体験者は語る。「女の転換点」の巻。

女性たちはあまり多くを語りたがりませんが、
「閉経」というのは
やはりヒジョーに大きな転換点である、
閉経体験者として、
わたしはここに明言したいと思うのであります。


それはつまり「性欲の減退」という意味において
ヒジョーに大きな転換点なのです。



「いや、わたしはさらに増進しています!」という方も
いらっしゃるかもしれませんが、
そういう方はどうぞ、存分に存分にご増進ください。

そしてですね。

生殖に土台を置いた性欲が減退すると、
「女」であり続ける意味は、
それほどない、ともいえるんですね。


「性欲」が減退し、
「睡眠欲」も若いころほど暴走しないとなると、
残るは、「食欲」。



うん。

動物としての3大欲望の2つが減退したとなっては、
残る1つに欲望充足のためのエネルギーをすべて傾けるのも、
むべなるかな。

「おばちゃん」世代の食べ過ぎは、
怠惰の象徴のように語られるけども、
本当は、違うんだな。
今にしてわかるよ。

あれだな。絶妙なバランス感覚だな。
欲望の不足を補うためのやむを得ぬ行動だといえるな。
不足を補うという意味では、
最高のサプリメントともいえるな。うん。


とはいえ、


「女」である必要がそれほどないからといって
「男」になる、というのともちょっと違うから
これまた面白いんですね。

どういえばいいのかな。


「女」の構成要素から
不要なものは除いてしまって
「好みのものをチョイス」するといえばいいでしょうか。



女装だけ、とか。


それでもなお、
「品がいい」というのが
理想ではあるけど、
老いは、そんな、なまっちょろい、都合のいい理想なんて
ひっぺがして、壊して、ガンガン進むからね。
そして「単なるバアサン」に仕上げるからね。


とにかく、一日一日を大切にするしかありません。
ライフワークを淡々と続けるのが理想だな。
(ライフワークが何かってのも、また問題なんだが)


とうわけで、同胞の皆々様。

欲望の担い手を「食欲」に一本化せず、
上手に、分散化し、
危機を回避しましょうぞ。

肥満という、今、そこにある危機を回避するために。
(って、わたしだけ? 笑)


【関連記事】生理不順、閉経関連の記事は隠れた人気記事です♪
ある日、突然!不測の事態を心配する。

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京都に学ぶ「古さ」の活用術!


このところ、「着物でお花見」の若い人が増えていますね。

土曜日(寒かった!)、京都にお花見に出かけましたが、
襟元にマフラーをぐるぐる巻きにして、
髪はワックスでスタイリング、
足元は、がっしりとしたオデコ靴
・・・なんて着物男子もチラホラ見かけました。

祇園の花見小路だと
着物姿のグループから、
中国語の弾んだ会話が聞こえてきて、
観光都市ならではの
「多種多様な着物」が楽しかったです。

しかし、あれだな。


「古さ」の活用術は、
京都に学ぶべし、だな。




ほの暗い町屋の陰影。
意図的に守り続ける昔ながらの意匠。
若者を微笑みながら、やや冷やかに見守る懐の深さ。
田舎者を優しく突き放す、丁重な意地悪さ。
アバンギャルドをアクセントにしてしまう度量。


これ、みーんな、
「オシャレマダム」の要素と共通しているもんね。


古さを磨き、
若者に迎合せず、
田舎じみることなく、
自分の歴史に誇りを持ち、
平然とアバンギャルドを取り入れる。



日本の女性ファッション誌御用達の
「ミラノのマダム」なんかも
大ざっぱに言っちゃうと
こんな感じじゃないですか。

それにしても、ここ最近、京都に行くたびに


「先進国の歴史観光都市」になったなあ


と感じます。


歴史のある都市は世界のあちこちにあるし、
もちろん日本にも数多くありますが、


・外国人観光客(中国に限らず)からの視線
・国内観光客からの視線
・伝統工芸・芸能当事者の視線
・老舗の視線
・新規参入業者の視線
・学生など若者の視線
・古くからの住民の視線



などなど複雑な視線と利益と主張と嗜好が
「古都」といいうアイデンティティのもとで
混交し、洗練し、淘汰されている歴史都市は
そんなに多くないでしょう。

まあ、根底に「観光という商売」があるんですが、
そんな人々の欲望をも
上手にハンドリングし、
長年、住んでいる人々とも折り合っているところが、
21世紀の京都の奥深さと魅力になっているように思います。

