「ほどよく退屈」という繊細な味わいを楽しむ、大人の休日。


こんにちは。カリーナです。
ゴールデンウィークはどのようにお過ごしですか。


わたしは奈良県の山奥でバーベキューをしたり、
「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」
という展覧会を見に出かけたり、
仕事に行ったりして過ごしています。


GW1.png
奈良県の吉野の山奥に行きました。



遊んでいないわけでもなく、
仕事をしていないわけでもなく、



ほどよく退屈。



かつては「退屈」なんてことでは
いかんのじゃないか。
もっと、みっちり遊ぶとか
みっちり働くとか、
じっくり考えるとか
きっぱり決断するとか、
そういうことをすべきでないか、
人生の充実とはそのようなものではないか、
と思っていましたが、


いまは、違いますよ。
大人になりました。


苦味のある野菜や
ひと言では表せない微妙な味わいの料理が
好きになるのと同じで



「ほどよく退屈」は、
わりに、というか、
大変に好みの状態。
「休んでいる感」を
もっとも濃厚に味わえる時間。



ほどよく退屈 ≒ 充電中



というように受け止めています。


ほどよく退屈だと
うっすらと心のどこかが寂しいので
そんなつもりはなくても
来し方行く末に何となく思いをはせ、
自分にとって大事なものは何かな?とか
大事にすべき人を大事にしているかな?とか
考えることになり、その結果、
大仰に決断するということでなく、
「こうしてみよう」
「こんなふうに考えよう」と
頭のなかが落ち着いたまま整理されていくのです。


この「ほどよく退屈」な状態で考えたことは
心の肥やしになるんじゃなかろうか。
そんな気がしますよ。


しかし、あれですね。
わたしは、こういうことを
ゴールデンウィークや
お盆休みやお正月のたびに書いていますね(笑)
つまりは、「うっすらと寂しい」という感覚を
いかにして肯定的にとらえつつ
しみじみと味わいながら、
上手に共存していくのか。
そのことに興味があるんでしょうね。


「寂しさ」は茄子と同じだな。
大人になればなるほど滋味豊か。
もっと舌を肥やしたい。



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深くて緻密な「美容の森」。地図の読める女と、地図の読めない女。


先日の記事でファンデーションブラシについて書き、
美容へのモチベーションが一時的に高まったのですが、
案の定、またたく間に低下し、
このまま、ブラシを買うこともなく落ち着くか…と思いきや、


わたしがもう一つ続けている
ウェブマガジン「どうする?Over40」メンバーの爽子さんという方が、
KATEの発売されたばかりのファンデーションについて


「すごいカバー力です。
わたしは02の普通色を買ったのですが、
ワンプッシュで何もかも隠れる!
ピターと密着してるので、上からのパウダー不要」


というメールをお肌ツヤツヤな自撮り画像といっしょに送ってくださり、
ダダ下がりだったモチベーションが
かろうじて持ち直すこととなりました。


●すごいカバー力
●ワンプッシュで何もかも隠れる
●密着してパウダー不要



どの言葉も極めて魅力的。
特に「何もかも隠れる」ってところ!
もう、わたしの顔、まるごと隠してくれてもいいよ!


しかもKATEですから、決して高くない。そこも安心。
なんでも爽子さんが買ったときには、
1600円でファンデーションブラシがついていたそうですよ!
超お得じゃないですか!?


というわけで、わたくし、連休中に買いました。
(ブラシはもうついてなかったです)
そして今朝、意気揚々と塗ってみました。


顔面にブラシでファンデーションを塗布するのも、
一昨年から凝っている部屋のペンキ塗りと同じく、
やってみればそれほど難しくないではありませんか。
調子にのって使用感の報告でもしようかな~と思い、
機嫌よくこの文章を書きはじめ、
「あ。そうだ。@コスメの口コミにリンクもはっておくとより一層、便利だな」と考えて
口コミを見たのがいけなかった。


もう、すでに222件もの口コミが投稿されており、
そのどれにも購入動機から自分自身の肌の状態、色、
これまでのファンデ歴、
使用直後の感想、使用後1時間後ぐらいの感想、
夕方の感想ならびに乾燥、
リピート購入可能性の有無など詳細に書かれているではありませんか。


