危機には、「生の気持ち」を抑圧せず、伸び伸びとさせてあげる。



夫の発病から現在までを書いた
新聞連載「献身と保身のはざまで」を読んだという方から
メールやコメントが少しずつ届くようになりました。


「自分のことが書かれていると思った」という感想は、
特にうれしくて、腹をくくって書いてよかったなあと思っています。
「わたしがここにいる」「これは自分だ」と感じてもらいたい、
そう願って書いたので。


和楽氣さんという方がブログに感想を書いてくださっているのですが、
その回は、わたしが
「これは、書かねばなりますまい!わたしが書かずに誰が書く!」と
気合を入れ、鼻息荒く書いたもののひとつ!
とてもビビッドに反応してくださっていて、すごくうれしかったです。
(ブログに掲載してくださっている記事をクリックしたら、すこーし読めます)


「自分の地域には掲載紙がないが、どうすれば読める?」
という質問もいただきました。
ネットで読めないかなと探してみたら、
福井新聞のデジタル版で読めるようです。(有料です。登録月は無料)
わたしの記事タイトル横にズラリと並ぶ印象的な切り絵は、
小関祥子さんのものです。(こうやって並ぶと、一層、素敵)


わたしと同じような立場の方からいただいたメールには、
できるだけ自分の体験やそこから得た知識を
具体的に答えるようにしています。
(症状も地域も限定的なので役立つかどうかはビミョーですが
そのあたりの応用はお任せするということで)。
メールはこちらから、どうぞ。


連載のなかにも書いていますが、
自分の気持ちをわかるのは自分だけなので
せめて自分だけは、その「生の気持ち」を
禁じたり、抑圧したりせず、
自分のなかで「伸び伸びとさせて」あげてほしい。
そして、周囲に気を遣いすぎず
「自分勝手」を大切にしてほしい。


「心配」を理由にいろいろな人が
生活に介入してきて疲れるなら、
たとえ、肉親でも断っていいんです。
わたしは、姉ちゃんが「来る」というのを
何度も断りました(笑)。
…などの気構えをお伝えしています。


連載の内容は、いま、ふりかえると
少し強がっているところもありますが
それも含めて、わたしの「生の気持ち」。
その「生の気持ちの」を伸び伸びとさせてあげて
広く表現する機会まで与えられて
大変な幸せ者です。


また、よかったら感想をお寄せください。
お待ちしています。


余談で、しかも自慢ですが、
ここで紹介したサンダル
先日、古着屋さんのオサレな女性店員さんに褒められたんですが
今日は美容院でオサレさは普通の男性美容師さんに褒められました。
うれち❤



私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、福井新聞で掲載が始まりました。現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報の各新聞にも掲載(終了紙もあり)されています。お住まいの地域の皆様、お読みください。


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正直な心情の吐露を禁じるのは、精神の自由を奪う弾圧。


各地の新聞に連載中の
「献身と保身のはざまで」を読んだ方から、
怒りの、というより、
罵倒のといったほうが正しいメールをいただきました。


いたく傷つき、
しばらく呪われたような気持ちになりましたが、
でも、よかった。


何が、よかったって
この人が、わたしの身内じゃなくてよかった。


わたしの身内、とくに夫の肉親たちは
日々、連載を読んでくれていますが
温かく見守ったり、
言いたいことをこらえて静かに見守ったりしてくれています。
なんとありがたいことでしょう。
感謝でいっぱいです。


わたしの記事が一部の人々に反発を呼ぶであろうことは
ある程度覚悟していたので
それはいいのですが、
自分の信じる正論を武器に
「家族愛」や「自己犠牲」の有無を判じる踏み絵を差し出し、
「さあ。踏むのか。どうなんだ!」と迫り、
「こいつはダメだ」と結論づけた瞬間に
地獄に落ちろともいうべき悪口雑言を繰り出す人々。


「介護」をめぐる場所には、
このような人々が一定数いて、
それが「実際には介護の負担を負わない身内」の中にいたりすると、
介護当事者は、たまらんだろうと思います。


今回もらったメールにも
自己の体験は、ひと言も触れられていませんでした。
そして、このような「お叱りのメール」を
介護当事者の方からいただくことを覚悟していましたが、
まだ、そのような方からの怒りのメールは
一通もいただいていません。


介護の当事者になることが
自分の人生をすべて犠牲にするように感じて
「怖い」と思うこと
「いやだ、助けて」と思うこと。



そのような心情を正直に吐露することさえ
人間として失格であるかのように弾劾することは、
まさしく踏み絵をもって迫る「弾圧」です。




「怖い」「いやだ」と口にすることと
介護の責任を担おうとする「覚悟」は別であり、
責任を全うする方法も人の数だけあってしかるべきです。
そして、その「選択」もまた被介護者と介護当事者とが行うべきものであり、
「責任」を担うものが行使すべき自由という名の「権利」です。


