孤独な時間を 「どこか賑やかで濃密なもの」にしてくれるもの。


又吉直樹さんが、どこかで
「ぎっしりと本が並んでいるところに身を置くと
『ここには、自分と同じように
夜通し苦しみながら文章を書いた大勢の人たちがいる』と感じて
しばし孤独を忘れる」というようなことを書いていました。


書架に並ぶ本を
又吉さんのようなまなざしで見つめたら、
あらゆる時代、あらゆる場所で
文章を書き綴った人々の
焦燥や集中や想念が空間全体を満たして
筆記具を走らせる音や息づかいまでが
聞こえてきそうです。


そう考えると書店も図書館も
どこか賑やかで濃密な空間になりますね。
いのちが吹き込まれるみたい!


古い家に魅かれて住みこなそうとする人も
あちこちに残る暮らしの痕跡から、
「こんなふうに料理をしていたのか」
「ここで夕涼みしていたのかな」などと想像し、
かつて、そこに住んでいた人たちと
どこかでつながっている感覚をもつのではないでしょうか。


なんかねえ。おもうのですが、
人生、そうそううまくいかないじゃないですか。


悲しいこともあれば、
憎らしいこともあれば、
妬ましいこともあれば、
めんどくさいこともあれば、
うっとうしいこともある。


いろんな思いを抱えて
それなりに懸命に生きてきたあの場面、この場面の記憶は、
これから役立つのではないか。
(うまく役立たせるか、呪詛に終わるかは、自分次第)


たとえば、


思い悩みながら皿を洗った日々が、
おなじように「思い悩みながら皿を洗った」
かつての人々とつながる手立てになる。



とでもいいましょうか。


自分が過去と未来が接する点になって
いまを生きる人とも
過去に生きた人ともつながる。
そんな想像力と共感が孤独な時間を
「どこか賑やかで濃密なもの」にしてくれるんじゃないかなあ。
そうあってほしいなあー。


前回もメイ・サートンの著書「夢見つつ深く植えよ」から引用しましたが
今日もひとつ。


    「そう、ほんとうにきれいよ。
     でも、この家では誰ひとり亡くなってないでしょう。
     だからどうしてもここでは落ち着けないのよ」




うーん。たまらん。死者と親しみ、それを安らぎとする高度なワザ!





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親愛は「いらないものと、やってくる」。それもいつか懐かしい?


昨日、お隣のYさんが、
「じゃがいもを丸ごと茹でて皮をむいたもの」を
山盛り、もってきてくれました。


ありがたくもらって、
ポテトサラダにしてもよし、
ポタージュスープにしてもよし…と
思っていたけど、
いざ料理をするときには忘れてしまって
いまも冷蔵庫で出番を待っています。


今日、お隣のYさんは再び、
「じゃがいもを丸ごと茹でて皮をむいたもの」を
山盛り、持ってきてくれました。


昨日と今日の違いは、じゃがいもの大きさでした。
今日のじゃがいもは、一口サイズです。


「ああ!これだと、このまま煮っ転がしにしてもいいし、
フライドポテトしてもよさそう!」と
ありがたく受け取りました。


Yさんちには、家庭菜園をしている友だちから
いろんなサイズのじゃがいもが届いたんだそうです。


Yさんは、うちに旅のお土産や手作りのお寿司などのほかに
「もう誰も弾かなくなった古いギター」
「まだ新品同様だけど娘さん(40代)が履かなくなった安そうなソックス」
「奥さんが折り紙で作ったお手製の小箱 色とりどり」
「株分けして大きくなった『金のなる木』の鉢植え」など
個性豊かなものを、いろいろもってきてくれます。


「これ、うちではいらないけど隣は使うかも!」
って、なっているんでしょうね(笑)。


Yさん夫婦は、おじさんのほうは80歳ぐらい、
おばさんは70代半ばとまだ若いのですが、
「いまどきの元気な高齢者」像とは違って
「静かに余生を送るお年寄り」という雰囲気。


どうも、おふたりにとってわたしたちは、
マンションができて20年後に引っ越してきた
「新しくやってきた人たち」のままで、
「若い親子」のままのようなんです(55歳だけど!!)
娘も当時は、2歳だったしなあ。
(それから18年、経ってるけど!!)


