気乗りしない人と会うかどうかは、人間関係でなく人生の時間の問題。


たとえば、


「昔からの友だちで、
決して悪い人じゃないんだけれど
会ってももう一つ、楽しくない。
なんとなく引っ掛かりを感じて
別れたあとも、その屈託を引きずる」


…というような人とのつきあいをどうするか。


誘われたら、会いにいくか。
気乗りしないので断るか。


好きではないが、大嫌いというほどでもないし、
向こうは自分を好いてくれているようだし、
ささいな問題といえなくもないから、行くか。
人間関係は大事だし…。


とも思うし、


いやいや。でもやっぱり楽しくないよ。
約束したあと、その日まで気が重いよ。
それでいいの?


と思いなおす。


んじゃ、断ろう!


と決めると


そんなことでいいのかな。
人間関係を狭めてないかな??
もっと心を開いてつきあうべきでないかな?


と自責の念が頭をもたげる。


…なんてことありませんか。


この問題がややこしいのは、


「人間関係」の問題に見えて
「自分の時間をどう使うか」という問題だという点



にあります。


その友だちのことは、
「会わなければ好き」でいられたり、
「長時間の会話をしなければ嫌いじゃない」ままでいられるわけで
簡単なLINEやメールでなら、
つきあいを続けることは可能かもしれません。


短い会話で心を交わすお友だち。


として大事にすればいいともいえます。


問題は「自分の時間をどう使うか」。


誘われたら、会いにいくか。
気乗りしないので断るか。


という迷いの本質は、
「自分の時間をどう使うか。
経験上、楽しくないとわかっていることに
自ら進んで時間を費やすのか」というところにあります。


これは、もう、きっぱりと
どちらかに決めるしかない。
「会うこと」が決まった一週間を過ごすのか、
「会わなくていい」という気楽な一週間を過ごすのか。
当日は、どの場所にいるのか。誰といるのか。


「どう生きるか」を自分自身で決めることを「自由」と呼ぶならば、
それは、「どんな時間を使うか」を自分で決めることですもんね。


たとえば、


●仕事のあとの飲み会には行かない
●冠婚葬祭には出席しない
●本当に気の合う仲間としか会わない


なども「人間関係」の問題というより
「時間の使い方」の問題でしょう。
スパッと断れば、
「頑なな人だ」と思われるでしょうが、
そうやって「自分の自由にできる時間」が手に入るのも事実。



「自由」と「頑な」は、表裏一体なんだな。


…と最近、思うようになりました。
どこかに選択の「芯」をもっていないと
心の自由はずっと手に入らないぞ。
あらゆる様子伺いに費やして
タイムオーバーになっちゃうぞ、と。


自由のための「頑なさ」は、
寛容や柔軟と共存可能な気もしています。





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気をつかう会話で適度にリラックスするには、「沈黙」の挿入が有効?


フリーのコピーライターなので
いろんな現場で、いろんな人といっしょになります。
たまたま帰る時間や方向が同じだと、


●同じ車両にのっていっしょに帰る
●「トイレに寄ります」「銀行行きます」「電話を一本」など
どちらかがさりげなく理由を見つけて
「お先にどうぞ」となり、
「はいはい、それでは!」となり、別々に帰る。


以上のどちらかで、やや後者が多いかなあという感じ。


でも昨年の暮れから何度かいっしょになった
30代の女性カメラマンは、
もっと堂々かつ決然としていました。


たとえ帰る道がいっしょでも
その道が延々と一本道でも、
車を同時に降り、そこから駅に向かうという
わずかな道のりでも、


「お疲れさまでした」と丁寧に頭を下げるとともに
その「お疲れ様」に「さようなら」を明確に込めて
「ここで失礼」という意思を無言で伝える。
(同じ道でも)そこで別れる。きっぱり別行動。
視界に入っても見えていない風情になる。
(仕事中はとてもフランク)