それから、わたしの連載は、
看護や介護についてだけ書いているものではなく
夫婦というもの、
その性的な面も含む関係と、
その変遷についても
率直に書いていて
そこが、わたしらしさのにじみ出る
味わいどころだと思っています。
自分でいうのもなんですが、ほんとですよ(笑)


願わくば、その全体を味わって
読み物として楽しんでいただければと思います。
もちろん反論や否定的ご意見も歓迎しますが
どうか、わたしも一人の人間であることを配慮いただき、
節度ある言葉づかいでお願いしたいです。なにとぞ。


もし、お住まいの地域の新聞に連載がない場合は、
電話やメールで「読みたいから載せて」と言ってみていただくと
掲載される可能性が何倍も上がるそうです。
もし、お時間ありましたら、そういう方法も。
(あつかましくてごめんなさい)
共同通信社の配信先はこちらです 




私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、神奈川・佐賀・宮崎日日新聞で掲載が始まりました。現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報の各新聞にも掲載(終了紙もあり)されています。お住まいの地域の皆様、お読みください。


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愛のカタチは変わる。「かつてのように愛せない」と苦しまない。


夫は昨年の9月1日に倒れたので
あとひと月半ほどで丸一年になります。


これまで「この時期は、二人で、こういうことをしていた」とか
「この日、彼は、こんなことを言っていたなあ」というかたちで
「夫が暮らしのなかにいた一年前」を
ことあるごとに、ふりかえっては懐かしんできたけれど、
次の9月1日を迎えてしまうと
「去年も、夫は暮らしの中にいなかった」ということになるので、
それが、寂しいなあ、いやだなあ、
そういう一年を、これから重ねていくのかと想像すると
虚しいなあと思います。


疾走し、選択と決断を繰り返してきた一年が過ぎたあと、
わたし、どうやって生きていくのかな。
まあ、生きてはいくんだろうな。
それなりにたくましく。


一年前までの夫と
病床の夫は、
同じではありません。


ほぼ毎日、夫に会いに行ってはいるけれど
同じ夫ではない。


清潔にしておきたい。
居心地よくしておきたい。
肌をすべすべとしておきたい。
体をやわらかくしておきたい。


今、夫に対して思うのは、
そういうことであって
「あの話を聞いてほしい」
「一緒にこういうことをしたい」という相手ではない。


愛情のカタチは、変わったのです。


肉親を看病したり、介護したりしなくてはならなくなったとき、
「変わらぬ愛」を周囲も、自分さえも自分自身に求めることがあるけれど
それは、「愛」というものへの過信と誤解です。


愛情のカタチは、絶え間なく変わるもの。


男女の恋愛がいつしか同士愛のように変わったり、
子どもへの愛情が「手をかけるもの」から
「見守るだけのもの」に変わったり、
親への依存的愛情が、その老いとともに
保護者的責任感に変わったり…。


自立を促した子どもから
いつまでも頼られることを腹立たしく思い、
その逆に、親からいつまでも
過度に心配されることを疎ましく思うのは、自然なこと。
親子の間だけでなく
あらゆる人間関係において
愛情のカタチは絶え間なく変わるのです。



わたしは、日に何度も、
夫が回復し、見慣れた笑顔で
玄関を開けて帰ってくる様子を想像し、
その奇跡を目の当たりにして驚く自分と
それからの反応と安堵を事細かに思い描きます。


そうなったら、どれだけいいだろうと思う気持ちと
愛のカタチが変わったことを冷静に見つめる気持ちは
わたしという一人の人間のなかに共存している。


どちらかが正しいわけでなく
どちらかがあるべき姿でもない。


愛のカタチの変化に
「わたしって冷たい人間なのか」と
悩む必要はない、そう思っています。



私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、上毛新聞でも7月29 日(月曜)より掲載がスタートするときゅっぴぃさんに教えていただきました。きゅっぴぃさん、お問い合わせいただき、また知らせてくださり、ありがとうございます!


そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・神奈川・佐賀・宮崎日日新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。

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犬に振りまわされて、忘れられない夕暮れに出合う。


スー(犬・オス・1歳8カ月)を
狂犬病の注射に連れていきました。
ようやく。


4月だったか。
ワクチンとフィラリアの薬をもらうときに
病院のドアをあけたところで怖気づき、
車の行き交う大通りを渡って逃走。
あわや交通事故死という事態に、
私の肝は冷えたどころが
カチンカチンに凍りつきました。
「先生!もう、狂犬病の注射もやっちゃってください!」という、
一見、乱暴、その実、切実な訴えが、
「いや、ダメです」とそっけなく却下されてから早3カ月。


どうやってスーを病院に連れていくか。


だれに話しても半笑いでしか同情されないのですが、
わたしにとっては、頭の痛い、深刻な悩みだったのです。
さらに困ったことには、
ふだんの散歩でも病院方面へは決して行こうとしなくなったのです。


スーの体重は、18キロ。
おおよそ、幼稚園年長の男の子と同じくらいです。
元気さも、あんな感じ。


「いやだあ、いやだよおおおおお。
病院なんていがないよーーーーーー!!」


暴れて抵抗する幼稚園年長のわんぱく男子、
手をつないで歩こうとしてもどうにもならないので、
仕方なく羽交い絞めにして抱きかかえ、
歩いて15分ほどの病院に連れていく。
まあ、そんな感じ。


