生きてきた道も、考え方も違っても 「好きになる」ってある。


転院した夫の病院には、
無料送迎バスがあり、
複数の運転手さんが順番で担当しています。


先日は、40代後半の女性が
さわやかな笑顔で招き入れてくれました。
乗り込むのは、わたしと
これまた40代後半と思われる細身の男性だけ。


車が動きだすと、
男性がふと、「繊細そうな男の子やな」と
通り過ぎる高校生について感想をもらし、
その言葉を皮切りに、運転手さんとの間で
最近の子は叱られ慣れしていない。
やはり体育会系のクラブに入ったほうがいい。
ゆとり教育は最低だった。
土曜は半ドンの方が楽しかった、などなど…
よくある「最近の子ども(若者)批判」で盛り上がりはじめました。


わたしは、そういう話題をあまりおもしろいと思わないので、
雰囲気だけは壊さないように
ニコニコしながら黙っていましたが、
運転手さんは、次第に自分の息子さんについて
事細かに話し始めたのです。


高校に途中から行かなくなり、
通信制に行くというから行かせたけど
それでも行かなくなり、ゲームばかりしていたが
最近は、引っ越しのバイトに行き、
自分以上に稼いでいる。
よかった。ほっとしている。


かいつまめば、そんな話。


「生きる力は仕事で学べる。
大学なんかじゃ学べない。
そこらの大学なんて不要だ」


と何度も何度も同意を求めるように
後部座席をふりかえり
持論を笑いながら主張していました。


息子さんの話をする運転手さんの様子を見ているうちに
わたしは、この人が少しずつ好きになってきました。


そりゃ、主張には偏りがある。
勉強だってちゃんとすれば、
身になることはたくさんあるでしょう。
勉強より仕事!とことさら口にする背景には、
強がりや劣等感もあるかもしれない。


でも、ハンドルの上をすべる細い乾いた、シワ多めの指、
明るい茶色に染めた段カットと呼びたい長い髪、
真っ白なダウンジャケット、
ハスキーな笑い声。


それらがぎりぎりのところで
清潔さと愛嬌のなかに収まっている。
グチや不平や悪口を言いながらも
体を動かすことを厭わずに
まじめに生きてきた人が
時間とともに身につけられる得難い雰囲気です。


「学校にもバイトにも行かず
一日中、ゲームしていたときは、
自分もつらかった。
でも、ここでやいやい言うたらあかんと思って
黙ってたんです。うちの母親もわたしに対して
そうやったからね」


わずか20分ほどの間に
ここまで詳しく心の動揺を語ってしまう率直な人は、
ほかの生き方に出会ったときも
案外、すんなり受け入れるんじゃないか。


たとえば、父親が倒れて借金も見つかり、
経済的に大変なのに
大学を休学して留学している女子(うちの娘のこと)
のような生き方に対しても、
苦笑しながらも受け入れるのではないか。


同乗の男性も、
あまりにも最近の若者を
ありきたりな切り口でくさすので
「なんだかなあ」と思っていたけど
運転手さんの身の上話への相づちが
優しく、柔らかく変わっていったので
「なんだ。目の前の人にはやさしく接するんだ」と
これまた見方が変わってきました。


たまたま乗り合わせた3人を結びつけたのは、
運転手さんの率直な身の上話。


その「主張の正誤」でなく
「言葉が垣間見せる内実」が胸を打つ。


生きてきた道も、考え方も
何もかも違っても
「好きになる」ってあるなあと思いました。


運転手さんもわたしをそんなに嫌いじゃないと思うな。





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いいとこもあるじゃないか!「そんな自分」とやっていくしかない。



37歳から自転車にのりはじめたうえに
運動神経が超ド級に鈍いので
いまでも下手です。


狭い道の向こうから
若者が二列になって疾走してきたりすると
ぶつからずに通り過ぎることができるか
心臓がバクバクするし、
急なカーブも苦手。


スピードはのろいし、
あちこちでモタモタする。
「あのおばはん、とろいな」と
必ずや思われているに違いありません。


夫の転院先まで
天気のいい日は電動アシスト自転車で通っているけど
われながらダメだなあ、
こんな自分いやだ、と思います。
さらに、もんのすごい方向音痴なんですよね。
つまり、「移動」全般が苦手ということ。
効率的な移動、臨機応変な移動、となると
からきしダメ。
病院内でもしばしば迷うぐらい。
ほんと、迷いつづける人生です。


