人生で直面するあれこれを表現して、シェアして生きていく。


日曜日は、介護トークイベント「カイゴ・デトックス」の日でした。


   kaigo1_convert_20180703145006.jpg


ウェブマガジン「どうする?Over40」のメンバーと
いろいろ準備しながら、
「こうなったらいいなあ」
「こんな雰囲気にはしないでおこうね」と
話しあってきたけど、
イベントの間も、終わってからも
ずっと楽しかったなあ、が続いています。


介護のイベント、というと
ちょっと暗い感じ、想像していませんか。


なんの、なんの。ちがう、ちがう。
まったくちがいました。


40代から60代までの女性(男性も1名)が
集まってくださったけれど、
華やかだったり、センスよかったり、
おしゃれだったり、個性的だったり、
キレイだったり、おもしろかったり…。
ベタな言い方すると、
みなさん、とっても素敵だった。


こんな素敵な人たちを集めちゃう
ウェブマガジン「どうする?Over40」も
そのなかのひとりである自分も大したもんだ、と思った。


主催者のひとりとして
そんな、ほぼ同世代の女性たちの
現実と向き合いながら柔らかに生きる姿を目の当たりにして
誇らしくもありました。


トークの登壇者のひとり、
月亭つまみさんは、
「愛おしい」と表現していたっけ。


そうだ。愛おしい。
そこにいた自分も含めて愛おしい。



「介護」の状況は一人ひとり異なり、
それぞれの状況をまるごと理解したり、
一度に解決したりはできないけれど、
でも、重なりあうどこかの部分を
シェアすることはできる。


自分の状況や思いを
ときに訥々と
ときに突き放して
ときにユーモアをまじえて
他の人に語り伝えること、
それが「シェア」することであり、
分けあっておやつを食べたときみたいに
心とおなかが温まる。
(また、すぐにおなかは減るけどさ)


このブログもそうだけど、


これから生きていくなかで直面する
いいことも、悪いことも、つらいことも
書いて、語って、
つまりは「表現して」シェアしていこう。



わたしは、そんなふうにして生きていこうと
改めて思いました。


表現するという行為は、
人を救うよ。


参加してくださったみなさん。
ありがとうございました。
昨日も、今日も、
いろんな瞬間、いろんな表情を思い出し、
自分が励まされるように感じて過ごしました。


また、会いましょう。
いっしょにおやつ、食べましょう。




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ドラマになった「赤毛のアン」に見る、育む者としての大人の振舞い、


ネットフリックスのドラマ「アンという名の少女」は、
原作「赤毛のアン」の内容を大きく逸脱しながらも
「なるほど!アン!」という内容で
放映されるたびに(現在シーズン2まで)一気に見てしまいます。


シーズン1では、
劣悪な状態で子守りとして雇われていたアンが
「雇い主夫婦の性交を見て」しまう環境に置かれていたがゆえに
アヴォンリーの学校で「下品なこと」を
その意味を知らないまま、すれっからしのように語ってしまう場面!


アンのような生い立ちの子が
どのように「浮いてしまう」のかを
痛いほどリアルに見せてくれて
胸がえぐられます。


そんな生い立ちの違いから周囲に忌避されるアンを
マリラが心のそこから受容し抱きしめる場面など
原作には描かれていなかったけれど
「そうであったろう!」と思われる数々のシーンもすばらしいです。


シーズン2にも、人種差別や同性愛、多様性の受容など
現在的なテーマが、これでもかというほどぶちこまれるのですが、


たとえば、同性愛者として描かれるジョセフィンおばさん(ダイアナの大叔母)と
「自分は、同性愛なのではないか」と孤立感を深めていた
アンの友人である少年・コールが言葉をかわすパーティー。


老女と少年がそれぞれ
「自分自身の人生において本質的な苦悩」を
わかちあい、認めあい、
それぞれの存在によって励ましあう姿は、
「年齢を超えたリスペクトとは、
こういうことだ」と教えてくれます。



お互いの性的指向をみとめあった瞬間、
ジョセフィンおばさんはみずみずしく美しく
コール少年は大人っぽく頼もしく見え、
ふたりでダンスするシーンには、
セクシーにすら見えました。



