過去が、 ざっくりとした「昔」という大きな塊に姿を変える衝撃。


この感じがうまく伝わるかどうか自信がないのですが、
ちょっと書いてみますね。


仕事中、環境問題に関する話題となり、
次第にかつての日本の公害の話になりました。


「うんうん」とうなずきながら聞いていたら、
「年齢的にも、よくご存じでしょう!
当時は、どんな感じだったんですか。
大騒ぎだったでしょう!」と不意に話をふられました。


そう尋ねたのは、50歳ぐらいの男性。
そのほかは、20代から30代の面々。
若い人たちは、時代の証言を待つように
わたしをじっと見つめています。


「そうですね。日本各地に公害による深刻な健康被害がありましたね」


と思慮深げに重々しく言いましたが、
頭の中では、どうだったかな??
わたし、そんなによく知っているかな??
たしかに覚えてはいるけれど、
「よくご存知」といえるほど知っているかな、
と正直、不安だったのです。
石牟礼道子氏の著作に触れるなどしたのは、
大人になってからのことです。


家に帰って調べたら、
工場排水などによる環境破壊が生んだ主な病気は、
1940年代から発見されはじめ、
50年代から70代前半に大きな被害を出していました。


わたしが生まれる前から、
10歳前後ぐらいまでのことです。


なるほどそうか。
たしかに知っているけれど
幼いときではあったのだな。


事件の衝撃について
周囲の人とああでもない、こうでもない、と語り合うような
そんな年齢ではなかったのだ。


しかし…。


この、「過去の時代に対する厳密な線引き」は、
わたしが「その時代を生きていた」から、
「その事件は幼すぎてわからない」とか
「それはよく知っている!」などと
微妙なところにまでこだわるのであって
10代や20代の人にしてみれば、
すべてが「生まれる前こと=昔」なのです。


そうなのですよ。


このようにして明確に区分された過去が、
ざっくりとした「昔」という大きな塊に
姿を変えてしまうのです!



60年代の色合い、
70年代の質感、
80年代の空気、
90年代の変化…。


わたしにとっては明らかに記憶の濃淡があり、
当事者感覚にも大きな違いのある
あのころ、あの時代のリアルさが、
「ざっくりとした昔という塊」になる!
ウギャー!


さらに。


その動きに自分自身が異を唱えなくなる傾向も
場合によりますが、ある気がするのです。


「いやあ、そこまで年じゃないですよ」とか
「それは知らないですよ。まだ、子どもだったから」という
細かい違和感の表明が求められていないことを察知すると
あいまいな答えで知っていることを否定しない傾向。


あああ。


こうやって「ざっくりとした昔という塊」の担い手に
なるのかしら。



・・・というお話でした。
言いたいこと、伝わりましたかね?




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