「ケチ心」の発現に思う…大人になるって難しいのね。



小学校時代の友だちと話をしていたら、
「もう、あの小学校、全学年、ひとクラスだけ」
「少ない学年は20人もいないよ」と言われて
思った以上に少子化が進んでいる現実にびっくりしました。


そういえば、長崎の実家のまわりも
あのおばさんが亡くなり、
あのおじさんが亡くなり…。
そのあとに誰かが引っ越してくることもなく、
歯が抜けるように空き家がひとつ、ふたつと増えています。


人口減少ってこういうことなんですね。
まだまだ、こんなのは序の口か。
もっとガンガン人の姿が消えていくのか。


先日も、実家の近所でまた一人亡くなりました。


最期まで一人暮らしで
かくしゃくとしていた90代のおばさん。
母のほうが年下だったけど、
先に認知症になってしまったので
いろいろ気づかってもらったのです。


こういうとき実家に住む姉はすぐに電話してきて


「お香典は、●●円でいいよね!!」


と必ず尋ねます。


その金額は、近所の人と考えると相場より高め。
母がお世話になったことを考えると
まあ、普通だけどもっと多くてもいいという感じ。


わが一族のDNAともいえる
「ケチ心」がビミョーに出現しているんですね。
(ケチ心の話は、「贈り物。ケチの誘惑に負けるな。」にも書いています)


わたしの父も母も姉も
そしてわたしも決して
人よりケチなわけではないと思うんですよ。


思うんですけど、


どうも、「いざ!」というときにケチる傾向がある。


自分のことでもそう。
ドーンと使えない。
お金の使い方に「思想」がないんですね。
自分なりの「基準」がないんです。
だから、いざというとき
「ケチ心」のささやきに負ける。


ある種の保身ですね。
保身は、基準がないところに生まれるものです。
不安と迷いが忍び寄って心がぐらぐら揺れてしまう。



お香典を「●●円でいいよね」と聞く姉の気持ちは、
同じDNAを引き継いでいるから、
よ~くわかります。


この金額でいいかな。

もっと多いほうがいいような気もするな。

お世話になった人なんだからな。

でもなあ、そこまでしなきゃだめ?

これぐらいでいいんじゃない?

ちょっともったいない気がするもん。

妹に聞いて「いい!」って言ってもらおう。そうしよう。

そしたら安心できる!


という流れ。


でも、今回は、
ふたりでじっーーくり相談しましたよ。
お世話になった日々を思い出し、
母のかわりに感謝の気持ちを表す大切さを思い出し、
後悔のない、正々堂々とできる
金額にしようと決めました。


えらかったな、わたしたち。
姉妹そろって少しずつ大人になってる!!


しかし、どうも、思うに、
わたしは、まだまだ「大人」への道なかばですね。
(こういったお金のこと以外も、いろいろ、ほんとに道半ば)


「大人」っていうのは、
年を重ねればなれるものでなく、
「こんな場合は、こうすることにしよう」と
ひとつひとつのケースに対する自分なりの方法を
考えて、見つけて、決めて、実行することなんでしょうね。


お金の使い方もそのひとつだと思います。
がんばって大人になるかあ。




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ドラッグストアの先輩・後輩に学んだ、「気働き」の価値。


ドラッグストアのレジが急に混んできたんです。


見習い風のパートさんは、
奥の戸棚に背中をもたせかけたまま、
忙しく接客中の先輩女性に


「レジの応援、頼みます?」



「お昼、出前頼みます?」風な感じで尋ねました。


先輩は、一瞬動きを止め
ダチョウのようにグッと首を伸ばし
他のレジの状況にすばやく視線を走らせ
次の瞬間、目の前のお客さんに
作業が中断した詫びの笑顔を見せつつ
「うん。お願い」と見習いさんを見ないまま指示を出し、
お客さんからポイントカードを預かって
レジ作業を続けます。


