健やかな成長があるように、「健やかな老い」もきっとある。


父が事業をしていて
その会社で父の兄弟がほぼ全員働いていたので
長男の嫁である母は、
いろいろと苦労しました。


わたしも姉も、そんな母を見ていたので
なんとなく「苦労をかける親戚ばっかりでイヤだな」と思って
育ってきたのです。


特に近所に住むカズコおばちゃん(父の弟のお嫁さん)を
母はなぜか嫌っていました。


その母が昨年の暮れに亡くなり、
姉としばしば話すのは、
「カズコおばちゃんは、そんなにイヤな人だったのか」ということです。


母が亡くなるまでのおばちゃんの言動、
それ以後の姉に対する言動、
わたしたちふたりの幼いころからの記憶に残るおばちゃんの言動…。
むしろ、とても誠実な人なのではないだろうか?


わたしたち子どもにはわからないことがきっとあった。
それはきっとあったのだろうし、
母の苦労や葛藤はわたしたちにはわからないけれども、


母には、母の「偏った見方」があったのだな。


もしかしたら、
このおばちゃんのほうが
人間としてはデキた人だったかもしれない。


姉と、そんなことを話したりするのです。


最近、「健やかな老い」ということを考えるようになりました。


「健やかな成長」があるように
「健やかな老い」もあるのではないか。



肉体が衰えていくのは当然として
自分自身の見方の「偏り」を自覚すること。
視点を変えてみること。


そして、生まれてくる新しい生命や
若い世代への慈しみと敬意をもつこと。


老いた人や亡き人の新しい面を発見し、
「古いもの」として捨て置かず
もう一度、理解しなすこと。


そんな内面の作業を続けることによって
わたしたちは、
健やかに老いられるのではないだろうか。
そんなことを思うし、
希望を見いだせるような気がするのです。


そんなふうにして
母とカズコおばちゃんに
もう一度、思いをはせてみます。


母とカズコおばちゃんは、
相性が悪かったんだと思います。
母は、おばちゃんのことが嫌いというより
苦手だったんでしょう。


母には、その出自より「上品」な人としてふるまいたい
という気持ちが強くありました。
もっと学びたかったのに学べなかった悔しさが
おすましや気取りとして表現されていたんだと思います。


そんな母にとって
いささかガサツではあるものの
「嫁」という立場にしっかりと適応して
段取りよくテキパキと世事をこなすカズコおばちゃんは
居心地の悪い存在だったでしょう。
自分を無能に感じることもあったんだろうなあ。


そんな母を思うと
愛しく、懐かしく、
心のなかで抱きしめます。


さまざまな人(亡き人も含め)と
出会いなおしていけると思うと
生きているって本当に本当に幸福です。





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