「ちょうどいい心配」なんてない。それでも心の底からありがたい。



幼なじみのKちゃんが
「ごめん。気ば使わせてしまうけど行くけん。
ホテルに泊まるけん、ほっといて。
犬の散歩とごはんづくりばする」と
大阪についてからLINEをくれて
うちに泊まっていきました。


何種類もの冷凍惣菜とジャム数種と柚子こしょうと
ホームベーカリーで焼いたパン2種類と現金と
おまじないみたいな祈りを書く紙を持ってきました。


豆苗や空心菜を多用した料理に
「野菜が高い時期」の主婦の知恵やたくましさが見え、
そういう生活をしながら
何万にもなる交通費を払ってきてくれたことにぐっときました。


神奈川に帰ってからも
毎日、長文のLINEをくれるので
娘が、「ちょっとうざいと思ってる?」と聞いてきました。


そのときです。
思ってもいない返事をしたんです。わたし。


「あのさ。『ちょうどいい心配』ってないよ。
心配はいつも少ないか、はみ出すほど大きいか、そもそも、かたちが合わないか。
そういうものやわ。でも、それでいいねん。ほんとに。
心の底からありがたいよ」


いつ、そんなこと思っていたんだろう。
われながら驚きました。
でも、ほんとにその通りだ。
自分のこの言葉を忘れないでいようと思いました。



「ちょうどいい心配」なんてない。
他人が寄せてくれる「心配」はいつも少ないか、
はみ出して負担になるほど大きいか、
そもそも、かたちが合わないか。
そういうもの。



そうだ、そうだ。ほんとにそうだ。


わたしの心にいま、「悲しみや不安の空洞」があるなら、
その「空洞」をピタッと埋める
他の人の「心配」などはないのです。


心配する人たちは、それがわかっているから
どんな声かけをするか、
どんなふうに接するか、
どんなふうに手助けするかを迷い、悩む。
かえって傷つけないか、気を使わせないか…と。


いま、心配される立場になって
「ちょうどいい心配」はないけど
心配されることのありがたさ、かけがえのなさを痛いほど感じています。


前回のブログにたくさんのコメントをいただきました。
うれしかったです。
忘れません。


きのうは、娘とチーズタッカルビを作って食べました。
おいしかったです。






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