Yさんが持ってきてくれる
お手製のてんぷらやお寿司や炊き込みご飯は、
質素な暮らしぶりが伝わる
ちょっと甘めの、懐かしい味のものばかり。
もう何度ももらっているのに
そして自分は「おばあちゃんの味」を食べたことがないのに
「おばあちゃんの家でごはんを食べている」ような気分になるんですよね。


そこに、ときどき
錆びたギターや
古いソックスや
折り紙小箱の山や
大昔のキャラクターグッズがぶち込まれて
びっくり仰天し、
しばし、玄関に立ち尽くすのですが、
まあ、使えるものは使えばいいし、
こっそり処分してもいいし、
しばらくうちに置いておいて
ほとぼりが冷めたときに処分してもいいやあー、
と思っています。


つつましく暮らすやさしい年上の人たちが
自分ではどうしても処分できないものを
こっちが受け取って
たまに代行するぐらい別にいいや。
…なんて思えるのは、
Yさんたちが、「それ以外のことでは常に心地よい距離を保つ、
信頼できる誠実な人たち」で
「こちらが本当に迷惑なことはしない」と
わかっているからですけどね。


そういえば、わたしの亡くなった母は、
「こんなもの送ってもいらんやろ!」と言って
手作りの料理などはまったくといっていいほど送ってこず、
新品の下着など「買ったものだけ」を送ってきましたが、
今となっては、
「もっといろいろ手作りのものや郷土のものを送ってきて
『こんなのいらないよー』とフン!と迷惑に思いながら開封し、
ポイと捨てちゃったり、腐らせたりしたりと
ウンザリさせられてもよかったなー」
と思います。


「懐かしさ」は、
「多少は被った迷惑」も加味されて
より一層深くなったりするんじゃないだろうか。



しかし、じゃがいも!
ほんとに、今日こそはなんとかしなければ!(と思ったけど今日も食べなかった!)
茹でずに、生のまま、くれる、
という選択肢はなかったのだろうか!?
せめて今日の分ぐらい!


あ。Yさんのこと、ここにも書いていました。
あげたほうは覚えていて、もらったほうは忘れる法則。
やっぱ、いとしいな。





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「貯金せねば」と「優柔不断」の合併症が、人生の質を下げる。


老後破産とか、貧困老人とか、
老後資金には最低限これぐらい必要!とか
これだけあちこちで目にすると


貯金せねば!



と、どうしたって思います。


この「貯金しなければならない!」という強迫観念に
「なんにせよ迷う」という優柔不断が加わると、


お金の使い方が、終始、下手。


という事態を招きます(断言)。
なぜ、断言するかというと
わたしがそうだからです。


心のどこかにつねに
「貯金せねばならぬ」という思いがあるため、
ちょっと大きい出費が必要になると、
(電化製品や自動車の故障とか、
家の修繕とか、そういうあれこれ)
決断を先延ばしする、
ということになりがちなのです。


決断の先延ばしとは、
「ちょっと様子を見る」というかたちであらわれるのですが、
「様子を見る」とは、
つまるところ、


●もっと本格的に壊れる
●もっと本格的に古くなる
●もっと本格的に不便になる



まで放置する、ということです。


このような「決断の先延ばし」によって
犠牲になっているものは、ひとつ。


自分自身の快適性です。
ちょっとした心地よさ、といってもいい。



この強迫観念(将来への不安)と
優柔不断の合併症である
「決断先延ばし病」。


これが重症化すると、
何か非常にショックな出来事はあったときに、
セルフネグレクトまでいくんじゃないか??


そんなことも思います。


あくまでもお金が許せば、ですが、
自分の心地よさを犠牲にしないで、
快適さを優先して、
サクッと決断したほうがいいよ>わたしやわたしみたいなあなた。


人生のクオリティ(とくに後半生)は、
日常の心地よさが決めるといっても過言じゃないと
思います。



不安からくる、もろもろの優柔不断とケチごころ。
ちゃんとコントロールして、
乗っ取られないようにしたいものです。





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サプリメントのCMが閉じ込める、「いきいきとハツラツの檻」


サプリメントのコマーシャルを見ていると
出てくる人、出てくる人がみな、
「健康で若々しければ幸せ!」という顔をしていて、
その「若々しさ」と「健康」だけで満足げなところが、
なんともいえない「年寄り感」を醸し出しています。


元気で、からだがよく動いて
家族や友だちに囲まれていれば、
そりゃ、そうじゃないより幸せかもしれませんが、
それだけで幸せともいえないでしょう。


若いときと悩み方は違っても、
やっぱり、悩みや葛藤を
同じようにかかえて
日々を生きているんですから。
いくつになっても。


「いろいろ悩んで生きている感」があったほうが
年寄りくさくならないと思うなあ。
コマーシャルでは、
やけにはつらつとした顔でウォーキングしているけど、
その「はつらつ」が
なぜか、見ているこちらの希望を奪う。


