売り手も買い手も相手を値踏み。商売は、今も「人情」のやりとり。


武田百合子の「富士日記」を読んでいると
昭和40年代のガソリンスタンドや小売店の店主が
いろいろなものをくれるのが目につきます。


何かを買おうとして待っていると
「これを持っていけ」と何かをくれる。


はちみつアイスをくれたり、
おでんを食べて行けと皿に入れてくれたり、
すぐに食べられるように切った漬物をくれたり…。


「売る」と「くれる」の混在する商い。
「買う」と「もらう」の混在する買い物。


個人商店の多かった時代だからこそできた、
住居と店舗がひとつになっていたからこそできた
生活と商売が地続きになったやりとりですね。


店主の裁量に任される部分が多かったから、
不便なこともあっただろうし、
えこひいきもあったでしょう。
(武田夫妻は有名人なので好奇心もあったでしょう)
あの人にはくれる、あの人にはまける、
この人には、けんもほろろとか。


一度、もらえたからといって味をしめて
次も物欲しそうにしていたら、
「ふふふ。もらえると思ってるな。そんな奴にはあげない」
ってなりそうですね。
人は、他人の「物欲しそう」に意地悪だから(笑)。
ま。想像すると、いろいろ面倒くさそうでもある。


そんなことも含めて「富士日記」に描かれる商売は、
古きよき時代の温かい風景に見えるし、
事実、そうでもあるんですが、
それ以上に、モノの売買が
売り手と買い手が出会いがしらに
「相手の人柄を値踏みする」ことから始まる
人情のやりとりだということを教えてくれます。


売り手は感じのいい客(好きな客)には人情を刺激されるし、
感じの悪い客(好かない客)には心が動かない。
だからサービスもしない。


この原則は、個人商店の少なくなった今でも
実は、変わらないんじゃないでしょうか。


商売は、売り手と買い手が
出会いがしらに相手の人柄を値踏みする行為。



その相互性は、覚えておいたほうがいいですね。


ものを買ったり、
サービスを受けたりするとき、
「感じのいい客」であること、
少なくとも「感じの悪い客」でないことは、
道徳的に価値があるということ以前に、
「自分に高い値をつける(大事にしてもらう)」ための
実利的な行為なんだな。


商売だけでなく人間関係は絶え間ない相互の「値踏み」なので
自分の価値を疑わずにあぐらをかいて横柄にしていると、
いつのまにか「自分の値」がダダ下がりして
あちこちから見放されるということにもなりますね。


まわりに威張りちらす人がいたら、
教えてあげましょう。
黙っててもいいけどね。


特に「冬」の描写が好きです。
暮れからお正月のあたりがたまりません。





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オバチャンが「縁結び」に乗り出したら、試練が待っていたお話。


飲み会やランチ会、旅行の予約なんかでもそうですが、
すべて手配したあとに、何度も変更されると困りますね。


たとえば、「この日の切符をとろう」となって手配したのに
「この日じゃなくて、この日にお願い」と連絡がくる。
まあ、1回ぐらいは仕方ないと思うけれど、
そのあとまたさらに
「その日もダメになった。この日に変えて」という連絡がきて、
その口調が申し訳なさそうだったらまだしも
そうでもなかったりすると、
「はあ??もうやだ。いい加減にしろ」ってなる。


多かれ少なかれ、そんな経験は、
だれにでもあるんじゃないでしょうか。


ちょっとした飲み会でもそうなんだから、
縁談になるとさらに困るというお話です。


ブログ1103_convert_20171103172202


わたしの知り合いは、図のなかのBさん。
取引先で仲良くしてくださっている人で
先日、いっしょにお昼ごはんを食べました。


Bさんは、とてもいい人ですが
とりたててお世話好きというわけでもありません。
たまたま知り合いの息子さんに「いい人がいないかなあ!」と
友だちのAさんに言ったことが始まりだったそうです。


するとAさん。
「あ!〇〇ちゃんが紹介してほしいって言ってた!」と
図の中の「母娘」を思い出しました、。
年齢も条件もぴったりだということになり、
ふたりのオバチャンは
適齢期の男女を喜ばせたい!と盛り上がります。
はじめての縁結び体験にワクワクもしたんでしょうね。


途中までスムーズに話は進み、
お見合いの日時も場所も決まりました。
どんなふうに二人を引き合わせよう。
ホテルのロビーで待ち合わせて
ふたりのオバチャンは
「あいさつだけして帰ろうね」なんて言っていたら、
男性のお父さんが同行し、
挨拶だけして帰りたいと連絡が入ったのだとか。