お互い、緊張のあとで疲れているし、
ほっとしたいし、
いろいろ話題を探すのも面倒だし、
これはこれでありだなあ!と思いました。


先日、通りを一人で歩いていたときのことです。


PTAのパトロールかと思われるふたりの若いお母さんが、
おしゃべりしながら通り過ぎました。


ふたりとも、相手に気をつかういい人と見え、
ハイトーン&ハイスピードトーク。
テンション高め。


相手の声のトーンやリズムを崩すまいとして
もう片方も、同じトーンとリズムで受けてすばやく言葉を返し、
快活な笑い声や大きめのうなずきも適宜はさみ、
そこへ、また、相手からハイトーン&ハイスピードの言葉が
返ってくる。


気づかいによって続く、終わりなきハイトーンラリー。


これ、やっちゃうんですよねえ。
そしてドッと疲れるんですよねえ。
会話に含まれる極微量の「偽りの自分」にも
あとで、ちょっと自己嫌悪になるの。


あまり親しくないなど
気を遣う人といるとき、
どの程度、リラックスできるのかって
わたしにとっては、わりに大きな課題です。


最初に書いた女性カメラマンのように
きっぱりとルールをきめちゃうのもひとつの方法ですが、
近隣コミュニティなんかだと
ちょっとやりにくい。


どうしたらほどよくリラックスした状態でいられるのか。
ハイトーンラリーにならず、
適度に沈黙もはさみながら
自然な会話ができないか。


そんなことをずっと思って試行錯誤してきました。


最近は、気づかいによるラリーになりそうだなあと思ったら、
あえてちょっと長めに沈黙をとって
会話のペースを崩し、
まわりの景色を見たり、
「沈黙してるな、いま」と
自分を観察したりしています。


なかなか、おもしろいエクササイズですね。
少し沈黙をはさむと居心地は悪くても
「迎合」とはちょっと距離がとれる。
それに、相手も楽になる可能性もあり。


ひきつづき、いろいろやってみよう。





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子どもは思ったより記憶していた。母親が叱るときの定型句。


子育てには、自分自身の本質的な何か、
日ごろ、ひた隠している何かが、
現れでてしまうんですかね。


わたしの場合、それは、
ふだんは円満な微笑みの下に隠しおおせているつもりの
「柄の悪さ」です。


娘が小さいときから、
叱るのは超短時間(長くても数分。一瞬のことが多い)なんですが、
その際、ドスの効いたダミ声で
男言葉で叱ってしまうのです。


雰囲気で言うならば、
「ちょっとお前、顔を貸せ」と言って
店の外に連れ出した敵に
ビビらせる言葉を短く言い残して去る感じに近い。


少し前に、娘が、
20年間でもっとも印象に残っている
「母親の激怒フレーズ・トップ3」としてあげたのが、


(1)人生、なめんなよ。
(2)自分を信じるな。明日の自分は他人やで。
(3)やった後悔より、やらなかった後悔のほうが残るってよ!


だと言っていました。


「自分を信じるな」は
すぐに「明日やる」「はいはい、あとでやる」とばかり言うので
「明日になったら忘れている」ということを
ちょっと気取って箴言風に言ってみたのでしょう。


3番めが「桐島、部活やめるってよ」風の伝聞推定形になっているのは、
テレビか本かの受け売りだからです。(こういうとこ、正直)


しかし、改めて振り返ると
胸倉つかまんばかりの柄の悪さ。
こわいなあ。


で、一昨日でしたか。
娘とお風呂に入っていたら、


娘  (髪を洗おうとシャワーの蛇口をひねりながら)
「かあさん、『やった後悔より、やらなかった後悔が残る』って
言ってたよね」


わたし  (お湯に浸って顔をなでさすりながら)
「うん。そうやな」





「だからさ。一年、休学してワーホリ行っていい?」



                  !!


言葉のチカラ、なめんなよ>自分



一度口から出した言葉は、
必ず自分に返ってくるよ。
規模は小さいけど
因果応報ってやつ、これも。


はっ。そして今、思ったけど
このブログの記事も
もう1000を超えているのでした。
自分に返ってくるのか!?
この膨大な言いっぱなしの言葉!!