年長者は、
「自分が人生において体験してきた苦悩」をよすがに
若い人のなかにある苦悩を探り当てて
静かにエールを送るべき存在なのだ。



そんなことを思いましたよ。


シーズン1の脚本はすべて
あの「ブレイキング・バッド」を手掛けたモイラ・ウォリー=ベケット。
アン・シャーリー役もまた、
「よくぞ、こんな少女を見つけた!」という14歳のカナダの女優。
「美人とはいえないが、どんなに美しい女性より
印象に残る美しさ」とはこういうものだなと心底納得できるルックスです。
(クラスメートのだれよりスレンダーというのも現代的に見える理由)


アンを世に送り出してくれたモンゴメリに敬意を払いながら、
モンゴメリが生きた時代的制約を軽々と乗り越え、
原作のアン以上にアンを生きてくれそうな「アンという名の少女」。
ずーっと先まで描いてくれることを祈る。


プリンス・エドワード島で撮影された風景の再現度もすごいですよ。
アン好きは、必見。







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「こんなことをしてていいのか」と自問は成長の糧か、気分のクセか。



若いころ、土日に夫とスーパーに買い物に行くたびに
「こんなことをしてていいのか」と思っていました。
当時は、自分のことを
演劇に携わる芸術家のはしくれと思っていたんで
「も、もっと人と違うことをせねば!」と焦っていたんでしょうね。
うっすらと「こんなことをしてていいのか」と不安になりつつ、
買い物には行くんですけどね。
スーパーに着いたら着いたで熱心に買うんですけどね。肉もお菓子も。


わたしの姉は、マジメな人なんで
コーラスのサークルもボランティア活動もない日に
家で一日、韓ドラを見たり、昼寝していたりすると
今でも「こんなことしてていいのか!」と思うそうです。
もう、退職してずいぶん経つのに。
70歳が近いのに。


「もっと勉強せねば!」と思って
ピアノの練習をしたり、
録画したNHK英会話を見たりするそうです。


マジメで偉いです。


わたしも、だらだらと食器を片づけているときなんかに
ふと「あー。私の人生、こんなか。こんなことをしてていいのだろうか」と
さっと気持ちが陰るような、ションボリするような気分になりますが
これって、いったい何なのでしょうね。



わたしの人生に必要な「成長の糧」なのだろうか。
それとも長年の「気分のクセ」なのだろうか。



最近は、後者のような気がしてきました。


そもそも「こんなことをしてていいのか」と自問しても
もう、人生は明らかに後半戦。
もちろん、これからどんどんチャレンジする人も
人生の大きな転機を迎えて成功する人もいるでしょうが、
わたしがそんな人間なら
すでに、少しずつでも、それにつながることをしているに違いない。


していないならば、それがわたし。
していなくても、それはそれ。


「こんなことをしてていいのか」という
クセになってしまった一見マジメな自問から
もう、いい加減、自分を解放し、
「こんなこと」を肯定的にとらえなおしたほうがいいのではなかろうか。


昼寝は、眠れるからこそ。
間食は、食べられるからこそ。
無為は、平和であるからこそ。
すべては体力。
体力と暇があってこそ!


思えば、「こんなこと」の中身は、
慣れ親しんだ事やモノ、
見慣れた景色
見飽きた顔など…。
わたしがこれまでの人生の間に出会い、
やめたり、別れたりしなかったもの、
つまりは「継続してきたもの」ばかりなんですよね。


それが退屈なものでも、間食でも、昼寝でも。


つまりは、「これが、わたし」なのです。





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決めて貫く強さもあるが、 揺れて折れない強さもある。



いつも姉ちゃんの話ばかりで恐縮ですが、
これだけしょっちゅう書いていると親しみを感じてくださる人もいて
「姉ちゃんのお話、好きです」だけでなく、
「お姉さんが好きです」
「お姉さんに会いたい」などと言われることもあり、
これも一重にわたしの人物描写力ゆえだと
日々、自信を深めております(笑)


繰り返しになりますが、
姉は、長崎県在住。
年は、わたしより13歳上の69歳。シングル。
退職後、コーラスなどサークル&ボランティア活動三昧の日々を過ごしています。


世の多くの60代女性同様、
元気きわまりなく、アクティブきわまりないですが、
当然のことながら、不安も抱えています。


将来への不安がふくらむと
「いまのうちから施設に入っておいたほうがいいのかな」
「でも帰ってきたくなったら、あれだから、家はしばらく残しておこうかな」
と早め早めに老後の不安を消していく方向に
考えは進んでいきます。