そのかわり、ものごとを整理して決断するのは得意です。
「これ、迷ったり、先延ばししたりすれば別案が出るかな。
出ないかな。出ないなら、今、決めよう」と思える。


ほかの人の意見にも耳を傾けますが、
「ま、多少、何を言われても気にするまい」と
と割り切ることもできるので、そこも大丈夫。
今回の夫の病気については
「なんだかんだ言って決めるのは私だ。
あとは、みんな、次第に遠のく」と
腹をくくっているので
そこも迷いません。


あんなに道に迷うのになあ。
こういうことは迷わないんだなあ。


前回の記事に書いた女性の運転手さんは、
方向音痴じゃなさそうだし、
運転もプロだからうまい。
移動は得意だろうなあ!
効率的な移動に長けていて颯爽としているタイプ。
でも、もしかしたら人生の選択には迷う人なのかも。
情に流されやすいかも。


隣の病室には、70代の車いすの男性が入院しています。
同い年ぐらいの奥さんは、
毎日、ずっと旦那さんにつきっきりで
車いすを押して出かけたり、テレビを見たりしています。
ほとんどいつもゴキゲン斜めです。
病院スタッフにもちょっと横柄な口ぶり。


ずっと付き添う(退屈ですよ。わたしにはできない)ことはできても
明るくふるまうことは不得意なんでしょうね。
夫婦関係も影響しているのかもしれないなあ。
「まわりの人の気分を明るくする」ことは
苦手そうです。


結論。わたしも、女性ドライバーも、隣の奥さんも
「そんな自分」とやっていくしかないのだ。


ここは、人よりたくさんの時間がかかる。
ここは、人より回数多くやり直さなければならない。
ここは、人より下手にしかできない。


「んもー!」と思いながら、
そんな「ダメな自分」とやっていくしかない。


自分の「得意」と「不得意」って
漠然としか理解してないことが多いですよね。
不得意な面ばかり過度に意識して
得意な面をあまり意識していなかったり。


人生が、ちょっとハードな立場になったとき、
「得意」を知っておくのって大事だと思う。


他人から見たら欠点でもよし。
むしろ、そのほうがいいかもね。





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「お気楽」の回路を残しておく。どんなときも、できれば。


夫が倒れてから、
わたしは、「大変な状況にある人」になりました。


みんなが気をつかってくれて
いろんな言葉をかけてくれて、
励ましたり、支えたり、ねぎらったりしてくれます。
ほんとにありがたいです。


先日、親しい友人が電話をしてくれて
たくさんのことを話したのですが、
「あなたと話したあとは、
自分のあり方を問い直してしまう」というようなことを
(ちょっと違うかもしれないけど)言っていて
その言葉にハッとしました。


そうか。わたしは、
「問い」を突きつける存在になっているのだな!
人生のハードさとか生き方とか、
状況への対峙の仕方とか!


あああ。気づけてよかった!と思いました。
(友人は別の意味で言ったのかもしれないし
もっと面白いことや示唆に富んだことをたくさん言ってくれました。
きっと不本意なところをピックアップしていると思います)


境遇が激変したからといって
自分のことだけで頭がいっぱいになっているつもりはなかったけど
でも、いまのわたしのような状況の人間が
相手に与える、もしくは相手が受け取ってしまう
ある種のプレッシャー、
「配慮」や「自省」というカタチで現れる心理的負担。
立場を変えて想像してみたらわかることだ。
あるよねえ。あるよなあ。


「お気楽」をとりもどそう!


と思ったのです。


「お気楽」というお皿に乗せて
いきかう料理の温かさ、おいしさ、そそり方。
食べてよし、残してよし、
残ったら捨ててよし。
とっておいて一人で食べてよし。
ほかの料理にリメイクしてよし。


人と人のあいだを行ったりきたりする
お気楽な会話。いいよなあ。


いまのわたしにだってたくさんある「お気楽」をさしだして、
友だちの「お気楽」をたくさん受け取りたい!!
げらげら笑ったり、あきれたり、スルーされてがっかりしたりしたい。


心からそう思いました。
みんな、これまで、気をつかわせてごめんよ。


さらにその人は、
「あなたに、その借金の額はちょろい。すぐ返せる」(キッパリ)
「あなたなら、どんな状況にも面白さを見つけられる。
そこになんの心配もない」(キッパリ)
と根拠なき断言で背中を押します。


