気乗りしない人と会うかどうかは、人間関係でなく人生の時間の問題。


たとえば、


「昔からの友だちで、
決して悪い人じゃないんだけれど
会ってももう一つ、楽しくない。
なんとなく引っ掛かりを感じて
別れたあとも、その屈託を引きずる」


…というような人とのつきあいをどうするか。


誘われたら、会いにいくか。
気乗りしないので断るか。


好きではないが、大嫌いというほどでもないし、
向こうは自分を好いてくれているようだし、
ささいな問題といえなくもないから、行くか。
人間関係は大事だし…。


とも思うし、


いやいや。でもやっぱり楽しくないよ。
約束したあと、その日まで気が重いよ。
それでいいの?


と思いなおす。


んじゃ、断ろう!


と決めると


そんなことでいいのかな。
人間関係を狭めてないかな??
もっと心を開いてつきあうべきでないかな?


と自責の念が頭をもたげる。


…なんてことありませんか。


この問題がややこしいのは、


「人間関係」の問題に見えて
「自分の時間をどう使うか」という問題だという点



にあります。


その友だちのことは、
「会わなければ好き」でいられたり、
「長時間の会話をしなければ嫌いじゃない」ままでいられるわけで
簡単なLINEやメールでなら、
つきあいを続けることは可能かもしれません。


短い会話で心を交わすお友だち。


として大事にすればいいともいえます。


問題は「自分の時間をどう使うか」。


誘われたら、会いにいくか。
気乗りしないので断るか。


という迷いの本質は、
「自分の時間をどう使うか。
経験上、楽しくないとわかっていることに
自ら進んで時間を費やすのか」というところにあります。


これは、もう、きっぱりと
どちらかに決めるしかない。
「会うこと」が決まった一週間を過ごすのか、
「会わなくていい」という気楽な一週間を過ごすのか。
当日は、どの場所にいるのか。誰といるのか。


「どう生きるか」を自分自身で決めることを「自由」と呼ぶならば、
それは、「どんな時間を使うか」を自分で決めることですもんね。


たとえば、


●仕事のあとの飲み会には行かない
●冠婚葬祭には出席しない
●本当に気の合う仲間としか会わない


なども「人間関係」の問題というより
「時間の使い方」の問題でしょう。
スパッと断れば、
「頑なな人だ」と思われるでしょうが、
そうやって「自分の自由にできる時間」が手に入るのも事実。



「自由」と「頑な」は、表裏一体なんだな。


…と最近、思うようになりました。
どこかに選択の「芯」をもっていないと
心の自由はずっと手に入らないぞ。
あらゆる様子伺いに費やして
タイムオーバーになっちゃうぞ、と。


自由のための「頑なさ」は、
寛容や柔軟と共存可能な気もしています。





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