懐かしさが招く、「変わっていない」という期待と錯覚。


約20年ぶりに友人から電話がかかってきたんです。


すでに何度か書いているのでご存知の方もいると思いますが、
わたしは大学卒業後に劇団を旗揚げして
35歳ぐらいまで演劇を作っていたのです。
先週、その当時の友人に突然電話をもらい、
懐かしい小劇場が閉館すると。
その最後の公演に誘われました。


その友人はいまも表現を続けていて、
昔のままのハリのある温かくて知的な声。
パブリックな場所で
声を発している人の緊張感ある声です。


「行く!」とすぐに約束して
いろいろ話をしたのですが、
そのとき目に浮かんでいるのは、
「当時の劇場」と「当時の演劇をしていた友人たち」と
「当時のわたし」です。


あの懐かしい劇場に足を運んだら
「当時の自分」のように扱われ、
「当時の自分」のようにふるまえるかのように空想して
懐かしさと気持ちよさで高揚したんですね。


あのころから20年。
そんなことあ、ない。



何もかも変わった場所には
知らない人がたくさんいて、
55歳のわたしは
若い人たちに
「知らない年長者」として迎えられるのです。


いやあ。
「懐かしさ」や「若い記憶」って
一瞬、錯覚を呼びますね。


まだ、そのまま続いている感覚。
あのころの「延長線上にある関係の再来」を夢見る。
変わっていないかもしれない、という期待と錯覚。



繰り返しますが、
そんなこたあ、ない。


20年という時間は、雪のように、埃のように、
わたしの顔に降りつみ、
彼女の顔に降りつみ、
それぞれの顔のうえにうっすらと積もって
輪郭を変えたり、分厚くしたり、隠したりしているのです。


いやあ。
あまりにも久しぶりなので
「わたしはいま、どんな顔になっているんだろう」
と「演劇をつくっている人」の目線で
見つめなおしたりしました。
ゆるんでいるだろうなあ。
緊張感ないだろうなあ。


まあ、仕方のないことです。
それに、そんなことはどうでもいいしね。


懐かしい劇場に心のなかでお礼を言い、
いまも表現を続けている人たちに
敬意を伝えてきましょう。


わたしも、常に、とはいえないけれど、
概ね、たゆまず、くさらず、ひがまず、
日々を生きてきたのだし、
それでよしとしようぜ。


さらに、その日は、当時、もっとも深く、
もっとも情熱を傾けて作品をいっしょに作った
O君もやってきます。


大切な人たちと会う時間に
むだな感情や見栄や期待を持ち込まず、
大事に大事にしてこようと思います。





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