ペースを崩されるストレスも楽しみながら、新しいほうへ歩む年に。



同じマンションに住む娘の幼なじみの男の子が、
犬を見にきてくれました。


彼のお父さんは、小売業なので
年末年始のお休みはなし。
妹さんは、友だちと長期海外旅行に行っていて不在。
祖父母の家にあいさつには行ったものの
基本、おかあさんとふたりのお正月だったそうです。


わたしたちは、親子三人でゆっくりと静かに過ごすつもりでしたが、
クリスマスイブにもらった子犬
暴れる、噛む、おもらしする、走る…と
お決まりの大騒ぎで快調に飛ばしたあと
突然、ケンネルコフという病気を発病し、
大慌てで病院を探して2日に診てもらうという
見ようによっては「のんきなものね」ですが
本人たちは、滑稽なほど「疲労困憊の三が日」を過ごしました。


長崎に住む姉ちゃんは、うちに来る予定でしたが
来年、またヨーロッパ旅行をすることが決まったらしく、
「お金のもったいなかけん、お正月は長崎におる。
友だち誘ったら、結構、みんな一人ぼっちで
大晦日まではつきあいで忙しかけん」という理由でドタキャンし、
(半分は本当で半分は遠慮か)
黒豆となますとかまぼこと蟹を買って
「ひとり紅白歌合戦鑑賞」→「ひとり三が日」を
ほどよい気楽さと寂しさを感じながら
過ごしていると言っていました。


わたしのまわりを見渡すだけでも、
お正月の過ごし方は、いろいろ。
コンビ二やスーパーでは
お兄さんやお姉さんが
小気味よい口調とテキパキとした動作で働いていて
襟を正すような気持ちになります。


かつては、いや、いまも多少は、
「子どものころのお正月の風情」を
懐かしく思いますが、
年を追うごとに
これでいいんだろうなあと思うようになりました。


しっかり、きっちりやりたい人はやればいい。
年をまたいであれこれ積み残したままの人はそれでいい。
どっちみち、時は、つながっているんだから。


わたしは、数年ぶりに犬と暮らすようになり、
これまでのペースが崩れ去りました。


ペースが崩れる(崩される)
≒ストレスを感じる
≒疲労困憊する の法則。



ああ。そうだった、新しく子犬を迎えるってそうだったと
思い出すやら、愛しいやら、後悔するやら。


「新しい」に加えて
「突然」や「想定外」も
ペース崩しの犯人ですね。
「突然の誘い」や「突然の重大報告」なんかもそうかなあ。


このお正月、
「人が、突然、やってきた。
そして想定外に長居した」
なんて人も大勢いるのではないでしょうか。
(大変、お疲れさまです!)


でもまあ、


「新しい」「突然」「想定外」って
「だれかとつながっている証」だったり、
「ちょっと違うほうへ歩み出す、小さな方向転換」。



だったりするからね。


からだ同様、年とともに、あちこち硬くなるので
ペースを崩す、崩されることをいとわないで
少しありがたく思ったりして、
「参ったなあ」なんて言いながら
徐々に平常運転に戻したり、
崩されたことで見えてきた景色を楽しもう!!


…と子犬に疲労困憊している自分に言い聞かせて
2018年最初の記事とさせていただきます。


今年もよろしくお願いしまーす。






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スー、噛む。
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成人式に思う。過去は、そんなに質素で堅実で地味だったか?


今朝の「とくダネ!」でキャスター・小倉智昭氏が
「私たち、団塊の世代は50年前に成人式で、
そんなに大イベントじゃなくて、
成人式に参加する人のほうが少なかった。
もう着飾るのはやめたほうがいいんじゃないか」という発言を聞いて
「あ、あれ???」と思いました。


小倉氏は、1947年生まれ。
わたしの姉に2つ年上です。


姉の成人式の日、わたしは、8歳だったんですが、
そのときの様子は鮮明に覚えています。
母が張り切って仕立てた振袖を着た姉と
同じく20歳になったいとこのおねえちゃんとその家族もいっしょに
高級しゃぶしゃぶを食べにいったからです。


なぜ、成人式に、
晴れ着を着た娘さん二人を連れて
ゴマダレだの、ぽん酢だので汚しそうな
しゃぶしゃぶに行ったのかは謎ですが、
その日、ふたりの若い女性が
華やかな晴れ着を着ており、
それが別段、特別ではありませんでした。


むしろ当時は、成人式でなくても
大晦日に「新日本髪」とやらを結いあげ、
晴れ着を着る若い女性は
今よりずっと多かったように思います。
(うちの姉ちゃんもやったことがある)


たしかに地方自治体主催の式典に参加する人は、
当時は少なかった(学生運動の時代でもあるし)し、
(わたしたちの時代ももっと少なかった気がするけど、どうですかね?)
習わしに反発したり、経済的なゆとりがなかったりして
成人式に晴れ着を着なかった人も大勢いるでしょう。
でも、そんなに地味で質素だったか??
今より、柄や色彩は、地味で質素だったかもしれないけど、
十分に派手を志向していたぞ。うちんちみたいな大衆ファミリーも。
あの1970年前後!