先日は、若くしてケアハウスに入居した友だちに招かれ
そこの食堂でお昼ごはんを食べたそうですが、


「(その友だち以外は)、みんな、80代以上やった!
あのなかに、いまから入るのは、つらか~。
それにお風呂に自由に入れん。
いろいろ不安でも、しばらくは家で自由に過ごそう」
と言っていました。


そんな姉が先日、
教師をしていたころの友人と会ったら、


「わたしは、他人のペースに合わせるのがイヤだから
施設には絶対に入らない。
ここで暮らせるようにケアプランを立ててもらって
ここで生きて、ここで死ぬ」


とキッパリ、スッキリと語ってくれたそうで
その決然とした姿勢に感動した姉は、


「もう!!あなたは偉か!
わたしなんか、フラフラフラフラ揺れてばっかり!
情けなかー。あなたは強い!すばらしい!」


と激賞したそうです。


「ほんと、どうして、わたしは、
こんげん、揺れるとやろうかねえ」と
LINE通話で言うので、


「いやあ。よかとじゃなか?揺れても。
耐震設計といっしょで。
ぐわーん、ぐわーん揺れて、
しなって、しなって…倒れない強さってことで。姉ちゃんは。」


と言うと、「あんた、毎回、上手かねー」と
訪問販売のお兄ちゃんに対するように
軽くいなされました。


姉を見ていると
不安や心配に正直で
グワングワン揺れて、
その不安を口にして
ケアハウスも見に行ったりして
「ああ。これは違うなあ」と思って
「とりあえず今は、このまま」という
現状重視の答えを出しながら生きている。


それはそれで、もんのすごい強さだよなあ!と思うのです。


決めて貫く強さもあるが、
揺れて折れない強さもある。



もう、これはタイプの違いってことでいいんじゃないか。


わたしは、両方のミックス型でいきたいなんて
虫のいいことを考えていますが、
それが一番、弱かったりするんだな。





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「時の痕跡」と「更新中」の雰囲気が、ともにある家に育てる。



うちのマンションは、間もなく築40年になるので
近所の人と会うと、
「いつまでもつかねえ」
「水の配管が心配だ」
「建て替えしてくれるといいけどねえ!」なんて話になります。


大規模マンションなので
それぞれの意見の調整も一苦労でしょうしね。
一筋縄ではいかないと思います。
老朽化の一途をたどり
空き室が増えていくだけかもしれません。


「建て替えてくれるといいねえ!きれいになるねえ!」とはいうものの、
ピカピカの新築に生まれ変わってほしいかというと、
実はそうでもないんですよねえ。


新築願望があったのは、20代後半まで。


当時、新築のオシャレな賃貸マンションに住みましたが、
あっという間に散らかりました。


「新しい家に住んでも散らかるのは一瞬」
「いまの家をキレイに住めなかったら、次の家もダメ」



ということを痛感したのです。
「新築物件が自分を変えてくれるわけじゃない」と
身をもって知りました。


また、自分も年をとるにつれて
建物自体が少し古くて、
誰かが好ましく住み慣らした家が
こんなふうに住みたい!というインスピレーションを
刺激してくれるようにもなりました。
バトンを受け取るような気分とでもいいましょうか。
わたしもちょっとは成熟したってことですかね。


いまの家は、このブログにも書いているけれど
この記事この記事です)
数年かけて壁を自分でペイントするなど
不器用ながら自分なりに手を入れてきたので
それなりに愛着があります。


家具の脚やドアには
先代のパロンと去年の暮れにやってきたスーという
二匹の犬が噛んだあとがことごとくついていて
無残といえば無残、ボロボロといえばボロボロですが、
それも靴墨でカバーして磨く程度で
そのままにしておいてもいい。
いや、積極的にそうしておきたい。


80年代初頭に建てられたマンションに
90年代の末に一家で引っ越してきて
いま、2018年。


流行遅れの設備や調度と
新たに買った家具や小物が混在し、
整えられたところと雑然としたところも混在し
複雑なモザイクのように組み合わされて
わたしたちの暮らしと好みの変化を映す
いい感じの家になってきました。


わたしはどうやら、
「建て増し」「つぎはぎ」「折衷」あたりが醸し出す「時の痕跡」と
常に見直して手を入れている「更新中」の雰囲気が
ともにある家が好きなようです。


少し前に書いた和室のプチリフォーム作戦
あれからすぐとりかかり、
まずは本を別の部屋に運び出すことからはじめました。


本
娘の部屋に仮置き中。この移動が一番大変だった!


