「ポツンと一軒家」が見せてくれる、期間限定の遊びと夢の跡。


日曜日に「所&林修のポツンと一軒家」を見ていたら、
北海道のポツンと一軒家が出てきました。


家の持ち主は、確か71歳。
56歳のときに仲間たちと山のあちこちに
それぞれが家を建て、
共同のお風呂も建てて
山暮らしを楽しんだというお話。


大工仕事や水道工事のできる面々ばかりだったので
すべてが手作り。
雪深い冬にもスノーモービルで山にやってきて
手作りのお風呂の窓から満面の笑顔を見せる
うれしそうなオヤジたちの写真も紹介されました。


56歳といえば、わたしと同い年です。
いまのわたしの年齢で家をつくりはじめたのですね。


それから15年が経ち、
案内してくれた男性以外の家は、
無人のまま放置されています。
「この人は亡くなった。
ああ。この人も亡くなった」


そうか。


56歳からの15年ってそうなのか。
56歳のとき、みんなあんなに元気なのに
もう、だれも、もう来られないのか。


夏草や兵どもが夢の跡だ。


笑顔の写真のように
みんなで夢中になれたのは
どれぐらいの期間だったのだろう。
5年?10年?


15年というスパンは、
41歳から56歳までも
それなりに重いけれども
まだ、そのまま継続できる可能性が高い。
でも、56歳からの15年というのは、
ぐっと厳しくなるのだなあ。
もちろん続けられる人もいるだろうが
いろいろな事情で力尽きる人もいる。
期間限定の夢だったのだ。


しかし…


「期間限定の家」でどこが悪い?
「期間限定の遊び」のどこが悪い?
そもそも期間限定でないものがどこにあるのだろう?
人生そのものが期間限定じゃないか。


「だれもいなくなった時点」という
「結果」から振り返るからこそ、
どこか切なく、はかなく、
あっという間に過ぎたような印象をもつし、
空き家というお荷物を抱えただけにも見えるけれど、
5年であれ、10年であれ
その渦中には「ずーっと続くような気持ち」がしたでしょう。
いまのわたしが、いまの暮らしが続くような気がしているように。


「結果」や「結末」から物事を評価することや、
「結果」や「結末」を想定して
あらかじめ否定しようとすることは
一見、賢明で合理的なようで
その実、期間限定の楽しみをことごとく奪ってしまう。


つまりは、人生という「期間限定の喜び」を奪うってことだな。


わたしの、このブログだって
延々やっているように見えても
期間限定ですよ。


「やってどうなる?」って言わないで。
それ、禁句よ。




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