みなさん、お手柔らかにお願いします。


ワーキングホリディについては
前向きに検討中です。






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「ザ・シニアファッション」の5大特徴とその対策を考える。


先週の朝、フジテレビの「とくダネ」で
「シニアたちの『変身願望』」をいう特集を見ました。


話題の中心は、シニア女性たちがフォトスタジオを訪れ、
プロによるメイクとドレスアップで華麗に変身する、という内容だったのですが、
それ以外のところがおもしろかったです。


東京の巣鴨と大阪の天神橋筋商店街で
道行くシニアのファッションを観察し、インタビューするんです。
その特長を大まかに分析するんですが、
大阪のシニアのほうがやや色が鮮やかな点をのぞいて、
いくつもの共通点がありました。


それは、


(1)お腹を隠す長めの上着(いわゆるチュニック風)
(2)黒やグレー、茶色などの暗い色あい
(3)ペタンコのウォーキングシューズ風靴
(4)バッグの斜めがけ
(5)パンツスタイル



の5つです。


これらがそろうと、
「ザ・おばあちゃん」になるとして
イラスト付きで紹介されていました。
(細かい表現は違うと思います)


どうでしょうか?みなさまがた。
まだずーーーーっと先のこととはいえ、
上記の兆候が見えはじめていませんか??


(1)は、体型カバーが主な理由ですが、
体型をカバーしようとして
「ザ・おばさん」になることは
チュニックの重大な欠点として長らく指摘されていました。
(わたしも書いています)←なんと2009年の記事!
かつてほどチュニック隆盛はみられませんが、
「チュニック的なもの誘惑とその悪影響」については
ここはぜひとも忘れないようにしたいものです。


(2)色選びの問題です。
これは、もう、わたしなんて完全にはまっています。
黒、ベージュ、紺、ブルー、白が基調。
たまに赤…ぐらい。
シニアに限らず、道行く人の服装を遠目で見ると
このあたりの色がほとんどです。(特に冬!)
年をとったから「地味な色を選ぶ」という人も
ある程度いるでしょうが、
「もともと、そんな色ばかり選んでいた」人も多いはず。
→この問題についても書いていました。「明るい色」で加齢への恐怖を乗り越える?!


(3)靴です。
最近、わたしも「もっと歩こう」と思って
ヒールを選ぼうとする手をとめて
ペタンコを選ぶことが増えました。
こうしてペタンコになるんだなあ!と思います。
でも、まあ、これは、
靴のデザインさえ気をつければ、なんとかなりますね。
スニーカーもいろいろあるし。
(こちらの問題もこんな記事を書いています)→ハイヒールは何歳まで可能?


(4)バッグの斜めがけ
高齢になるにつれ、外出時の荷物が減り、
中身を取り出しやすく、
ひったくりにあうこともなく、
両手が空いて動きやすい「ポシェット型」が
好まれるのでしょう。
ハイキングのリュック姿もよく見かけますね。
きっと今よりさらに、
「軽い」ということが大事になってくるんだろうなあ。
(バッグ関連の記事、いくつもありますが、近いのはこれか?)
贈り物に思う。「ストレス軽減バッグ」というジャンルの存在。


(5)年をとればとるほど、スカート姿の人が少ないのは確か。
スカートは、露出する脚の「皮膚」をどうするか。
生でいくか、ストッキングでいくか、タイツでいくか。
「靴」はどうするか。
スースーする「股間からお腹まわり」をどうするか?
放置するのか。放置したら尿意と格闘することにならないか。
…などなどパンツよりも結論を出すべき問題が多いんですよね。
ティム・ガンに学ぶ?・・・小柄・胴長・短足のカバー術

