20代から50代ぐらいまでは同世代とも考えられる、という発見。


先週の水曜日、電車に乗り遅れそうだったので、
改札に財布をガッと押し当て、
階段をガッと走りのぼって(ちょっと息切れしたけど)
何とか間にあって、ほっとしたとき、
ふと思いました。


若いとか、もう年だ、というけれど、


20代から50代ぐらいの間って
ほぼ同世代と考えちゃってよくないか、と。



この20代から50代っていうのは
ざっくりした言い方にすぎず、
10代後半から50代なのかもしれないし、
20代から60代なのかもしれないし、
もっと短いのかもしれないけども、


容姿の変化と生殖能力を除けば、
あまり変わらないぞ、と。
日常生活において基本的に
若いときと比べて不便なことがないのなら
ことさら意識することもないんじゃないかと
ハーハー息をしながら思ったのです。


もちろん、年とともに走る速度は遅くなるだろうし、
転倒したり、息が上がったりするようもなるでしょうし、
トレーニングによって個人差も生まれるでしょうけど、


傍から見て不恰好であったとしても
「急ごう!」と思ったときに
その気持ちのままに走れるなら、
それは、何でもできるってことじゃないかと。


30代後半あたりから年齢のことを意識しすぎる無意味を
「走る」ということから考えたわけです。


よほどのことがない限り、
「疾走する80代」「跳躍する90代」を
目にすることはありません。


疾走すること。
跳躍すること。
スポーツとしてでなく、
日常行為として、感情の発露として走り、跳ぶこと。
小走りであっても、小躍りであったとしても。



それらが可能な間に、
ことさら「老い」を語るのは、
小さな差異の優劣遊びなのかもしれない。
あるいは、なくしたものを数える感傷遊びとか。


ま、容姿と生殖能力に最大の価値を置くなら、
その違いは絶対的ですけどね。


「走り出したい気持ち」を
「走る」という行為で表現できなくなるなど、
「気持ち」と「行為」が
世間体や性格ゆえでなく、
肉体的に(健康であっても)不可能になる。
それが、老いだとすれば、
まだ嘆く時期はもっと先にとっておいてもいいのかも。


いまの若い人たちが
「老いた気分」の先取りをしなくてすむように、という意味でも、
そんなことを思います。





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【関連記事】しかし、こういうものでもありますね。
自分の年齢には多分、誰も慣れていない。

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