「ああ、そうですか」となって
Bさん→Aさん→母娘というルートで伝えると
思わぬ事態が…。


(図、再掲)
ブログ1103_convert_20171103172202

「お父さんが来るなんて
そんな堅苦しい席はイヤ!」だと
娘さんが言ったのだとか。


お見合い寸前になって事態は、暗転。


Aさんがそのあと、「どうする?」と連絡しても
母娘からはなかなか連絡がなく、
しばらくして「断りたい」と言ってきたとか。


困ったのはBさんです。
男性側はとても乗り気で心待ちにしていたから。


Bさんは、わたしに言いました。


「Aさんは、自分は悪くない
自分も被害者みたいに言うんだけど
その言い方にも腹が立ったわあ!
『そんなことされたらBさんにも、男性側にも悪いでしょ』って
上手にとりまとめてくれてもよくない??
わたし、どんな顔して断ればいいのか
ほんとに申し訳なかったよ!」


実際、相手の男性にメールで伝えると
「了解です」という
ただそれだけの、そっけない返事がきたのだとか。



うわあ。つらーい。



こうして、ふたりの気のいいオバチャンの努力は、
実を結ぶどころか、
ビミョーな仲たがいを生んだ、というお話。


フランクなお見合いとはいえ、
Aさんは「母と娘」の代理人として
Bさんは「父と息子」の代理人として
相互の意向を正確に伝えて話を進めていく立場なので
どこかに確認不十分(本当は乗り気じゃないとか)や
誤解や鵜呑みや先走りがあると
どこかで暗礁に乗り上げちゃうんですねーー。


紹介の労をとる難しさだ。


そしてこういう伝言ゲーム的紹介は、
「自分に直接、接する人」に不満や恨みが集中するので
Aさんは母娘に
BさんはAさんに
父息子はBさんに
「フン!」って思ってしまう。
そう思われている側は、
「いやいや、自分は悪くないから」って思っている。


Bさんは、「もう二度と紹介なんてしない。懲りたわあ!」
って言ってました。



あああ。良かれと思ってやったのになあ。
忖度も斟酌も必要、
合理的な判断力も必要。
紹介したり、お世話するって
ほんとに奥が深いですなあ。





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ああ。老化とともにダイナミックになる「着脱」の範囲よ。



年寄りくさいことを書くと
「夢がない!読みたくないわ!」と嫌われないか心配になりますが、
そんな恐れをものともせずに書くことが
「攻めの姿勢」でもあるとするならば
それこそがチャレンジ!若さの証にほかなりますまい!
というわけで今日は、入れ歯の話です。


わたしは、まだかろうじて自分の歯のみで生きておりますが、
夫は、先日、奥歯をぬいて「部分入れ歯」の人になりました(合掌)。


食事は別段、フツーで
食べたいものを食べられるようでよかったのですが、
食後、必ず、洗面所に立つ。
すみやかに、立つ。


そして、おそらくは、歯を外し、
ジャージャーと流水で洗っている。


その音を聞きながら、
わたしが気になるのは、


外食後、どうするのか?!


という問題です。


外食後、歯磨きできなくても大変ストレスなのに。
(歯と歯のすき間があいているので
そこに食べものがつまるからです。わたしの場合)


夫に尋ねると、
「うん?レストランや居酒屋は、個室に洗面のあるトイレも多いよ」と
別段、気にしている様子もないのですが、
世の中すべてが洗面付きトイレではなかろう。


百貨店やショッピングセンターでごはんを食べたあとは
どうするのか。
あのシワやシミが目立ちにくいオーバー気味の照明のなか、
こじゃれた洗面ポールが居並ぶ空間で
メイク直しにいそしむヤングレディを隣に
入れ歯あらいラスカルになれるのか。
オフィスの昼休みのあとはどうなんだ。
同僚と上司のうわさ話に花を咲かせながら、
歯をはずせるのか。


いまだかつて、そんなレディ、見たことないぞ。


がまんしているのかなあ。
ウェットティッシュ的な何かで
拭いているのかなあ。


…と思いましたが、
いま、これを書きながら、
からだの不自由な人や赤ちゃん連れの人など
あらゆる人があらゆる目的で使うことのできる
多目的トイレがあった!と思いつきました。


あってよかったな、多目的トイレ。


でも、多目的トイレがなかったら??
どうしているのかな。
やっぱり、がまんかな。


ドラマ「グレイス&フランキー」シーズン1の第1話で
お金持ちなマダム役のジェーン・フォンダ(79歳)が
帰宅後、鏡台に座ってまず「部分かつら」をはずすという
リアリティのある良シーンがありますが、
常に時代を切りひらいてきた、このジェーン・フォンダや
ファッションアイコンでもあるジェーン・バーキンといった
両ジェーン大女優あたりに、
「部分入れ歯をはずす」というシーンも演じていただけないものか。


そして、老いとともに
「着脱の範囲が広がり、より一層、ダイナミック」になること。
衣服の着脱にとどまらず
歯、髪など「肉体の一部」をも着脱するのだ、
そういうものなのだ、ということを
世に広めていただくわけにはいきますまいか。


わたしが入れ歯になるまえに見たい。
いや、ほんとに見たいのか。
そんなシーン。そんなジェーン。





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暗く沈んだ気持ちのとき、どんな言葉を発するのか?


