「感情の着地」を急ぐな。急がされるな。ほかのだれにも。


ドラマでは、愛する人の急死や失恋、裏切りにあうと
雨に濡れるのも構わず夜の街を歩いたり、
暗い部屋に閉じこもって
食べることも、眠ることもしなかったり、
だれとも言葉を交わさないか
だれかを激しく攻撃するかして
他人に心を閉ざしたりします。


きっとそういう人もいるでしょうし、
極限まで追い詰められるとそうなるのかもしれません。
でも、多くの人は、
そんなにわかりやすく感情を表現しないものです。


雨のなかをずぶ濡れで歩くことになったら
どんなにつらく、苦しくても
「わああ。傷心プレーしてるよ~
それも超わかりやすい形でやっちゃってるよ~」
と思ってしまいますもんね。


そのときのリアルな感情というものは、
「自分でもわからない」ことが、
多いんじゃないでしょうか。
自分の「感情」がわからないし
その「取り扱い方」もわからない。


ただ、なんとなく、
これまで見聞きしたことや経験したことから、
一般的な傾向や表れ方は知っていて、
「こんなときは、こうなるもんじゃないか」
「こんなときは、こうなるべきなんじゃないか」と
いまの自分の「感情」との違いを自覚してしまう。


あれ??わたし、これでいいのかな。
冷たくないかな??
鈍感じゃないかな?
何も感じなくなってんのかな?とか。


ひと月前に夫が倒れてからずっと
わたしもそんな違和感を覚えてきました。


でも、少しずつわかってきた気がします。


まだはっきりと意識の戻らない夫を前に
耳元に口を寄せ、大声で何度も名前を呼び、
覚醒を促すように体をゆする、などの
わかりやすい接し方をするのは、
現在の夫を「受け入れて」いるからなのです。


健康だったときの関係から、
「看護者」と「病人」の関係に
上手に変化、もしくは更新できているからなのです。
強いな、偉いなと思います。


お義母さんは、病院に来てすぐにそうなりました。
「母」とは、そもそもそういうものなのでしょう。
わたしも娘になら、自然にそうなれる気がします。
(何ごともなってみないとわからないけれど)



「受け入れられない」というのは、
錯乱や号泣、意気消沈などの
わかりやすい表れ方はしない。




わたしがいま感じている違和感や乖離感。
言葉にもならず、
表情にも出ない、
この沈黙するしかない感覚こそが、
「受け入れられない」ということなのだ、
と今は考えています。


このこと、同じような境遇で
自らの違和感に直面する人のためにも
書いておきたいと思いました。


おなじようなことが実は、いろんなケースにあてはまるんじゃないでしょうか。
身内の闘病だけじゃなく。


あらゆる「受け入れられなさ」は
当事者をこそ、沈黙にいざなう。
それを自ら責めないでいい、と思います。


急ぐな。急がせられるな。ほかの誰にも。





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不平も不満たっぷりの 「幸せかどうかよくわからない日々」の価値。



娘が留学先に戻る前、
夫の病院にあるコンビニで雑誌LDK the beautyを買い、
メイベリンのファンデーション
「ドリームホイップスムースリキッドが高評価」だと言いました。


「どれどれ?」と情報ぎっしりのページを見てみると
イブサンローランと同率ナンバーワンと書いてあるではありませんか。
ちょうどファンデーションが切れそうだったので
早速買ってみました。
スッと伸びていい感じなんじゃなかろうか。
プチプラコスメをお探しの方、
一度、試してみてはいかがでしょう。


LDK↓






・・・と軽めのお役立ち風話題からスタートしてみました。


夫が倒れてから40日あまり。
しばしば、彼が元気だったころ、
私は何を思って暮らしていたんだろう?と
考えることがあります。


日々、あれをやらなくちゃ、これをやらなくちゃと思っていたし、
そんなにボンヤリしていたわけではない。
ささいなことを心配したり、不安になったり、
プレッシャーに感じたりしていたよなあ。


いま、ひとりで出かけるとき、
この前までの私たちのように
車に乗って出かける夫婦をみかけることがあります。
なごやかに笑顔で語りあっている人たちもいれば、
どちらにもなにがしか不満や
腹に据えかねるものがあるのでしょう。
黙ったまま憮然として駐車場から
車を出している夫婦もいます。


そうだよなあ。そりゃそうだ。
ダンナの言葉や行動が
めんどくさかったり、気に障ったり…。
そういうことの連続だよな。
相手に言いたいことも意見したいことも
投げ出したいことも山ほどあるわけです。
わたしもそうだった!!



