瞬間、瞬間をよろこびきる!


今年は「がっつり仕事する!」と
思い定めてがんばってるんですが、
そうすると、一週間が瞬く間に過ぎてしまって
ブログを書く時間がとれませんでした。

間が空いてしまって大変、申し訳ない。
みなさん、お元気に
つつがなくお過ごしでしたか?

それにしても、あれですね~。

若いころは、
「今じゃない、いつか」
「ここじゃない、どこか」
夢や希望を見出していたような気がしますが、

50歳になった今では、

「今じゃない、いつか」は
そろそろ「老後」ってことになり、
「ここじゃない、どこか」も
大規模な移住予定がない以上、
もしかして「浄土??」ってことにもなりかねず、

こう、遠い先にあるかもしれない「すごいこと」を夢想して、
気分が、パーっと盛大に
華やぐってわけにはいきませんね。

もう、こうなったら、


瞬間・瞬間のささいなことを、
とことん、喜びきる
極限まで、喜びぬく



しかないように思うんだがいかがでしょう。


簡単に未来に希望が見出せないなら
未来に未練を残さず(おかしな言い方だけども)
当然のことながら過去にも未練を残さず、
すがすがしく生きていたいものです。

最近、思うんですけどね、
意外に人生後半戦は、


瞬間・瞬間への集中力がものを言う、


のかも知れませんよ。


いろんな雑念を寄せ付けず、
すがすがしく何かに集中し、
その喜びを倍加するように
自分自身に働きかけるというか。


CIMG2173_convert_20120205172309.jpg



はい、そんなわけで、
実は、三重に住む知り合いから
殻付きの生ガキがたくさん届いたのです。

而して、ただいまより、わたくし、
蒸し牡蠣の作成に集中し、
蒸し牡蠣の摂取に集中し、
その瞬間・瞬間を最後の一滴まで喜びきる所存です。
(サザエは昼食にツボ焼きとして喜びきり済)

みなさまも今晩の夕食もしくは入浴、
もしくはテレビ観賞、もしくは晩酌などなどを
心行くまでよろこびきってお休みくださいませ。

ではでは今週は、
もう少し多めの更新をお約束して
このへんで失礼しまーす。


【関連記事】これも瞬間を喜ぶの一例ですね♪寒いけど、春はもうすぐそこだ~。
加齢とともに育つ、感動のツボ。

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「基礎関心の低下」にへこたれない。

今週は多めに更新するなんて言いながら
「口だけ番長」ぶりを発揮してしまって、すみません!

えらい人にお話を聞いたり、
えらい人にえらい人がお話を聞く場に同席し、
あまりの話の長さと部屋の温さに居眠りしそうになったりと、
波乱万丈な一週間でした。


・・・なんてことを書き連ねてもつまんないんで
話を変えますが、


そうやって仕事が終わってですね。


数人の男性陣が雑談をしているところに向かって
「お疲れさまでした~」と挨拶をしてわたしが帰る、
「お疲れさまでした~」と挨拶を返される、
そして、にこやかに笑みを浮かべて
おじぎしながら退出する道すがら

さっきの30代を中心とする男性陣の
わたしへの「お疲れさまでした~」を、
なんといえばいいのかなあと考えました。


うん。「あからさまな無関心」とでも呼べばいいか。


と思いました。(さびしい話でごめんよ)


いやいや、いやいや、
決して礼を失しているわけでなく、
決してにこやかでないこともなく、
ちゃんと、ちゃんとの挨拶なんですよ。
でもね、底辺に横たわるのがなにかって考えると、
それは、やっぱり無関心のような気がする。


無関心は、無視とは違うんですね。


無視は、関心があってこそのものだから、
「あからさまな行動」によって示されるけども、
無関心は、「意図せぬ行動」によって
あからさまに示される。

あらゆる職場で中年以上の女性たちが
「頼れる存在」に見えたり、
「お母さん的存在」として慕われたりするのも、


あからさまな無関心に鍛えられて
「仕事をする私としてのみ機能する」ことに
女性たちが意識を集中するからかな。



なーんて思ったりしましたが、
あからさまな無関心を感じるのが
私だけだったらごめん(笑)


以前、ブログに「基礎ときめき量」について書きましたが、
どうやら、「周囲の基礎関心量」も減退傾向にあるようです。


何かしら、別の「基礎」が必要ってことかもしれませんね。
(それが何かは聞かないで 笑)


【関連記事】もんのすごい昔の記事を持ってきてみました。お暇ならどうぞ♪
私が見えてない?という恐怖

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娘といる母。その解放感の秘密。

仕事帰りに電車に乗っていたら、
よく似た二人の女性が座っていました。

二人とも巻き髪のロングヘアで
顔を寄せ合って楽しそうに笑っている。
仲のいい友だち同士だな~と思い込んでいたんですが、
その後、よく見たら40代後半のお母さんと
20代前半の娘さんだとわかりました。