史跡や遺跡が
その歴史的価値だけで
観光客を呼ぶことは、
もちろん先進国じゃなくてもできるけど、

「古くて刺激的」
「古くてドキドキする」
「古くて面白い」
「古いっていい!」

と、あらゆる年齢層の憧れ、遊び心、不倫心などを引き付けるのは、
やっぱり「先進国の歴史観光都市」ならではの気がします。


帰宅後、錦市場の三木鶏卵で買っただし巻き卵を食べながら
つらつら考えました。


古いものが光るためには、

・保存状態の維持にかける時間的・経済的余裕
・古びる一方でない遊び心
・新しいものの流入を刺激する魅力
・間接照明の多用(陰影礼賛!)


などなどが必要なんですよ。


古くなるばかりの私ですが、
京都ほどの人気者にはなれないまでも
京都のあり方を手本に
「古さの活用術」について
ちと工夫してみたいと思います。


【関連記事】こちらは長野県の老舗で考えたこと♪ま、似てますね(笑
人気老舗に学ぶエイジングの極意!

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「若い」という言葉の魔力を考察する。

大人の女性は、
たとえ「ええっ、若いですね!○歳くらいにしか見えませんよ!」
と心底驚かれた(ように見えた)としても


ええええっ、ほ、ほんとぉ?!
それ、本気で言ってる??
お世辞じゃない?ほんとにお世辞じゃない?
そ、そ、そんなに若く見える???
もう1回、言って。何歳に見えるか、もう1度、よーく聞こえるように言って。
そして、おーい!みんなー!よーく聞いておいてー!
わたしが、いったい、何歳に見えるのかをぉおお。
さあ、どうぞ。はい!もう1度、言ってください。大きな声で。
わ・た・し、いくつに見えましたかっ?



と、それが居酒屋ならば
手前のカウンター席から、奥のテーブルから
大将が包丁で魚をさばいている調理場から、
裏の洗い場からトイレから洗面所から、
もう居酒屋中の隅という隅にまで響き渡るような声で絶叫し
テーブルの上に乗って、
割りばしでビール瓶を叩きながら、
欣喜雀躍&狂喜乱舞してはなりませんね。

「若く見える」と言ってくれた気遣いに
感謝の意を示し、
適度に喜びつつも、
決して真に受けていないということ(←ここ大事)を、
落ち着いた声と落ち着いた表情、
落ち着いた態度で示してこそ大人の女性といえるでしょう。


それにまあ、多くの場合、
そんなに若く見えていないしね。



・・・とクールに構えていたら、
先日、居酒屋じゃなく職場で
「若く見える」と気を遣ってもらうことがあり、
そのときは、不意打ちだったにもかかわらず
落ち着いて対応したつもりだったんだが、
あとでその時の自分を振り返ると、


ムムム。もんのすごい「うれしさ」が
にじみ出てたんじゃないか。



という気がしました。


そして、


いやあ。やっぱり「若い」ってことばの魔力を
あなどっちゃいかんな。



と思いました。


念のため言っておきますが、
わたしは、ちっとも若く見えません(ガックリ)。
どこからどう見ても50歳なのは、
自分が一番、よくわかっちょります。


でも、「若い」といわれると
ある種の喜びが体を満たす。



しかも。年齢とともに
その効力が変わってくる。


もう少し前は、


若く見える ≒ 女性としてまだイケてる


だったような気がするが、


それが次第に


若く見える ≒ 仕事の仲間として違和感なし!


になってきた気がするのです。


つまり「女性の現役」から「仲間の現役」へと
意味が変わってきたんですね。
「若く見える」に求める意味が。


そしてさらに、年を重ねると
「若く見える」は、
「話が通じる現役」とか
「介護の必要のない現役」
なんかに変わっていくんだろうなあ。


人は、遅かれ早かれ、
いろんなことから「引退」していくんですが、
「若く見える」は「現役でいていい」という
周囲の合意であり、認可でもあるってことでしょうか。



だから、みんな執着するんだね~。


そう思うと、BS放送を席巻している
ありとあらゆる健康サプリメントの宣伝も
愛おしく思えてくるわたしでした。(←ちょっとウソ)


【関連記事】「若さ」についての記事は数あれど、今日はこちらで♪
「若さ」は消える。で、何が残る?

