服と自分の関係も「折り合い」か。私の理想は、戦場カメラマン。


自分がなりたい雰囲気やイメージを語るとき、
どうしてもファッション誌風の言葉を使ってしまいますが、
それだけだと理想イメージの全貌を
なかなか伝えられなくないですか。


とくに中年以上になると
モデルさんという「ファッション」純度の高い人との格差が
大きく開いてしまって
「ああ。どんな言葉でも伝えられない!」なんて
ガックリしてしまうこともあるし。


ファッション純度の高いイメージを理想にしたとしても
程度の差こそあれ衰えてきた容姿が
そこはかとなく、にじみでる生活感が
思慮深さと紙一重の底意地の悪さが
これまでの苦労や思考の傾向が
なんかもう、びっくりするほど雄弁に
いろいろと物語ってしまい、
めざした雰囲気を食い破って
エイリアンのごとく体外に出て主張するというか。


・・・って自分のことですけどね。


そういうことをふまえた上で、
わたしが「こうなりたい」と
理想とするのはですね。


テキトーに着ているようだけど
極端にダサくはなく、
それなりに、まあ、そこそこ似合っている服装をして、
でも、心は「自分がどう見えているか」にはなくて
ほかのことに集中している感じ。



です!


あえていうなら、


「戦場カメラマン風」とでもいいますか。


いや、服装そのものが、じゃなくて
「服装」と「自分自身」の距離が。


ザクッと着ていて
自分以外のものに
夢中な感じ。


「自分がどんな印象を与えているか」
「どう見られているか」から
意識が離れている感じ。



それが理想です!
でさ、ブサイクでいいからさ、
生き生きしていたいわーー!!(高望み)


ジャケットとか
バサッと脱いで
土の上に無造作に置いちゃえる感じといいましょうか。
それぐらいの感じで
服とつきあっていきたいな。
(単なる衛生観念の欠如か)


なーーんていいながら、
そんなにアクティブな暮らし、
まったくしていないんですけどね(笑)


ただ、思うのは、
オシャレや服装を語るとき、
「服」と「自分自身」の距離から発想することって
意外に少ないなあということです。


でも、きっと一人ひとり違うよ。
この距離。


服が布団の人、
服が制服の人、
服が皮膚の人、
服が遊び場な人、
服が鎧の人、
服がクジャクの羽根の人、
服がカンバスな人、
服が心地よい愛撫の人・・・とか。


ボンテージや
コスプレなどの
象徴的な例でなくても
一人ひとり、
「服」と「自分自身」の距離というのがあるんだな、きっと。
そして、いろいろだから、いいんだな。


そう考えると
ファッションって、着こなしを超えて
面白い。


服とも仲の良い「関係」や「折り合い」を見つけるのが、
幸せなんだろうなあと思いますよ。





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