いですよ♪うわめづかい

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