「いくつに見える?」と自信満々に聞いてくる人が
決まって年相応か老けて見えるように



「若々しく見える」ことを希求しすぎると
アピールポイントが「容姿」や「体力」に限られ
その限定によって年寄りくさく見える、というジレンマ。




コマーシャルにおける高齢者の描き方って
とても大きな課題ですよね。
ステレオタイプは、
だれの心も動かさないかわりに、
悪しき先入観だけは植えつける。


特別にすぐれた人の特別にすごい老いでなく、
健康と若々しさを求めるやたらと生き生きとした老い(サプリ系)でもなく、
孫や家族に囲まれてにこやかに微笑む老い(住宅・保険系)でもない、
「年上の人たちの造形」が見たいなあ。


年上なんていってますが、
55歳は、サプリメントのコマーシャルに登場する年齢なんですけどね。
だからこそ一層、ステレオタイプの描き方で
「いきいき&はつらつ」の檻に閉じ込められたくないなあと思います。


人生はもっと悩みに満ちて
だからこそ柔らかく美しいんじゃない?




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頭頂部の薄毛に「ふりかけてみた」。その効果はいかに?


「スーパーミリオンヘアー」は、薄毛女性の隠れた救世主か!?の記事に


わたしもチャレンジしてみよう。
薄毛同盟のみなさま、報告を待て。


と書きました。


薄毛同盟のみなさま。
お待たせしました。


先日、お試し用ダークブラウンが届き、
さっそく頭頂部を中心に振りかけてみました。


結論から申します。


かなり満足のいくフサフサ具合。



前記事のコメントに
きゅーさんが「愛用しています。もう、手放せません」
と書いてくださっていたので
期待モリモリで待っていましたが、
予想を上回る頼もしさでした。


もちろん「ふりかける」ものですので、
前髪の生え際(額のところ)や
サイドの生え際は、やや不得意。
横や斜めから振りかけるのは
角度的に難しいのでね。


ただ、頭頂部周辺エリアの薄毛には、
効果を発揮しますよ。



ふりかけたあと、家族に
「どう?どう?」と聞きましたが
「まったくわからん!」と言われました。
その後、自然光やスーパーの光の下でも
「どう?どう?」としつこく聞きましたが、
「ぜんぜん!不自然じゃない」と言っていたので
かなり自然なんだと思います。


なんといっても
トントンとふりかけるだけなので簡単。
その後、付属のヘアミスト
(ハードスタイリング剤。市販品で代用してもよいらしい)
で定着させるだけ。


なんでも、植物性の人工毛を細かく裁断したものらしく、
「粉状になったかつら」
もしくは
「かつらを粉末にしたもの」と
考えることもできます。


かつらがカツオ節なら
スーパーミリオンヘアは、削り粉!
(この比喩、要ったかな?)


「ふりかけウィッグ」とでも呼んじゃう??


わたしはダークブラウンを買いましたが、
かなり黒に近いので
もっと明るい色に染めている人は、
色を選んだほうがよさそう。
安全性は確認されているとはいえ粉末なので
極力、吸い込まないように注意した方がいいと思います。
頭皮や呼吸器への安全性についてはこちらで確認。


オフィシャルサイトを見たら、
色のバリエーションも豊富でした。
ブロンドやグレー、ホワイトまであった。


先週、長崎に帰ったときには、
まだ届いていなかったんですが
姉ちゃんに話したら、
「即、送れ。帰ったらすぐ送れ。効果がなくても送れ」と言っていたので
さっそく送って姉にも使用感を聞いてみますね。
その報告も待つ?


ともかく


頭頂部の薄毛で悩んでいるなら
使ってみる価値はあるかも。



わたしは、明日の仕事にもふりかけていきますよー。


オフィシャルサイト、情報が充実しているので一読をおススメします。

レビューが多いのはここ。
色も比較的揃っています。



こちらはお試し用。





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わたしは手を変え、品を変え、自分をなぐさめている。


数えてみたら、このブログも1100記事を超えていました。
われながらすごい。
なにを、そんなに、書くことがあるんだろうか(笑)。
ある、ともいえるし
なくても書いた、ともいえる。


冷静になって考えてみると
こうやって書くことによって


手を変え、品を変え、自分を慰めているんだと思います。



「これこれこういうことがあった」
「こう感じたが、こうも考えられるのではないか」
「そうだね。そうも考えられるだろう」
「んじゃ、そういうことにしておいて明日もなんとかやっていこう」


…という感じ。


ただ、自分で自分を慰めるだけだと
読む人はちっともおもしろくないだろうから
同じような体験をした人を
自分といっしょに慰めようとはしてきたかも。


わたし自身の体験を真ん中において
いろんな角度から自分なりに眺めてみて
これなら多少はほかの人と共有できるかな。
その人の身近な問題に置き換えて
受けとってもらえるかな。
そして慰めを得てもらえるかな。


とちょっと吟味してから書いている。


この方法を1100回以上繰り返してきたので
わたしは、わたしを慰めることが上手になりました。
「慰めている」というちょっと柔らかいけど気弱な表現を
自分の記事に使えるようになったことも、
悪くないなと思います。
硬くて意固地になるより、ずっとよくない?