見習いさんとダチョウ先輩の温度差がすごい。
見習いさんの「温まってない」感じがすごい。


ダチョウ先輩、ちょっとイラッとしています。
わたしも同じオバサンだから、
オバサンのイラ発生には敏感です。


見習いさんも、新人かどうかビミョーな感じなんだよなあ。
それほど慣れてはいないようだから、
いろいろ遠慮もあるんだろうけど、
せっかくレジの応援の必要性に気づいたんだから、
もうちょっと、こう、やり方があるんじゃないかなあ。


「レジの応援、頼んできますね!」と言って
瞬間的に先輩のイエス・ノーを待ちつつ、
すでにバックヤードへと応援依頼に動きはじめている
…という方法もあったはずだ。


わたしが先輩だったら
そっちのほうがありがたいなあ。


「忙しい」という状況があったとして、
「どうしますか」と判断を丸投げされると、
「考えて返事する」という手間がひとつ増えちゃうんですよね。
だから、先輩は一瞬イラッとした。


「レジの応援、頼んできますね!」と言いながら
すでに行動を開始しているのと
あんまり変わらないようだけど、
やっぱり、まったく違うんだよなあ。


後者は、


「わたしは、この状況だとレジの応援を頼むという判断をしますが
それでいいですか?よければ返事はいりません。
行ってきますね!ビュン!」なわけです。


もう次は、何も言わずに
応援を呼びに行ってくれるでしょう。
頼もしい!


質問するときは、
「次は、自分で判断できるようになるために質問する」
という意識が必要なんだな。



ああ、仕事に限らないか。
「気働き」ってそういうことですね。
「気を遣う」とは、ちょっと違う。




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「ゆとりですがなにか」。中田喜子演じる「母」を味わう楽しさも。


「ゆとりですがなにか」
見逃していたんですが、
HULUで翌日に配信されることを知り
まとめて見ました。
(HULU、えらいわー)


おもしろいシーンや
胸がすくシーンはた~くさんありますが、
主役の岡田将生氏演じる坂間正和くんのおうちが
造り酒屋っていうところもいいですね~。


むかし懐かしいホームドラマの安心感を醸し出してくれるし
(父が亡くなっているところもミソ)
これが、マンションに住む核家族だったら
もっと殺伐としそうだもんなあ。


坂間くんが、ある朝、
就活がうまくいかないといってベッドでぐずる妹に
自分もいかにうまくいっていないかを
ぶつけるように語るシーン、
よかったな。


パワハラで後輩に訴えられていること。
営業成績不振で「末端の」居酒屋チェーンに飛ばされ、
延々、焼き鳥を焼いていること。
でも、このままじゃ「何も元がとれていないから」
絶対にやめないことを宣言するシーン。


ちゃんとホームドラマのお約束らしく、
家族全員が階段で重なりあうようにして
聞き耳を立てているんだけど、
最後には、未亡人となったお母さん(中田喜子)だけが残る。


そして、たくましく育った息子を
認めるように満足げにうなずくとこ、いいなあ。


「パワハラで訴えられている」ことにも
「営業成績不振」なことにも
「末端の店で焼き鳥を焼いている」ことにも動じないで
(いや、動じるんだろうけど、ちょっと脇に置いておいて)
その覚悟や考え方にほっと安心している風情がのぞくところがいい。


つまるところ、子育てってそうですよね~。


ああ。いつの間にか、こんな考え方をして
こんな言葉をつかう人間に育った。
もしくは育とうとしている。
さまざまな葛藤を
自力で乗り越えようとしている。


そう感じられたら、成功。
これ以上の成功なし!