改めて読んで勉強になりました。


別にシニアがシニアっぽく見えたからとって
何も悪いことはないんですが、
「ザ・おばあちゃん」になる特徴の反対を箇条書きにしてみると


(1)ウェストをマークする。(「隠す」誘惑から離れる)
(2)きれいな色を着る。
(3)ヒールのある靴を履く。
(4)バッグを持つ。
(5)スカートを履く。



…ということになり、
つまりは、「女性的」ということになりました。


やはり、「意図的な女装」ですかね。


男女の性別が融解し、全員が、「おじいさん」になる老いの桃源郷
しばし、女装して抗いますか。


意図的に強めに女装する、がコツか。
もしくは、よりきっぱりと男装するか。
女装と男装の間が「ザ・シニアファッション」であるともいえる。
肉体そのものが女装を脱いでしまうからねー。





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わたしはなぜ、38歳の感覚のままいろいろ止まっているんだろう。


ウェブマガジン「Over40」(オバフォー)
月曜から土曜まで毎日更新されている「カレー記念日」
(カレーは、加齢とかけてます。記念日は、「サラダ記念日」から来ています。
言わずもがなか)


今日は、月亭つまみさんの


鏡見て 昔の自分に 別れ言う
6月16日はカレー記念日



でした。


その後、この一首についてオバフォーメンバーでもある
ミカスさんという方が



本当は「ちょっとだけ後ろ髪」どころか、
怖くなることがあります。
容姿や体の機能や色々な状況が、
私の核(何て言ったらいいのかなぁ)を
置き去りにしていくようで。




とツイートしていました。


つまみさんのカレー短歌も
ミカスさんの言葉もすごく心に響きました。


容姿や体の機能の色々な状況が
私の核を置き去りにしていく。



ほんとにそうだ。


そして思い出しました。


わたしは、いつも、どこか「38歳」で止まっていることを。
もう少し、広げるなら「38歳から42歳ぐらい」の感覚で止まっていることを。


この不思議な感覚を
どう説明すればいいのだろうとずっと考えてきました。


17歳ではダメ。
24歳でもない。
23歳でも、32歳でもない。
つまり「若さへの回帰欲」ではないのです。


今日、つまみさんとミカスさんのやりとりを読んで


自分自身の「思慮」と「肉体」が
ちょうどよい感じに合致したのが、
38歳ぐらいだったのではないか。



と思いいたりました。


20代はあちこちに頭をぶつけることが多く、
自分自身も浅慮で、
なかなか社会に適応できませんでした。
どうしたら適応できるのか
適応できる環境を見つけられるのかに苦しみ、
若い肉体は、今より多少なりとも美しくても
「当然のもの」でしかなかったのです。
(同世代との比較で悩んだりもしていたし)


それがようやく落ち着きはじめた30代後半から40代前半。


自分自身の「思慮」の深まりと
自分自身の「肉体」の状況と
周囲のわたしに対する「取り扱い方」が
相互に傷つけあうことなく、比較的、平和に共存していて、
加齢が与える成長段階のピークに与えられる呼び名=「大人」というものと
もっとも一致していたのではないか。


だから、そのあたりで止まっている感じがするし、
そのあたりの「自分」でいることが
いちばん、居心地がいいように思うのです。
(生殖可能年齢である、ということも大きいでしょう)


それは38歳のわたしが実際に大人だったかとか、
とても幸福でバランスがとれていたかとか、
そういう現実とは別の問題です。
実際には、そんなことなかったし。


それでも、わたしの感覚は38歳から40代の前半あたりで止まっていて
55歳の今も、
そしておそらくはこれからますます、
「容姿や体の機能の色々な状況が
私の核を置き去りにしていくよう」に思うのでしょう。


置き去りにされた「核」がさびしがっている。


物理的な時間と体内時計は乖離し過ぎていて、
宇宙飛行士が地球に戻ってくると周囲より老けてない(ウラシマ時間?)
みたいなことになってるのかも、
と真剣に考えたことがあります。
それならそれで、
みんな置き去りにされた核があるという共通項で
一緒にぎくしゃくやっていこう、みたいな。結論出ず。




