親孝行は、使命感による「愛情の演技」でもある。自分もそうだった。


大学を休学して
アイルランドに語学留学した娘は、
最初こそ、LINEで写真を送ってきたり、
電話してきたりしていましたが、
日増しに連絡は「疎」になってきました。


ま。何か、いろいろと
うつつを抜かしているのでしょう。


「うつつを抜かす」(あることに心を奪われる)ことと
「親を思い出す」ことの両立は難しいです。
相性が悪い、ともいえる。


恋愛しかり、
エッチしかり。
それ以外の「夢中になるあらゆる物事」しかり。


「親に連絡する」が一拍入ると、
うつつを抜かせません。
羽目もはずせません。
没入も、没頭もできません。
その経験を全身で引き受けることができません。


若いころの自分がそうだったから、
わたしからも、あまり連絡せず放っています。
わたしも、スー(犬・7か月)の世話で忙しいしね。


とはいえ、ソニー銀行の世界中で使える
キャッシュカードとデビッドカードが一体化した
Sony Bank WALLETの口座にログインして
残高は確かめています。
一種の生存確認ですな。


「巣立つ」とは、
「忘れる」ことであり、
「必要としなくなる」こと。



成人後の親孝行は、
ある程度、意図的に努力して行われる「感謝と愛情の演技」よね。
それをするだけで偉いけれど、
儀礼的な演技であることを
親のほうも気づいているんだなあ。
たぶん。


老いることは、
忘れられることであり、
必要とされなくなるということ。


それを、「寂寥」ととることもできるし、
ようやく手に入れた「自由」ととることもできる。
両方とも否定せず味わいながら、
飄々とやっていけたらいいですなあ。





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