「ゆとり世代」のかけあいはもちろん楽しいけど
中田喜子演じる「母」が
仏壇に向かってインスタント焼きそばを食べていたり、
「かあさん、かあさん」と呼ばれてげんなりしたり、
(↑発端は焼きそばがらみ)
嫁に気を使ったり、
孫を欲しがったり・・・がまたおもしろい。


その中田喜子さん、ウィキペディアで見てみたら、
「元祖D.I.Yの女王」でしたよ。ご存知でした?わたし、知らんかったです。


D.I.Yを始めたきっかけは、ドイツ人に影響されたこと。
壁のペイント・壁紙の張り替え・ふすまの張り替え・椅子作り
椅子の張り替え・飾り窓の取り付け・パーテーション作り・
ベッドのソファーへのチェンジ等を、自分でやっている。

2015年2月には、昭和40年代に造られた古い団地である東京・高島平団地を、
団地の主婦3人とコラボして、
自らのプロデュースによりリノベーションした。

~ウィキペディアより


高島平のときの動画もありましたよ。
すごいなー。




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幸せは、生きている間が賞味期限。自己満足も、生きているうちに。


プロではなくてフツーの人で
料理上手とされている人に
「いつから料理が上手なんですか」と尋ねたら
「いついつからです!」と、
はっきり答えられるんでしょうか。


パキッとはいえないんじゃないかなあ。
「そもそも、わたしって料理上手だろうか?」と
自問しちゃう人も多いかもしれません。
来客に手料理を出すたびに
毎回、ドキドキハラハラして
表情をじっーーーと観察しているとか。
全部食べてくれるかが気になって仕方ないとか。


「いつから、こうなった」って
そんなにはっきり言えないですねー。


なんでこんなことを言うかというと
うちの娘に「18年間、ごはんを食べさせてきた」
ということに、改めてびっくりしたからです。


料理に対して研究熱心なわけでもなく、
腕を上げるために特別な努力したわけでもなく
面倒くさいなあと思いつつ料理をしてきて18年!
(自炊をはじめてからなら30年超!)


あいかわらず料理の味は一定せぬままですが、
それでも娘の友だちは
よくうちでごはんを食べてきたから、
もしかしたら、わたしが死んだあと
「料理上手のおかあさんだったね!」ってことにならないとも限りません。
(二度と食べられない懐かしい味は、それだけで美味だから!)


いやあ、
「こんな親になろう」とも
「こんな親になれた」とも
「料理がうまくなりたい!」とも
「料理の腕が上がった!」とも思わず、
区切りも何もなく、18年。


なんとなく親になって
親をやりつづけていたら、
親業が終わりそうな時期を迎えてしまい、
「親だった」ってことになってるじゃないですか。


いやいやいやいや、傍から見たら、
まぎれもなく「親」だろうけど、
最初から親だったわけではないし(そりゃそうだ)
親としての特長や個性が、いったい、いつ芽生えたのかも
定かでなし。


そうかあ。
人生ってこういうことなんだなあ。


こんなふうに区切りなく、
こんなふうに決意や方針なく
毎日何事かを繰り返していくうちに
「こういう人生だったとさ。おしまい」ってことになるんだ。


不思議なことに、まだ一度もないけど、
娘の友だちがやってきて
「料理上手なおかあさん!」って言ってくれるようなことがあったら、
謙遜したり、卑下したりしないで
生まれつき料理上手みたいな顔して
余裕のほほえみで当然のごとく受けとめよう。


だって、自分が気づかないうちに
いつの間にか料理上手になってしまっているのかもしれないもん。
予期せぬところで。気づかぬままに。


それぐらい、いろんなことの境目って
ほんとあいまいだよ。


だからこそ自己満足は、生きているうちに。


人生の賞味期限は、生きてる間。




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毎日、心を占める思いは未来への「練習」。愚痴や恨みさえも。


まじめなことを書くようですけど、
人生ってほんと毎日が練習だと思いませんか。
それも、いくつになっても。


毎日がオーディションっていってもいいかもしれませんよ。
1回勝負。同じ場面は二度とやってこない。
知らないうちにチャンスを逃していることだってあるでしょう。


そういえば、わたしが幼いころ、両親はよく
「あのとき、こう言ってやればよかった!」
「次、会ったらこう言ってやる!」と
親戚のだれかれに怒っていましたけど、
言い返すタイミングだって逃したら、
二度とやってこない。