不平タラタラ、不満たっぷりの
「幸せかどうかよくわからない日々」。



この、幸せかどうかよくわからない、というのがキモで
その雑駁感、そのつきつめなくていい感、
わたし、こんなことしていていいのだろうか感、
もうひとつ充実していないような気もするな感…。
そういったものが、
「かけがえのない穏やかな日常」の実態なんでしょうね。


幸福とは実はそういうもので
不平や不満も、その必須要素なんだろうな。


…となんだか悟りを開いたみたいな書き方になっていますが(笑)
そんなことはありません。
ちょっと感傷的な思いつきを書いてみました。


晴れた日は電動アシスト付自転車で
病院まで通っています。
朝夕の犬の散歩で毎日1万歩程度あるいているので
わたし、このままいくと健康になるだけでなく
ナイスボディになるかもしれません(笑)。


いいこともあれば、悪いこともあるねー。


※コメントやメール、ありがとうございます。
励ましの言葉だけでなく
参考サイトなどを教えてくださったりと
感謝でいっぱいです。
落ち着いたら、お返事書きたいと思います。





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自分にとって「いいもの」とは、 「どこで手を打つか」と同じだ。


一昨日、姪ふたりが気分転換にとランチに誘ってくれました。


姪は、義姉の娘さんで33歳と31歳。
ひとりは知的障がい者施設で働き、
もうひとりは理学療法士をしています。


ランチは、夫の病院からそう遠くない新しいカフェ。
食事のあと、併設されているインテリアのアウトレットショップを
見て歩きました。


そのとき、妹のほうがお姉ちゃんに
「布団、買えば?」
と言ったのです。
東京に住む自分が、
姉の家に泊まるとき、
寝心地のいい布団に寝たいのでしょうね。


「ああ。そうやな。でもニトリに6000円台でセットがあったわ」
「全部で?」
「うん。それにしようかな。安いし」
「布団は長く使うから、いいものにしたら?」
「いいものかあ!悩むなあ!」


という会話。
うんうん。この文脈で「いいもの」という案を出されたら、
揺れるよね。悩むよね。
だって「いいもの」が「いい」に決まってるもん。
さらに「いいもの」には
「長持ちする」「結果的に安上がり」という信仰もついてくる。


叔母ちゃん、ちょっと会話に入れていただきましょう。


「わかる、わかる。『いいもの』が何かって難しい問題よね。
叔母ちゃん、この年になっても答えが出せてないよ!」


そう言うと二人の姪は大笑いしていました。


「いやほんとに。つまるところ、
『いいものとは何か』とは、
『どこで手を打つか』と同じな気がするよ」




娘さんたち、いま、叔母ちゃんは
ちょっといいことを言いましたよ。
この叔母ちゃんが口にした言葉の重みを
あなたがたは、これからの人生で何度も感じるでありましょうよ。


どこかにある「いいもの(本物)」を思い描き、
それこそが本来手に入れるべきものなのに、と感じながら、
自分がいま、手に入れているものや
手に入れようとしているものは、
「いいものじゃない(偽物)」だと感じる。


その不自由極まりない「いいもの縛り」に
終止符を打つには、
自分が「どこで手を打つか」を決めることだ。


布団もそう。
バッグもそう。
食器もそう。
旅行もそう。
なんなら、今の私にとって切実な医療だってそう。


いわゆる「身の丈を知る」ってことなんでしょうが、
その言い方は、ちょっとつつましくて大人しい。
丁寧な暮らしを想起させて
結局「いいもの信仰」に引っ張られる。
一方、「ここで手を打つ」というと
自分で決めて行動する、
迷いをぶった切るニュアンスになりませんか。
欲望と手打ちするのですよ。勝負師みたい。