これは、ミカスさんへのつまみさんの返信です。



みんな置き去りにされた核があるという共通項で
一緒にぎくしゃくやっていこう。



一緒にぎくしゃく。
いいね。





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ぜひお読みください。

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買わないとわからないことが確かにある。私の場合、それはメガネ。


「家は3回建てないと満足できない」と言いますが、
その真偽はどうなんでしょう。
残念ながら、一度も建てたことがないのでわかりません。
でも、長崎の亡母は、よく言っていました。
「3回建てんば、満足せんげな!この家、好かん!」


バブル期には、「一流ブランドものを持ってみないと
本物のよさはわからない」ともいわれていました。
これも真偽のほどはわかりませんが、
昨今、50代や60代向けのファッション誌が創刊されるたびに、
「一流のモノや遊びを知っている、輝きつづける世代~ゴールドエイジに」
なんて書かれていて若い世代にドン引きされているのは、
うっすらと感じています。


が。


買わないとわからないことが、確かにある。




メガネです。


先々週、新しいメガネを買ったのです。


これまでは、長年、知的に見えたい!との願いから、
黒いフレームの小さなメガネをかけていたのですが、
うすうす、
「長い顔に、この細いメガネで、ますます馬面化しているのではないか」とは
思っていたのです。


そう思ったまま、だれも何も言わないので放置していました。
そしてメガネについて不勉強のまま時は過ぎ、
ふらりとメガネ屋さん(JINS)に入って
買ってしまったのです。


近くにもJINSはあるのに、
ふらりと遊びに行った京都で買ってしまうという
すばらしい行き当たりばったり感!


届いてみて、かけてみて、鏡で見てみて
「これは、果たして似合っているのだろうか」と
強烈な不安に襲われました。


先代メガネと違って
ややレンズが大きめのボストン型。
フレームはあまり太くなく、目立ちません。


いいような気もするし、よくないような気もする。
優しい感じになった気もするし、単にボンヤリしているだけの気もする。


いいのか、これで!?
居てもたってもいわれず、
「メガネ 選び方」で検索開始です。


そしたら、こんなにありました。チェックポイント。


(1)メガネの縦幅は、顔の縦サイズ(眉下からあご下)の3分の1以内
(2)スマートに見せるなら、眉間から鼻先の3分の2に
(3)メガネの横幅は、顔の一番広いところと同じからやや狭め
(4)メガネの上辺のラインと眉毛のラインを合わせる
(5)髪の生え際のラインとメガネの上辺のラインが合っている
(6)下唇のラインとメガネの下辺ラインが合っている。
(7)ブリッジ(鼻の上のブリッジ)がまっすぐで低い位置だと鼻を小さく見せる。
  アーチ型で高い位置にある場合、鼻を高く大きく見せる。



ひとつひとつ入念に確認してみると
ビミョーに縦も横も長いことがわかりました。


ふえーん。


ここからは、もう責任転嫁しますが、
JINSのよう基本接客なしのメガネチェーンさんの場合、
鏡の横に上のチェックリストを貼っていただけないものでしょうか。
温泉内に貼ってある「効能書き」みたいに。



縦幅、よし。
横幅、よし。
ブリッジ、よし。
って指差し確認できるように。


あとフレームを選ぶとき
視力が悪いため
自分の顔がちゃんと見えなくて五里霧中なので
度入りメガネで選べるようにならないものでしょうか。


ま。反省しきりですが、
遠近両用になったので
手元の書類を見るときは
これまでより颯爽としていますよ。
きっと「デキル感」が匂いたっているだろう。


全体の印象としては、
「女子寮の厳格な寮長」から
「60年代の長髪フォーク歌手」に
変身を遂げています。(いいのか)


わたしがもう一つやっている
ウェブマガジン「どうする?Over40」では、
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こちらに詳細を書いています
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健やかな成長があるように、「健やかな老い」もきっとある。


父が事業をしていて
その会社で父の兄弟がほぼ全員働いていたので
長男の嫁である母は、
いろいろと苦労しました。


わたしも姉も、そんな母を見ていたので
なんとなく「苦労をかける親戚ばっかりでイヤだな」と思って
育ってきたのです。


特に近所に住むカズコおばちゃん(父の弟のお嫁さん)を
母はなぜか嫌っていました。


その母が昨年の暮れに亡くなり、
姉としばしば話すのは、
「カズコおばちゃんは、そんなにイヤな人だったのか」ということです。


母が亡くなるまでのおばちゃんの言動、
それ以後の姉に対する言動、
わたしたちふたりの幼いころからの記憶に残るおばちゃんの言動…。
むしろ、とても誠実な人なのではないだろうか?