「言い返してやる!」と遅れて息巻くような人は
瞬発力の要求される口論現場では決して勝てないし、
そんな不得意な土俵に乗っちゃだめなんだなと
悔しがる親の姿を見て学びました。


いま、そのころの親を超える年齢になって思うのは、


毎日、何を練習して生きているのかによって
人生って大きく変わるなあ!ということです。



別に大きな目標とか訓練とか
そういうことじゃありません。


日々、心に去来する「思い」と
小さな「やり直し」のこと。



だれしも、今日、やってみることが
100%正しいなんてことはなくて
かなりの割合で間違いを含んでいるじゃないですか。


うまくいくこともあれば
いかないこともあれば、
「ああ、また、失敗してるよー」と思いながら
失敗してしまうこともある。


だれかにうまく伝えようとして
誤解されることもあるし、
自分の視野が狭くて
とんちんかんなことをして
穴があれば入りたいぐらい恥ずかしいこともある。


電車の乗り換えがうまくいかなかったり、
買ってくるべきものを忘れたり、
あれもやろうこれもやろうと思っていたのに
寝てしまってできなかったり…。


ほんとに一挙手一投足が、
トライアンドエラー。


自分が悪いこともあれば、
誰かが悪いこともあれば、
運が悪いこともある。


思ったようにビシッと決まるなんて
ほんとにそうそうないですよねえ。


だから、みんなどこかで
かすかに「次こそは」と思って生きている。
次は、スムーズに乗り換えるぞ、だったり
次は、相手を言い負かすぞ、だったり
次は、楽しく語りあえるように工夫するぞ、だったり…
それこそ、本当にいろいろでしょう。


どっちの方向を見て練習を繰り返すのか。


忘れられない過去の敵を恨んで
夜ごと、鋭く爪を研いだり、
自分だけに見えているのかもしれない敵を想定して
シャドーボクシングを続けることは、
不幸な老いに向けてトレーニングしているのと同じことなのかも。
そんな練習は、できることならやめたほうがいいですね。


少しでも心晴れやかに
幸せになれるような練習を
創意工夫しながら見つけて
気長に続けたいもんです。




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どこで入るかわからない!好奇心や向上心のスイッチ。


ゴールデンウィークに徳島県鳴門市の「大塚国際美術館」に行ったんです。


ご存知ですか。大塚国際美術館。


2007年に国立新美術館に抜かれたものの
それでも国内第2位の規模を誇る巨大美術館。
入場料は日本一高い3100円(前売り券)。
古代から現代までの西洋絵画約1000点が展示されています。


そのすべてがレプリカ。
名画を陶板(陶器の板)に焼きつけたものなんですよ。



多くの人がそうであるように、
わたしも「偽物だしなあ~」とやや舐めて入場し、
実際に「システィーナ礼拝堂」(原寸です)を見たときは、
「ああ。気持ちはわかるけど、やっぱり壁紙感が強いなあ!」って
ちょっとがっかりしたんだけど、
どうして、どうして。


otsuka2.jpg
↑こうして見るとすごい。


ルネサンスあたりから
すべて原寸の絵画が、
これでもか、これでもかと
ものすごい迫力で表れると、
絵画の渦(鳴門だけに)に巻き込まれてしまい、
熱が出たみたいに夢中になってしまいました。
(朝から閉館までいたのに
全部は見られなかった)


原寸の威力、すごいです。



しかも、写真撮影し放題。
どこまで近づいてもおとがめなし。
監視員さん、ゼロ。
ゴールデンウィークでものんびり、ゆったり。
あっちに行って、こっちに戻り、
そっちでおしゃべりし。
模写している人もいれば、
絵画の前でポーズをとる人も。