過去は、地味で質素だったってことになりがちだ。


この調子だとバブル時代だって
あと50年後ぐらいには
地味で質素だったってことになりかねませんよ。


今回、「ハレノヒ」問題で
振袖を借りたり、作ったりした人の平均金額は
30万円ほどだそうで、
レンタルというシステムがあるだけでも
十分に質素倹約。
実際はむしろ、そっちでしょ。


過去は「貧乏」で「地味」で「質素」で
「手作り」で「真心」で…ってほんとなりがち。
テレビのなかの人も
「当時は貧乏で、そんなものなかった!」って語る人が多いんですが、
その人たちが、40代だったりすると
「え??え??そんなに何もない時代だった?」って
違和感を覚えます。


スマホはなかったけど、
「もののあふれた時代」を生きている感覚は、
少なくとも80年以降はずーっとありましたよ。


未来に関心がなくなるのはまずいけど
過去を鋳型にはめるのもつまんない。



過去を鋳型にはめて語りだすと
昔がどんどん理想化されて、それもまずい。
欠点はあっても今のほうがいい。
わたしは、いろいろ。





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タイミングを逃すと意味が変わる。ほめ言葉の影響も。



年明け最初の会議に出席したら、
30代男性社員Hさんの髪が
今風のおしゃれ七三分けに変わっていました。


細おもての上品な顔に
クラシックモダンなヘアスタイルが似合っている!


髪型でこんなに変わるのか。
昨年まで野暮ったかったのに一念発起か。
何やら眉毛までオシャレに整えられている気がするぞ。


ほめたい。


似合っていると伝えたい。


「いいなあ!」と思ったら
相手がだれであろうと、
すぐさま、ほめたい&伝えたい性分のため
今回もその機会を虎視眈々と狙ったのですが
なんせ会議中なんで簡単には見つかりません。


休憩時間になりました。


なごやかな雰囲気ですが
みんな着席したまま。
わたしとHさんの距離はかなり離れています。
「Hさん!髪型変えたんですねえ。
すっごい似合ってる!」と言うには
かなり声を張らなくてはなりません。


これが、三々五々散らばっているならね。
さりげなく適正な音量でほめるんですが。


でも、まあ、ほめたいし、
ほめちゃおう!と思ったのですが、
ちょ、ちょっと待てよ。


控えめなHさんは、
全員が注目するようなほめ方、好きかな。
好きじゃなさそうだな。


しかも、まわりは、同じく30代~40代の男性陣。
Hさんは、そのなかではかなり男前のほうです。
若い女性たちは、彼の前ではややうれしそうなので
モテてるんだろうなあと部外者から見てもわかる。


で。これが女性だったらどうだろうか。


一番の美人の変身を
同世代の女性が居並ぶ前で
「素敵です!似合ってる!」と
男性がわざわざ大声でほめちぎったら、どうだろう。
みんな気分、いいかな?


そこで、その場でほめちぎるのは我慢して
廊下ですれ違ったときにでもほめよう、
そうしよう、それがいい、と思いなおしました。


後日、ふとした機会に家族に話したら、
娘は、「はあ?ほめたらいいやん?
若い人ならともかく、ほめるの、オバサンやし。
気にするわけないやん!」と
一笑に付します。フン。なんか、感じ悪いな。


わかっているよ、そんなことぐらい。
オバサンだから無害といえば無害。
でも、オジサンが一番の美人を大声で激賞したら??
やっぱ、ちょっと感じ悪くない??


