お正月、「フルコース」か。「アラカルト」か。



29日から1日の朝まで
長崎の実家で過ごしました。

年末にお墓参りなどをして
元日には大阪に帰ってくるので
このところ、わたしの年末年始は、
「クリスマス~年末重視型」です。


なかには、

・元日に着くように年賀状を出す
・すみずみまで大掃除をする
・正月の飾りつけに力を入れる
・おせち料理を手作りする
・一族郎党が集まり、盛大に新年会を開く
・晴れ着を着て初詣や年始の挨拶に行く



という「お正月フルコース型」の人もいることでしょう。


一方、大晦日ぎりぎりまで働いている人には、
「お正月骨休め重視型」も多いでしょうね。
「お正月福袋重視型」
「年末年始リゾートホテル滞在型」
「年末年始海外旅行恒例型」
「実家(義理含む)帰省気づかい型」なんて人もいるかな。


わたしが、元日の朝9時に入った
駅前のファミリーレストランには、
観光客にまじって
夜勤明けと思われる作業着姿の中年男性や
これから仕事に向かうのであろう中年女性が
パンケーキ・モーニングを食べていました。


「働いた大晦日」と「働く元日」が
「旅する元日」に混ざっている風景。
日常的でかっこよかったですよ。
元日パンケーキ、ありだな。


それにしても、
お正月をフルコースで楽しむのは、
なかなか難しくなりましたね。


アラカルトで楽しむ、つもりでいたほうがいいですねー。


お正月飾り
おせち料理
晴れ着
年賀状
お年玉
初詣
初売り


どれも気分が盛り上がるけど、
どれもやるのは大変なので
自分の「大事にしたいもの」を
ピックアップして
「伝統」や「儀式」に敬意を払いつつ、
「自分にとって重荷なもの」は
少しずつ減らしたり、
もう、やらないことにする。


もう実行済の人も多いでしょうが、
簡略化するときは、すべてをなし崩しにやめていくのでなく、
「象徴性」や「儀式性」を大切にして
自分なりのルールを作ると
心残りがなくてよさそうだ。
「やらなくちゃいけないのに、やれなかった」とか
「やりたいけど、できなかった」と思わないためにも。



「新年の改まる気持ち」を
最小限の労力で最大限に味わう。




わたしの場合、
年末重視型が、まだしばらく続きそうですが、
アラカルト型のお正月を
自分なりに組み合わせて、創造して
新春の清新な気分を楽しみ続けたいなあと思います。


やっぱり、お正月が好きなんだな。


それにしても、
駅でも街でも思いましたが、
お正月も私たちは、「服の色が暗い」ですね。
黒とグレーにキャメルがちょっと入るぐらい。
男も女も、老いも若きも。
自分もそうだけど、これ、ちょっといかんですねー。


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なでさすっていればいい!家もからだも、心も。


食器洗いにも、
人それぞれのクセがあります。
スポンジの動かし方に
いつのまに~か規則性が生まれるんでしょうね。


わたしは、ご存知のように、万事、雑なんで
陶器の裏の糸底まわりとか、
鍋本体と取っ手の間のところとか、
そういうところが次第次第に汚れてきます。


満遍なく、なでさすっておけば
こうはならなかった!の一例です。



大掃除のときにも思いますね。
ふだんからテキトーであれ、雑であれ、
何らかのかたちで、なでさすっているところは、
それなりに大丈夫です。


深刻なのは、
一度たりとも、なでさすらなかったところ。
冷蔵庫の裏とか上とか、
たかーいところや
はしっこーのところ。


なでさすっておけば、
こうはならなかった!



わたしの友人の実家は、
子どもが独立したあと、
高齢のおかあさんだけが住んでいるうち、
2階全体が物置となり、
いつのまにか、天井裏から
ハクビシンか何かの小動物が入り込みました。


そう。


足を踏み入れ(足で床をなでさする)、
いやいやでも、手でなでさすらないと、
ほこりやゴミと空気中を漂う物質が結合し、
さらには、隙間から小動物などが入り込み、
いろいろと有機的な反応を起こして、
ちょっとした「野生空間」を形成してしまうのです。


わたしたちの「からだ」もそうかもしれません。
「かかと」や「せなか」、「足の爪」なんかがそう。


なでさすっておけば
こうはならなかった!