そのたびに、「だろな」って思うから不思議。
褒められて育つタイプなんですかね(笑)
先週、57歳になったけど、まだまだ育つよー。





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この二カ月半で一番泣いた。「書くこと」ってすごいぞ。


夫が倒れて3日後に
嵐の日も、晴れの日も、生きましょう。
という文章を書きました。


この2カ月半の自分の行動のうちで
「やっておいてよかった」と思うことの
筆頭がこの文章を書いたことです。


このとき、ここに、
彼が元気だったときの言葉と
ふたりでなごやかに食べた朝食と昼食を
こと細かに書いたことで
いまも、そのときの夫の表情や声を
はっきりと思い浮かべることができます。


記録する大切さ、
動画や写真もいいですが、
記憶に刻むチカラの大きさでは、
「文字の記録」にかなわないかもしれません。
そのことに改めて気づかされています。


惜しむらくは、夕飯を覚えていないことです。


倒れる前の二日間は東京出張と
友人との飲み会で夕飯は摂らなかったので
そのもう一日前。
何を作ったのか、
何を食べたのか、
彼が何を言ったのか、
思い出して何度も振り返り、
この胸に刻んでおきたいけど、
どうしても思い出すことができません。


その何日か前に奮発して松茸を買い、
鱧の骨を焼いてだしをとり、
土瓶蒸しを作ったのですが
「深い味だなあ。味わい深いなあ」と
とてもうれしそうだったことを
その代わりのように
何度も何度も思い出しています。


syokuji.jpg


倒れる日の午前、台所の流し台に寄り掛かって立ち、
この記事に書いた先輩のことを話していたら
「僕は、おかあさん(わたしのこと)で本当によかった。
いっしょに稼いでくれる人でよかった」と
ほめてくれたことも何度も思い出します。


あたりまえだろ、というように
「フフフ」と笑って、
わたしは、褒めなかった。


あのとき、なんで、褒めなかったんだろう。
「わたしもだよ」ってなんで言わなかったんだろう。
なんで、わたしは、こうも、言葉をケチってばかりだったんだろう。


いま、この文章を書きながら
この2カ月半で一番泣いています。
ボロボロと涙を流しながら書いている。


ああ。書くことってすごいなあ。
記憶にしっかりと刻んだり、
心を解放したりするんだなあ。
そんなつもりじゃなく書きはじめたので
自分でも驚きました。


今日は曇り空。
夫のもとへ行ってきます。


なんだか、愛の告白みたいな文章いなっちゃいましたね(笑)
許せ。





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自分を責め過ぎない。怒った私を許してあげよう。


先週は、「荒ぶり週間」でした。


少しずつ思慮深く冷静かつ温和に
齢を重ねてきたつもりでしたが、
先週は、お見舞いに来た義母に怒り、
マンション管理組合の会長さんにも怒りをぶつけました。


荒ぶったなー。


義母のことはご想像にお任せするとして、
管理組合の会長さんとは、
駐車場の問題でぶつかりました。


夫の車は廃車にしたけれど
春には新たに購入するかもしれないので、
来年3月まで猶予がほしいと事情を説明したものの
ルールだから明け渡してくれ、の一点張りだったからです。


被害者意識、強まる。


結論から言うと
荒ぶっただけで
物事は何も解決しませんでした。


発散したいだけなら、怒れ。
解決したいなら、怒るな。


わかっていたはずなのになあ。


「荒ぶっちまった」と反省していたところ、
翌日、犬の散歩をしていたら
ばったり会長さんと会ったのです。


向こうは気づかず通り過ぎようとしましたが
「あ!会長さん!」と呼び止め、
「昨日は感情的になって申し訳ありませんでした。
会長さんは、イヤな役割を引き受けて来てくださっただけなのに」


そう言って頭を下げると、
会長(女性。60代ぐらいか)は一瞬驚いたあと、
パーっと明るくなり、それからクシャっと顔をゆがめ、
「私は、なんとかしたいと努力したんです。
大変なことがわかっているから。
本当にごめんなさい!」
となんだか謝罪合戦になりました。


よかった。
この偶然の出会い、
神様が与えてくれたんじゃなかろうか。


怒りは生産的な行動ではないので
できれば怒らないほうがいいけれど、
わたしは、今回の自分の「荒ぶり」を
許してあげようと思っているのです。
許して、理解してあげようと。


この3カ月あまり、
概ね笑顔でやってきたけれど
「なんでだ!?」という思いが
蓄積していたんでしょう。
それが、大人げなく噴出したんだと思います。


お義母さんともそれなりに仲直りして
円満に別れたし、よかったことにしよう。


自分を責め過ぎない、
自分の過ちをゆるす。
これもたまには大事なんじゃなかろうか。


しかし、「怒り」からは何も得られない。
再び、肝に銘じました。





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