哀れに見えてもいい。私は、私なりの「すくと立つ老婆」をめざす。


若いころは、演劇をしていたこともあって
わりに、いろんなものを見ていました。
映画も、演劇も、ダンスも。
自分の知らない作品を誰かが見ていたら焦ったし、
「これを見ておけば、イケてる」と感じるものは
「おもしろいに違いない」と思って見て、
わかったような口をきいていました。
イケてたかったからね。



作品を、世間との関係性のなかで見る。


っていうんですかね。そんな感じ。


世間のなかに作品が評価として配置されていて
それを評価ごと見る。


みたいな感じです。


それは、それでよかったと思うんですよ。
演劇だってダンスだって、
もう亡くなった演出家も多いし、
当時わからないままにたくさん見たから、
「これが、こうつながって、こうなるのか~」と
最近、結びついたりもしているような気がしないでもない。


わたしは、いまも、わりにいろいろな作品を見るのが好きですが、
若いときとはずいぶん見方がかわりました。


1対1で見る。


っていうんですかね。


世間の動向は、それほど気にならない。
(なんていいつつも情報は取捨選択しているんだから、
気にはしているんですけどね。
ま、程度問題ということで)


別に「目が肥えた」ってわけじゃないんですよ。
そうじゃなくて自分の興味が芋づる式につながって
どんどん深みにはまるという感じといえばいいかな。


たとえば、この前、大塚国際美術館に行ったと書きましたが、
あのときから、スペイン絵画への興味が芽生えて、
もう、いろいろ読む、読む。


好きなものと自分が「1対1」の関係を結ぶ。



という感じになってきた気がするんです。


みなさんのなかにも
「ああ。わたしとガーデニングがそうだな」とか
「わたしとウォーキングがそうだなあ」とか、
「わたしとジャニーズの●●君がそうだなあ」とかないですか?


でね。これ、人間関係についても
いえるんじゃないかと思うんですよ。


人を、世間との関係性のなかで見る(評価する)。


ってことをやってたら
もう、苦しくなるだけじゃないですか。


だって自分自身が
「しょせんはこの程度にしかなれなかった」ってこと
わかっちゃってるわけだし、
何よりも、「老いる」ってことが
年々、弱者になるってことですから。
世間的評価は、年とともにダダ下がりですから。
どんな偉人でもスターでも
ある年齢を超えると必ず下がる。
(若者の興味をひかなくなるからね)


私たち自身が町で見る老人たちに
どれだけ関心をもってます?
もってない。


世間の評価を持ち込むと
つらいことが増えてきますよ。


だから、ここも「1対1で見る」って姿勢が
大事なんじゃないだろうか、と思うわけです。


夫婦や恋人や友人や、なんでもいいですよ。
相手を慈しんで見る。不要な尺度を入れずに見る。老いによる純化。
世間の人たちの夫婦関係や友人関係がどうかは知らん。
ただ、二人の関係を慈しむ。
もう、変態でもなんでもいいですよ、そこは。
いいじゃないの、幸せならば(二人ともが)。


世間の評価を介在させないで
あらゆるものと1対1の関係を結ぶっていうのかなあ。



自分と「何か」。
自分と「誰か」。


「理想の老い」とか
「オシャレな老い」とか
そんな尺度も、ほんとのところ、どうだっていいや。


わたしは、わたしなりの
すくと立つ老婆をめざす。
他人からどんなに哀れに見えたっていい。
1対1の慈しみの関係を作りたい。


いまのところは、そんなこと思っています。
どうなることやら。




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