おもえば、全身エステは、
「からだ全体の一挙なでさすり」
「なでさすりの総まとめ」
ともいえますもんね。


今年は、なでさすりましょうか。


特別に力を入れずとも、
特別な薬(洗剤やクリームやもろもろのもの)を使わずとも、
なでさすってさえいれば、
ある程度の「良好さ」は保てるんじゃなかろうか。


あちこち、「なでさすり」を習慣化しようっと。


夫婦や恋人、
もしかしたら子どももそうかな。


なでさすってさえいれば、
いろいろ、おおごとにはならないのかも。
もちろん、合意のもとで。




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「初対面のシンパシー」で励ましを交換する、連帯感。


土曜日の朝、某総合病院に取材に行ったら
カメラマンの女性も
取材対象の看護師さんも
ものすごく感じのいい人だったんです。


明るくて
人懐っこい笑顔で
落ち着いていて
活力がある。


カメラマンの女性も、
わたしと会ったとたん、
ちょっと安心したように見えました。
自分より少し年上のライターが来たことに
ホッとしたんでしょうね。


その気持ち、ちょっとわかる気がします。


看護師さんは、他学科の大学を卒業し、
数年、別の分野で働いたのち、
また看護系の大学に入学しなおし
この道に進んだ人ですから、
並々ならぬ努力の人。


江利チエミさんに似た大きな目が
責任感と誠実さを物語っていました。


そんな具合で
おふたりがものすごく感じがいいので
わたしの感じのよさにも
拍車がかかりました。


初対面で感じるシンパシー。
数時間をともに過ごして
もう、この面子で会うことは二度とないでしょうが、
温かいものを感じ、
エネルギーをもらった気がしました。


励ましを交換しあった。


といえばいいでしょうか。


仕事に対してまじめで、
年齢的に、ちょっと孤独。



そんな3人が出会ったんじゃないかなあ。


帰り道、京都のまちをあるきながら
なんだか、とても幸せでした。


偶然の出会いに感謝です。


そうそう、遙洋子さんが
日経ビジネスオンラインのエッセイの最後を
こんな文章で締めていました。


知らず知らず、身を縮めて日々を過ごしていないだろうか。
もう自分の出る幕はないなどと勝手に決めつけていないだろうか。
背筋を伸ばし、気迫を胸に、あごをクイと上げて、新たな年を。




出る幕は、必ず、ある。
なければ、作りゃいい。
今年も、その気概でいきませう。




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「誘い」はときどきSOSのサイン。断る場合も流儀がある。


昨日まで忙しくて
あまり寝てなかったので
今日は、午後、昼寝をしようと決めていました。


そしたら、ピンポーン。


隣に住む70代の「コーノさんのおかあさん」が
大根とごぼう天の煮物をもってきてくれて
「もう、お昼食べた?」と言いました。


コーノさんのおかあさんは、
わたしが煮物を移して容器を返しても
まだ話したそうに玄関に立っています。
「ああ。コーノさんのおかあさんは、
もっと話したいんだなあ」とわかったけれど、
疲れていて、眠かったし、
明日からはまた連続で仕事なので
「どうぞ、上がってください」とは言わずに
玄関で長めの立ち話だけをしました。


それから1時間ぐらいあとに
コーノさんのおかあさんは、
今度は、電話でお茶に誘ってくれました。


ああ、寂しいんだな。
おしゃべりがしたいんだな。



と思ったけど、
今日だけは、コーノさんのおかあさんの
ゆったり、のんびりした話につきあう気力がなかったので
「行きたいけど仕事があるんです。ほんとにすみません!」と
心を鬼にして断りました。


コーノさんのおとうさんとおかあさんの家には、
離婚して帰ってきたおねえさんと
獣医さんからもらってきた美貌の猫ちゃんがいて、
いつも、愛くるしいものをおすそ分けしてくれます。


今日の煮物もそうだし、
ほの温いチラシ寿司も
野菜のかきあげも、そう。


冷凍していたうどん1個とか
ねぎ一把とか、
100円シリーズのお菓子とかもくれます。


コーノさんちは、
今日はおとうさんがどっかにお出かけしていて
おねえさんは仕事で
おかあさんは、ポカンと一人の時間ができたんだと思います。
そして、人恋しくなった。


ポカンとした時間に
だれかを誘うのは
勇気がいる。



コーノさんのおかあさんは、
わたしの顔を思い浮かべ、
あの煮物を「きっかけ」にしようと思いつき、
勇気を出して扉の前に立って
電話もくれたんですよね。


寂しさの呼吸があえばよかったんだけど。
そうもいかないんだなあ、これが。


こうやって書いているぐらいですから、
ちょっと気にしているわけですが、
何を気にしているのかが、いま、わかりました。


控えめなSOSに答えなかったからだ。


あー、そうだ。


「お誘い」は、ときどき、SOSのサインなのです。
そのことを覚えておこう。
それだけでも違うから。
断るにしても、流儀があるから。


何が書きたいのかわかんないまま
ダラダラと書いてきましたが、
いま、わかりました。
そういういことだったのです。


わたしも子どもが赤ちゃんのとき、
引っ越したばかりの家でひとりぼっちで
近所の人をお茶に誘う、というSOSを発したことあります。
せっぱつまっていたのか、引っ越した直後で不審がられたのか、
断られました。そのときの胸の痛さを思い出します。
ああいうのって、ささいなことなのに、痛いんですよね。