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人生を細かく刻んで、「憂い」を脱出。


40代は当然のごとくそうですが、
50代も、60代も、最近では70代、80代でも
もんのすごく元気な人が多いので、


人生のハツラツ度に年齢なんて関係なし!


という感じがしないでもないですが、
でもきっと「憂い」の含有度は、
ビミョーに増してくるんじゃないかと思います。

何が悲しいというわけでなく、
何がつらいというわけでなく、
何となく憂う気持ちといいましょうか。
人生をふりかえって
ある感慨にふけるといいましょうか。


そのビミョーに増してくる
「憂い成分」を、上手に活用すると


年を重ねた深い味わい


なんてことになり、
ヤング層にも受ける「大人の本格テイスト」に
なったりもするんでしょうが、

使い方を間違って「ひねくれ」のほうに行っちゃったり、
「ひがみ」のほうに行っちゃったり、
「ふてくされ」の方に行っちゃたり、
憂うに任せて憂い成分ダダ漏れ状態になったりする


すべてに投げやりな雰囲気


が全身から醸し出されて
あまりよろしくないオッチャン&オバチャン風情に
なっちゃうのかもしれません。

で、この「憂い」ですが、
先ごろ亡くなった吉本隆明氏の著書「人生とは何か」
私たちよりもっとずっと先輩であるところの
70代後半や80代の人の心について書いた文章を見つけて
ああ、そういうことか、と思いました。

ちょっと引用してみますね。


--------------------

「老いの先にはもう死だけで、
いいことなんて何もないじゃないか」という軌道に入ります。

ご老人というのは、
たぶん、ぜんぶ、24時間のなかのある時、ある瞬間に
そう考えて、憂鬱で
「俺はもう生きてたっていいことは何もねえんだ」
と考える軌道に入ると思います。

問題はだから、その(絶望や死の)軌道に入り込んだときに
いかにしてそれから逃れるか、脱出するかということです。


-------------------

なーるほどー。もしかしたら、
年齢とともにビミョーに増えていく「憂い成分」は、
この「死の軌道」あたりから発せられる誘因成分なのかもしれないぞ。
「ほーら。こっちの軌道にはいっちゃいなさいよ」
「もう、そのまま軌道に乗るだけだよー」みたいな誘惑の声。


で、吉本さんが、
その軌道からの脱出法を
何だとおっしゃてるかというと、



こまかく刻め、と。



------------------------------

「こまかく刻む」ことです。

憂鬱であるとか、愉快であるということの移り変わりを
うんと刻むということです。

なんでもいいんです。

つまらないことでも
感情なり、時間なりを小刻みに刻んでいくと、
それが「今日は楽しかった」ということになります。

(中略)

若いときは幸不幸とか、
鬱とそうじゃない時とを長い射程でとらえています。
だけど、年をとってからうつ病を脱出するには
長い周期じゃぜんぜん実感できないんです。

「今日は楽しかった。明日はわかんねえぜ」
ということでいいから、
そうやって細かく刻む以外ないということです。


------------------------------

いやいやいやいや。そういうことなら、
わたしゃ、もう、今のうちから
「こまかく刻みクセ」を身につけたいな。

それにしても、あれですね。

亡きターシャ・テューダーさんとか
京都・大原に住むベニシアさんとか、
料理家の辰巳芳子さんとか、
ああいった「暮らしの達人」タイプの方ってのは、


体験や時間を、こまかく刻むことの達人


ともいえるわけですねー。
だから老いて、ますます素敵なわけだー。

高齢の人だけでなく、
ちょっと弱っている人、元気をなくしている人にも
「こまかく刻む」術は役に立ちそうですね。


吉本隆明さんの著書はこちらです↓


人生とは何か人生とは何か
(2004/02)
吉本 隆明

商品詳細を見る


【関連記事】ずいぶん前ですが、こちらでも吉本さんについて書いてました♪
紙オムツして、オシャレする老後へ。

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表情が決める!「面影」の威力。


いきなり、しかも、やや古い話で恐縮ですが、
ドラマ「冬のソナタ」で、
ヨン様演じるところのチュンサンが
交通事故で亡くなったと聞き、
ユジンが、学校の廊下か階段のあたりで取り乱しながら
「思い出せない・・・チュンサンの顔を思い出せない」と
泣くシーンがありました。
(懐かしいな、冬ソナブーム。あのころ、わたしもちーっとは若かった)

あんなに劇的なシチュエーションじゃなくても、
亡くなった人の顔や、遠く離れた人の顔や
幼いころの友達の顔を思い出すことはありますが、
でも、それって改めて考えると不思議なことですね。

脳の中の目が、
脳の中で再生された、
あまり鮮明でない映像を見ているような、
鮮明でない写真をスライドにして見ているような。

チェ・ジウ演じるユジンが不安になって泣き崩れたように
脳の中に浮かぶその人の映像や姿は、
あいまいで、はかなくて、おぼろげなのに、
モノとしての「写真」以上に
その人らしいような、リアルなような感じもするような。


そもそも、わたしたちは、
人の顔を、どんなふうに覚えているんだろう?