いま、不要な本をまとめて処分するところまでは完了。
来週末には地元の畳職人さんが
見積もりに来てくれることになっています。


次は、洗面室。二年後ぐらいに手をつけたい。


少しずつ、少しずつ。
焦らず、慌てず。
温めて、温めて。
家を育てる。


「あのとき、ああ思って、こう考えて、
ここにこうやって手を入れたんだなあ!」という
時間と記憶が積み重なり、
ときに不器用につぎはぎされ、
その隙間に過去が見えるような家にして
やっかいものの老婆になっても
「わたしは、家がいい」と我をはりつづけ、
ここに居座ってやろうかと思います。





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「いくつになっても入れる人間関係保険」を、職人さんとも。


今日、畳屋さんの親方が見積もりに来てくれたんですが、
彼の言葉のなかに、ちょっと気になる箇所がありました。


「〇〇畳は、まだいいけど、△△畳はひどいですよ。
お客さんによって値段を変えてますから。
80代のお客さんは、もう、畳もふすまも新調するのは最後でしょ。
だましやすいから。
びっくりするぐらいの値段になってる」


〇〇畳も△△畳も激安チラシで有名な畳屋さんです。


相づちを打ちながら、
わたしが80代になったら、どうなるだろう?と思いました。
高値をふっかけられて、そのままお願いしちゃうのかな。



人は年とともに頑固で扱いにくくなると同時に
丸め込みやすく、だましやすくもなります。




その理由として、


(1)働き盛りや若い男性の圧に負ける
(自分に比べると明らかに屈強で、怖い)
(2)自分の知識は時代遅れ(のように感じている)。
(専門用語頻発の説明に臆して「わからない」と言えない)
(3)耳が遠くなり、話が聞こえにくい
(相手の話が完全に理解できないまま返事をしてしまう)
(4)払えない金額じゃないのでよしとしてしまう
(早く帰ってほしい、が先に立つ)
(5)そもそもそんなに欲しくないから、どっちでもいい。
(最初から、そのものへの欲望がない)


これらに加え
年をとったとはいえ、
当然ながら見栄もプライドもあるし、
「若いときの自分」が「自画像」なので
「何もわからないばあさん(じいさん)」とは思われたくない。


しかも自分は若い相手に臆しているが、
相手はまったく自分に臆していないどころか、
どこか舐めているようですらあり、
それを感じると
余計にわかっているふりをしてしまう。


そんなこんなで
結果的に「はい、はい。それでお願いします」に
なっちゃうんですかね。


さらに今日、感じたのは、


「インターネットで情報を調べなければ
地域に密着した職人に出会えない」


という皮肉な状況です。


畳屋さんや表具屋さん、
個人経営の工務店などが減少しているため、
ふだんの生活圏内で「今度、ここに頼もう」と
目星をつけることが難しくなりました。
(昔は可能だったのか、よく知らないんですけどね)


高齢者が「畳を変えたいな」と思ったら
新聞に折り込まれる激安チラシのチェーン店が一番、
身近というケースも多々あるでしょう。
地元の良心的な職人にアクセスする方法がないんですよね。


今日来てくれた畳屋さんの親方は、
ホームページでイメージした通りの人で
根気強く探してよかったと思いました。
子どもが小さいときに障子の桟を一本、壊したままだったんですが、
それも「ちょっと目立たないようにつけておきましょう。
新たに作ると高いから。
無料でいいけど、そのかわり、クレームなし」と
言ってくれました。


最安値を求めない。
最高級に憧れない。
ほどほどに誠実な職人さんに
ほどほどに仕事をしてもらって
ほどほどに稼いでもらう。



だましだまされ、
丸め込み、丸め込まれる関係でなく
ほどほどに信頼しあい、
ほどほどに妥協しあう。
地元の職人さんや業者さんと
いまのうちから「適度な信頼関係」を
つくっておきたいなあと思います。