だめだ。わたしの出る幕じゃない


化粧品の口コミという世界は、
見るたびに思うけれど、
数ある口コミ界のなかでも特に深い。
そして細密画のように細かい。
評価の語り口に迷いがない。
その決然とした表現に畏敬の念すら覚えます。


その深さと細かさは、
めざすものが「美」ゆえでしょうね。
実用性でも便利さでも健康効果でもない。
それらほど具体的な役には立たないかわりに、
それらのどれよりも、人々の心をとらえる「美」。
美のチカラは偉大だなあ。


そんな美への憧れと
自分への愛と研究心と向上心に
高機能な新商品の誕生と、
メーキャップグッズ&テクニックの開発と熟練とがからみあって
複雑な生態系を形作り、広がりつづける森のようです。


ビシッと鋭い口コミを書ける人には、
その森を探検できる「自分なりの地図」があるんだろうな。
めざすべき理想も、あるべき姿も見えている。
わたしには、ない。
あってもぼんやりしているし、
細分化して評価できない。
あきらかに、どこか、能力が不足しているぞ。この面において。
だから、入口付近をウロウロして
また同じ場所に戻ってくるのだな。


この世には、2種類の女がいる。
それは、「美容の森」の地図を読める女と読めない女だ。


美容の森でも、方向音痴。



というわけで、
ファンデーションの使用感レポートを書くつもりが、
「美容の森」における自分自身の限界を自覚する
という結果となってしまいました(笑)


ファンデーションは、良いような気がしますよ。←ざっくり


新商品は、コレです。
探してみたら、ブラシ付きの限定セットが残ってた。



@コスメの読み応えある口コミはこちら→ 

ユーチューバーのレビューも見つけました。→


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さまざまな「テキトー」のなかにも わたしの人生は詰まっている


最近の毛布は無地が多いけれど、
ひと昔前は、絨毯みたいな柄が多かったですね。
ペルシャ絨毯みたいなの。


「絨毯」という人間の体の下に敷くものと
「毛布」という人間の体の上にかけるものを
なぜ同じような柄にしようと思ったのだろう。
欧米がそうだったのだろうか。
日本独自の発想なのだろうか。
毛布も広げたら「ラグ」っぽいから
いっしょでいいじゃないかって誰かが思いついたのだろうか。


うちの毛布も、気づいたら無地化が進んでいましたが、
一枚、ぺらぺらの絨毯柄の
かけるとスルスルとズレてしまう
見るたび、使うたびに、
安物のダメさを再確認させてくれる毛布があるんです。


なぜか普通のサイズよりやや小さくて
薄くて軽いから、
ソファでごろ寝するときに
だれかが引っ張り出して使っています。


絨毯柄のくせにピンク色だから
安物感がすごいの。
これを買ったときは、
「テキトーに安いものを選んで」買ったのですよね。
いまも、お金はないけど
昔はもっとなかった。そんな時代の買い物。


ほかにも食器棚などあちこちに
「テキトーに安いものを選んで買ったんだなあ」と
思うものがあります。


「旅先で記念に買った器」も
思い出をよみがえらせてくれますが、
「テキトーに安いものを選んで買ったもの」も
思い出をよみがえらせてくれます。


お金がなかったときのこと。
店先で迷ったときのこと。
そして「安さ」を優先したときのこと。
通販で「これ」と決めたときのこと。
そのときの悩みも、ちらと心をかすめるな。


さまざまな「テキトー」のなかにも
わたしの人生は詰まっているのだ。



そんなことを、
このゴールデンウィークに
毛布を洗って干しながら思いました。


ピンクの絨毯柄のペラペラの毛布とは、
偶然に出会い、妥協してつきあうようになり、
深く愛しあったわけじゃないけど、
それなりに長い間、いっしょにいた。


人間関係にだってそんなことは
しばしばありませんか。
極論すれば、自分の「子ども」だって
厳選なんてしていない。
偶然、やってきた「見知らぬいのち」。


だからといって「この毛布をずっと使いつづけよう!」なんてことは
これっぽっちも思いませんが、
「テキトー」や「妥協」を重ねてきた時間もまた
自分自身のこれまでの人生なんだ、
「思い出す」という意味では
いい思い出も、さほどでない思い出も等価だな、と思ったというお話。


