悲観せず、くさらず。今できる「幸せ」をカタチに。


あけましておめでとうございます。


2019年になりました。
元旦は、いつもどおりスーと散歩しましたが、
初日の出を見ようとする人たちが
小高い場所にはたくさん。
爽やかな晴れやかな一年の始まりでよかった。
わたしも、新たな気持ちで散歩に励もうと思いました。(散歩か)


年末のことです。


夫の病院に向かうとき
近所の女性に会いました。
かつてお利口なラブラドール・レトリーバーを飼っていた人で
犬を通じて知り合いになった
70歳ぐらいの颯爽とした女性です。


わたしを見た途端、
「明るい服を着ているから大丈夫ね!」
と安堵したように微笑み、
ポンと軽く肩を叩いて通り過ぎました。


そのとき、わたしは、
赤いタータンチェックのスカートに
グレーのタートルネックのセーター、
紺色のショートジャケットを着ていて
青い大きなストールを巻いていたのです。
(タータンチェックのスカート、
どこかに書いたなと思ったら
この記事に書いていました。かわいいよ)

上から「青」「グレー」「紺」「赤」!


わたしの気持ちは通常運転、
さほど元気でもなし、
かといって暗くもなし、
淡々と病院に向かうという状態でしたが、
鮮やかな色の効果で
「元気に」「大丈夫に」見えたのでしょうね。


服の色って効果が大きいんだなと
改めて思いました。
明るい服、着るべ。


今年は、初もうではしていませんが
これからどこかに詣でるにしても、
「今年こそ、いいことがありますように!」という
積極的な人生大逆転&大好転祈願をするつもりはありません。


それより、現実に立ち向かい
ひとつひとつを確実に解決する力を持てますように、
と祈りたい。


悲観せず
くさらず、
今のわたしに可能な「幸せ」を
妥協せず、求める。



そのために受け入れるべき変化を受け入れ、
捨て去るものは捨て去り、
ひっそりと宝箱にしまうものはしまおう。


新しい年。
自分を信じて生きましょうね。
なんとか、できる。





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「慣れる」「飽きる」を織り込んで、明日の自分に備える。


昨年の今ごろは、愛護団体から子犬を迎え入れて大騒ぎしていました。
犬を飼うのは2回めだから苦労はわかっていたはずだけど
やっぱり大変だった。


お約束の甘噛み、あちこちトイレ、後追い、あれこれの破壊…。


今思うと、そんなに焦ったり心配したりしなくても
待っていればなんとかなったのです。
人間の子どもと同じで気長に待っていれば
いつの間にかおさまることが多い。


つまり、当時は、


犬のしつけで困っている。


と思っていたけど、実際は、
子犬がそもそも大変ということを差っ引くと


犬のいる暮らしに慣れていなかった。


のですね。この、わたしが。


数年、犬のいない暮らしを送っていたので
その自由で束縛のない生活スタイルにすっかり慣れてしまって
すぐに適応できなかった。
最初の犬を飼ったときより年をとっていることや
ネットでいろいろな情報が入ってくることも影響したかもしれません。


スーがきて1年が過ぎ、
ようやく「犬のいる暮らし」に慣れてきました。
思ったより時間かかったな。
犬がいることを過度に意識せず、
普通に過ごせるようになったと思います。


スーも同じでしょうねー。


うちに連れてこられて1年。
彼もようやく慣れてきたんじゃないかな。
犬という生き物は、哀しくなるほど気がよくて、
相手に合わせようとしてくれるから、
すぐに慣れると思いがちだけど違うんですよね。
人間というデカくて偉そうな異種動物との暮らしに慣れるまで
気をつかって大変だったと思います。お疲れ、スー。


新たなことや新たな出会いの多くは、
「慣れていない」ゆえの苦しみや悩みに満ちていて
いたずらに即効性のある解決策を求めてしまうけれど、
次第次第に「慣れる」。
この記事をきっかけに
これからは、「慣れるまで気長に待つ」ことを
忘れないようにしたいなあと思います。


「慣れる」もそうだけど
「飽きる」もなんにでも隙をみつけて
スルリと入ってくる感覚ですね。


夫がパラダイス病院に転院して間もなく3カ月。
すばらしい医療スタッフのみなさんに支えられて
リハビリに取り組んでいますが、
なかなか目立った回復のない夫を間にはさんで
わたしも、医療スタッフのみなさんも
ごくかすかですが徒労感を覚えることがあります。


