夫が倒れて3カ月が過ぎ、
彼の部屋は、元気だったころの状態の上に
車から降ろした釣り道具やキャンプ用品、
入院のために買ったもろもろの用品が加わり、
ビミョーに「物置化」しています。
80平米程度の狭い家なのに
ウォークインクロゼットとして使っている部屋がひとつ。
娘が留学中のため無人の部屋がひとつ。
そしてビミョーに物置化の進む夫の部屋がひとつ。
なるほど。家というのは
こんなふうにして「物置」が侵食していくのだな。
多くの高齢者が居間だけで生活し、
その他の部屋はなんとなく物置になっている。
その前駆症状的なものじゃなかろうか。
かつては家族それぞれの個室だった部屋が、
別の用途に変えようにも
とりたてて思い浮かぶ用途もなく、
主がいなくなったり、独立したりしても
ほぼそのままの状態で置かれ、
ビミョーに物置化していく。
実際に物置にはしなくても
風通しの悪い「古い雑多なものの詰まった空き部屋」になっていく。
思い出というモノの置き場としての物置といえなくもないですね。
思えば、わたしの実家の二階もそう。
夫の実家の二階もそう。
2階の宿命といえそうです。
おそらく、「いつか帰ってきたときのために」
部屋はそのままに置かれるのでしょうね。
でも、もし、それが子どもなら、
居心地のよいゲストルームにしたほうがいいのかもしれません。
いや、やはり「子ども部屋」のままがいいのかな?
でも、かつての勉強机に座ったとき
何とも言えない落ち着かなさを感じた人も多いはず。
もう、身の丈に合わなくなった「かつての自分の部屋」は
ずっとしまっていた古い服のように、
汗と体臭が化学変化を起こしたときの不快さに似た
居心地の悪さを感じさせる場所だったりします。
そのままにしておくと、家は、いつしか
思い出がからみつき、身動きがとれなくなり、
さまざまな「保留」が積み重なって
時間という埃がうっすらとたまった
物置のような空間になっていくんだな。
家に思い出は必要だけど
その量が多く、密度が濃すぎてもいけない。
物置化しないように「今」の自分たちに最適化しながら
家も更新していきたいものです。
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