「気にしない人」は、本当に何も気にしていないのか。


「気にする人」のことはみんなとても気にするけれど、
「気にしない人」のことはみんな気にしない。


ほんとだ!と思いました。


わたしが考えたことじゃなくて
はらぷさんという人が書いた文章です。


「気にする人」のことはみんなとても気にするけれど、
「気にしない人」のことはみんな気にしない。


ああ。そうだなあーーー。


文章は、さらに続いていて


で、世の中「気にする人」をケアする方向にいくんだけど、
それは多分正しいことなんだけど、
そうすると「気にする」「気にしない」の中間点が
ちょっとだけ「気にする」方向にずれるというか、
そういう一面もある気がする。




「気にする」「気にしない」の中間点が
ちょっとだけ「気にする」方向にずれる。




ああ、このビミョーな感じ、何度か感じてきたけど
言葉にしたことがなかった。
というか、できなかったなあ。


趣味のつきあいや
会社の仲間。
ママ友でも、
同窓会で復活した友だち関係でも
なんでもいいです。


ラインやメールのやりとり、立ち話のなかで
どうしても発生してしまう、
ちょっとしたことを「気にしてしまう」ことと
自分以外の誰かが「気にするのではないか」
ということへの配慮と配慮しきれなさと
それにともなう終わりのない不安と自問自答。


「気にするのではないか」と気づかえば気づかうほど
「気になって仕方がなくなるが、直接聞くわけにもいかない気がする」
という心に長引く鈍痛!!そしてそれに耐えきれずイヤになる人間関係!


どんな場でも、
「気にする」方向へ中間点が大きくずれてしまうと、
「誤解されること」への恐れが増し、
言葉選びをやや多めに「用心」するようになり、
いつの間にか、その場から魅力が消えていくんですよね。
たとえば、「ユーモア」が。
あるいは「アイデア」が。ときに「自由」が。


しかも、


「気にする人」のことはみんなとても気にするけれど、
「気にしない人」のことはみんな気にしない。



そうなんだよなあ。


「気にしない人」は本当に何も気にしていないのか?


という問いは、意外なほどにだれからも呈されず、
鈍感なままで放置されます。


「気にしない」(ように見える)人の心のなかに
「気にする人」のような葛藤はないのか。


私たちのからだの免疫機能が、
常にウィルスや細菌と戦って
かろうじて勝利をおさめ、
「健康な状態」が保たれているように
「気にしない人」も、
こころの免疫機能によって
かろうじて「気にしない状態」が保たれているのかもしれない。


個人個人の「気にする」を
「そんなの考え過ぎ」とかって無視するんじゃなくて、
それはそれで「あり」なんだけど、
世の中全体的には気にしないほうが楽だよ、
ってほうにいかないかなあとか連想してしまった。
理想論ですけどね。



「気にする」ことは繊細さを装っているけれど、
だからといって万能ではなくて
「やさしさ」や「細やかさ」にもなれば、
「窮屈さ」や「不正直さ」にもなる。
そのことは、憶えておいて損はないと思いました。


・・・とここまで書いて、
はらぷさんはもう少し大きな単位(世の中)で書いているのではないか!
と思いいたりましたが、
多少の誤解は許してくれるでしょう。
気にしないでそのままにしておきます。


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