わたしたち子どもにはわからないことがきっとあった。
それはきっとあったのだろうし、
母の苦労や葛藤はわたしたちにはわからないけれども、


母には、母の「偏った見方」があったのだな。


もしかしたら、
このおばちゃんのほうが
人間としてはデキた人だったかもしれない。


姉と、そんなことを話したりするのです。


最近、「健やかな老い」ということを考えるようになりました。


「健やかな成長」があるように
「健やかな老い」もあるのではないか。



肉体が衰えていくのは当然として
自分自身の見方の「偏り」を自覚すること。
視点を変えてみること。


そして、生まれてくる新しい生命や
若い世代への慈しみと敬意をもつこと。


老いた人や亡き人の新しい面を発見し、
「古いもの」として捨て置かず
もう一度、理解しなすこと。


そんな内面の作業を続けることによって
わたしたちは、
健やかに老いられるのではないだろうか。
そんなことを思うし、
希望を見いだせるような気がするのです。


そんなふうにして
母とカズコおばちゃんに
もう一度、思いをはせてみます。


母とカズコおばちゃんは、
相性が悪かったんだと思います。
母は、おばちゃんのことが嫌いというより
苦手だったんでしょう。


母には、その出自より「上品」な人としてふるまいたい
という気持ちが強くありました。
もっと学びたかったのに学べなかった悔しさが
おすましや気取りとして表現されていたんだと思います。


そんな母にとって
いささかガサツではあるものの
「嫁」という立場にしっかりと適応して
段取りよくテキパキと世事をこなすカズコおばちゃんは
居心地の悪い存在だったでしょう。
自分を無能に感じることもあったんだろうなあ。


そんな母を思うと
愛しく、懐かしく、
心のなかで抱きしめます。


さまざまな人(亡き人も含め)と
出会いなおしていけると思うと
生きているって本当に本当に幸福です。





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「袖丈が余っている」と評された福島瑞穂氏から考える「袖放置問題」



昨日、NHKの「明石家紅白!」を見ていたら
自在に動く明石家さんま氏の着る、
ベージュ色のスーツが、
ほんとのほんとにジャストサイズで
その痩身と年齢を感じさせない躍動性を際立たせていました。


こんなサイズ感のスーツを着こなす60代男性ってすごいな。
贅肉感、ゼロ。
肉体にも、精神にも
まったく贅肉がついていない感じ。
自らの機能を「お笑い」という仕事に徹底的に集約させている姿は、
鋭利な刃物みたいです。


サイズ感といえば、
軍地彩弓という方の
小池百合子の「戦闘服」はこう計算されている
という記事に
福島瑞穂議員について


「色スーツを着ているが、
いつも袖丈が余っていて、
吊るしのまま買っているのが見受けられる。
また、デザインがひと時代前なので
『遅れているひと』というイメージがつきまとう」



とズバリ評されていました。


なるほど、福島議員の魅力ともいえる、
あの変わらぬ「垢抜けなさと野暮ったさ」は、
「何となくイケてないデザイン」だけでなく、
「いつも袖丈が余っている」という
サイズの合ってなさにも起因するんですねー。
たしかに言われてみれば、
余っているような気がします。