自分の気に入ったものを手に入れて慈しんで使う充実感は
もちろんすばらしいし、そうしていきたいけれど、
同時に日々の生活に飛び込んでくる
あらゆる偶然の、あらゆる計算外の、
あらゆる仕方なく選んだ雑多なものも愛したいぞ。


厳選主義の一歩手前で鷹揚にいるのもいいじゃないか。
ピンクのぺっらぺらの毛布をしまいながら
そんなことを考えました。



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人間関係はダイナミックな生態系。いろんな感情が混ざりあってこそ。


映画「人生フルーツ」を見てから、
つばたしゅういちさんと英子さん夫妻の本を3冊読みました。
どれもおもしろくて
何度も何度も読み返してしまいます。
「だし昆布」や「かつおぶし」なんか
パッケージ写真の商店名からネット検索して
「なるほど、これか。これを使っておられるのか」
と調べてしまうほどです。


カタログ的な予測がつかない品選びなので
細部まで見ごたえがあります。


しゅういちさんが亡くなって以降の
英子さんの暮らしを描く
「ふたりからひとり」のなかに
こんなことが書かれていました。


オーブントースターが壊れたときのこと。
しゅういちさんがホームセンターで「安かったから」と
新しいものを買ってきてくれたそうなのです。
英子さんはありがたく思いつつも、
「よいもの」を使いたい人なので
「もったいないから壊れるまで使う」という言葉とは裏腹に
新品の機能にどこか不満げです。


おもしろいなあ、と思いました。


つばた夫妻のように
おたがいのことを深く理解しているように見える間柄でも
しゅういちさんは、英子さんの
「道具に妥協したくない気持ち」を
完全には、わかっていなくて
「よかれ」と思って独断で
「新品の安物」を買ってきてしまう。


呼吸のあった夫婦像なかに
こんな、ちょっとした「ずれ」をみつけると
リアルを感じて、より一層好きになります。


おたがいに、ときに不満もあり、
誤解もあり、無関心もあり、
どうしてもわかりあえないところもあり、
妥協や受容を繰り返しながら営まれた生活なのだなあ、と。
デコボコ道のように紆余曲折のある日々の暮らし。
その手ざわりと手ごたえ。


人間のいるところ、
不満や誤解や無関心のないところなし!



夫婦に限らず、
幸せそうに見える人間関係はどれも、
不満は誤解や無関心が「ない」のでなはく、
それぞれが上手に解消したり、適度に我慢したり、
ときに思いやったり、主張したりしながら
関係を育んでいるのですよね。


そういうすれ違いから生まれる小さな不満が、
「ほつれ」や「ずれ」となって随所に表れながら
概ね笑顔で営まれている生活。
リアルで、いとしくて、滑稽でいいなあ。
しみじみ愛しい。


「人間関係」という名のダイナミックな生態系を感じる。



★来週の金曜日から毎週、ウェブマガジンどうする?Over40「人生フルーツを見て『夫婦というレッスン』を連載します。わたし自身の自由研究のつもりで企画しました。ぜひ、読んでいただきたいです。間近になったら、またお知らせしますね。お楽しみに。


この順番で読みました。まずはやっぱりこれ。暮らしの概観がつかめます。

夫を亡くしてからの暮らし。この本でさらに興味が増しました。

主に英子さんの料理について。調味料も詳細に紹介されています。たまらん。



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ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。この記事この記事、合わせて読むと、こういうことを理解できる年齢になってよかったと思います。

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夢は、「かいがいしいバアサン」。動いて心の曇りを晴らす。