それは、「飽きる」という感覚にも似ている。
みなさん、プロフェッショナルなので行動に表れることは決してありませんが、
だからこそ、夫以外の患者さんを前にしたときも
「飽き」からくる手抜きや怠りを防ぐために
意識的に、慎重にコントロールしているのだろうと思うのです。


夫が倒れて間もうすぐ5カ月。
わたしは、まだ日々、段取りを考え
緊張して過ごしているので
この暮らしに「慣れ」てはいませんが、
いずれ「慣れる」のでしょう。
「飽き」もするでしょう。


「慣れ」も「飽き」も
どんなことに対しても起こりうる。
人間の変化対応力であり、
マンネリやと挫折の原因でもあります。


「慣れ」や「飽き」のチカラを信じつつも、
無防備に身を任せず
上手に制御してやっていきたいものです。


「慣れ」と「飽き」をあらかじめ織り込んでおくと
何かをつづけるときに質を落とさずに継続できる。


冒険にも、チャレンジにも、幸福にも、
受け入れがたい悲劇にすらも
「慣れ」と「飽き」はやってくる。
覚えておけ、自分。





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家事は、家という縄張りに「匂いをつけ」て親しみを育む行為だ。


仕事で必要なこともあり、
ふたつの生協から食材をとっています。
日曜日に、今週届く予定の食材を見ながら、
一週間の夕ごはんの献立を決めるのが習慣になりました。
そのとき、買い足す食材もメモしておきます。


わたしの夕ごはんに賭ける情熱ときたら!
われながら恐るべし!



…といっても何もすごいものを作るわけじゃないんですが、
「その日の夕飯が決まってない」ということが
大げさでもなんでもなく、日々の生きる希望を削ぐので
せっせと下ごしらえをしたり、作り置きをしたりしています。


犬の散歩が終わり、ごはんをあげ、
洗濯物を取り込んで片づけたら、
暖かい部屋で
ちゃちゃっと準備して
ごはんにしたい。
ビールだって飲みたい。
見るともなくテレビも見たい。
そこに寝そべる犬がいるくつろぎ感が
明日を生きる活力。


この「ちゃちゃっと」が大事で
一から作るなんて無理。
さっと炒めるだけにしておくとか、
材料は切ってあって一人鍋にするとか、
そういう段取りを考えておきます。


いったい、いつから、こんなに「食べることが好き」に
なったんだろうか。
性欲が減退したころからでしょうかね。


それに、いつから、こんなに段取りがよくなったんだろうか。


いやあ、それにしても
家事をするチカラをあなどってはいけませね。
だれも、あなどっていないだろうけど
もっとすごいもんだと思っていいと思う。


稼ぐチカラも大事だけど
家事のチカラがあれば
案外、生きていけるんじゃないか?と思いますよ。


多くの女性が配偶者との離婚や死別のあと、
たくましく生きている姿を見かけますが
その生命力と適応力と楽天性の土台に
「家事力」があるのではないか。



家事は、自分の「家」をそらぞらしく、
寒々しく、虚ろに感じないように
家という「縄張り」との親和性を育む行為。



わたしは、もう、そう言いきっちゃうな。


長年にわたり、いやいやながらでも
手をかけてきた、触ってきた、
つまり動物としての「におい付け」をしてきたから、
「家にいて虚しくない心」でいられると思うのです。
(そりゃ、寂しかったり、切なかったりはするけども)


さらに家事のチカラがあれば、「崩れない」。


暮らしが崩れない。
体調が崩れない。
見た目が崩れない。


わたしにとって「家事」は
習慣という、自然で
自分を崩さないための「砦」ですな。


これまでブーブー言いながら、
いやだいやだと思いながら築いてきた「砦」の
意外な堅牢さが、
わたしの健康と生きる意欲を支えています。
掃除洗濯料理って生命力と深くかかわるものだな。





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「わたしの道」を仮設し、できることをしながらその道を歩く。


夫を見舞ってくれる人に
「奥さんが倒れたら一番大変。自分を労わって」と
言葉をかけてもらうことがよくあります。


温かい言葉を心の底からありがたく思うと同時に
でも、ちょっと申し訳ないような、
自分はそこまでやっていないような、
ビミョーに居心地の悪い気分にもなるのです。


「夫の病」という道を脇目もふらずに歩き、
その病状をひたすら案じて心を砕きながら
日々を暮らす妻。
そんなイメージと
現実のわたしはかなり違うからです。


「夫の病」という道を脇目もふらずに歩いているのではなく、
「夫の病」という道の隣に「わたしの道」を仮設し、
その急場しのぎに作った行先のわからない道を
病む夫を横目に見ながら併走しているのが、
実際のわたしなのです。