「吊るし」のスーツを買い、
そのお直しをしないことも
彼女の「庶民性」や「こだわらなさ」の表れともいえますが、
肩幅の袖の長さも合っているに越したことはない。


が、しかし、「袖の長さ」ってビミョーに放置されがちなのです。



パンツの裾をカットしてもらって番号札をもらうほど簡単ではない。


しかも、ジャケットなんかだと
「こうやってブラウジングすれば大丈夫ですよーー」
「ああ。このお袖、カットしてしまうとラインが崩れますねえ」
っていう店員さんも多いしね。
つい、面倒になって
「あ。じゃ、これでいいです」って言っちゃう。
言っちゃいませんか。


わたしも腕が短いので
「いつも袖丈が余っている人」として
あちこちで認知されているのだろうか。
認知されているんだろうなあ。


服ほど「サイズの合ってなさ」を指摘されませんが
ビミョーなイケてなさって
あちこちにありますよね。


先日の記事に書いたメガネもそう。
(あれだけ大騒ぎしましたが、誰も気づきませんでした 悲哀)


あと、わたしの場合、エコバッグですよ!
これまたビミョーに持ち手が長くて
肩にかけているときは、まあ、いいんですが、
(なで肩だからすぐに落ちる)
バッグといっしょに手に持っていると
グルグルグルグルと回転を始めて
紐がネジネジになってしまうのです。


実家に一人で住んでいる姉は、
茶の間でごはんを食べ、テレビを見て
さらにテーブルをすみっこに移動させてまで
そこに布団を敷いて寝ているので、
それ以外の部屋は、まったくといっていいほど使われていない状態です。


家と暮らしのサイズが合っていないよ>姉ちゃん


「あの人、自分のことを大きく見せようとするのよねえ」なんて言い方も
一種のサイズ感のズレですね。
こうありたい自分と現実の自分と周囲の理解がズレている。


もちょっとサイズに敏感になろうかな。
まずは、袖と紐な。私の場合。
紐は、エコバッグ。





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(メールをくださった方には、順次お返事を書いています。
必ずわたしからご連絡しますのでもう少しお待ちくださいね。)

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気がつくと、人生が「間に合わせ」で終わってしまう悪いクセ。


「引っ越したら」
「同居したら」
「子どもができたら」
「仕事を辞めたら」
…という具合に、
現在を「仮の状態」だと考えて生活を続けることがあります。


それほど大きな節目じゃなくても
「あと数年で単身赴任が終わるから」とか
「あと少しで子どもも家を出るから」とか
「もう少しでリフォームしようと思うから」といった理由から、
そのままにしておくこと。


つまり、何かが本決まりになったり、
安定したりすることを待っているのですが、


そんなことをしてたら
人生が「間に合わせ」で終わってしまう。



…というのがわたしの実感です。


引っ越ししたらはじめよう憧れている暮らしは、
「いま、ここ」で習慣化していなければできないし、
「仮」だと思ってテキトーに済ませている間にも
人生の時間は刻一刻と過ぎていくのです。


そう、人生の時間に間に合わせはないのです。



この「間に合わせ」問題は、
すでに何度かこのブログに書いていますが、
(このあたり↓)
脱!服も暮らしも「間に合わせ」。
「過渡期」を愛して、人生の質を上げる!
わたしの永遠のテーマともいえるかもしれません。


先日も娘の部屋を何とかしたいなあと思った瞬間、
「そうはいってもワーホリも行くかもしれないし、
どうせ大学卒業したら出ていくんだし…」
という心の声が聞こえました。
つまり、あと2年ぐらいこのままでいいんじゃね?ってことです。


いい、といえばいい。
なんにも困らない。
お金だってかかりません。


でもね、これがクセモノなんです。
年とともに「何も困らない」ゆえの放置は
増殖こそすれ減ることはめったにないからです。
わたしの実家もそうだったし、
夫の実家もそうです。


たとえ、2年程度でも、
いや1年でも、
1カ月でも
1日でも、
そのときの快適さを作るために
可能な範囲でアップデートすること。
気力と体力があるのならね。


それは居心地だけじゃなくて
生活スキルと問題解決力の向上につながり、
「明日という新しい日」への希望にもつながる気がします。





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