わたくし、最近のテーマは、
「かいがいしく」なんです。


夢は、かいがいしいバアサン。


別の言葉にすると


めざせ!まめによく動く老人


「丁寧」というと
行動を細分化してゆっくりじっくり、というイメージですが、
「かいがいしく」は、
労をいとわず、ちょこまかとよく動くイメージ。


仕上がりは多少、雑でもいい。
不器用でもいい。
失敗してもいい。


台所で湯が湧いたといえば
行ってお茶を入れてやり、
風呂で湯が沸いたといえば、
行ってザブーーンと浸かってやり、
お菓子がないといえば、
ちょっくら行ってくるわ!と
コンビニに走り、
ティッシュが切れたとあれば、
待ってました!とばかり
ホームセンターに自転車かっ飛ばし、
ちょこまか、ちょこまかと
自ら用事を作って動いている。
そういうものにわたしはなりたい。


買い置きしとけよ(笑)


かいがいしい人は、
悩むことに時間を費やしてない。
悩むより動く。
興が乗るより先に動く。


ヒルティも「幸福論」で


気乗りは仕事をはじめれば
次第にわいてくるものだ。



と言っています。
(おっしゃる通り!)


「悩み」というものは、
「解決を要する」ものと
「ずっと抱えっぱなし」のものがあり、
前者はちゃんと取り組んだほうがいいけれど、
後者は「何かあると、そこに帰ってきて、しばらく低迷するだけ」
ということが多いので、
そうならないように動く。


悩むぐらいなら
コツコツやる。


気分にふりまわされず動いて、
その動きが風を呼んで
雲をはらい、
晴れにする。



これからのときを、
そんな精神状態で生きたい!
日々、レッスン。

こちらもレッスンと名付けました。わたし、レッスンブームなのか。

★来週の金曜日から毎週、ウェブマガジンどうする?Over40「人生フルーツを見て『夫婦というレッスン』を連載します。今日はこちらに、そのことについて書いています。おもしろいですよ。

レビューの読みごたえがスゴイです。




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「老害」は影響力への未練。仕事でも親子でも異性間でも起こりうる。



居酒屋さんで
近くのテーブルに座っていた年配の男の人が
部下と思われるふたりの男性とひとりの女性に
強い口調で延々とお説教をしていました。
自説をぶっているうちに
いつの間にか説教口調になり、
止まらなくなってしまったという雰囲気です。
場の空気が悪くなって、つらい・・・。


いっしょにいた友だちは、
「老害やな」とあきれたように言って
変顔をしました。


説教に勢いがついて
止まらなくなるには
いくつかのパターンがありませんか。


わたし調べでは、


(1)「いいこと言っているな」に酔う場合。
(2)相手が従順で受け身な場合
(3)共感や尊敬が得られず、手ごたえがない場合



に分類できます。


(1)は、頭と口に油をさしたみたいに
回転と滑りが良くなって
自説を滔々と語り出してしまう、という快楽型。
話の中身がおもしろければ、
聞いているほうも比較的、耐えやすい。
合いの手も入れやすいです。


(2)は、子ども叱る場合などに
陥りやすいケースです。
従順な夫や妻が相手のときも起こりうる、やや加虐型。
「あのときもこうだった」
「あなたはいつもそう!」
などと欠点を現在過去未来と総ざらいして
重箱の隅をつついてしまうことも。


(3)自説をぶったときに
相手の反応が得られない、
思ったように「影響力」を駆使できないときに
言葉を重ねてしまう、悪あがき型。
最初は、共感や自然な納得を求めていたにもかかわらず、
いつの間にか屈服させんばかりの攻撃性をもってしまうことも。


居酒屋さんで出会った年配の男性は、
哀しいかな、(3)に見えました。


話の端々から、
仕事のできる(できた)人であること、
そのため70歳近い年齢で(もしかしたら70歳以上かも)
現在の立場に招かれたことがうかがえましたが、
彼を囲む40代ぐらいの人たちは
もうひとつ、反応が薄い。


この人はお説教をしたい、というより
かつてのような「影響力」をもちたいのかもしれない、
と思いました。


●話が聞きたいと寄ってくる部下や後輩
●心から興味を持ってくれるビビッドな反応
●自分に気に入られようとする気づかいや媚び
●憧れや尊敬など、もろもろの「関心」!