と思っていたら、


表情ごと、覚えている。


みたいですね。


たとえば、有名人の「笑顔の写真」と「真顔の写真」を見せて、
それが誰かを当てさせる実験では、
「笑顔」のほうが当たる率が高いという結果が出たそうですよ。
(学校の先生は「真顔」のほうが正解率高し)
・・・「美人は得をするか 「顔」学入門」 (集英社新書)より


わたしたちは、


顔の「造作」と「表情」とが一体となって作り出す
視覚的なイメージ全体を
「面影」と呼んでるみたいです。



そういえば、同窓会なんかで、
何十年ぶりかに会った同窓生の
どんなところにがっかりしたり、
どんなところにがっかりされたりするのかというのも、
「面影」の変化にあるような気がするな。


脳内映像ではあんなに「笑顔」だったのに
久しぶりに会ったら
もんのすごく「悲しげ」になっていたり。
やけに「不満げ」になっていたり、
とんでもなく「腹立たしげ」になっていたりして、
長年、抱いていた面影が崩れ、
ということは、
その人に対する「統一的イメージ」が瓦解し、
まるで「別人」みたいでがっかり・・・みたいな。


すでに、あちこちで言われていることですが、

笑顔は大事ってことですね。
表情は大事ってことです。

あー。
特別なことでなくていいから、
楽しいこと、うれしいこと、好きなこと、面白いことを
テキトーに見つけて、
ちょい多めに、笑って生きていこうー。

ひとりで、ニンマリ。
ときには、ガハハ。
外ではニコッ。
あたりがちょうどいいでしょうかね。

ま、あまりに不自然な作り笑いにならない程度に
笑顔重視でまいりましょうか(*^_^*)


【関連記事】こちらも笑顔関係の記事♪よければ、どうぞ~!
笑顔はシワのもと?若さのもと?

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実録!「気取り」が露呈する恥ずかしさ。

わたしが胸を張って堂々と言えることは
そんなに多くないですが、
これだけは、ゆるぎない自信と確信をもって
正々堂々と、声を大にして、断言できることがあります。

それは、


自転車がボロである、ということです。


別の言い方をするなら、


もういい加減に自転車を買い替えてはどうか。


ってことになりましょう。


よくある白いママチャリなんですが、
たくさんの食材を山盛り積んで走れるように
大きなカゴが前後についていて、
しかも、そのカゴのあちこちのコーディングが剥げ、
見事に錆びていて
使用頻度の尋常ならぬ高さと
「手入れなし期間」の長さを
雄弁すぎるほど雄弁に、
いやんなるほど饒舌に物語っています。



で、昨日もこの自転車で美容院へ颯爽と出かけたのですが、



昨日、担当してくれた美容師さんは、
わたしのどこが気に入ったのか、
あるいは気に入らなかったのか、

カット&カラーが終わり、
荷物を受け取って
お金を払って
ちょっとなごやかに会話を交わしたら
小走りでお店のドアを開けてくれて
そのままキープして
外に出て見送るという(ま、ここまではよくあるけども)

「丁重なお見送りサービス」
さらに丁重かつ大げさにする心構えと見え、

自分(男性美容師さん)を中心に、
その左右に女性美容師さんをはべらせる形で
三人一組、一列になって
道路まで出てきて
「ありがとうございました!」と言い終わった後も、
じっと私の背中を見つめて立っています。


こ、これは、
後ろ姿が見えなくなるまで立っている
恋人デート後別離方式の採用だろうか。

であるならば、こちらとしても、
もう一度、振り向いて
微笑みながら手を振るのが礼儀なのではなかろうか。



そんなことを考える間にも、
わたしの目に前には、
刻一刻と近づく、あの自転車!(実際にはすぐそこ)

あああ。
いままで白い自転車だと思っていたけれども、
ほとんど茶色ではないか。

こうやって他人のような目で見ると
一層、みすぼらしく、貧しい姿ではないか!