今週の水曜日11月8日に56歳になりました。
姉や友だちにもらったプレゼントに
「もう、56歳なんて信じられない!」と書かれていて
「56」という数字の放つ
「いよいよもって突入した人生後半感」を
静かに受けとめた次第です。


誕生日、おめでとう。わたし。
これからもよろしくな。


そういうわけで、ひとつ年を重ねたわけですし、
56という数字のもつ重みも消極的とはいえ自覚したことですし、
このブログにも、年相応の重みあるメッセージでも記しましょう。


暗い気持ちのときに、暗いことは書かないほうがいい。
かといって明るいことも書かなくていい。



以上。


あたりまえのことのようですが、
長年、ブログを書いてきて
思うことがそれなんです。
「書く」を「言う」に変えてもいいです。


どんな文章も魔法のように一瞬でカタチになるわけではないので
書きはじめてから書き終わるまでの「時間の経過」があります。


暗いことを暗いまま、吐き出すように書くと
「書きはじめたとき」と「書き終わるとき」に
気分の変化がなく何も変わっていないんです。
むしろ書きはじめたときよりも一層、暗くなっていることのほうが多い。
暗い気分の定着化ですね。


かといって気分の暗さを悟られまいとして
明るいこと、前向きなことを無理矢理ひねり出そうとするのも
うまくいったためしがありません。
なんというか居心地が悪くて
どこか説教臭くなる。


思うに、「明るくしよう」と考えることが
そもそも自分への説教のようなものなので
その説教臭さがにじみ出ちゃうんでしょうね。
幸せなことしか口にしない人といっしょにいると
何となく抑圧される、あの感じです。


一番いいのは、
自分の身の回りのすき間にある
暗くも明るくもない
どうでもいい小さなことを見つけて
それについてああだこうだと書いてみることです。


前記事なんかはその典型。
どうでもいい内容ですが、
書いている間に思わぬ方向に話題がころがって
両ジェーン大女優を想像して自分自身がおかしくなり、
気分はすっかり明るくなっていました。


自分をクスリと笑わせる言葉が、
沈んだ気持ちに一番、効くクスリ。



56歳という年齢ならではの
加齢感あふれるダジャレで〆てみました(笑)。


身近な人をクスッと笑わせるのも、
ほどよい「慰め」でいいですね。
ほどよいマッサージ。
ほどよい風通し。
知らないうちに気分が変わっているという
「いつの間にか」感も
ことさら感謝されなくていい。


自分にも、自分以外の人にも
そんな距離感でつきあいたいと思います。





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50代の髪はツヤよりボリューム・動きよりフォルム、を提唱したい。


粋筋の年配女性にしばしばみられる髪型に
「逆毛をたててボリュームを出し、
その内部には毛たぼを入れてさらにふくらまし、
スプレーをふんだんに噴霧して固めている」と思われる、
特に和服に合うアップスタイルがあります。
(ほとんどの場合、髪色は黒)


あのヘアスタイルの特長は、
「髪の毛が微動だにしない」こと。


風に揺れるとか、
手でかきあげるとか、
はらりと落ちるとか、
そういった繊細な動きのドラマがないかわりに、
フォルムが立派。


きっちりと結い上げた髪に
きっちりとした着物に
きっちりとした姿勢。
三位一体となって堂々たる風情を醸し出します。


この年になって思うのは、
あれって見事な知恵だな、ということです。


風に揺れるとか
手でかきあげるとか、
はらりと落ちるという瞬間が美しく絵になるのは、
コシとハリのある髪がかすかにバウンドすることで生まれる動きのドラマ。
そのたびに光を反射して輝くのも
ツヤのある髪質だからこそ。


それらは、やはり、どうしても失われていくもんですし、
その「ツヤのあるストレートロング」という額縁が、
次第次第に「顔」という絵にきつくなる。
(ストレートヘアの下に流れる動きが、
下垂傾向の顔のやつれ感に拍車をかける)


そこで、あのフォルム重視の動かない髪!
髪は動かなくても
着物の袖や裾が揺れる。
グッドバランス!


