わたしたちは、「たいていの時間は無年齢でいる」のだ。


あきらさんに、
「朝日新聞」の2月7日の「折々のことば」を読んで
わたしの過去記事を思い出したと教えてもらいました。
(あきらさんとは、こちらの往復書簡も連載しています)


その日の「折々のことば」は、以下のものです。


たぶんわれわれは、
ある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識してはいないし、
たいていの時間は無年齢者でいるのだ。

       ~ミラン・クンデラの「不滅」から。


そこに鷲田清一氏が

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60代とおぼしき女性がプールで若い男性教師に水泳を習っている。
レッスンが済んでプールを去るとき、ふとふり返り、
彼に「色とりどりに塗りわけた風船を恋人めがけて投げ」
るかのような合図を送る。
ひとの存在もまた風船のよう。
歳(とし)など知らず気ままに漂う。きゅんとなる。
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という文章を添えています。


最後に「きゅんとなる」という一言を添えてくれる鷲田さんに
きゅんとなる!


あきらさんが思い出したというわたしの過去記事、
どれかなあと思って探してみました。
よかったら読んでみてください。


卑近な文章ではありますが、

老いた自分は、いつまでも慣れない「仮の姿」。

おばちゃんでも、熟女でもない。

私たちのリアクション。かわいくて何が悪い?


このあたりの感覚が、「若い男性に合図を送る60代の女性」に近いでしょうか。


前記事に書いた「新人さん」の女性も
自分が「新人」なので
「常に新人だった若いころ」の感覚になって
「中堅」や「ベテラン」に接してしまったのかもしれません。


コメント欄にも
「サークル活動の中で自分だけぽつんと初心者、っていう場合
周りが全員経験豊富なベテラン、年長にみえる感覚ってあります」

とblogxxshioさんが書いてくださっていますが、
まさしくその感覚!


そうなんですよね。
環境や自分の立場、周囲との力関係によって
実際の年齢とは異なり、
自分を「年上」に感じたり「年下」に感じたりするんですよねえ。


そして、


たいていの時間は無年齢者でいるのです。



わたしたちは、しばしば「老い」を嘆くけれど、
老いそのものを嘆いているより、
「無年齢でいちゃいけないのだろうか」という
自分の内面とのズレを嘆いていることが多いのかもしれませんね。


気ままに漂う自分を
ときに意識させられる「年齢」が諫める。



老いって、もろもろの「乖離」に直面することなんだな。
外見と内面。
周囲の期待と自分の欲望、とか。もろもろ。
ほんと、もろもろ。


★鷲田さんの本についてこちらにも書いていました。



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