人生は、「どこで手を打つか」を決める行為の連続。


どこで手を打つかを決められれば、
一式6000円の布団だって堂々と「いいもの」。





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「その他大勢」の油断に注がれる視線と言葉のチカラ。


9月1日に夫が倒れて、間もなく2カ月。
残念ながら意識の状態はまだよくありません。


最初のころは、親戚が多くやってきたので
寝た子を起こすみたいに
胸元を軽くパンパン叩いて
「ほら、来たよ!目をあけて!」と
大きめな声かけをする人が多く、
わたしも、「な、なんかこれって違和感、
下手な芝居みたいだぞ」と思いながら
同じようなことをやってみることもありました。


いまは、面会に行くのはほぼわたしひとりなので
家で日ごろ、話していたように
いろいろなことをフツーの声でフツーに話せて
ずっと気が楽です。


ここからいきなり自慢をぶち込みますが、


先日、看護師さんに
「お元気なときは、やさしい方だったんですか」と尋ねられました。
なんで急にそんなことを言うんだろうと驚いて
「はい!やさしくて面白い人でした」と答えると
「奥さんの接し方を見ているとわかります。
なかなか、そういうふうにはできないので」と言われたんです。


夫は、いつも笑っちゃうくらい鼻毛の手入れをする人で
電動鼻毛切りと鼻毛切はさみの両方で入念に手入れしていたので
たとえ、寝ていても鼻毛が出ているのはさぞかし嫌だろうと
ちょくちょく鼻毛を切っていたため、
「ヒゲのみならず、ハナゲまで!」と
大きな感動を呼んだのかもしれません(笑)


そこで思ったのです。鼻毛はともかくとして


見られているんだなー、と。


患者の家族は、「忙しい看護師さんを目で追う」時間が多いので
つい自分が「相手を見ている」と思いがちです。
「自分も見られている」とは、なかなか意識しにくい。


しかし、看護師さんは、
大勢の患者とその家族を
忙しく立ち働きながら常に定点観測しているんですよね。
ある瞬間に目に入った行動、
ある瞬間に耳に入った言葉などから、
さまざまなことを記憶し、判断しているのだろうと思いました。


もちろん、プロの医療人ですから、
そんなことは決して口にはされませんが
「患者の家族」の明暗、虚実、本音と建て前を
知り尽くしていることでしょう。


で、看護師さんに褒められた話を
かつて中学の教師だった長崎のねーちゃんにしたら、
「ああ。わかる。先生も同じよ。
保護者一人ひとりば、ものすごーーく見とるよ。
そして、先生どうし、感想ば言い合うとよ!」
と熱く語っていました。


そうか。学校の先生もそうか。
そうだよなあ。
飲食店とかコンビニの人もそうだよなあ。


自分が「その他大勢」に紛れていると思うとき、
実は細かく「定点観測」され
ときには記憶され、
情報交換までされているのだ。




当然のことなんですが、
つい忘れてしまうので
改めて心に刻みました。


この2カ月、わたし自身も余裕がないなかで
「その他大勢」にまぎれている気分になっていました。
「看護師さんたち、夫をちゃんと見てくれているだろうか。
大丈夫かな。気づいて、気づいて。こっち見て」と
ひな鳥が親鳥を待つような気持ちになりがちでしたが、
自分は、看護師さん一人ひとりを
「人間として」ちゃんと見ようとしていただろうか。


伝えるべき感謝を、
伝えるべき言葉で
ちゃんと伝える努力をしていただろうか。


少なくとも、先日、「やさしい方だったのですか」
と尋ねてくれた年配の看護師さんには、
その言葉をかけてくださったお礼を
どこかで言いたいと思います。


その一言で夫はひとりの「病人」から「やさしい人」へ
わたしも「がんばってますね」という
励ましとねぎらいをもらいました。
本当にうれしかった。
「見つめる目」と「与える言葉」の力を知りました。


どんなときも、悪いことばかりじゃないねー。





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ウェブマガジン「どうする?Over40」、ほぼ毎日更新しています。月曜にこちらにも書いています。「プライドの檻」を壊して、苦しいときこそ情報公開。

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