これも、「いくつになっても入れる人間関係保険」かもしれません。
「いくつになっても入れる人間関係保険」という言葉、
最初に使ったのはこの記事でした。
「おしゃべり会」のお誘いのときだったんですね。懐かしい。





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「ポツンと一軒家」が見せてくれる、期間限定の遊びと夢の跡。


日曜日に「所&林修のポツンと一軒家」を見ていたら、
北海道のポツンと一軒家が出てきました。


家の持ち主は、確か71歳。
56歳のときに仲間たちと山のあちこちに
それぞれが家を建て、
共同のお風呂も建てて
山暮らしを楽しんだというお話。


大工仕事や水道工事のできる面々ばかりだったので
すべてが手作り。
雪深い冬にもスノーモービルで山にやってきて
手作りのお風呂の窓から満面の笑顔を見せる
うれしそうなオヤジたちの写真も紹介されました。


56歳といえば、わたしと同い年です。
いまのわたしの年齢で家をつくりはじめたのですね。


それから15年が経ち、
案内してくれた男性以外の家は、
無人のまま放置されています。
「この人は亡くなった。
ああ。この人も亡くなった」


そうか。


56歳からの15年ってそうなのか。
56歳のとき、みんなあんなに元気なのに
もう、だれも、もう来られないのか。


夏草や兵どもが夢の跡だ。


笑顔の写真のように
みんなで夢中になれたのは
どれぐらいの期間だったのだろう。
5年?10年?


15年というスパンは、
41歳から56歳までも
それなりに重いけれども
まだ、そのまま継続できる可能性が高い。
でも、56歳からの15年というのは、
ぐっと厳しくなるのだなあ。
もちろん続けられる人もいるだろうが
いろいろな事情で力尽きる人もいる。
期間限定の夢だったのだ。


しかし…


「期間限定の家」でどこが悪い?
「期間限定の遊び」のどこが悪い?
そもそも期間限定でないものがどこにあるのだろう?
人生そのものが期間限定じゃないか。


「だれもいなくなった時点」という
「結果」から振り返るからこそ、
どこか切なく、はかなく、
あっという間に過ぎたような印象をもつし、
空き家というお荷物を抱えただけにも見えるけれど、
5年であれ、10年であれ
その渦中には「ずーっと続くような気持ち」がしたでしょう。
いまのわたしが、いまの暮らしが続くような気がしているように。


「結果」や「結末」から物事を評価することや、
「結果」や「結末」を想定して
あらかじめ否定しようとすることは
一見、賢明で合理的なようで
その実、期間限定の楽しみをことごとく奪ってしまう。


つまりは、人生という「期間限定の喜び」を奪うってことだな。


わたしの、このブログだって
延々やっているように見えても
期間限定ですよ。


「やってどうなる?」って言わないで。
それ、禁句よ。




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自己実現だけが「夢」じゃない。空想や逃避も「夢」だ。



同業・同世代の女性は、
長距離バスに座ってゆられながら、
「いまは、与えられたことを書いているけど
いつかはドラマの脚本が書きたい。
子どもが大学を卒業したら、シナリオ学校に行こうかと思う」
と話してくれました。


彼女の子どもは、今、高校生だから
あと5、6年後か。
「いますぐ書くっていうのはどう?」と言ったら
「自分ではなかなかやる気にならないから、
学校に行こうと思う」とのこと。


こういう話を聞くと
わたしは心のなかで
「今やらないことは、先にもできないよ。
せめて準備はしないと」と思ってしまい、
このときも、口には出さなかったものの
そんなふうに考えながら
バスに揺られていましたが、次第に


実現しないかもしれない
実行に移さないかもしれない「夢」を
口に出しつづけるのは
そんなに悪いか?



と自分の考え方に対する疑問がわきました。



わたしの隣に座る同業・同世代の女性が、
膝に乗せた大きくふくらんだ合皮のバッグを
ギュッと抱えこむようにして握りしめ、
その手を開いたり、閉じたりしながら
照れ笑いをしながら話す様子は、
初々しく映りました。


彼女がいつも急ぎ足で
どこか活力にあふれているのは、
この「今はやらないけど、いつかはやるかもしれない夢」を
信じているからじゃないか。


と思ったのです。


もしも、わたしの意地悪な予想どおり
実現することがなかったにしても
「いつか、こうしたい」と夢を見ることが
その人自身を慰める逃げ場になったり、
明日を生きるエネルギーになるならば、
それでいいじゃないか。
それは、現実と折り合いをつける知恵でもある。