みんなが、心のどこかで
「偽物だから」って思っているからでしょうかね。


難しい顔をした人もいなければ、
同行者に解説する人もいない。
だからといってマナーの悪い人も騒ぐ人もいない。
とにかく気楽。
(ちょっと細部がやぼったい空間もご愛敬)


しかも、
どれもこれもが名画中の名画なんで
名画に気が許せる。


受胎告知ばかりを集めた部屋、
聖母子ばかりの部屋・・・など
通常ではなかなかないであろう組み合わせで見られるのも
新鮮な体験でした。


いやあ、好奇心って
どこでスイッチが入るかわかんないですね。


この美術館に行ってから
スペイン絵画に興味モリモリになってしまい、
あれこれ、本を読んでは
「ああ、そうなのか!!」とか
「まさか、そんなことが!」なんて忙しいことになっています。


大塚国際美術館に感謝。


最近しみじみ思うんですけど、


好奇心と向上心って
ずっーーと友だちでいてくれますね。



しばらく鳴りを潜めていても
元気になったり、
調子がよくなったりすると
ムクムクと大きくなる。


好奇心と向上心には、
水と肥料をあげなくちゃなあ。
決して裏切らない友だちだと思う。
(対象はなんでもよし。結果も別にいいや。
高尚である必要もまったくないよね)


大塚国際美術館、2011年には、トリップアドバイザーで1位になってました。




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会話もサイズ感。重たさ・深さなど「サイズ感」が合うと楽しい。


週に一度訪ねる仕事先で
会議室に向かう途中に
休憩スペースがあるんです。


そこをお昼休み過ぎに必ず通り抜けるんですが、
壁側に置かれたソファに
30代後半ぐらいの女性2人が座って
必ず、顔を寄せ合うようにして
ひそひそと話し込んでいます。


大きくうなずく。
顔をゆがめる。
たまに爆笑する。


悪口だな。


と毎回、思います。


社内のことじゃないかもしれません。
家庭のことかもしれないし
子どもの学校のことかもしれない。
もしかしたら、回覧板やゴミ捨てなど
隣近所のことかもしれません。


でも、悪口。
もしくは愚痴だな。


毎回、そう思いながら、
軽く会釈して通りすぎます。


ちょうど話のサイズ感がいいんでしょうね。
話の「重たさ」の目盛りが合っているというか。



たとえば、こっちは、ものすごく重たい話のつもりなのに
相手は、思いのほか軽く受けとめる、とか、
こっちは、軽く流してほしいのに
びっくりするほど大げさに重たくとらえられて後悔する、
なんてことがないんでしょうね。


「こんな、イヤなことがあったの」
「え?どんなこと?」
「ほら、マーケ部のあの人が、この前ね」
「うんうん。そうだったの。やりそうなことねーー」
「でしょ、でしょ」


みたいな。
(実際は関西弁)


話の「サイズ感」があうと
会話は楽しい。



大きさもそう。
重たさもそう。
深さもそう。


あの2人はサイズ感、ビシなんだろうなあ。


でも、悪口。
ぜったい、悪口。
聞いたことないけど(笑)。


ダークなオーラ、漂っているもん。




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だれにもある「負い目」。 その取り扱い方を工夫したい。


ちょっと前のことですが
お昼の番組の人生相談で
40代半ばの女性が離婚すべきかどうかを相談していました。


ついたての向こうに座るその女性に
タレントさんたちが質問しながら
最終的に「離婚したほうがいい・しないほうがいい」の答えを出すパターン。


相談者は、ちょっと不思議な人でした。


少なくとも設定は、「自分から相談にきた」はずなのに
いつの間にか「聞かれたから答えています」な雰囲気になっちゃう人。
生放送だからあがっちゃったというのも
もちろんあるでしょうが、
そういった「緊張」とも、ちょっと違う感じです。


