どの家庭も、どの人生も平らかでなく、悲しみも一様じゃない。


昨日、お隣のYさんの奥さん
(うちではYさんのおかあさんと呼んでいる)がやってきて
「6月いっぱいまでいないから、
もしうちの順番が後だったら、回覧板は飛ばして」と頼まれました。


「はーい。わかりました。あ、でもYさんのおとうさんは?」
「いないから」
「あ。旅行かなんか?」
「亡くなったよ。3月に」


子犬を抱っこして見せに行ったこと、
そのときに「おお、これか、この子か」と言ってくれたこと。
Yさんのおとうさんが母校の同窓会に
ファクスを送ってくれとうちにやってきたこと。
あれはすべて2月だったのか。


Yさんの家に忌中を示す印はなく、
大勢の人が訪ねてくる気配もなく、
マンションの掲示板にお葬式の告知もありませんでした。


「管理組合には言ったけど
もう、そういう掲示はしないことになったって。
家族葬の時代だからって」


そうだったのか。


「でも、回覧板にわたしの名前を書いてたでしょ。
世帯主が変わったから。わたしの名前」


あああ。そんなふうに回覧板の名前を見る、
という意識も習慣もなかった。
回覧板には機械的に苗字だけを書いて
ハンコを押して次のおうちのポストに入れる。
さらに自分に「夫の名前でサインする」という意識が薄れているため
Yさんが奥さんの名前だと気づいたにしても、
「あ。奥さんがサインしたのね」としか思わなかったに違いない。


Yさんの奥さんは、
もちろんマンション内の親しい友人には伝えたでしょうから、
わたしが、そんな存在じゃなかったのは言うまでもありませんが、


いつの間にか死んじゃって
いつの間にかいなくなっちゃった。


地域での告知もない。
その家に誰かが訪れる気配もない。


一度、子犬が留守番中に鳴いていたので
あわててYさんちを訪ね
「ずっと吠えてましたか!?」と聞きに行きました。
あのとき、すでに亡くなっていたのか。


Yさんの奥さんは、
「うちには位牌もなにもないの。
みんな、長男が持っていった。
猫ももらってくれる人にあげてしまった。
金魚も死んだ」


と悔しいのか、せいせいしたのか、
その両方なのか、
目に涙をいっぱい貯めて
コクコクとうなづきながら話しました。
ふたりのお子さんは先妻のお子さんです。


今朝、お参りに行くと
仏間にあったベッドは南側の部屋に移動してあり、
「向こうは明るいからね」と
奥さんは言いました。


ひとりの人の死をめぐる
悲しみと諍いと
決別とたくましさと。


片付いた部屋の一角に積み重ねた座布団に
「こんなところでごめんね」と言いながら、
小さな体を預けて座り、
足を小さくぶらぶらさせながら、
お姉さんの家にしばらく行くのだ、
そこに妹も来るのだ、と語る
Yさんの奥さんは、
「わたしは、ほんとはイヤなんよ」と
かつて笑っていた猫といっしょに
「後妻」という立場も捨てたのかもしれません。


猫を手放し、
金魚も死んだ、という
どこか容赦のない言葉に
積年のあらゆる我慢をゴミ箱に捨て、
新しい人生を手に入れようとする
本能的ともいえる決断力と行動力を見た思いがしました。


かすかに、でも、はっきりと
「違う人」になったYさんのおかあさん。
どの家庭も、どの人の心も
決して平たくないのです。


Yさんのおとうさんは、
入院中、心筋梗塞で亡くなったそうです。
84歳。写真が好きで料理が好き。
晩年は、エプロンが似合っていました。






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