二人とも髪型も服装もとてもよく似ていて
ケータイの画面を見ながら
ケラケラ笑っています。

・・・とここまで書くと、


(1)母子おそろいファッションはいかがなものか。
(2)娘世代の服をそのまま着用していかがなものか。



的な「年相応にしなさいよ!批判」へ続くと思われるかもしれませんが、
そっち方面には展開しませんので、
ご安心くださいませ(心配してないか 笑)。


電車のなかで、
ケータイの画面を見て
ケラケラと笑う女性を見て、


若い自分のままでありたいと願う気持ちには、
こういう楽しみを捨てたくない、という面もあるよな~



と思ったんです。


ここでいう「こういう楽しみ」が
「どういう種類の楽しみ」か、というとですね。


「社会に対してやや無責任なポジションから、
無責任だからこそ、
おもしろがったり、大げさに驚いたり、
斬って捨てちゃえるギャル的楽しみ」



といえばいいでしょうか。

さらにわかりにくくなるだけかもしれないけど
ちょっと例をあげてみますよー。

世の中の最新機器(まあ、今ならスマホとか)に慣れ親しみ、
それらを自在に使いこなし、
そこから見える世界に
何の努力もなく慣れ親しんでいた、若いころのあの感覚。

とか、

世の中の流行や世代に共通する感覚を
これまた何の努力もなく共有し、
その感性に従って自由に行動しているような気がしていた、
若いころのあの感覚。

とか、

自分の周りに年長者が多く存在し、
全体から見て若輩に位置する自分に与えられた
やや無分別でいても許される気がしていた、
若いころのあの感覚。

とか、とか、とか。


「若さ」には外見的な優越性だけでなく、
そういった「感覚と行動」の自由も含まれていて
(当人の思い込みや甘えにすぎなかったにしてもね)
そういうものって、ちょっと手放しがたいんですよね~。


しかも無責任でありながら、
流行歌や流行服や流行スイーツのメインターゲットである!



という特典もあるし。
「年配向け」じゃなく。
「持病があっても入れる保険」の標的じゃなく(笑)。

娘さんといっしょにいるとき、
あのお母さんが解放感とともに味わっていたのは、
若いときの自分がもっていた「あの感覚」で、
それは特にファッションや音楽や
ケータイなどの最新ガジェットや
好きなタレントの話なんかをしているときに
顕著に現れるのです。

わたしも中3の娘がいるから、
すごくよくわかるんだなあ。


で、だからどうなの?と聞かれても困るんですが、
結論は特になし(笑)


物事の善悪をわきまえ、
常識を重んじ、
多少の事には動じず
年相応の振る舞いを貫く…
そんな大人になるって
とっても難しいのです。

地球上のすべての
黙って老い、死んでいった人たちは偉かったよ。←けつろん??


【関連記事】なんにせよ「受容」は大切ですな♪人気記事です。
「なってしまった人生」を受け入れる。

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「情けなさ」は大人のスパイス。


こんにちは!Carinaです!
春の気配がはっきりとしてきましたね~。

みなさんがお住まいのところはいかがですか。

大阪は、かすんだような光の色
かすかに埃っぽく明らかに微粒子含有度が上がった感じの空気、
どことなくムズムズする鼻が春の訪れを告げています。

冬から春の、この「ゆるむ」感じ
「モゾモゾ」と目に見えないところで何かが動き出す感じ。
なんともいえませんね~。
かじかんでいた体の芯のところもゆるんでくる感じがします。

ゆるみは、芽吹きや花がほころぶための「ゆるみ」でもあるんでしょうね。
わたしものトウのたったお年頃とはいえ、
ゆるんで、芽吹いて、ほころびたいぞ!
(いろいろゆるんでほしくないところも、ゆるんでるけどもーー(笑)


それにしても。


巷では、中井貴一旋風が吹き荒れていますよ。


どこの巷で吹き荒れているか、というと
わたしと、わたしの姉と、わたしの友人の間で
吹き荒れています。

友人は、まだ40代前半ですから、
この旋風、規模こそ僅少サイズではあるもの
団塊の世代からアラフォーまで巻き込んだ
3世代巻き込み型大型旋風といっても過言ではありません。


ドラマ「最後から二番目の恋」がその旋風の発生地なのは、
すでにみなさま、ご推察かもしれませんね。

それにしても40代の友人(近所に住むママ友です)も
わたしの姉も、ほぼ同じことをほめたたえるのが面白いです。


「ルックスはともかく、本当にいいよねー。
あのちょっと『情けない感じ』とか本当にうまいよねー!」



姉は長崎弁、友人は大阪弁という違いはありますが、
ま、おおむねこんな感じ。


中井さんはもちろんルックスも十分に素敵ですが、


「情けない感じ」が何とも言えず素敵!


というのは、ある程度年齢を重ねた俳優さんならではの
褒め言葉ではないでしょうか。


三浦春馬くんとか、佐藤健くんとか、
いや、ほかにもいるでしょうが、
そういった若手スターはやはり「情けなさ」より、
カッコよさとか美しさとか、はかなさとか、たくましさとか、
なんかそういった美点を表現してほしいし、
もしくは、不良っぽさとか反抗とか退廃とか堕落とか、
もっと極端な「ワル」方面を演じてくれて、
「ああ!こんな人好きになったら不幸になるのに、
好きになる~」的な女心を刺激してほしいものですが、
(いや、人によって違うかもしんないけど)

「情けなさ」っていうのは、そのどちらでもなくって
私たちが日ごろ目にしている男性たちの
弁解や虚勢や老化や惰性や責任感や妥協や自己保身なんかが
ごちゃまぜになって醸し出される「人間的な小ささ」のかたちだもんね。

それを中井さんが

不器用と表裏一体の誠実な様子で演じてくれるとき、
同じく情けない私の心に「自己肯定感」のようなものが広がるんです。


情けなくていいなあ。人間らしくていいなあ、的な。


自分の情けなさと相手の情けなさの
どちらも認めて、
どちらも温かく見つめて
虚勢を張らずにほほえんでいるって最高だ。

「情けなさ」は大人のスパイスだな。
ってか、味の深みを左右する「だし」かもな。
うまみ成分たっぷりの。

・・・なんてことを思いながら、
春を迎えようとしています。


【関連記事】主演の小泉今日子さんについても以前、書いてました。どうぞ♪
揺れて、泣いて、前を向く。

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