「怖かったけどね」と控えめに語ってしまう、私たちの地震体験。


一昨日の地震で家の中は大変なことになりましたが、
余震も少しずつおさまっているように感じます。


高槻などライフラインの止まっている地域のみなさんは、
不安と不自由とで大変なご苦労をされていると思います。
雨も降っています。
給水車への行き帰り、
傘を片手に通うのはたとえ車であっても
疲れた体にはきついです。
雨め。腹立つ。


地震のあと、近所の人や友だちと話すと
どこか「怖かったけど、ま、仕方ないよね」
「家のなか、めちゃめちゃになったけどね(笑)」という
控えめなニュアンスを感じます。


阪神大震災のときに
震度5程度を経験したというのもあるかもしれませんが、
「阪神淡路大震災の神戸や東日本大震災、
熊本地震なんかと比べるとこの程度で騒ぎ立てるのはね」
という感覚があるとでもいいましょうか。


その感覚は、わたしのなかにもあって
「まあ。この程度の壊れ方は仕方ないか」
「この程度の余震で怖いんだから、
あの地震のときはさぞ…」と
過去の見聞きした未曾有の被害に思いをはせ、
ごく自然に謙虚になるのです。


それだけ、わたしたちは、
多くの地震が招いた悲劇を知り、
その体験を内面化しているんだなあと思いました。


この場面、あの場面
この行動、あの行動に
既視感と既知感。



ブロック塀の下敷きになって亡くなった
9歳の女の子の死だけが
どうしても受け入れがたく、
誰かと会うたびにその話題になってしまいます。


地震のあった夕刻、
犬を連れていつもの公園に散歩に行くと
休校で時間の空いた少年たちが、
サッカーをしていました。


若者特有のしなる躰。
笑いながら大きく後ろにのけぞったかと思うと
瞬時に戻るバネそのもののような上体。
声変わりの時期から、そう遠くない
おさまりの悪いハスキーボイス。
サッカー流の少しかっこつけた髪の毛をブルルンと振る仕草。


ああ、この場面、忘れないだろうなあ。
いま、ここに来たから、
この若者たちの姿を見られたなあと思いました。


何ごともなかったかのように走り興じる若者に
なんともいえない美しさと救いを感じたのは、
自分が思うよりは怯えていた、
ショックを受けていたからかもしれません。


大阪の人たちの恐怖が早く癒えますように。
気づいていないそれも含めて。
そのなかのひとりである私自身のも。


この文章を書き終えたとき、
日本代表がコロンビアを破りました!
今度はプロの人たちが与えてくれる喜びだ!イエイ!





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