振り返らないようにしつつも
目の端の方にかすかに入ってくるのは、
オサレーな美容師さん3人組!
しかも一向に、ドアを開けて中に入る気配なし。


自転車は近づく。


ここでわたしは、自分でも予期せぬ行動に出てしまったのです。
もう、何年来、行ったことのない
思春期のような行動。

長年連れ添った自転車を
まるで他人のように冷たく見送り、
スルーっと通り過ぎてしまったのです。


美容院での「気取っていたい人」から
あまりにも「ベタな買いだしオバチャン」への変化を
見られるのが嫌だったんだな、きっと。



ああ、しかし。


これが、自転車だったからよかったものの、
働きづめの毎日で疲れ、老い、小さく、みすぼらしくなってしまった
自分の親だったりしたら、どうするのか!?
知らないフリをするのか!?>わたし

・・・と問題をいたずらに大きく深刻にしてもあれなんで
これくらいでやめときますが。


あれですね~。


しばらく時間を置いて、
あたりをうかがいつつ、
ふたたび、自転車の方へと戻る挙動不審の女。
しかも、十分すぎるほど大人!!
かっこわるし~。


ボロを持つなら、堂々としろ>自分


あ。そうそう。
髪はカラーもカットも
ちゃんと提案してもらって
持参した写真通りになりました(*^_^*) 

次回は、もう少し遠いところに
自転車をとめておこうと思います。(←違うよねー、わかってるよー)


【関連記事】美容院関連の悲喜こもごもは、こちらでどうぞ♪
美容院やヘアスタイル関連のカテゴリ

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遅ればせながらピアス、の巻。

こんにちは!Carinaです!

あれですねー。
半世紀も生きていると、さすがに
「あ、あれ?いつの間にこんなに変わっちゃうの?」ってことが
たくさん出てきますねー。

パソコンやケータイなんかの
IT関連機器はもちろんそうですが、


イヤリングからピアスへの流れ


も、そうでしたよねー。

ちょっと下の世代の女性にとっては
きっと、とっても、あたりまえのことなのでしょうけど、
わたしにとっては
あれよ、あれよという間に
ピアスが一般的になって
アクセサリー売り場から
イヤリングはほとんど姿を消しちゃった印象です。

ピアスにしたいなあ~と思っても
常識も分別も身につけた大人すぎる大人の
しかも、万事小心なわたしにとっては
なんだかちょっと痛そうといいましょうか。
こんなことなら、若気の至りでやっておきたかったといいましょうか。
とっても出遅れてしまったといいましょうか。

それに、ほら。
いかに極小サイズの掘削工事とはいえ、
肉体における掘削工事という意味では
まぎれもなく掘削工事だし、

しかも穴という形状の傷口を
ふさごう、ふさごうと頑張る肉体の修復活動に対して
「いや、この穴に限っては、このままでよろしい」と
例外的な命令を下すなんて。


しかーも!


東洋医学的見地から見れば、
耳にはいろいろとツボがあるらしいし、
化膿したらイヤだし、
自分で開けるのは怖いし、
病院に行くのも、なんだか照れくさいし
そもそも、どこでやってくれるのかわからんし・・・


・・・とありとあらゆる言い訳を考えて尻込みしていましたが、


先週の土曜日、
重い腰を上げて行ってまいりましたの。



美容皮膚科に。


そして19種類のファーストピアスから
ダイヤモンドとやらを選んでまいりましたの。
(ファーストピアス込みで総額2650円也)


ショートヘアだから
ピアスにしたかったんですよねー。

後ろから見える
耳の様子が、
イヤリングだとワサワサしていてイヤだったんですよね。
しかも、痛いし。
落ちるし。

というわけで、
とっくの昔にピアス派の方や
しかも安全ピンや布団針で開けたという剛毅な方や、
これからもイヤリング派の方や
ノーアクセサリー派の方には、
まったくもっていらん情報かとは思いますが、
以下、「50歳にして初ピアス」体験を
まとめてみましょー。

-----------------------------


(1)病院は、同世代の女性も来ていてノープロブレムだった。
   (若い男性、同世代の女性、若い女性、母娘などがいて
    ピアスの多年齢化を改めて感じました
    ピアスを入口にアンチエイジングや脱毛などのお客さんを獲得したい
    美容外科は、幅広い人が来るので狙い目かもしれません)

(2)皮膚科に行ったからといって、特段、医療的な配慮はなかったよ。
   (ちょっとした解説と消毒、新品のピアッサー、
    やや遠目から見たバランス確認、落ち着いた穴あけ行為はあるが
    「ここはツボなので、やめときましょう」といったような
    健康とからめた医療的判断と処置はなし。あたりまえ?)