ああ、こういう人いるなあと思いました。


いつの間にか「受け身」の立場に移動していて、
主客逆転現象が起きてしまい、
もう、その場の意味が、なんだか、よくわかんなくなっちゃうというパターン。


わたしは、そんなに遭遇しませんが、
これ、福祉の相談業務とか
学校の先生とか
何かの「相談」を受ける立場の人なら、
しばしば出会っているんじゃないでしょうか。


自分から相談に来たはずなのに
問題解決のためにいくつか質問すると
弁解に終始する人。
アドバイスする側に困惑と
フラストレーションがたまるケースです。


もしかしたら、この女性は、
弁解以外の答え方を
あまりよく知らないのかもしれないとも思いました。
心のどこかに「開きたくない小箱」を
抱えているのかもしれません。


弁解ばかりするということは、
どんなにへらへらしているように見えても
のらりくらりしているように見えても
気楽なように見えても、
あらゆる問いを
自分への叱責ととらえている可能性が高い。


弁解は、他人の介入をはばむ堅牢な防御壁であり、
その内部で、知らず知らずに深刻度が増していることも多い。



弁解する人が、
一番、責めているのは自分自身なのかもしれません。


とはいえ、


弁解の最大の問題は、
相手にとっては「そんなこと、どうでもいい」ということです。



弁解を重ねれば重ねるほど、
自分に対する関心を失い、
孤立していく。


だれにでもある「負い目」だけに、
その取り扱い方法を工夫したい!と思いました。




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視線の動きは、時に「値踏みスキャン」。あえて「見ない」選択も。



子どものころ、友だちのうちに遊びに行くと
玄関に出てきたお父さんやお母さんが笑顔ながらも
さっと視線を走らせ
何かを判断しているのを感じることが
ごくたまにですが、ありました。


いま思えば、「値踏み」というやつですかね。


自分の子どもと遊ばせてよいのか。
行儀は悪くないのか。


そういったことを、
すばやく判断していたんでしょう。
親としての防御本能なのかな。
うちの親にも多少はあったと思います。


子どもながらに
この「値踏み」の視線に居心地の悪さと反発を感じていたので
自分が親になってからは、
とくに娘が思春期を迎えたころから、
「値踏みスキャン」は
作動させないようにしてきました。


作動させない、というと
なんだか高度なテクがありそうですけど、
単に


「ちょっとシャイな感じでニコニコしてあいさつして、
歓迎しつつも相手を正視しない」




というだけのことです。
あんまり相手を見ない。
あいさつするために
顔をちょこっと見るだけ。
「作動させているのでは?」と
相手に思ってほしくないための
「視線封じ込め作戦」です。



たとえて言うと、
平野レミ風に元気に迎えに出て
蛭子能収になる感じ?


あなたも初対面で照れているだろうけど、
わたしも初対面で照れているんです。



というお互いの共通点を、
すっ飛ばさないでしっかりと伝えたいと思うのです。


ここまで書いておもったけど
これ、大人もいっしょですね。
わたし、同じことしてるな。


昔から、
「何かの作業に集中しているところを中断して
『おお!』という感じで
イヤな顔をせず、ニコニコと迎えてくれる」
というのが迎え入れ方として
最も好きなパターンでした。


そんな感じで迎え入れて
そのあとは、いつの間にか自分の作業に戻っている、
というのも、とても好きなパターンです。


どんな「迎え入れ方」「迎え入れられ方」が好きかと
考えてみるのは、おもしろいですね。
わたしは、「いてもいいよ」ということを
互いにとって負担なく伝える方法を
ずっと模索している気がします。


「いてもいい」というサインは、
歓待の言葉だけでも、
気づかいだけでも、
大ごちそうだけでも、
伝えられないものですもんね。


「そろそろ帰って」が
すっと言えるのも上級編だけど、
これは、あんまり得意じゃない。




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