…と思っていると、
ふだんは何ごともどっちでもいいう夫が、
「それは、おかあさんが正解」


あらま。


いや、どっちが正解かわかんないんですけど(笑)
どうでもいいともいえるわけですけど、
まあ、あれでよかったのかな。


「さりげない」タイミングって一瞬。
それを逃すと意味が変わっちゃうことって多い。



・・・と思ったのですよ。
さりげなさも前髪をつかむのが大切。





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「心配」は自分のためのもの。過度な心配は事態を悪化させるのみ。



犬を飼ったことのある人はわかると思いますが、
犬は飼い主の精神的な動揺を見抜きますね。


きっと、「そこで生きていくしかない」ゆえに
わたしたちの想像以上に飼い主を見つめ、
自分が生き延びる道を模索しているんだと思います。


思えば、うちのスーもわずか2カ月で
見知らぬ「巨人たち」が住む家にやってきて
ゆっくりしたいときに「かわいいー」と言われ、
遊んでほしいときには、「痛い!NO!」とすげなくされ、
気持ちよくオシッコをすれば、「ああ!そこで!」と舌打ちされ、
後追いしてすがりつけば「ノー!」と言われ
その苦労や、いかばかりか!!


小さな体で適応への努力をしつづけているのに
さらにその上に「お座り」「待て」。


いや、お前こそ、待て。
ちょっとそこに座れ>わたし



スーが、あまりにべったりくっついて後追いするので
「留守番ができないのではないか!」
という心配にかられましたが、
こういう「心配」は、何ごとにおいてもよい結果を生まないのでした。


「心配」は相手のためでなく
自分のためにするものだからです。



心配をかかえるつらさに耐えきれず
その一刻も早い解消を相手に強要するので
強要されたほうは過度なプレッシャーを感じ、
混乱してしまうか、表面的な服従を示すのです。
(人間の子どもも。大人だってそうです)


ふと、反省し、
しばらくは家族3人で外出時間を調整しよう。
できるだけだれかが家にいることにすればいいと
思いなおしました。
そうやって、少しずつ少しずつ状態を見ればいい。
まずは、犬に安心してもらうこと。
心の底から信頼してもらうこと。
ここにいれば、幸せだと感じてもらうこと。
そんなこと、わずか数週間でできるわけがなかろう。
生きものを侮っちゃいけない。


わたしたち人間とスーという犬が
ともに生きていくためのルールを
お互いが、ときに相手を尊重し、
ときに妥協して
じっくりと見つけていこう。


そんなふうに気持ちを落ち着かせたら、
スーも不思議なほどスーッと落ち着いてきました。


犬にしつけが必要ならば、
もっとも効果的なしつけは、
こちら側の「落ち着き」なんじゃなかろうか、
(これ、人間にもいえませんかね)


そういうわけで二度目の犬育てでも
新たに発見すること、反省することばかりです。
これからも試行錯誤するでしょうが、
犬という生き物にちゃんと敬意を払って
ちゃんと見つめ、耳を傾けて
お互いの幸せのために
ゆっくりと落ち着いてやっていこうと思います。





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関西で大活躍する70歳。月亭八方の「若手が苦にならない」老い方


関西以外の人は、ピンとこないかもしれない話題で失礼します。


月亭八方さん、今年70歳。


いまも関西では多くのバラエティ番組に出演しています。
気がつくと、ここにも、あそこにも月亭八方。
今日も明日も月亭八方です。


思いつく番組をあげるだけでも
「『今ちゃんの「実は…」(今田耕司司会)
「よしもと黄金列伝!」(陣内智則・月亭方正)
「八方・今田の楽屋ニュース」
「よ〜いドン!」(円広志)
まだあると思いますが、こんな感じ。


「ここで重石としての年長者がほしいな。
師匠クラスがいいな。
でも、重すぎるのも困るな。
怖かったり、えばったりする人は嫌だな。
腰が低すぎてかえって気を使うのも嫌だな。
空気みたいにいてくれる人いないかな」


となって月亭八方さんということになるのではなかろうか。


勝手にそんなつもりになって番組を見ると、
八方さんは、あんまり口数が多くないんですね。
売れっ子にも、若手にも、
ちょっと距離を置き、
不機嫌にもならず、作り笑いもせず、
若ぶりもせず、媚びもせず、
居心地よさそうでも、悪そうでもなく
照れ笑いや苦笑いなんかして、そこにいる。


のってほしいときは、のってくれる。
ほどよくボケてくれる。
ちゃんとその年齢らしい昭和感も出してくれる。


センターをはるでなく、
ウンチクを披露するでなく、
なんとなくそこにいるようにして「老い」を添える。
崇められるでなく、
奉られるでなく、
厭われるでなく、
なんとなくそこににいて、
そして、


ずっと現役。ひっぱりだこ。


年下と並んで違和感なし。理想だ。


でも、これ、昨日今日の努力ではなれないんですよね。
というか、「努力の人」として生きてきた人には
届かない境地。


八方氏は、落語家だけど、もひとつ落語に熱心でないように見える。
むしろ阪神ファンのほうに熱心であるように見える。
あくまでも「見える」であって、
バリバリの落語家なんだけども、そう見える。


