子どもは「人間の小ささ」を見抜くプロだからなあ。

 

小学校3年生のときの担任の先生は、

当時40代後半ぐらいの女の先生で、

下校前には、あまり上手でないオルガンを弾き、

あまり上手でない歌を歌ってくださり、

それに合わせて私たちも歌を大声で歌わなければならず、

ダメ出しも長くて「まいったなー」と毎回、思っていました。

 

ある日、友だちの家で遊んだかえり、

酒屋さんの前を通ったら、

のれんの向こうでワンカップの日本酒を

グイグイと一気飲みしている先生の姿が見えました。

 

 

あ、先生だ。

 

 

と思いました。

 

子どもながらに、「そういうこともあるんだろう」と思いました。

なんかよーわからんけど、

先生に「昨日、見ました!!」とは言っちゃいけんぞとも思いました。

(飲んでいる顔は学校で見るどの顔よりもキマッてました)

 

 

そんなふうに先生っていうのは、

人間の陰影というか、

どっちかっていうと「小ささ」を教える存在なんじゃなかろうか。

その意味で大変に因果な商売というか、

引き受けていただいてまことにありがたいというか。

 

 

教えるって行為が「正しい」もんだから、

どうしても存在の「卑小さ」が目立つ。

どんなに器の大きい人でも目立つ。


 

わたしなんか、いつだって

「この先生は、最後の最後、逃げるタイプだな」とか、

「この先生は、いろいろなことが面倒くさいんだな」とか、

「この先生は、あんま、この仕事、好きじゃないな」とか、

そういうことを、もう、感じまくっていましたもん。

 

 

でも、その合間から、かすかにのぞく、温かさ、やわらかさ、面白さ、

なんだかいっしょに笑ってくれそうな気配、

わたしの言葉を聞いてくれそうな雰囲気、

自分が間違ったら「ごめん」って謝ってくれそうな感じ。

本当は面倒だけど、しぶしぶでもつきあってくれそうな人のよさ。

そういうものを探し出して好きになりたい。

ほんとにもう、好きになりたい。

先生にも好きになってほしい。できうれば。

そんなふうに思っていたなあ。

 

 


一点のくもりもない敬意なんて

どの先生にも(どの大人にも)、

一度も、もったことないですよ。

 

 

 

でも、ごちゃまぜの、不純物たっぷりの敬意みたいなものはあるんですね。

酒屋さんで一気飲みしていた先生に対してもそれなりにある。

「ああ、あの人もつらかったんだ」

「でも、がんばっていたんだ」・・・みたいな、

そんな想像の過程を経て少しずつ、

いろいろな大人に対して敬意が熟成される。

 


自分の親だって、その「小ささ」と「せこさ」をわかった後のほうが、

敬意も深まったもんな。

偉かったと。小さかったけど偉かった、よく生きた。がんばったと。

「卑小さ」を理解せずして敬意なし!と言いたい。

 

 

昔からずっとそうで、いまもそうですが、

「しつけ」とか「威厳」とかにことさら積極的な人が苦手なのは、

「透けて見える自分の小ささ」に鈍感だと感じるからかも。

 

 

自分という人間の「小ささ」が露呈していることに

正直かつ真摯な大人から学びたいです。

わたしは。

すでに大人になっちまっているけども(笑)

かつての子ども代表として。



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「Tomi*さんの最適解。・・・白髪とコムデギャルソンとヤフオクと」は、
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【関連する記事】こちらは病院の先生ですが、先生つながりで(^_^)
感情の「ひとつ手前」に伝えるべきことはあるのかも。

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