バイト感覚で軽やかに発揮される「無慈悲」に、哀しむお年頃。


上沼恵美子さんがラジオで


あるスーパーに行ったら
60代、70代の女性向け乗馬レッスンの
チラシを配っていた。
自分は50代後半ぐらいに見えるだろうと思い通り過ぎようとしたら、
しっかりチラシを渡され、
その日は、いつもの半分ぐらいしかスーパーで買い物しなかった。
スーパーも損したな。


というエピソードを
いつもながら聞き手の憂さを晴らしてくれる絶妙トークで
ぼやいていました。


上沼恵美子さんは、62歳。
「50代後半に見えるだろう」と思ったのは、
芸能人でもある自負のようなものかもしれません。


この話のキモは、
「チラシを配っていたのが、若いキレイなおねえさんだった」
というところにもあります。


ミケランジェロの最後の審判さながら、
スーパーの真ん中(感覚的には)に
光輝く肉体をもつ「若いおねえさん」が立っていて
通り過ぎる女たちをパッと一瞬見ただけで
「60歳未満」(天国)と「60歳以上」(地獄)とに峻別する。


バイト感覚で軽やかに発揮される無慈悲!


チラシ一枚による「審判」。
若い女性のその無慈悲さと、
その「審判」の根拠となる採点基準に思いをはせて
チラシを渡された女性は、
うっすらと哀しくなるのです。


何も「若く見えよう」と思って生きているわけじゃない。
年相応でよし、と思っているし
そんなに手入れしているわけでもないし、
普段着でやってきたし、
多少老けて見えても仕方がないなとも思っている。


が、しかし。


食材や日用品を買おうと
ウキウキとはいわないまでも
ホドホドに気持ちよく油断してやってきたスーパーで
なぜに、頼んでもいないのに無慈悲な審判にかけられ
現実を突きつけられなければならないのか!?


・・・という切なる訴えなわけですね。
「頼んでもいない」というところもポイントなわけです。


若いお姉さんのにこやかな微笑みの内側にある
「ま、この人、60過ぎやろな」という年齢算出が、
おおざっぱでいながら
そこそこ正確といいうところにも
「年齢は隠せないのだな」という
再認識と年齢の受容を迫る。
わかっちゃいるのよ、それも。
心の底では。


上沼恵美子さんは、
「58歳の人はどう思う?59歳はどう思う?」と
「50代後半の四捨五入」問題についても
思いをはせ、同情しておられました。


こういうことを訴えると、


企業のみなさんは、
「このキャンペーンは、
本当は60歳の女性をターゲットとするが
本当に60歳以上と謳うと
声をかけられた60歳以上が傷つくので
50歳以上と銘打ちながら
明らかに60歳以上に声をかけること。
つまりは、50歳以上を謳いつつ
60歳以上をターゲットとするのだ」的な
ややこしいことを思いつき、
そういう気づかいが
「バイトの若いおねえさん」から
なんとなく伝わり、
やはり「うっすらとした哀しさ」を招くので


年をとることは、いずれにしろ、
どこか「うっすらと哀しい」経験を重ねていくことだ、
と思っておいていいのかもしれません。


「うっすら」…なんといいますか
平安時代の貴族の襲の色合わせ的な
繊細で、はかなげな趣きがありますな。
桜のつぼみもうっすらと色づいています。





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