今日、わたしは、京都国立博物館の特別展覧会「国宝」に行ってきたのですが、
老若男女、いろんな人が大勢つめかけていました。


そこで自分と同世代から上の女性たちを見ると、
みなさん、おしゃれをしていて素敵なのですが、
全体としては服装がダークな色が多い。
5人グループなどでは違いがわからないぐらいの同色感。
さらに、髪が中途半端な長さで
よくわからないフォルムをしている。


よくわからないカタチの額縁が
顔という絵を縁どっている印象です。
これって、もったいなくないか、と思いました。


ちょっと極端な提案ですが、
わたしたち世代は、
大きくふくらますなどの
(島田順子さんも見方によっては
大きくふくらましているといえなくもない)
髪のナチュラルさから離れた
フォルム重視の発想があってもいいんじゃないだろうか。
(そういえば、黒柳徹子さんも
フォルム派だな)


あの系統の「動かない髪型」だと、
薄毛も目立たないぞ。


ツヤよりボリューム、動きよりフォルムを提唱しつつ、
わたくしも微力ながら実践し
その推移を報告してまいりたいと思います。





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悩みながら続ける、続けながら変えていく、という充実。


ハタと気づきました。


「持ってなければ悩めない」。


悩みは持っている証拠だ。


お金なんかもそうでしょう。
持っている人には、
持っている人なりの
持っていなければわからない悩みがある。
地位も名声もそうだろうなあ。


だから断捨離しよう、
という方向に話を進めるつもりはありません。


職場の人間関係を含めた「環境」に対する悩みなら
そして、それがつらくてたまらないなら
どんな方法を使ってでも逃げろ!
後先考えず、逃げたほうがいい!と考えますが、
そっち方面の「悩み」とはちょっと違うもの。


自分が自分の意思ではじめて続けていること。


そんな悩みについてです。



しばしば書いていますが
わたしは昔、劇団を主宰してまして
演劇作品を作っていました。
いま、それをやろうと思ったらえらいことです。
複雑すぎてできません。
あの当時は、あんなにあたりまえのことだったのに。


まず、劇団員がいません。
スタッフもいません。
稽古場もありません。
どこか借りようにも情報を知りません。
劇場もないし、
人間関係もない。
なんにもない。
観客も、関係者も、批評家もいない。


あの当時は、必死なあまり
悩みと苦しみの種だった演劇創作というものが
いかに「自分たちが地道に築いたものの上で可能になっていたか」を
遠く離れて見て知るのです。


冴えないように思う環境
心がひとつにならないの劇団メンバー
理想の条件で公演できない劇場
思うように評価してくれない関係者…。


持っていたから悩めたのねえ。
持っていなければ、悩むことすらできない。


そして、このブログですよ。
毎回、このように、なにがしか書いてはいるものの
なーーんもなくて
「ああ。重荷だ」
「いやんなった」
「やめたら楽じゃないか。いっそ、ひと思いに!」
と思うこともなきにしもあらずですが、
やめて10年後にふりかえってみ?



あああーー。
あの場所、あの人たち、あの悩み!



って懐かしくなるから。
でも、もう、そのときには
なーーんも残ってないんだ。
すべては幻のようにはかなく消えている。


悩む、ということは
もっとよくしたい、ということ。
変えていきたい、ということ。


悩みながらつづける、
つづけながら変えていけるって
幸せなことなんだなあって思いました。


そして、そうしながら時を重ねて、
みなさんに長く愛して、少し愛していただけたら本望。






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ラグジュアリーからカジュアルへ。こなれた佇まいが表す「富」。


大学生の娘が、東京で催された丁寧な暮らし系のイベントで
販売のアルバイトをしてきました。


いろいろな体験ができて充実していたようですが、
そこに集うお客さんたちが3つに分かれていたというのです。


(1)おしゃれなお金持ち
(2)会社終わりで来た大企業のOLさん風
(3)庶民



「世の中には、おしゃれなお金持ちが多いなあ。
おしゃれなお金持ちは、年齢に関係ない!
若くても、中年でも、おばあさん・おじいさんでもおしゃれ。
白髪の人も多かった。マフラーが高級感、出してた。
帽子率も高かった」


そして…。


「そして?」


「みんな、暮らしも丁寧な感じ!」



なるほど。それな。


その後、姉から電話があったので
「お金持ちが多かったらしいよ!」というと


「あああ。なるほど!」
と大げさにあいづちを打つのですが、
どうも話をしていると違う。
姉の言う「お金持ち」と
娘が数多く出会った「お金持ち」とは、
ニュアンスが違うのです。