無理。阿鼻叫喚。地獄絵図。


娘とも相談し、策を練りました。
車で行かないと無理だな。(うちに車はなし)


仲良しのママ友にお願いして
車を出してもらおう。
娘が先行して出て
車のシートにバスタオルを敷き、
ママ友にお礼のボスのラテベース3本セット
(無糖コーヒー、紅茶ラテ、焦がしキャラメル)を渡しておく。



そこに散歩に行くつもりのスーが
わたしと登場し
スルッと抱きかかえて車に乗り込む。完璧だ。


わたしの両手が空いていたほうがよかろうと、
散歩バッグは娘が持って出ました。


これがよくなかった。失敗だった。


「散歩に連れていかないヤツが、
散歩バッグをもって出た」ことでうっすらと異常を察知したスーは、
警戒しながら玄関を出て、
マンションの階段を下りたところで
わが身にふりかかる災難を確信。


きびすを返し、
すたこらさっさと階段を上りはじめます。
もんのすごい勢い。
幼稚園年長男子、「僕、帰る!」の遁走。



あああああああああ、
待て待て待て待て。
いかん、いかん。そうはさせまじ!!


ハーネス(胴輪)を、がしっと握って動きを制止、
こうなったら、かつぎ上げるしかない。
かつぎあげて羽交い絞めにして
拉致するしかない。


このとき、毎度、自分がどのようなフォルムで歩いているのか
どのような形相になっているのか。
想像するだにおそろしいです。
見ている人は、もっとおそろしいに違いありません。


「お世話になります!ドア、開けてーーーーー(悲鳴)」
犬ごと乗り込む。


スー、降りようとする。
ドア、締まる。
「こんなこと頼んですんません」と平身低頭のわたし。
数分で病院に到着。
(この間に、後部座席に移動して娘にすがりつくなどする)


スーをかつぎ上げて、通りを渡る。
娘、病院のドアを開ける。


わたし、病院のドアをくぐる。


着いたーーーーーーーーーーー。


犬を両手でかついで仁王立ちし、
安堵と達成感とともに周囲を見渡すと、
そこには、
チワワをひざに乗せた女性、
眼が白くなった老マルチーズを見守る夫妻、
猫の入ったバスケットを捧げ持つ女性が
チンと座っていました。



夕陽のガンマンが救い出したあばずれ女を抱きかかえ、
砂煙とともに勇ましく酒場に入ったら、
貞淑な妻たちがお茶会を開いていた的な図?
(いったい、わたし、どんなフォルムで、
どんな形相で、どんなテンションで登場したのでしょう??
あああ。想像するだにおそろしい)


病院を出ると、解放感からしばらく走った後は、
ケロッとして「おっ、今日はみんないっしょですね!?
イヤッホー!うれしいなあ!
なんなら、ちょっと遠い公園まで行っちゃいますか?」の勢い。
尻尾をフリフリと揺らし、
何度も何度も振り返る姿を見て


「かわいいねえ」
「ほんとにいい子だねえ」
さっきまでの苦労を忘れて
母娘とも目じりを下げました。


パロンのときから、
何度も来ている公園に入り、
リードを握る娘の背中とスーを見ていると、
一度たりとも同じ瞬間がないことと、
この瞬間の無邪気な幸福のなかに
いま、まぎれもなく二人と一匹で
浸るように存在しているのだということに
胸が打たれました。


57歳8カ月の私と
22歳5カ月の娘と
1歳8カ月(推定)の犬が
この世で出会って
ともに「狂犬病の注射を打つ」という大事業を成し遂げ
それぞれが、それぞれにまとわりつくように歩く、
2019年7月24日の夕暮れ。


病院に連れていくのが大変なことを除けば、
なんのストレスも感じさせないスー。
いつの間にかお利口になって
静かにそばにいてくれるスー。


わたしもそれまでの不安と苦労をケロッと忘れて
ご機嫌に帰るなんて
似たもの同士なのかもしれません。




私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、上毛新聞で7月29 日(月曜)より掲載がスタートします!


そのほかに現在、熊本日日・岐阜・山陰中央新報・四国・茨城・秋田魁新報・山陽・埼玉・愛媛・神戸・徳島・北日本・静岡新聞・福井新聞・信濃毎日・岩手日報・東奥日報・神奈川・佐賀・宮崎日日新聞でも掲載(終了紙もあり)されています。

  詳細や経緯はこちらの記事をご覧ください。

似た境遇の人はもちろん、さまざまな責任を負いながら奮闘する同世代の女性に伝わるようにと願いながら書いています。お住まいの地域の方、読んでもらえたらうれしいです。




フェイスブックツイッターで更新情報をお知らせしています。フォローしたら気軽に話しかけてください♪リアルタイムにツイートしているのでライブ感あります。

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