本気で怒らない感じ。
「わし、かなんわ」と逃げ腰になりそうな感じ。
(「壁にぶつかったら乗り越えずに迂回せよ」
「照れて遠慮しながら嘘をつけ」が処世観だそうです。
Wikipediaを読むと)


このあたりのイメージが重くなく、暑くなくて、いいんだろうなあ。


意見をスルーしても大丈夫な感じのご意見番。


理想だ。
その軽さ。うっとうしくなさ。
めざす。努力で。





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疲れていても「労働」はできる。できないのは、「心弾むこと」。


このところ毎日、遅くまで仕事をしているうえに
何かしようとすると
スー(子犬)にまとわりつかれ、
朝は暗いうちから起こされるので
常時、睡眠不足状態。


こういうときであっても
仕事はできるんですねえ。
疲れているけれども、
責任感やなんやかやに背中を支えられ、
やることが決まっているから
多少、集中力が落ちたとしても
やっていけるのです。


やれないのは、自ら楽しむ何か。
能動的に工夫する何か。



食材の買い物は、できる。
服のショッピングはできない。

いつもの家事はできる。
ちょっとした創意工夫はできない。

じーーっと座ってテレビは見れる。
何かを思い立って
「ああ、そうだ!」と立ち上がれない。


何が言いたいかというと


疲労は、
「いつもやっていることはできるまま、
溜まっていく」



ということです。


ショッピングみたいな
欲しいものを妄想し、
そのなかから手に入れたいものを決断し、
実際に見つかるまで歩いて探し、
迷い、悩み、お金を払って
持って帰る。
こういうことは、疲れてるとつらい。


一連の行為を遂行するためには
たくさんの「心の動作」が必要だから、
疲れていると「動作」が滞るのです。


そういうわけで、毎日、やるべきことを、
なんとかできているからといって
疲れてないわけじゃないし、
大丈夫じゃない。
そう、大丈夫じゃないんですよー。


思いつく、
ウキウキする、
探す、
迷う、
決める、
後悔する、
よろこぶ…。


そんな「心の瞬発力」と
「心の機敏な動作」がなくなったら、
疲れている。



そう思ったほうがいいですね。
・・・ってことは、カラダ同様、
日ごろから軽いストレッチなどの運動が必要
ってことでもあるのか。
「動き」って大事なんだな。
心にも動き。適度な動き。





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本当に成長しているときは、混沌と混乱のなか。待つ、が大事。


年末にやってきた子犬のスーは、
あらゆるところに首をつっこみ、
あらゆるものを噛み、走り、落ち、転げ、
乱暴狼藉の限りを尽くしながら
日々、大きくなっています。


その「何かに突き動かされるように動いてしまう姿」を見て、


神様は、なぜ、
「犬たちは、何代も前から
こういうことをやってきたんだから、
そろそろ、向こう見ずな行動はスキップして
落ち着いた犬として誕生させよう」と思わないのかと
毎度毎度、不思議に思います。


人間の子どもも同じだなあ。


あらゆるものを口に入れ
危ないところに興味をもち、
転んで、ケガをして、大泣きする。
思春期だってそう。
精神的に転んで、ケガをして、大泣きする。
危なくて、不安定。


なんか、あれなのかな。


神様は、
生まれたばかりの幼子に
持て余すほどの多大なエネルギーを与えて暴走させ、
痛い目を見させながら、
この世界という複雑な生態系の
膨大な事物に触れ、
情報を処理し、理解し
適応できるように仕向けているのかな。


そのすごいところは、

●混沌に丸腰で身を投じさせること
●痛い目を見る危険も放置

ってとこですね。


思えば、


全身全霊の成長。
まるごとの理解。
完全なマスター。


は、こういうところをくぐってこそなんですよね。


混沌のなかに身を投じて
最初はわからないまま
おののきながら、身を置くなかで
ものごとの関連づけができるようになり、
あの人とこの人のつながりがわかり、
あのこととこのことのつながりがわかり、
そこで自分が何をすべきかもわかる。
スムーズに情報処理ができるようになり
理解し、対応できるようになる。


大人になってもそう。
新しい職場にはいったときなんか
まさしくそうじゃないですか。
習い事やサークルも
そして旅も!


この混沌、切り捨てちゃいけないぞ。
一見、無駄に見えるすべてが
いつか有機的につながって
しなやかな強さになる。
混沌として目に見える成果の見えない時間。
大事なんだよなあ。


年をとるにつれて
焦らないこと、待つことの大事さを
しみじみ思いますねえ。


自分のことも待ってあげる、が大事よ。





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