二度めだからこそ味わえる、「失ったもの」との濃密な対話。


たとえば、再婚した人は、
ふとした瞬間に、
かつての妻や夫を思い出すのかな。


現在の妻や夫との幸せな瞬間に、
「ああ。あのとき、こうしていればよかった!」とか
「ああ。あの人に悪いことをした!」とか思うのかなあ。


もちろん、別れ方も関係するだろうし、
離別と死別でも違うだろうし、
人それぞれだと思うけれど、
でも、ふと、思うことがあるんじゃないかな。
だけど思ったにしても、今のパートナーが大事だから、
大っぴらには口にしないのかもしれないな。
それでいいし、それがいいんだと思います。


でも、二度めだからこそ、味わえることがあるだろうな。


二度めだから、
ほろ苦さや一抹の後悔とともに
かつての日々に思いを寄せ、
今の幸せを思う。


なんでこんなことを言うかというと
いきなり犬の話になって恐縮ですが、
スー(いまの犬)と暮らしはじめて
パロン(前の犬)のことを頻繁に思いだすからです。


4年前に亡くなったパロンは、
子どもが3歳のときに公園で拾ってきたから
人間の子どもと犬の子どもをいっしょに力任せに育てた感じで
何がなんだか夢中のまま過ぎました。


いま思うと、
スーに比べたら
散歩時間が短かった!
おもちゃは少なかった!
留守番は多かった!


ごめんよーー!パロンーーー!


と思うと同時に、
「あのな、スーのこと、聞いて。
いたずらがすごくてな」と
落ち着いた老犬時代のパロンに
じっくりと話を聞いてほしいような、
相談に乗ってほしいような気もします。


不思議なことに
スーのリードを握っていると
パロンのリードをもっていた感覚が
ふと甦ってくるときもあるんです。


たまに散歩中に、
パロンを知っている人から声をかけられ、
お互いの「今は亡き犬」について
思い出話に花を咲かせることもあります。


二度めの体験が、パロンを生き生きと蘇らせてくれるという驚き。



人は、だれも大小の「二度め」「三度め」を経験していて、
大っぴらには口に出さないものの、
ふとした瞬間に失った人や物事の記憶が甦り、
心のなかでだけ静かに、でも濃密に
その失った存在と会話をしているのかもしれない、と思いました。


スーは、「二度め」であると同時に
「最後」だと思っているので
その「幼い表情」や「幼さゆえの行動」が
尊く、かけがえなく感じられます。
それも、二度めゆえ。
犬の命が短く、
あらゆることが瞬く間に失われることを知っているからです。


回を重ねることや
一度、失敗してやり直すことが、
過去を新鮮によみがえらせることもある。
それって供養なのかもね。





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