「質問」は、思った以上にいろいろなことを映し出す。

 

たとえばの話ですが、

親戚や友人が遊びに来て

みんなで食事をしたとしますね。

 

 

「じゃあ、みんなで片付けましょう」となる。

 

 

当然、お客さんたちは、

その家の「台所の片づけルール」を知らないので、

 

 

「これはどこに片づける?」

「これはこの洗剤を使えばいい?」

「ふきんは、どれを使う?」などなど質問の嵐になり、

 

 

その家の台所の主は、

 

 

「それはこっちでいいよ」

「ああ、それは後でやるから置いておいて」

「ああ、その棚の2番目」などと

瞬時に「答えの伝わりやすさ」と「手間」を計りにかけたうえで

決断し、即答することになります。

 

 

台所ルールを詳細に伝えると時間が延びそうなので

「置いておいて」「いいよ、ありがとう」の連発になることもありますね。

あんまり片付いていない棚の中を見られたくない場合もあったりするし。

 

 

・・・とまあ、

こういう場面を経験した人は大勢いると思いますが、

質問に答えるって、なかなかにして面倒なことなんですよねー。

だから、「もう、いいよ、いいよ。気を遣わないで置いておいて!」

と言うことに決めている人も大勢いるでしょう。

(まあ、このあたりは、人それぞれですね)

 

 

尋ねられたことを受けとめて

答えを出して、指示を出すって、

たかがご飯の後片付けのような些細なことでも、

思ったよりエネルギーを使うんだなあと思います。

 

 

それに比べて質問するのは、

あんまりエネルギーを使わないですね。

 

 

「わからない」→「聞く」→「答えを待つ」→「何も考えず従う」

は、たぶん、あんまりエネルギーを使わない。

 

 

「尋ねられる」→「考える」→「迷う」→「決める」→「答えを伝える」

に比べると圧倒的に少ないと思うな。

 

 

いや、ほんと、人生の一大事じゃなくても

「コーヒーにするか、紅茶にするか」

「電車の空いている席に座るか、立っておくか」とか

そんなことでも誰かと一緒にいるときに「決める」場合は、

エネルギー消費は、それなりにあるんじゃないかな。

 

 

さきほどの台所の例を再び持ち出しますが、

 

 

「ふきんは、これを使っておくけどいいかな」とか、

「お皿はとりあえずすべて洗って、

テーブルの上に置いておくけど、それでいいか?」など、

 

 

自分なりの方針を決めて

その上で「イエスノー」で答えられるようにして

尋ねてもらえるとぐっと楽になります。

 

 

おぬし、できるな感が、増します。実務家だなと思います。

 

 

「疑問に感じたこと」と「質問すること」の間に

自分なりの「仮説」と「対応」のプランがあって

「それで進めるけど、いい?」と尋ねる。

「仮説」は、相手の状況を想像しないとたてられないので、

相手の「決断」の一部を肩代わりしてくれることでもあるんですよね。

 

 

そういう人なら、

その台所の主が「一切、人の手が入るのを嫌う人」だと判断したら、

また別の対応をするでしょう。

 

 

仕事の上であれ

日常生活であれ、

「質問の仕方」って

いろいろなことを映しだすなあと思います。

一番、映しだされるのは、

想像力なのかもしれません。




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