姉がイメージしているのは、
参加しているサークルに何人かいるらしい、
お金持ちのおばあさまたち。


大きな宝石のリングをして
ブランドもののバッグを持って、
高価な服を着ている奥様たち。
いわば、ラグジュアリー誇示型リッチ族。


でも、娘が言っているのは、
そっちじゃない。


帽子やマフラー、ジャケット、
バッグ、メガネ、アクセサリーなど
アイテムはどれもカジュアル。ただし上質。
そのこだわりは、服飾品だけに向けられるのでなく
日用品にも向けられるのが特徴。
いわば、カジュアル丁寧型リッチ族です。


暮らし全体から醸し出される上質感。
丁寧という(金持ちであってもグータラにはできない)
「生き方」という資質的ハードル付きの
カジュアルリッチな佇まい!



「小説家以外を『作家』ってあれほど呼ぶ空間も
はじめてやった」。


作家のアート作品としての服、小物、アクセサリー、
それらも欠かせない要素ですなあ。


着こなしのこなれ感、といいますが、
階級社会もこなれてきたなあ、
そのぶん、手ごわいなあと思います。


服装も暮らしも教養も人格も
ぜんぶ含めて「おしゃれ」認定の時代。



「ラグジュアリー」一強時代は終わった。企業は「再定義」を必要としている──石川善樹との対話に「階級がなくなり、多様化した現代では、上流から下流への消費意欲の感染がなかなか発生しないため、所有そのものの価値も希薄になってしまった」とあるけど、どうだろう?階級が内在化し、より一層、乗り越えにくいものになっているようにも感じます。

★昨年書いたこの記事もどうぞ。
カジュアルという「くだけ感のある外出着」の難易度。





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「家」は、まるで腸内フローラ。ひとときの危ういバランスを慈しむ。


日曜日の夕方、マンションの役員さんの家を訪ねました。


築40年近くの大規模マンションなので
名前だけでは、だれなのかわかりません。
ドアホンを鳴らして出てきた人の顔を見て
「ああ!リンちゃんのお母さん!」となりました。
リンちゃんは、何年も前に亡くなったシーズー犬です。


70歳前後のご夫婦の玄関は、
ぱっと明るい照明で照らされ、
市販されているキットで作ったようなキルティングのクリスマスツリーが
壁に飾られています。


ご夫婦とも「あがってください」
「まあ、あがってください」と迎えてくださいましたが、
書類を届けただけなので
「いやいや!ここだけで!」と言って
バタバタと玄関先だけで失礼しました。


「リンちゃんのお母さんたちのとこやった!
めっちゃきれいに住んではった~!」と夫に言いながら
ほんとにいい感じの玄関だったなあと振り返りました。


パッと見ただけだけれど
気取らないクリスマス飾り、
お父さんの書斎と玄関の間にかかっていたレースののれん、
真ん中に大きな花のある毛足長めの玄関マット、
夕ごはんの湯気のぬくい匂い。
ちゃんと掃除されているホコリの低密度感。


バラバラな色合いの
どこででも手に入りそうなものばかりが
生き生きと楽しげに集っている!
大量生産品だから作ることのできる
ぬるめのお風呂みたいに心ほぐれる楽園。
ああ。あのおうちのリビングで
ブルボンのルマンドを食べたら、さぞ、おいしかろう!


インターネットでも「ひとんちの家のなか」を見るのが好きです。
モデルルームみたいに完璧に片付いていたり、
すみずみまで統一されたインテリアのおうちには、
すごいなあ、きれいだなあとは思うけれど
さほど興味なし。


その人の「空間をきれいに飾りたい欲求」
(センスのよしあしはあまり関係ない)と
そのために適度に制圧された「混沌」を見るのが好き。
住まう人の健やかさや仲の良さという
長いスパンで考えたら、
一時的でかなり危うい均衡で成り立っている
千差万別の「居心地のよさ」を目の当たりにすると
過去の時間をモノやクセ、嗜好といったかたちで引きずって生きる人間の
懐の深さやはかなさを丸ごと受け取ったようで
感興が尽きません。


日々、栄養をとりいれ老廃物を排出する
家という「腸内フローラ」の
善玉菌と悪玉菌と日和見菌がおりなす新陳代謝と
それによる生態系を愛でるとでもいいましょうか。



ちょっとしたストレスで
便秘になるみたいに
ゴミもたまるでしょ。
そういう家のもつ危うさがたまりません。


リンちゃんご夫婦の今日の家も、
わたしたちの今日の家も、
刻々と変わりゆき、
いつかはいのちを終える、
つかの間の姿なのだよなあ。
堅牢なようで、はかない。





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