長いスパン、を手に入れる贅沢。

「オキーフの家」という本を眺めたり、読んだり、
また眺めたり、読んだりしていたら、
心の深いところに火がともるような気がしました。

ジョージア・オキーフが、
ニューメキシコ州アビキューを訪れ、
その地に魅せられたのが、42歳のとき。
実際に移住したのは、62歳のとき。

そういえば、
ターシャ・テューダー
バーモンド州マールボロに移り住み、
あの夢のような庭と住まいを作り始めたのは、
彼女が57歳のときでした。

オキーフは、それから36年を、
ターシャは、それから35年を
それぞれにまったく異なるけれども、
自分そのものといえる「住まい」という「世界」を作りながら、
一日、一日を、おそらくは満足するかたちで生きたのです。


基本、ひとり。
ザ・大移住 & ザ・大プロジェクト。


そこに40代や50代、60代という年齢が刻まれていることに、
かつては「すごいなあ。そんな人もいるんだなあ」とだけ思っていましたが、
いまは、なんか、ちょっとだけ、その理由が、
(見当ちがいかもしれませんが)、わかるような気がします。

実は、前記事の花火を見ているときにも
その感覚をもったんですが、


目の前に広がる「時のあり方」が、
変わってきているのを感じるんです。



どういったらいいのかな。

ちょっと前までは、
受験や就職や恋愛や結婚や出産など
どうやら自分が通過することになっている「区切り」を
やはり、どこかに想定していて、
それに対する持ち時間とか、
それに対する猶予とか、締め切りなんかで
小刻みに仕切られている「スケジュール帳」を手にしていた感じ。

それが、いま、自分の前には、ない。
(ま、日々の仕事の締め切りとか、
子ども関係とか、介護とかもろもろを想定すると、
それなりにはあるけども)

自分の人生を大きく変える
社会的に要請される通過儀礼的「区切り」はない。
でも、時間はありそうだ。
もしかしたら、30年とか、
ひょっとすると、40年とか。


この、時間の、たっぷり感。
区切られていない、長いスパンのたっぷり感は
やや持て余す「空漠感」と紙一重ではあるものの、
ムクムクとやる気を刺激してもくれる。



じっくり構えれば、いろんなことができるんじゃないの感、
といえばいいでしょうか。


しかも、そこでは、
ビジネス書に書かれているリーダーシップ術とか
コミュニケーションスキルなんかじゃなく、

ましてや、ちょっとした馬力とか小器用さとか、
涙こらえた自己犠牲とかでなく、

自分で自分を楽しませる
毎日の、日々の、暮らしそのもの、
細やかな創作そのもの、
その積み重ねがものを言いそうだ。
若いときの「社会適応重視」の勝負とはまた
違うところも面白そうだ。

才能があった、
それゆえに財力もあったでしょうが、
ジョージア・オキーフも
ターシャ・テューダーも
なかなかに生きにくい「頑固な女」であったでしょう。


誰はばからず、自分の世界を手に入れるときが来た。


と40代で、50代で、
運命の地を前に仁王立ちして、
心のなかで高らかに宣言したかもしれません。

長いスパンを手に入れた!と直観する日のために
やるべきことを練りに練っておくのもいいかもね。
(気宇壮大、規模僅少でよし)

わたしにとっては、このブログもそうです。
コツコツコツコツ書いてきたら、
自分自身が開放的になり、
見える風景も変わってきました。
たっぷりある時間を「空漠」ととらえず
「持ち時間」として楽しめそうな気がしています。
ちょっとだけだけどね(笑)

↓モノクロなのに、目を閉じると「日干しレンガ」の色が見えます。翻訳は江國香織氏。




【関連記事】マイケル・ジャクソンの亡くなったころの記事でした。ターシャに触れています。
40代、時間を味方につけたい。

こちらから過去記事一覧をご覧いただけます。
一覧のページがすでに2ページになっていて自分がびっくり♪
リンク切れなどもあると思いますが、よかったらどうぞうわめづかい

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