かつて記事に書いて慰めたことは、
「ああ。ああやって慰めたな」と記憶に残っているので
もう、慰める必要がなくなっているものもあります。


自分だけの一過性の慰めにしておかなくてよかった。


書いて、読んでもらって、自分を慰めて。
まあ、なんと、幸せなことです。


これからもよろしく。
(なんの記念日でもありませんが、
まあ、お盆休み明けなので
ごあいさつ風に)


・・・というわけで今日もこうして慰めました。
あなたも少し慰まっている(←この言葉、ある?)とうれしいです。






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懐かしさが招く、「変わっていない」という期待と錯覚。


約20年ぶりに友人から電話がかかってきたんです。


すでに何度か書いているのでご存知の方もいると思いますが、
わたしは大学卒業後に劇団を旗揚げして
35歳ぐらいまで演劇を作っていたのです。
先週、その当時の友人に突然電話をもらい、
懐かしい小劇場が閉館すると。
その最後の公演に誘われました。


その友人はいまも表現を続けていて、
昔のままのハリのある温かくて知的な声。
パブリックな場所で
声を発している人の緊張感ある声です。


「行く!」とすぐに約束して
いろいろ話をしたのですが、
そのとき目に浮かんでいるのは、
「当時の劇場」と「当時の演劇をしていた友人たち」と
「当時のわたし」です。


あの懐かしい劇場に足を運んだら
「当時の自分」のように扱われ、
「当時の自分」のようにふるまえるかのように空想して
懐かしさと気持ちよさで高揚したんですね。


あのころから20年。
そんなことあ、ない。



何もかも変わった場所には
知らない人がたくさんいて、
55歳のわたしは
若い人たちに
「知らない年長者」として迎えられるのです。


いやあ。
「懐かしさ」や「若い記憶」って
一瞬、錯覚を呼びますね。


まだ、そのまま続いている感覚。
あのころの「延長線上にある関係の再来」を夢見る。
変わっていないかもしれない、という期待と錯覚。



繰り返しますが、
そんなこたあ、ない。


20年という時間は、雪のように、埃のように、
わたしの顔に降りつみ、
彼女の顔に降りつみ、
それぞれの顔のうえにうっすらと積もって
輪郭を変えたり、分厚くしたり、隠したりしているのです。


いやあ。
あまりにも久しぶりなので
「わたしはいま、どんな顔になっているんだろう」
と「演劇をつくっている人」の目線で
見つめなおしたりしました。
ゆるんでいるだろうなあ。
緊張感ないだろうなあ。


まあ、仕方のないことです。
それに、そんなことはどうでもいいしね。


懐かしい劇場に心のなかでお礼を言い、
いまも表現を続けている人たちに
敬意を伝えてきましょう。


わたしも、常に、とはいえないけれど、
概ね、たゆまず、くさらず、ひがまず、
日々を生きてきたのだし、
それでよしとしようぜ。


さらに、その日は、当時、もっとも深く、
もっとも情熱を傾けて作品をいっしょに作った
O君もやってきます。


大切な人たちと会う時間に
むだな感情や見栄や期待を持ち込まず、
大事に大事にしてこようと思います。





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「運動」を始めたり、やめたり、また始めたりしながら老いていく。


日常の暮らしのなかで
とりたてて「運動」を意識しないのに
ちゃんとカラダを動かしていて
いつまでも若々しく元気!という
「人生フルーツ」のつばた英子さんのような元気さが理想。


しかし。


自分の暮らしのどこをどう見渡しても
そんな運動の発生する余地なし。



家事をするといっても
狭いマンション。
ガーデニングをするといっても
狭いベランダ。
仕事はパソコン。
油断したら座りっぱなし。


つばた英子さんは
日々の農作業のほかに
機織りもやっておられるので
その際の脚の屈伸運動も
効いていると見た。
ああ。農作業も遠いが、
機織りはもっと遠いぞ。


お盆に長崎に帰ったとき、
ヒール高めのウェッジソール・サンダルを買ったら
ちっとも痛くなくて上機嫌で歩き回ったのですが、
その夜、立ち上がりがオバアサンになりました。
脚のあちこちが痛くて。


久しぶりに「ヒール筋肉」を使ったのだ!