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「老いを嘆く会話」は、汎用性が高い万能薬だけに危険。


「髪を染めた」という話題から、


「もう、髪を染めるの面倒よねえ。
年をとるってつくづくイヤだ~」


という方面に話を展開するのか、


「ちょっと色変えた?
いつも、どういうふうにオーダーしてる?」



という方面に話題を展開するのか。


どちらも至極、自然な会話の入り口ですが、
それ以降の展開はまったく変わりますね。


なんで、こんなことを言うかというと、
美容院に行った翌日に
ふたりの人に会って
こんな感じのまったく違う会話になったからです。


もちろん、
どっちの展開もちっとも悪くないし、
どっちの会話も楽しいんですが、


前者の「老いを嘆く」系会話は
同世代の間では、非常に汎用性が高く、
使い勝手がよく、
誰も傷つかないし、
共感もしやすいので
常用・多用される傾向があります。
定番化しすぎる傾向がある。


会話のマンネリ化ですね。


いや、もちろん、


長い人生を経て
共通項の少なくなっていく人間同士が、
「老いを嘆く」という
究極の共通項を介して
つかの間の会話を楽しみ、
自分にも相手にもエールを贈るというのは、
コミュニケーションの知恵ですから、
それでいいんです。


が。


あまりにこの回路を常用すると
いつの間にか、大河になる。



すべての話題(支流)の水が、
「老いを嘆く」という本流に集まり、
滔々とした流れになり、
あらゆることをのみこんで
さらに大きな流れとなる。


嘆きっぱなしの会話、誕生。


生き生きとした活力は、
新陳代謝から生まれると思うのですが、
それは「からだ」だけじゃなくて
「会話」もそうなのかも。


面倒がらずに自分の頭で考えて
考えを固めず、ときには変えて…というのが
「会話」の新陳代謝には、
大事なのかなあと思いました。





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「幸せの自己生産力」とリニューアルした雑誌クウネルの懐古趣味。


わたしは、大阪に住んでいて
十三(じゅうそう)という駅で乗り換えるんですが、
神戸線に乗り換えるとき、
ちょうど正面に、
昔のお風呂屋さんの脱衣場みたいな鏡があって
そこに顔が映るんです。


下りのエスカレーターに乗る寸前。
一瞬だけ映る自分の顔。
その顔に、なぜか、毎回、ちょっとだけ期待するんですよ。


わかります?この気持ち?
他人から見たら、間違いなく、
かわりばえのしない「いつもと同じ」顔なんですが、
当の本人は、


「今日は、もしかしたら、いつもよりちょっとだけイケてるかも」
「『あら、思ったより意外にいいわ』って思えるかも」と
かすかに期待するわけです。


ほぼ毎回、その期待は裏切られ
「想像以上に、いかめしいおばさん顔」の自分がいるわけですが、
そういう「期待ポイント」が
いくつかあるのがおもしろいなあと思います。


そういう決まった「鏡ポイント」ないですかね?
まちなかの期待ポイント。
わたしは、その十三駅の鏡と
もう一つは、ある駅のトイレの全身鏡が期待ポイント。


まあ、鏡は「見ない」という
行動の断捨離があっていいのかもしれませんが、
たとえ、落胆とセットになっていても期待して見る、
というプロセスがあったほうがいいと思うな。
たまに、「あら、今日は意外にいいな」という
想定外の贈り物がもらえるこが
まったくないわけではないし。


自分が自分を見ないで
いったい、ほかのだれが見る?



ま、それはそれとして、
もうひとつ最近、不思議だなあと思うんですが、


「外で客観的に見る自分の姿が、
自分の心に与えるダメージ」以上に
幸福感を体内で創りだしている。



ことにも気づきます。


昨日なんか、特に
それから向かう仕事が別段、イヤじゃなかったし、
翌々日(つまり明日)、
仕事のついでに東京で
ウェブマガジンのメンバーとご飯を食べる予定もあるしで
鏡のなかの自分には相変わらずがっかりしたけど、
それは「ま、いいか」で済んで、
「わたしってほんとに幸せだ!!」と心の底から思いながら
駅の構内を歩きました。
(こういう感覚、若いときにはまったくなかったです)



