すでに何度か書いていますが、
わたしは、20代後半に
千葉敦子さんというジャーナリストの闘病記に感銘を受け、
いまも、「これは、つらかろう」という場面で
彼女の対処方法を思い出します。
最近、しばしば思い出すのは、
彼女の乳がんが再発したとき、
「手術後に抗がん剤治療をしておけばよかったのだろうが、
当時は、お金がなかったのだから後悔はするまい。
あれでよかったのだ」
というようなことを書いているところです。
何よりも恐れていたであろう自分自身の病について
「あのときは、あの選択で間違いはなかった。
だから、後悔しない」と書いてあるのを読んで、
劇団を主宰しながら、
アルバイト生活をするという、
ザ・迷える若者だったわたしは、
むむ?さらっと書いてあるけど
これは、とんでもなくむずかしいことだぞ。
と思いました。
「あのとき、ああしておけばよかった!」
(当時の選択は間違っていた)
と思うのが自然な状況で
「あの選択しかなかったのだから、
あれで正解だったのだ。
後悔しない」という姿勢。
強がるわけでなく、
我慢するでなく、
「後悔しない」と言えるのは、すごいなーと感じました。。
いま、また、このエピソードをよく思い出すのは、
昨年9月1日に倒れ、
意識が戻らないまま寝たきりの夫を見ながら
「これでよかったのか」
「この約1年間の選択は、正しかったのか」と
自問することが多いからです。
さらに言うなら、
夫を幸福でない、苦しみの多い状況に置いてしまったのではないかと感じるとき、
どこかに「救命しない」という決断を下す余地はなかったのか?
そのタイミングはなかったのか、とも思うからです。
しかし、何度振り返っても
発病から数週間はベルトコンベアに乗ったような感覚で
そんなタイミングがあったとは思えず。
その後は、主体的に動くようになり、
転院して胃ろうを増設するときは、
友だちである専門家に意見を聞いたり、
自分でも調べたりして
周囲に流されることなく決めたのでした。
あのときの選択に間違いはなかった。
だから、後悔しない。
そう言い切っていいのか。
千葉敦子さんの本に感銘を受けて30年近くたち、
「とんでもなくむずかしい」と感じたことのなかに
ズシリと重いものが含まれていることに気づきました。
それは、
選択は正しくても、
結果がよいとは限らない。
ということです。
その事実が受け入れられないとき、
人は、「あああ、こうしておけばよかった!」
「あのとき、無理をしてもこうするべきだった!」
と何度も何度も繰り返し自分を責めることになるのでしょう。
「あのときは、あの選択で間違いはなかった。
だから、後悔しない」
と自分を説得するのも大事なのだと思います。
それが、「堂々とした生き方」とか
「凛とした姿勢」といわれるものの
本質じゃないでしょうか。
私の連載コラム「献身と保身のはざまで」、上毛新聞で7月29 日(月曜)より掲載がスタートしました!
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