と思いました。


いやあ、何ごとも
「しばらくやっていないと衰える」ものですなあ。
それからムキになってサンダルを履いたところ、
脚もしぶしぶ慣れたようで
いまは、夜になってもオバアサンにはならず
とりあえずオバサンのままです。


日々の暮らしと運動、という問題。



これ、なかなかに奥深い問題じゃないですか?
自分なりの「これ!」という結論、導いておられますか。


一人ひとりが自分にとっての最適解を見つけるしかない。


ってところがなかなかにして深い。
運動の種類も多く、
効能もそれぞれ、
得意不得意もあれば
精神面との強い結びつきもあって
「求道的」になろうと思えばどこまでもなれる(人によっては)。


片岡鶴太郎氏にとっては
一日4時間のヨガが最適解なのでしょう。
でも、わたしのような飽き性の人間は、
「最適解が見つかる手前で飽きてしまう」。


「何もしない。衰えるに任せる」と腹をくくるのも
それはそれで見事な生き方だとは思うものの、
なかなかそんな度胸はなくて
ちょっとした衰えを感じるとびびってしまい、
新聞に簡単ストレッチが載っていれば切り抜いてみたり、
ユーチューブを見て思い出したようにヨガをやってみたりするのです。


ああ、こうやって運動を始めたり、
さぼったり、やめたりしながら老いていくのだ。



始めました。


イラストレーター中島慶子さんの記事を公開前に読んだら
肩こりがすぐに治ったと書かれていて
善は急げとさっそくストレッチポールを買いました。


目下、この方の動画を見てやっています(夢中期)。
とてもいいのですが、
手の指先を「つま先」とおっしゃるので
そこだけだれか注意してあげてほしい。


こちらは正規品ではないけどレビューが5000以上。



円筒形なのでゴロゴロ動かせるのが
マッサージ器みたいで気持ちいいです。






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津端英子さんの一筋縄でいかない個性と行動力がすごい著書「キラリと、おしゃれ」

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「若い!」「変わらない」…再会の定番リアクションから降りてみる。


先週は、懐かしい友人と会い、
ゆっくりと話ができて
とても楽しかったです。


わたし、ちょっと発見したかもしれませんよ。


何を発見したかというと


「久しぶりの再会のとき、
大げさな定番リアクションをしない楽しさ」



その日はたまたま小さな劇場で会ったので
大声は出せないし、
場内は暗くておたがいの容姿がはっきり見えないし、
まあ、はっきり言うと
若いのか、老けたのか、いまひとつ不鮮明(笑)。
ごにょごにょと会場の感想などを話している間に
舞台が始まってしまいました。


その後、おたがいの家族について話したりもしたけど、


「〇〇ちゃん、どうしてんの!?」


…とおたがいの知人について
力を入れて聞きだすこともしなかった。
その後も、若いとも老けたとも変わったとも
おたがい言わなかった。


これから、わたし、再会の際には、
この方式でいこうかな。



「若いね!ちっとも変わってない!」
「相変わらず、キレイ!」
「〇〇ちゃん、どうしてんの?」
「最近、何してんの?」
「おたがい、老けたね!」


…という定番のやりとりも悪くないけど、


相手の年齢も仕事も現在も容姿も
まったく意に介さないように普通に話しはじめるのも
いいんじゃないか。



今度、同窓会に行ったら
(いまのところ予定ないけど)
そんなふうにしてみよう。


「若い」と言われたい人、
「キレイ」と言われたい人には、
期待はずれのような、
肩透かしのような印象を与えるかもしれないけど、
でも、その人だって、どこかほっとしないだろうか。
ほっとして解放されないだろうか。


「若い」も「きれい」も別の文脈で
もっと落ち着いて伝えたほうがいいもんね。


・・・なんて思っていても
わたしの場合、間がもたなくて、
「全然変わってないねー」とか言っちゃうんでしょうけど
おおげさな定番リアクションのやりとりに
あまり前傾姿勢で臨まないようにしたいな。


過剰なホメは、
ときとして「過剰にほめて」のサインになるし、
自分が期待するリアクションがないと
なんとなく落ち込んで
しょんぼりと帰ってきたりすることになるからね。


定番リアクションの応酬からは、
人柄よく、機嫌よく、あらかじめちょこっとだけ降りておくといいと思います。





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