こういったものを求めているんではなかろうか。


「影響力」って心地よいものですよね。
「現役感」といってもいい。



上司や部下、の関係に限らず。
友だちどうしにもあるし、
異性間にもあるし、
親子関係にもある。


子どもへの「影響力」をいつまでも
手放すまいとする母親は多いでしょう。


影響力をなくすのは、さびしいから。とても。
その瞬間、心がシンとするから。


老害、とよばれるものには、
この「影響力」への未練が多く含まれている。



そんなことを思いました。


手放せるなら手放したほうがいいな。
影響力への未練。
どんな場所でも、
若い人たちは、
必ず、影響下を離れて自立するもんだ。


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「魅力」や「素敵」は、相互依存的なもの。だから心折れなくていい。


たとえば、
「樹木希林さんのようになりたい!」と思いたち、
あの方のように老いを先取りして
あの方のようなヘアスタイルと服装で
友だちとの集まりに出かけたとします。


「樹木希林さんのようなオシャレ」は、
見る人が見れば、「ああ。あの方向性だな」と
わかってくれるものでしょうが、
樹木希林さんという個性と強く紐づけられてもいるので、
樹木希林さん以外の人が、その雰囲気をめざすと、


「どうしたの!?老けたよ」とか、
「ちょっとは若々しくしたら~?」とか
「顔色悪いよ。不幸なの?」などといわれかねません。
(老けた、不幸などの破壊力のある言葉に心が折れる)


さきほど「見る人が見れば」と書きましたが、
ということは、「見ない人には見えない」。
めざす方向性を発見してくれないし、
それが「魅力」の発信だと理解してくれず、
当然のことながら評価もしてくれないわけです。


おなじように
「年齢にとらわれないド派手で自由なファッション」や
「あえて服装やメイクにはこだわらないと決めたすっぴんスタイル」なども
その外見の向こう側に
「天然のおもしろさ」や「風変りさ」、
「気骨」「飾らない性格」などを見てくれなければ、
そしてそれらを人間的な魅力と感じてくれなければ、
「変な若づくり」や「ダサい」ということになってしまうわけです。


ことほどさように
「魅力」は、自分だけでは成立しないのです。


それを発見し、評価してくれる人がいてはじめて
魅力になる。



自分の描く「魅力」や「素敵」と
相手の描く「魅力」や「素敵」が
大きく異なっていれば、
互いの間に憧れも称賛も生まれないわけです。


だから、心折れなくていいんだよ。(あなたも、わたしも)


自分が美しい(好ましい)と思うものに自分を近づける。
こうありたい、と思う方向に歩む。


というのでいいし、
それが一番いいんじゃないでしょうか。


「こう見えたい」から、
「こうありたい」へ。


「こうありたい」は、
「こう見えたい」や
その裏返しな分だけ頑なな「どう見えてもいい!」に比べて
「影響力をもちたい」という呪縛から遠くてよいと思います。


あと自分が魅力を見つける人になる。
これもいいよねえー。




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自分の常識との違いに大げさに反応するのは、「いじめっ子」の尻尾?


今日のウェブマガジンの「いどばた。」は、
「最近笑われてしまったこと、ありますか?」です。
みなさん、最近、笑われましたか?


その記事を読みながら思い出したんです。


何年前の冬に友だち夫婦の家で
ごはんをごちそうになりました。
なんとなく鍋料理の話になって
この鍋がおいしい、あれもおいしいと盛り上がっていたら、
奥さん(わたしの友だち)が


「そうそう!この前、『すき焼きの大根が好き』って話をしたら
『すき焼きに大根なんか入れる~!!入れないよ~!』って
めちゃめちゃ笑われた。
感じ悪かったわ~。大根入れちゃダメなのか」



と思い出してプンプンしていました。


「おいしければ、何を入れてもいいよ」と
大根ありかなしかに結論は出さないまま、
それとなく奥さんの肩をもち、鎮静化を図る旦那さん。
こなれ感のある対応。大人の着こなしならぬ、場こなし。