わたしの道には、
将来の生計を案じる自分がおり、
そのために仕事に貪欲になる自分もいるし、
スーの散歩の時間を気にする自分も
帰国後の娘との暮らしを楽しみにするような、
面倒に思うような自分も、
今晩のごはんを段取る自分もいる。


「夫の病」のあらゆる問題は、
瞬時に「わたしはどうすればいい?」
に変換されるのです。
もっと端的にいえば、
「わたしはどうなる?」に。


いつからか。
最初からです。
夫が倒れたのを発見し、
救急車を待つ間、
いてもたってもいられずベランダに出て
何ごともない夕暮れのまちを見たときから。
あれが仮設道路の敷きはじめでした。


すべてが、どうなる?どうする?わたし。


わたし、わたし、わたし。


ほかの人はどうなのだろう。
…とよく思いますが、
比較しても仕方ない、とも考えます。


わたしは、わたし。
仮設の道を、
できることをしながら
日々、歩いていくだけだ。


まあ、人生ってそういうものかな。
どんな人とも、併走以外に術はなし、ともいえますもんね。




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その横柄さ。妻の看護・介護を「自然現象」と受け止めているせい?


夫の入院するパラダイス病院の送迎バスに
最近、80歳ぐらいの杖をついた女性が乗ってくるようになりました。
脚がかなり不自由で
どうにかこうにか一人で歩いているという感じ。
片方の脚はまったく思い通りに動かず、
バスの乗り降りにもえらく時間がかかります。


今日のことです。


食事時間になると夫は
サンルームのように日当たりのいい場所に移動するんですが
そのちょうど向かいの病室のドアが開いていて
車いすに座る高齢男性の背中が見えました。


つい先日まで、その部屋には若い男性がいたので
「あ。退院されたんですね」と看護師さんと話していると
ゆっくりと近づく人の気配。


振り返ると、あの杖をついた女性です。
おぼつかない足取りで
高齢男性の病室に入っていくではありませんか。


通院患者だと思っていたら、
入院患者の家族だったのか!


その女性は、病室に入ると車いすの男性に
「横になる?テレビ見とく?」と声をかけています。
その後すぐに男性の首の後ろをマッサージ。
男性は、「ああ。そこじゃない、こっちだ、あっちだ」と
不機嫌な声で指示を出し続けます。


なぜか男性はますます不機嫌になり
「横になりたい」と言ったようで
奥さんが「看護師さん呼ぼうか」と聞くと
「呼んで、呼んで」と答える
その「呼んで」の言い方が、
自分のことなのにウザそう。
ナースコールを押したら
看護師さんが走ってやってきます。
案の定、男性は看護師さんにも
看護師さんという個人が見えていないように
しゃべります。


んもーー!
そりゃ病気のせいで
いらいらもするでしょう。
わがままにもなるでしょう。


でも、艱難辛苦を乗り越えて
病院まで這うようにやってきた妻に
「ありがとう」は言えんのかい!
まあ、100歩譲って口下手ということにしてあげよう。
それでも「よ。来たか」の笑顔くらいは見せんかい!


まさか、この高齢の男性は、
「女性たちのケア」(妻はもちろん看護師さんも含む)を
太陽や風のような「自然現象」とでも
思ってるんじゃなかろうね。
とにかく奥さんへの横柄っぷりがすごい。


女性たちの「やさしい手」が
自分を「やさしくケア」するのは
当然のことだと思ってるんじゃないか。


だとしたら、女性であるわたしから見える
看護や介護の風景と
この人から見える
看護や介護の風景はまったく違うんだろうなあ。


夫婦は、
長年の我慢や妥協を経て
ぬきさしならぬ「支配と従属」関係に
なってしまうこともある。


どちらかがそれを「自然」と受け止めていたら
そりゃ、大変ですよ。
家族間のケアに自然なんてない。
あらゆる家族内ケアは人工なのだと、
懇々と言い聞かす必要がありますね。


おかあさんの代わりに
わたしが言ってあげようかな。
なんなら杖をお借りして
ブルンブルン振り回してあげようかな。




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