90歳や100歳になって
「ドラマの脚本を書きたいの」と言っていたら
老婆に少女が降臨したような甘い響きがあり、
むしろ、素敵だぞ。


「やりたいことがあるなら、できることからやろう」
「自分にできることだけを口に出そう」と努めることが、
人間として成熟しているような気がしていましたが、
そんなこともないかもしれません。
むしろ「夢」を「自己実現」と同一化する
つまんなくて狭い考え方かも。



夢、という言葉には、
空想、という意味もあるのだから、
夢見がちでいいじゃん。




空想して、うっとりして、やれそうな気がして
つかのまやる気になって
「いついつからはじめよう!」と思って
それでいいよ。


そもそもお前(わたしのこと)も、
そんな冷めた態度で話を聞かず、
「こんな脚本がいいよねえ」とか
「こんなドラマ見たいねえ」とか
夢を夢のままに広げて楽しむ会話ができなかったものか!?
つまんねえやつだよ。


夢を語る老人は希少種。
繰り言を語り続つづける老女の何倍も魅力的だ。
たとえ、何も書かないまま死んでも。





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理想が崩れてから 「家」の歴史が、「犬」との暮らしがはじまる。


犬と暮らしはじめるとき、
だれもが、多かれ少なかれ
「理想のイメージ」を思い描き、
そのためにがんばろうとするんじゃないでしょうか。


「家のなかでは大人しく、
散歩は飼い主の前に出ることなく静かに歩き、
ボールやフリスビーで遊ぶときには
思いっきり遊ぶが、
その興奮はすぐに収まり、
飼い主の指示に進んで従う。
子どもにも、お年寄りにもいつも友好的で
吠えない。咬まない、は当たり前。
ときには、悲しみに沈む飼い主を思いやり、
そばに寄りそって慰めることもある」みたいな。


ああ。こうやって書いているだけでうっとりする…。


なんかちょっと「憧れのマイホームを手に入れたとき」の
夢のふくらみ方に似ていますね。
(「家」のコマーシャルには
こんな感じの犬が出てくるし!)


おしゃれなリビングでのホームパーティー、
テラスでゆったりとブランチ、
キッチンに立って腕をふるうにこやかな夫と
それを見つめて微笑む妻と
ほどよくはしゃぐが奇声を上げて駆けずり回ったりしない子どもたち…。


しかし、そこに住む現実の「人間」というもの、
ダンナから子どもから舅から姑から、
だれひとり理想的な行動をしてくれないんですね。
子どもは駆けずり回るし、
ダンナはカップラーメン食べてはほったらかしにする、
頼みの綱である、この自分でさえも思ったように行動してくれない!
すぐに片づけたくなくなる、面倒くさくなる、
ホームパーティーに招くような友だちもいない。


そして、いつの間にか、それなりの、
家族のだれも無理しない自然体の暮らし方と
その器としての雑駁な「家」になっていくのです。


犬も似ています。


志高く飼ったものの
家に迎えたとたんに次々に頓挫、挫折し、
家族のだれも無理しない、自然体の犬との暮らし方
(多少の妥協や我慢もあるが、
それも含めて空気のような存在になった犬との生活)
になっていく。


そもそも犬の個性は千差万別だし、
ここでも!頼みの綱である自分自身にさえ!裏切られる!
堂々たる、一貫性のある態度で
犬のしつけを貫徹できる人間じゃなかったんだ、自分は!と気づくわけです。



憧れが崩れてから
「家」の歴史がはじまるように
理想が崩れてから
「犬」との暮らしもはじまる。



時として「理想」への執着は、
家族や犬の支配へと向かい、
心を壊してしまうこともあるので
妥協して後悔するより
取返しのつかない悔悟につながりかねません。


うちの犬スーは、もうすぐ10カ月。
散歩のとき、わたしの前をひょこひょこと歩き、
干からびたミミズを隙あらば拾い食いし、
うれしくなると今もって甘噛みしますが、
すでに「空気のように気にならない」という
やや老犬風味の味わい深い存在になっています。