わたしも大根は入れないけど
大根を入れる料理上手な人を知っているので
(最初から底のほうに入れておいて
味がしみてから食べるのがおいしいと言っていた)
「入れていいよ。全然、あり」と言いました。


すき焼きに大根を入れるか、入れないかなんて
地方の違いかもしれないし、それ以前に好みの問題なので
どちらでもいいことだとは思うんですが、
きっと大げさに否定されて面食らったんでしょうね。
だって「大根が好き」なんだもん。
その「好き」を否定されたんだから、ションボリするでしょう。


あれですよね。
こちらが何の気なしに言ったり、やったり、見せたりしたことが、
まったく想像もしなかった大げさな反応を呼び、
否定されたり、騒がれたり、笑われたり、
「ありえないよね?!」と同意の輪を広げられて
全員に「ありえなーい」と合唱されたりしたら、
大人でもちょっと、なんか、理不尽な対応に抗議したい気持ちと
孤立感でションボリしますね。


子どものときはもっとあった。
思春期のときもあった。
若いころは結構、あった気がします。
そういうションボリ体験。


「すき焼きの大根が好き」
「えええ!すき焼きに大根!!ない、ない!」


話は、そこで終わり。


「すき焼きの大根が好き」
「へええ。大根。入れたことがないなあ。おいしい?」


話は、平和に広がる。



「自分の好みややり方、常識としていること」との違いに
大げさに反応して、
どちらが多数派かを明確にしようとするのって
ちょっと「子どもっぽさ」の尻尾をひきずってるんでしょうね。
「いじめっ子」の尻尾といってもいい。



うちの娘は、中高生のころ、
「母さんになんか話したら、『え!!??何??』って
必ず、大げさに聞いてくる。それがイヤ。絶対、言いたくない」と言っていました。
こういうオーバーリアクションも嫌われるね。


★そんなわけで「いどばた。」のお題に気軽にコメント、寄せてください。「これはうれしいわ❤」という「素敵な笑われ体験」のコメント、入っています。




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イベントがなくても「退屈しないチカラ」を備えている人は、幸せ。


カザフスタン人の留学生と交際している
娘の中学時代からの友だちは


「自分のために人が集まってくれるのは、
普通の場合、人生で3回だけ。
生まれたとき、結婚するとき、死んだとき。
そのなかで自分に意識があるのは結婚だけ!
だから、ゼッタイ、派手な結婚式する!」


と言っているそうです。


これは、わたしが知らないだけで
有名な言葉なんですかね?
歴史上の偉人がのこした言葉とか?


結婚には夢を抱いているが
人生には夢を抱いていないともとれる、
現実的で、妙に説得力のある言葉。
きっぱりとしすぎた断言に
若さの弾力を感じる。


若さって、断言ですよねえ。


「〇〇ってわがまま」
「〇〇とか、終わってる」
「〇〇が、いい!」


彼女たちが、おそらくそれなりに気を遣いながら
互いに爆笑しながら、
ときにどこかの誰かをけなしつつ、
ときに自虐を交えつつ、
リズミカルにかわす会話を聞いていると、


「そんなに言い切らなくても」
「そこには、人それぞれの事情があって…」
「それがそうでもないのさ」


と忖度(!)の重要性を指導したくなりますよ。



「生まれる」「結婚」「死ぬ」の
「人生3大イベント論」については
いまどき、生死に加えるイベントが結婚でいいのか!?
という大いなる疑問を呼びますが、
まあ、しかし、わたしも若いときは、
イベント重視だった。


人生にイベントを求めていた。
イベントか退屈かの二元論。
(結婚式はわりにどうでもよかったほう)


人生、イベント史観。


年をとるにつれて
「断言」に疑問符がつき、
「人生」もイベントから日常のこまごました場面へと細分化される。



これといって大きなイベントがなくても
日々を「退屈しないチカラ」って大事だなあって思います。
時間つぶしが上手な人は、幸いなり。


そういえば、若いころはよく退屈してました。
エネルギーがあったともいえるし、
時間のきめが粗かったともいえるな。






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