さまざまな「テキトー」のなかにも わたしの人生は詰まっている


最近の毛布は無地が多いけれど、
ひと昔前は、絨毯みたいな柄が多かったですね。
ペルシャ絨毯みたいなの。


「絨毯」という人間の体の下に敷くものと
「毛布」という人間の体の上にかけるものを
なぜ同じような柄にしようと思ったのだろう。
欧米がそうだったのだろうか。
日本独自の発想なのだろうか。
毛布も広げたら「ラグ」っぽいから
いっしょでいいじゃないかって誰かが思いついたのだろうか。


うちの毛布も、気づいたら無地化が進んでいましたが、
一枚、ぺらぺらの絨毯柄の
かけるとスルスルとズレてしまう
見るたび、使うたびに、
安物のダメさを再確認させてくれる毛布があるんです。


なぜか普通のサイズよりやや小さくて
薄くて軽いから、
ソファでごろ寝するときに
だれかが引っ張り出して使っています。


絨毯柄のくせにピンク色だから
安物感がすごいの。
これを買ったときは、
「テキトーに安いものを選んで」買ったのですよね。
いまも、お金はないけど
昔はもっとなかった。そんな時代の買い物。


ほかにも食器棚などあちこちに
「テキトーに安いものを選んで買ったんだなあ」と
思うものがあります。


「旅先で記念に買った器」も
思い出をよみがえらせてくれますが、
「テキトーに安いものを選んで買ったもの」も
思い出をよみがえらせてくれます。


お金がなかったときのこと。
店先で迷ったときのこと。
そして「安さ」を優先したときのこと。
通販で「これ」と決めたときのこと。
そのときの悩みも、ちらと心をかすめるな。


さまざまな「テキトー」のなかにも
わたしの人生は詰まっているのだ。



そんなことを、
このゴールデンウィークに
毛布を洗って干しながら思いました。


ピンクの絨毯柄のペラペラの毛布とは、
偶然に出会い、妥協してつきあうようになり、
深く愛しあったわけじゃないけど、
それなりに長い間、いっしょにいた。


人間関係にだってそんなことは
しばしばありませんか。
極論すれば、自分の「子ども」だって
厳選なんてしていない。
偶然、やってきた「見知らぬいのち」。


だからといって「この毛布をずっと使いつづけよう!」なんてことは
これっぽっちも思いませんが、
「テキトー」や「妥協」を重ねてきた時間もまた
自分自身のこれまでの人生なんだ、
「思い出す」という意味では
いい思い出も、さほどでない思い出も等価だな、と思ったというお話。


自分の気に入ったものを手に入れて慈しんで使う充実感は
もちろんすばらしいし、そうしていきたいけれど、
同時に日々の生活に飛び込んでくる
あらゆる偶然の、あらゆる計算外の、
あらゆる仕方なく選んだ雑多なものも愛したいぞ。


厳選主義の一歩手前で鷹揚にいるのもいいじゃないか。
ピンクのぺっらぺらの毛布をしまいながら
そんなことを考えました。



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