(3)ピアスホールは、好みの位置をイメージしてから行ったほうがよい。
   (マジックでホール位置をマークするんですが、
    ピアス慣れしていない世代は、
    他人のピアスも漫然としか見ていないので、
    耳たぶの真ん中にマークしがち。←わたしのことです。
    たぶんですが、耳たぶの「真ん中よりやや下」にした方がよい気がします。
    わたしは、看護師さんの配慮かミスか「やや下」になっていました。
    自分の耳のカタチも考えて、理想のホール位置を研究してから行くべーし)

(4)ヘアカラーやパーマは済ませておいたほうがよい。
    (ヘアカラー時の耳カバーはあるけど、ピアス直後はイヤかも。
     薬剤が入るのも避けたいのでカラーした後に行った方がよさげ)

(5)タートルセーターやニットのマフラーは
   引っかかって痛いことがあるので脱ぐときは、そろりと。

   (化粧のときのヘアバンドも引っかかるので注意~)

(6)消毒は不要というのが昨今の主流みたいね。
  (どうも最近の傾向として、ピアス後は過度に消毒はせず、
  シャワーできちんと洗い流す程度でよいということになっている模様)

-----------------------------

というわけで遅ればせながら
ピアスデビューをいたしましたのです。

この夏は、ちょっと大きめのリング状のとか、
ターコイズブルーの夏っぽいのとか、
すごーく華奢で上品なのとか
いろいろつけて
せめて耳廻りだけでも
華やかにしたいと思いまーす。

それにしても
美容系クリニックに行ったことがないので、
帰り際に看護師さんたちが「お気をつけてー」と挨拶するのが新鮮でした。
なるほど、「お大事にー」というほどでもないよなーと妙に納得。


【関連記事】かなり以前の記事ですが、よければどうぞ♪
40代こそ、アクセサリー適齢期!

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我こそは後続世代の希望!と考えてみる。

俗に「オバサン」といわれる世代になると
ちょっと何か落ち込むことが続いたり、
体調が悪くてブルーな気分が続いたりすると、
「どーせ、だれも見てないし…もう、テキトーでいい!」と投げやりになる、
「どーせ症候群」にかかりやすくなりますが、



じゃあ、本当に、だれも見ていないのか、というと
実は、そんなことはないんですよね。




たしかに男性、なかでも若い男性は
大変残念なことに
大いなる興味をもって見ることはないかもしれませんが、
少なくとも、同世代の女性は
もんのすごく見ていますよ。

何を隠そう、わたしも、
40代のいつのころからか、
街を歩く40代の女性はもちろん
50代、60代、70代、80代以上の女性まで
興味をもって見るようになりました。

30代のころまでは、
自分より、ちょっと年下からちょっと年上までが
主な関心ゾーンだったような気がするので、


年とともに急激に
関心ゾーンの年齢幅が拡大したことになります。




あれですかねえ。


現在の自分と
60代や70代の女性たちは、
明らかに地続きでつながっていて、
はるか遠くの「未来」なんかじゃなく、
早晩訪れる「現実」だと
わかっちゃったからですかね。


70代くらいの女性を
いいなあ、素敵だなあと憧れの視線で
見ることも増えました。

内田百の随筆に、
彼が大学に出勤したら
同僚の先生がヒゲをそり落としていたので驚き、
「急にヒゲをそったら困る。
あなたの顔はあなたのものでなくて
あなたの顔を見る周囲の人間のものだ」と抗議した
というような、おかしな内容のものがありますが、



わたしたちの顔や服装も
わたしたち自身のものというより、
「老いを自覚しはじめた女性たち全員のもの」と
言えなくもないかもしれません。




わたしも、自分より年上の女性を見るとき、
そこに自分の「将来への希望とヒント」を見出そうとしているもんね。


ま、輝く希望の星になるのは無理にしても
カーテン越しの薄明かりぐらいには
なりたいものです。

わたしたち自身が、続く世代の希望になりえるんですからね。(やや大げさだけども)


【関連記事】京都で見かけた女性について書いてます♪
想像力を刺激するオンナをめざせ!

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