加齢は、「幸せの自己生産力」を高めるのではないか。



これは、将来に希望のもてる「発見」なので
今後も、じっくり観察したいと思います。


それはそうと、雑誌「クウネル」がリニューアルしましたね。まったく、別物の雑誌になりました。


「50代からの大人の女性のライフスタイル誌」と書かれていますが、
そんなこと急にいわれたら
当の50代が、あわてますね(笑)
そんな雑誌じゃなかったもんね。
こういうことがコンセプトだそうです。
こういうのを「懐古趣味」というのではないか。




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「恋をしたい」という思いの箱に、みんな「物語」を飼っている。


わたしの友だちは、
近所のバーに活けてある花がどうもやぼったいので、
「ごめん。ほんとにごめんだけど、お金もなにもいらないから活けさせて!」といって
その店に花を抱えていき、
自分の気のすむように活けているらしいです


そして、


「今夜もBarに花を届けて、
歩いて帰ってくるんだけど。
月がきれいなままで雪が舞っていました」


とメールをくれました。
土曜の夜のことです。


なんですと。
BARに、花に、月に、雪ですと。


雪の舞う月夜をひとり歩く女性の姿が
目に浮かぶではありませんか。
ほどよく寂しく、ほどよく開放感。
BARの帰り道ってところが
ちょっと色気あるよねえー。


景色が「女」っぽいです。


年とともに色気は遠のくようで、遠のかないものだ。


と思います。


人によって
もう、まったく色恋を語らなくなる人もいれば、
「恋をしたい!」と言い続ける人もいれば、
実際に恋愛をする人もいれば・・・と
表れ方はさまざまですが、



新しい出会いへの希求と
みずみずしい感情の躍動への憧れ



は、男女を問わず、
きっと多くの人にあるんだろうと思います。


わたしにも、ありますよ。
感情の躍動への憧れ。



言葉にするならば、
「恋をしたい」というというのが一番近いような、
そんな得体のしれない感情の「箱」になかには、
自分だけの「物語」が眠っている。


この自分が主役として
永遠に優しく、いだかれるような
そんな極甘の「物語」をずっーーーと飼っている。


映画やドラマや小説から得た栄養を
ときに与えながら、
飼いつづける。


老いのなかには、
感情の躍動への憧れと
いたしかたない、
かすかな断念が含まれているんですねー。


憧れも断念も
よーく見つめると
柔らかいものです。


容姿は衰えても
みんな、極甘な物語の主人公。
それでいいんです。
おやすみ、全国のプリンセス。




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冬は、「脱ぎ方」「巻き方」もオシャレのうち。


出先で脱ぎ着をする機会の多い冬は、
「脱ぎ方」「はおり方」「巻き方」も
オシャレのうちですね。


いっしょに仕事をしている40代の女性は、
別に入念におしゃれをしているわけでもないし、
どっちかっていうと大ざっぱなんだろうな、
という感じの人ですが


クライアントに「失礼します」とあいさつをして
外に出たとたん、体のチカラをクタッと抜いて
私たちと感想や連絡事項などを話しつつ、
腕にかけていたチェスターコートをザクッと着て、
黒くて長い毛糸のマフラーを雑にバッグから取り出し、
グルグルグルッと巻きながら
コートの襟元にキュッキュッキュッとねじ込んでいく。


その何度も何度も繰り返しているであろう動作が
無造作で、無駄がなくて小気味いい。
巻いたあとの「ああ、あったかくなった」という表情もいい。
何もかもが、その人らしいなあと思います。
なんなら、巻き戻してもう1回見たいくらいです。


某男性ディレクターも
毎回、異なるマフラーやストールを
片手で、テキトーに巻くんですが、
その種類の多さと巻き方が
「きっと工夫には余念がないのであろう」と思わせて楽しい。
この人らしい、こだわりと美学が表れていて
いいなあ、と思います。


コートを脱ぐ。
マフラーをとる。
それをしまう。
コートを着る。
マフラーをとりだす。
マフラーを巻く。


冬のおしゃれは、この動作込み。



お座敷での飲み会なんかだと、


靴を脱ぐ。
ブーツを脱ぐ。
靴を履く。
ブーツを履く。


なんかもついてまわりますねえ。


「脱ぎ着」の動作は、とても雄弁。
異性の好き嫌いの幾分かを
こういう動作が左右しているんじゃないか、と思います。


わたしは、「無造作で、それなりにカタチになっている」が理想だけど、
自信はまったくなし。


マフラーは、ちょっと複雑な巻き方を
くるくるっとさりげなくやっちゃうのが、
やっぱり、かっこいいな。


マフラーの巻き方。イラストレーターの中島慶子さんが、
2回に分けてわかりやすく解説してくれていました。
とってもわかりやすいです。
ミラノ巻きかぎ結び


わたしも、かつて、こんな記事書いています。→ストールは、縦2つに折らずに巻く!
立体感が出ていいですよ。





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