このまま、のほほんと穏やかに機嫌よく
ずっと一緒にいてくれればいい。大好き。


キラキラ光る理想が
壊れてからの~
ジワジワ来る慈愛。





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不器用ゆえに重ねる逃避と その逃避が作っていく道筋。


夫があるメールを転送してきました。


ふたりともよく知る大学の先輩ミツオさんからのメールでした。


やけに明るく軽い文章で
会社をたたんで自己破産をすること、
そのためのお金がないこと、
頼れる家族がいないことが書かれていて
「ひとり1万円ずつカンパしてくれるよう
そのとりまとめをしてくれないか」とありました。
必要金額は、100万から150万であると。


初見では、よくわからない文章だなあ、と思いました。
「借金の申し込み」ではなく、
「カンパのとりまとめ」のお願いだからです。
わたしは、こういうときに限りませんが、
すぐに判断ができなくて
ぼんやりしてしまいます。
ぼんやりしたまま、釈然としないものを感じていました。


ミツオさんは、わたしにとって一時期、「社長」でした。
彼の会社でアルバイトをしていたからです。


口数の少ない、まじめな、気難しい人でした。
耳が少し悪くて話が聞き取りづらいことがあり、
それが、無口さにつながっていたと思います。
本人は決して耳のことは言いませんでしたし、
わたしたちも言いませんでした。
よく取材に行っていましたが、
インタビューはつらかったと思います。



質素で倹約家で奥さんがお弁当に入れた「ニラ玉」を
ごはんを食べて帰ってきたわたしに「食べて」とくれました。
小さなホイルに入ったクタっとしたニラ玉を
「ありがとうございます」と言って受け取ったものの
給湯室で一礼してティッシュに何重にもくるんで
捨ててしまったのを覚えています。


バブルのころ、わたしを含め数人のスタッフを連れて
当時、大阪で一番格式の高かったロイヤルホテルの
フレンチレストランに連れていってくれました。
社長自身は、コース料理が好きじゃないようで
ビールやワインばかり飲んでニコニコとニヤニヤの間ぐらいの顔をしていました。
下品なところなどみじんもない人でしたが
いつもどこか「子どものころの貧しさ」を思わせる人でした。
経済的な面だけでなく、愛情の面でも。


彼はバリバリのやり手を好みませんでした。
バリバリのやり手は早口だから
聞き取れなくてイヤだったのかも。


そのせいか、小さな会社には、
「顎関節症で口が開かない」を理由に
ビールばかり飲んでいるアルコール依存症のデザイナーや
口ではすごいことを言うけど
いざというとあきれるぐらい何もできないプランナーや
びっくりするほど仕事の遅い、「駄菓子屋のおじいさん」みたいなデザイナー、
そして
劇団やってる、ずる休みばかりするコピーライターの
若いわたしがいたのです。


もう20年以上会っていませんが、
当時のミツさんを思い返しても
放埓なところ、無責任なところは見当たりません。


ただ、不器用だった。


会社にも「あまり役に立たなそうな面子」を集めたように
奥さんも精神的に弱く、
家にこもりがちな人で
ミツさんは、あきらめと不満と情愛の混じり合ったような口調で
誰に対しても「さゆちゃんが…」と奥さんのことを語っていました。


そういえば、よく吠えるシェルティを飼っていて
奥さんと会社にやってきたな。
あのころは、テニスもしていたんだ。


こうやってひとつ、ひとつ記憶をたどれば、
「もっと、なんとかできたんじゃないか」と思わないでもないですが、
「一円もない」というほどに徹底して何も築いてこなかった背景には、
家族をつくることへの抵抗感や
幸福をイメージできない何かが
強く影響しているんじゃないかと思います。
本人に聞いたわけじゃない。単なる推測ですが。
ミツさんは家も買わず、子どももつくりませんでした。
奥さんのお母さんと同居し、最期を看取っています。


不器用なこと。
年をとったこと。


ミツさんの窮状の原因は、
このふたつだと思いました。


怠惰でも、浪費でも、博打でもない。
ただ、不器用であること。


不器用ゆえに重ねる逃避と
その逃避が作っていく
無計画でしかいられないという道筋。



ミツさんの「カンパのお願い」というメールも
不器用と逃避の塊にほかならず、
わたしは、釈然としない思いから、
「なんで、こんなメールで頼むんだよ!?」という
やるせない気持ちに変わっていきました。


思ったより長くなりました。
ミツさんのこと、自分のこと、
もう少し書きたいので続きは次回に。





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